対決権

2022年10月08日

�� 再検討が必要である


 日本国憲法の施行(1947年)から数年しか経過していない時期においては、まだ、憲法の制定過程に関する資料は十分に公開されておらず、また、憲法37条2項のもとになった合衆国憲法の修正条項の研究も十分ではなかった。

 1949年大法廷判決は、憲法37条2項前段の証人審問権は法廷に喚問された証人に対して被告人の反対尋問権を保障しただけである(「出廷したら尋問させれば良い」テーゼ)から、伝聞排除法則とは全く関係のない規定であると言う一方で、被告人において伝聞供述の供述者を尋問したければ、同項後段の強制手続権を行使して供述者を証人尋問すれば良いのだから、伝聞証拠を採用しても被告人の権利保護に欠けるところはない、と言った。しかし、この憲法解釈は、憲法の沿革に対する無知に由来する、まさに「独自の見解」である。すなわち、日本国憲法の制定過程から明らかなように、37条2項前段の証人審問権は合衆国憲法第6修正の対決権条項(confrontation clause)を承継するものであるのに対して、同項後段の強制手続権は同修正の強制手続条項(compulsory process clause)を承継するものなのである。前者は自己に不利益な供述をする人物と法廷で対決して反対尋問を行う権利であるのに対して、後者は自己に有利な供述をする人物を法廷に呼ぶために強制手続を利用する権利である[32] 。当時の最高裁裁判官は、この両者の違いを理解せず、前者を単なる法廷での尋問権と決めつけ、後者を敵対証人に対する反対尋問のための権利であると位置づけてしまったのである。

 1949年大法廷判決は、何一つ論証を試みることなく、憲法の歴史的沿革を無視した独自の見解――「出廷したら尋問させれば良い」テーゼにもとづいて、伝聞排除の憲法的基礎であるべき条項を伝聞排除とは無関係の規定であると宣言してしまった。その後の判例は、この説示の信憑性について自ら再検討しようとせず、金科玉条の如くにこの判例を引用して、被告人の違憲の主張を繰り返し退けてきたのである。

 1949年大法廷判決はそもそも刑訴法321条1項2号の合憲性を審査した判例ですならない。それは刑訴応急措置法に関する先例である。刑訴応急措置法は、旧刑訴法から新刑訴法への過渡期において、新憲法の要求をとりあえず必要最小限の範囲で満足させようと意図したものに過ぎない。文字通り「応急的措置」なのである。当時はそもそも反対尋問なるものについて法曹一般が理解しておらず、実際にも行われていなかったのである。このような時代的な制約のなかで、憲法の施行に間に合わせるために不十分ながらもその要求に応じようとするしかなかったのである。この意味で、応急措置法の合憲性をもって直ちに新刑訴法の合憲性を理由づけることはできないと言わなければならない [33]。

 憲法が施行された直後から1950年代中頃にかけての最高裁判例を概観して感じるのは、その議論の内容の希薄さと速やかに刑事手続の合憲判断をしなければならないという性急な意識である。一国の法令の憲法適合性を決定する「最終審裁判所」(“the court of last resort”)(憲法81条)である最高裁判所の行うものとして、その議論の内容のあまりの貧困さは目を覆いたくなるほどである。憲法の解釈をする以上、まずもって当該規定の歴史的沿革や制定過程を調査すべきであるが、最高裁判所の法廷意見は全くこれを行っていない。憲法37条2項の歴史的な沿革に多少なりとも触れたのは、1948年大法廷判決における栗山裁判官の反対意見のみである。

 当時は、まだ、憲法の制定過程に関する資料は十分に公開されておらず、憲法37条2項前段のもとになった対決権条項の研究も十分ではなかった。後述するように、その後に公開された憲法制定過程に関する文献や対決権条項の沿革に関する文献などを参照していれば、同項は、被告人を訴追する目的で行われ、被告人に対決・尋問の機会を与えずになされた尋問の結果を排除することを主眼とする規定であることが理解できたであろう。しかし、1949年大法廷判決は、そのような憲法解釈[34] を「独自の見解」[35] と言って排斥したのである。

