裁判官
2006年12月29日
先日ある事件で、被告人の着席位置に関する申し立てを行った。こちらは、「被告人は当事者であり、公判中自分の弁護人と自由にコミュニケーションする権利がある。弁護人席の前に座ったのでは、不自然な姿勢を取らなければ弁護人とコミュニケーションできない。したがって、被告人は弁護人の横に着席する権利がある。民事裁判では原告も被告も弁護士の横に座っている。そのことに誰も苦情を言わない。刑事裁判の被告だけ弁護士の隣に座ってはいけないという理由はどこにもないはずだ」と主張した。これに対して検察官は、「公判中は常に被告人の言動が観察されていなければならず、そのためには被告人は弁護人の前に座らさなければならない」などと、筋の通らない主張をした。刑事裁判は被告人を観察する手続ではない。被告人は刑事裁判という紛争の当事者である。訴訟の当事者が法廷で自分の弁護士の隣に座るのは自然なことである。
裁判長は、公判開始早々、5分間にわたってこの問題についてコメントした。彼は、「検察官の主張よりも、弁護人の主張の方が筋が通っていると思う」と言った。しかし、それに続けてこう言った。「けれども、裁判官は、学者ではなく、実務家である。」そう言って、裁判長は、結局、私の依頼人を私の隣ではなく、前のベンチに座らせた。
裁判官とは何だろうか。憲法によれば、裁判官は、法と良心に従って、紛争を解決するための判断をすることになっている。自分にとって「筋の通らない」ことであっても、検察官が言うことには従う、不合理なことであっても長年にわたって行われてきたことには従う。このようなことが彼らの「良心」だというのならば、それは事なかれ主義の小役人根性と同義である。そのような人間に税金を払って正義の判断を委ねているわれわれは実際すごく間抜けな国民ではないだろうか。
裁判長は、公判開始早々、5分間にわたってこの問題についてコメントした。彼は、「検察官の主張よりも、弁護人の主張の方が筋が通っていると思う」と言った。しかし、それに続けてこう言った。「けれども、裁判官は、学者ではなく、実務家である。」そう言って、裁判長は、結局、私の依頼人を私の隣ではなく、前のベンチに座らせた。
裁判官とは何だろうか。憲法によれば、裁判官は、法と良心に従って、紛争を解決するための判断をすることになっている。自分にとって「筋の通らない」ことであっても、検察官が言うことには従う、不合理なことであっても長年にわたって行われてきたことには従う。このようなことが彼らの「良心」だというのならば、それは事なかれ主義の小役人根性と同義である。そのような人間に税金を払って正義の判断を委ねているわれわれは実際すごく間抜けな国民ではないだろうか。