量刑
2009年06月09日
報道によると、秋田地裁の馬場純夫裁判官は、窃盗事件の共犯者の一人に懲役1年2か月の実刑を、もう一人に懲役1年6か月執行猶予4年の刑を言い渡した後で、休廷し、再開後にそれぞれの刑を宣告し直し、改めてそれぞれ懲役2年の実刑と懲役2年執行猶予4年の刑を言い渡した。馬場裁判官が刑の宣告し直しをした理由は、検事の求刑を聞き間違えたから(懲役2年6か月の求刑を1年6か月に聞き間違えた)ということである(MSN産経ニュース2009年6月9日http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090608/trl0906081948007-n1.htm)。
判決の言い渡しは公開の法廷における宣告つまり口頭の言渡しによって行われる(刑事訴訟法342条)。判決書というものが作られるが、それは言い渡した判決の内容を記録し証明する文書にすぎない。したがって、口頭で言い渡した内容と判決書の内容に食い違いがあるときは、口頭で言い渡した方が判決であるということになる。判決は宣告が完了した時点で完成する。宣告が終わった後でその内容に誤りがあることが分かっても、言渡しをした裁判官にはそれを訂正することはできない。上訴審の裁判官が当事者の上訴に基づいて原判決を破棄して訂正できるだけである。唯一の例外は最高裁判所が言い渡す判決である。最高裁判決には上訴できない。そのかわり、最高裁自ら判決の訂正をするという制度がある(刑事訴訟法415条)。
けれども、最高裁判所の判例によると、第1審裁判所が判決を言い渡す公判期日が終わるまでは――裁判長が「それでは刑の言い渡しを終わります。閉廷します」と言うまでは――、いったん言い渡した刑を訂正し、その言い渡しをやり直すことができる(最判昭51・11・4刑集30‐10‐1887)。今回の手続が実際どうだったのか分からないが、おそらく、馬場裁判官が閉廷を宣言する前に、検事が発言したので(「裁判長、すいません。私の求刑は1年6カ月ではなく、2年6カ月でした」というような感じで)、馬場氏は聞き間違いに気がついて、休廷をして一旦法廷の外に退いたのだろう。そうだとすれば、まだ、公判期日は続いていることになるので、言渡しのやり直しはできることになる。
しかし、問題は、「検事の求刑の聞き違い」ということが言い渡しやり直しの正しい理由となるのか、ということである。この点でも前出の最高裁判例は参考になる。事案はこうである。窃盗事件の判決宣告期日に裁判官が懲役1年6カ月・5年間の保護観察付執行猶予の判決を朗読した。すると、立ち会っていた裁判所書記官が裁判官に、被告人の犯行は前の刑の保護観察期間中のものだと指摘した。すると、裁判官は、約5分間検討したのち、「先に宣告した主文は間違いであったので言い直す」と告げて、改めて懲役1年6か月の実刑を言い渡した。このケースについて、最高裁判所は、先に指摘したように、判決言渡しのやり直し自体は有効だと述べたが、しかし、それと同時に、最高裁判所は、この裁判官の量刑判断は甚だしく不当なものであって、破棄しなければ著しく正義に反すると言って、判決を破棄して、あらためて懲役1年6か月・5年間保護観察付執行猶予の言渡しを行った。最高裁が量刑不当を理由に判決を破棄し自判した非常に珍しい先例となった。最高裁判所は次のように述べている。
「被告人には、前記のとおり、保護観察付き刑の執行猶予の懲役刑の前刑があったが、第1審の判決宣告期日以前に執行猶予期間が経過し、刑の言渡しが効力を失っていたため、本件において被告人に対して刑の執行猶予を言い渡すことには法律上の支障はなかった。……第1審裁判官が保護観察付き刑の執行猶予を実刑に変更したのは、前者が実質的にみて妥当でないとの判断に基づくものではなく、前刑の保護観察中に犯した犯行であるため法律上執行猶予とすることが許されないとの誤解に基づくものと解するほかない。……これらの諸点を総合して考察するときは、第1審裁判官が当初に宣告した刑をもって被告人に臨むのが正義にかなうものというべきであ[る]。」(刑集30‐10、1892頁)