 1949年大法廷判決の「出廷したら尋問させれば良い」テーゼには、いかなる意味でも論証というものが存在しない。要するに、「憲法の文言をそのように読むことができる」というだけである。また、同判決は、実質的根拠として、「もし被告人に不審不満の点があれば、憲法上の権利として、[…]其供述者の喚問を請求し、充分反対訊問をなし、その内容を明らかにすることができるのであるから」と言っているが、これが憲法の沿革に関する無知に由来すること、そして、実際には最高裁は被告人が請求すれば必ず証人喚問するつもりなどなかったこと(「最高裁の二枚舌」)は、前述した。これらの点をさておいても、被告人不在の場所で作成された法廷外供述を採用しても、供述者を後で法廷で尋問する機会を与えれば反対尋問権は十分保障されたと言えるということについても、論証はなされていない。法廷外の供述に対して、法廷で十分な反対尋問をするためには、供述者が法廷で、問題の法廷外供述を自己の供述であると認める必要がある[36] 。ところが、2号後段によって証拠請求される検察官調書の供述者のほとんどは、調書における供述を自己の真意に基づく供述であるとは認めないのである。要するに、事後的な反対尋問は、同時的な反対尋問の代用とはなり得ないのである。こうした点についても、1949年大法廷判決はもとより、今日までわが国の最高裁判事たちは全く検討したことがない。

 判例データベースで1948年以降の刑事事件に関する最高裁判所の憲法判断の件数を調べてみる[37] と、表1のとおりである。その推移をグラフにすると次のとおりである。


グラフ1刑事に関する最高裁憲法判例件数



 1948年には刑事事件に関して大法廷判決が83件、小法廷判決が112件、合計195件の最高裁判決があった。その後も1953年まで毎年100件を超える憲法判例があった(例外は1952年の79件)[38] 。年間200件の憲法判断をするということは、2日に1回以上のペースで憲法判断を示していることになる。きちんとした調査をする暇などなかったことは想像に難くない。刑訴応急措置法や新刑訴法制定直後の時期の諸判例は、憲法違反の上告が山積した時代に、「『適正手続』の原則に対する理解が十分でない中で、刑事司法・刑事手続の安定を図るため、急速に最高裁判所の判断を示す必要があり、暫定的に憲法判断を次々に示した」ものなのである[39] 。このような暫定的で拙速な憲法判断によってその後の実務が支配されている現状は不幸である。

 1995年に平場安治教授は次のように指摘した――「50年の経験を踏まえ、刑事手続に対する内外の批判もあることでもあり、新法施行直後の一連の最高裁判決を腰を据えて再検討すべきときにきている」[40] 。それからさらに30年近く経っているのに、そして「刑事手続に対する内外の批判」はますます大きくなっているのに、日本の最高裁は全く動く気配がない。われわれは、この国で刑事司法に携わっている職業人として、このままいつまでも手をこまねいている訳にはいかないとわたしは考える。われわれは今こそ、1940年末期から50年代前半にかけて最高裁判所が大量生産した刑事手続合憲判例を見直すべきである。
(つづく)

【脚注】
[32]田中・前注4、136頁は、この点を指摘していた。
[33]江家義男『刑事証拠法の基礎理論(訂正版)』(有斐閣1952)、100頁参照。
[34]1949年大法廷判決の上告趣意であると同時に、1948年大法廷判決の栗山裁判官の反対意見の趣旨でもあった。
[35]刑集3-6、790頁。
[36]後述の連邦最高裁のダグラス対アラバマ判決(1965年)を参照。
[37]TKC LEX/DBで「憲法」を検索語にして、各年の最高裁判所の刑事判例を検索した。
[38]2000年代以降、最高裁の憲法判断は最大で年間26件であり、大法廷判決は2011年に2件、2017年に1件あっただけで、あとはゼロ件である。
[39]平場安治「刑事訴訟法学と現実の刑事手続」季刊刑事弁護3‐12(1995)、13頁。
[40]同前。



plltakano at 23:23│コメント(1)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2022年09月30日

 明治時代から、犯罪捜査を行う公務員として、警察官とは別に検察官(検事)というものが存在していた。しかし、明治刑訴法(1890年)には検事や警察官が被疑者や参考人を尋問(取調べ)して、その供述を記録することができることを定めた規定はなく、そうした聴取書は無効であって、被告人の有罪を立証する証拠として利用することはできないというのが大審院の判例 [1]であった。しかし、1903年に大審院は判例を変更して、法律の規定によらずに「自由任意ノ承諾ニ出タル供述」を記録することは可能であり、そうして作成された聴取書も有効であって証拠として採用することができるとした[2]。大正刑訴法(1922年)は、しかし、法令上の権限がない者によって作成された法廷外供述の許容性を一般的に否定した。そのうえで、供述者が死亡や疾病のために法廷で尋問できない場合に限り例外的に聴取書を証拠として採用できるとした(大正刑訴法343条)[3] 。いずれにしても、検事が被疑者や参考人を尋問して作成した供述録取書(検事聴取書)の許容性について特別扱いをする規定は戦前には存在しなかった。

