映画

2006年12月29日

月曜日(12月25日)に、周防正行監督の新作「それでもボクはやってない」(2007年1月20日公開)の日弁連試写会があった。上映後に監督を交えてのパネルディスカッションがあり、私は光栄にもパネリストの1人として周防監督と言葉を交わす機会を得た。

一映画ファンとしてこの映画を見ることは、私にはできなかった。やっぱり。
「身も蓋もない映画だなあ。」
日弁連の控え室で周防監督自身に向って思わずそう口走ってしまった。開口一番こんな失礼な挨拶をしたことをちょっと後悔した。
「私にはあまりにもリアルな映画なんで……観客として見ることができませんでした。」
私は正直に弁解した。

まさにこれが日本の刑事裁判である。これが現実である。これがいま全国津々浦々の裁判所で毎日繰り返されている出来事である。「有罪率99%」とはこういうことなんだよ。

刑事弁護士というこの国の司法におけるマイノリティにとっての生の現実が、これほどまでにあけすけに隠し事なく端から端までドラマになり映像になり言葉になったことは、これまでなかった。これまでの日本の裁判映画・法廷ドラマ・事件小説はどれもこれも、一方的な思い込み、過剰な賛美、こっけいな熱弁、作者の無知とぼやけた細部の寄せ集めであり、真実は竹薮の中に転がっていた。この映画は徹底的に現実にこだわっている。表現者にとって「現実」とは際限のないものである。例えば、集中押送で地検管内の警察署を廻るバスのなかで数珠繋ぎになっている被疑者や検察庁の地下留置場で被疑者たちが一列に並んで長い捕縄を外される場面の映像や音を、監督は微細かつ正確に再現している。この「正確さ」のために費やされた膨大なエネルギーを私にはなんとなく想像できる。このシーンが映画になったというのはわが国の刑事裁判にとって歴史的な事件と言うべきである。取調室も法廷も判事室も法律事務所も、傍聴マニアの視線も刑事裁判官の所作も、全てが一つ一つこのように作りこまれている。

私には映画を批評する資格はないが、「アラバマ物語」や「12人の怒れる男」やヒッチコックの「間違われた男」や黒澤の「羅生門」が傑作だというのならば、この映画はもっと傑作である。私はそう思う。しかし、それは私にとっては重要ではない。私にとって重要なのはこの現実が映画になったということだ。

私は映画を見てこれほどまでに打ちのめされたことはない。


plltakano at 06:52コメント(6)トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加
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高野隆

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