つまり、当初に言い渡した刑を変更した実質的な理由が、法律の誤解というようなそれ自体根拠のないものであるならば、その量刑変更は不当であり、著しく正義に反するというのである。
さて、検事の求刑の“聞き間違い”は量刑を変更する正当な根拠といえるんだろうか。それはありえない。私はそう思う。法律の定めによれば、被告人の刑を決めるのは裁判官である(裁判員対象事件では裁判官と裁判員。裁判員法6条1項3号)。検察官にも弁護人にも、刑を決める権限はない。検察官と弁護人は証拠調べが終わった後に事実と法律の適用について意見を述べることができる(刑事訴訟法293条)。検察官はこの意見陳述の最後に、どのような刑が相当であるかの意見を述べるのが慣例であり、これを「求刑」と呼び習わしている。しかし、裁判官が検事の求刑に拘束される法的な根拠はどこにもない。それを参考にするかどうかは法的には裁判官の全くの自由にゆだねられている。求刑の10分の1の量刑をしても良いし、求刑を超える刑を言い渡すのも裁判官の自由である。
求刑を正しく聞こうが聞き間違えようが、裁判官は判決を言い渡す前にいくらの刑が正義にかなったものなのかを考えたはずである。実際に考え、そして、その判断に専門家としての自信があるならば、検事の求刑などどうでもいいはずである。法廷で検察官から指摘があっても、「ああそうですか」と受け流すことができたはずである。
しかし、馬場裁判官はそうしなかった。求刑の聞き間違いを指摘されるや直ちに考え直し、そして、量刑を検事の求刑に寄り添うように重く言い直した。
世間では良く、裁判官の量刑は検事の求刑の八掛けだと言われている。もしもそれが本当だとすれば、日本の刑事被告人は裁判官による裁判を受けていないことになる。なぜなら、量刑を実質的に決めているのは検事だからである。被告人を懲役8年にしたければ検事は10年を求刑すれば良い。4年にしたければ5年。簡単な算数だ。日本の職業裁判官はそれが現実であることを決して認めない。馬場純夫裁判官も認めないだろう。しかし、行動は言葉よりも雄弁である。立会検事から「それ違いますよ」と指摘されるや、すごすごと引っ込んで刑を変えるというのは、あまりにも見事に誰が刑を決めているのかを示している。まるでカリカチャーそのものだが、これは紛れもなく日本の司法の現実である。
判決の言い渡しは公開の法廷における宣告つまり口頭の言渡しによって行われる(刑事訴訟法342条)。判決書というものが作られるが、それは言い渡した判決の内容を記録し証明する文書にすぎない。したがって、口頭で言い渡した内容と判決書の内容に食い違いがあるときは、口頭で言い渡した方が判決であるということになる。判決は宣告が完了した時点で完成する。宣告が終わった後でその内容に誤りがあることが分かっても、言渡しをした裁判官にはそれを訂正することはできない。上訴審の裁判官が当事者の上訴に基づいて原判決を破棄して訂正できるだけである。唯一の例外は最高裁判所が言い渡す判決である。最高裁判決には上訴できない。そのかわり、最高裁自ら判決の訂正をするという制度がある(刑事訴訟法415条)。
けれども、最高裁判所の判例によると、第1審裁判所が判決を言い渡す公判期日が終わるまでは――裁判長が「それでは刑の言い渡しを終わります。閉廷します」と言うまでは――、いったん言い渡した刑を訂正し、その言い渡しをやり直すことができる(最判昭51・11・4刑集30‐10‐1887)。今回の手続が実際どうだったのか分からないが、おそらく、馬場裁判官が閉廷を宣言する前に、検事が発言したので(「裁判長、すいません。私の求刑は1年6カ月ではなく、2年6カ月でした」というような感じで)、馬場氏は聞き間違いに気がついて、休廷をして一旦法廷の外に退いたのだろう。そうだとすれば、まだ、公判期日は続いていることになるので、言渡しのやり直しはできることになる。
しかし、問題は、「検事の求刑の聞き違い」ということが言い渡しやり直しの正しい理由となるのか、ということである。この点でも前出の最高裁判例は参考になる。事案はこうである。窃盗事件の判決宣告期日に裁判官が懲役1年6カ月・5年間の保護観察付執行猶予の判決を朗読した。すると、立ち会っていた裁判所書記官が裁判官に、被告人の犯行は前の刑の保護観察期間中のものだと指摘した。すると、裁判官は、約5分間検討したのち、「先に宣告した主文は間違いであったので言い直す」と告げて、改めて懲役1年6か月の実刑を言い渡した。このケースについて、最高裁判所は、先に指摘したように、判決言渡しのやり直し自体は有効だと述べたが、しかし、それと同時に、最高裁判所は、この裁判官の量刑判断は甚だしく不当なものであって、破棄しなければ著しく正義に反すると言って、判決を破棄して、あらためて懲役1年6か月・5年間保護観察付執行猶予の言渡しを行った。最高裁が量刑不当を理由に判決を破棄し自判した非常に珍しい先例となった。最高裁判所は次のように述べている。
「被告人には、前記のとおり、保護観察付き刑の執行猶予の懲役刑の前刑があったが、第1審の判決宣告期日以前に執行猶予期間が経過し、刑の言渡しが効力を失っていたため、本件において被告人に対して刑の執行猶予を言い渡すことには法律上の支障はなかった。……第1審裁判官が保護観察付き刑の執行猶予を実刑に変更したのは、前者が実質的にみて妥当でないとの判断に基づくものではなく、前刑の保護観察中に犯した犯行であるため法律上執行猶予とすることが許されないとの誤解に基づくものと解するほかない。……これらの諸点を総合して考察するときは、第1審裁判官が当初に宣告した刑をもって被告人に臨むのが正義にかなうものというべきであ[る]。」(刑集30‐10、1892頁)
つまり、当初に言い渡した刑を変更した実質的な理由が、法律の誤解というようなそれ自体根拠のないものであるならば、その量刑変更は不当であり、著しく正義に反するというのである。
さて、検事の求刑の“聞き間違い”は量刑を変更する正当な根拠といえるんだろうか。それはありえない。私はそう思う。法律の定めによれば、被告人の刑を決めるのは裁判官である(裁判員対象事件では裁判官と裁判員。裁判員法6条1項3号)。検察官にも弁護人にも、刑を決める権限はない。検察官と弁護人は証拠調べが終わった後に事実と法律の適用について意見を述べることができる(刑事訴訟法293条)。検察官はこの意見陳述の最後に、どのような刑が相当であるかの意見を述べるのが慣例であり、これを「求刑」と呼び習わしている。しかし、裁判官が検事の求刑に拘束される法的な根拠はどこにもない。それを参考にするかどうかは法的には裁判官の全くの自由にゆだねられている。求刑の10分の1の量刑をしても良いし、求刑を超える刑を言い渡すのも裁判官の自由である。
求刑を正しく聞こうが聞き間違えようが、裁判官は判決を言い渡す前にいくらの刑が正義にかなったものなのかを考えたはずである。実際に考え、そして、その判断に専門家としての自信があるならば、検事の求刑などどうでもいいはずである。法廷で検察官から指摘があっても、「ああそうですか」と受け流すことができたはずである。
しかし、馬場裁判官はそうしなかった。求刑の聞き間違いを指摘されるや直ちに考え直し、そして、量刑を検事の求刑に寄り添うように重く言い直した。
世間では良く、裁判官の量刑は検事の求刑の八掛けだと言われている。もしもそれが本当だとすれば、日本の刑事被告人は裁判官による裁判を受けていないことになる。なぜなら、量刑を実質的に決めているのは検事だからである。被告人を懲役8年にしたければ検事は10年を求刑すれば良い。4年にしたければ5年。簡単な算数だ。日本の職業裁判官はそれが現実であることを決して認めない。馬場純夫裁判官も認めないだろう。しかし、行動は言葉よりも雄弁である。立会検事から「それ違いますよ」と指摘されるや、すごすごと引っ込んで刑を変えるというのは、あまりにも見事に誰が刑を決めているのかを示している。まるでカリカチャーそのものだが、これは紛れもなく日本の司法の現実である。