 ところが、1948年に制定され1949年に施行された昭和刑事訴訟法(現行刑事訴訟法)は、検事の作成する供述録取書に特別な地位を与えた。昭和刑事訴訟法は「公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」(320条)と宣言する一方で、「その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき、又は公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異なつた供述をしたとき。ただし、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するとき」には検事作成の聴取書を証拠にしても良いとしたのである(321条1項2号)。

 昭和刑訴法が制定される前年に施行された日本国憲法(1947年施行)には、詳細な刑事人権規定が定められており、その37条2項前段は「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ[る]」と定めていた。検察官調書の特別扱いについては、いち早く英米証拠法の専門家がその違憲性を指摘した[4] 。しかし、最高裁判所は、321条1項2号前段については1952年に、そして、同号後段については1955年に、それぞれ合憲判決を出した。

 その後今日まで70年間にわたって、刑事弁護人や一部の学者は、合憲判例は根拠が薄弱で説得力がないとして、同号の合憲性について繰り返し異議を唱えているが、今日に至るまで最高裁判所は当初の合憲判例を引用する以外に何らの応答もしていない。しかし、そうしたいわば惰性的な合憲判断によって良心的な違憲論者を納得させることは不可能である。同号については依然として内外から批判が根強い。本稿は、日本国憲法制定から間がない時期に出された合憲判決を分析し、それがほとんど論証と呼べるものを欠いた空論であることを明らかにする。そして、憲法37条2項前段の歴史と沿革を踏まえて、検察官調書を特別扱いする321条1項2号の違憲性は明白であることを改めて主張する。

�機々膩�判例には先例としての価値がない


刑訴法321条1項2号前段(証言不能)についての判例
 刑訴法321条1項2号前段が憲法37条2項に違反しないと述べた最初の最高裁判例は、1952年4月9日大法廷判決 である[5]。大法廷はこう述べた。

憲法37条2項は、裁判所が尋問すべきすべての証人に対して被告人にこれを審問する機会を充分に与えなければならないことを規定したものであつて、被告人にかかる審問の機会を与えない証人の供述には絶対的に証拠能力を認めないとの法意を含むものではない(昭和23年(れ)833号同24年5月18日大法廷判決判例集3巻6号789頁以下参照)。されば被告人のため反対尋問の機会を与えていない証人の供述又はその供述を録取した書類であつても、現にやむことを得ない事由があつて、その供述者を裁判所において尋問することが妨げられ、これがために被告人に反対尋問の機会を与え得ないような場合にあつては、これを裁判上証拠となし得べきものと解したからとて、必ずしも前記憲法の規定に背反するものではない。刑訴321条1項2号が、検察官の面前における被告人以外の者の供述を録取した書面について、その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明、若しくは国外にあるため、公判準備若しくは公判期日において供述することができないときは、これを証拠とすることができる旨規定し、その供述について既に被告人のため反対尋問の機会を与えたか否かを問わないのも、全く右と同一見地に出た立法ということができる[6] 。


 つまり、憲法37条2項は、現実に公判廷において証人尋問が行われたときには被告人に対して尋問の機会を与えなければならないというだけであって[7] 、法廷以外の場所で作成された供述録取書を、その供述者に対する尋問の機会を与えずに採用しても憲法とは無関係だと言うのである。大法廷は、その解釈が正しい根拠を自ら何一つ示さず、別の大法廷判決を引用した。それ――1949(昭和24)年5月18日の大法廷判決[8] ――はどんな判例なんだろうか。

 それは、刑訴応急措置法12条[9] に基づいて、公判で尋問された証人の検事聴取書を採用したことの合憲性が争われた事案である。弁護人は、憲法37条2項は合衆国憲法第6修正と同旨の規定であり、被告人に反対尋問の機会を与えずに作成された供述の許容性を否定する趣旨であって、公判で尋問の機会を与えさえすれば、尋問の機会を与えずに作成された供述録取書を採用しても良いという応急措置法12条は憲法37条2項に違反すると主張した[10] 。大法廷は次のように述べてこの主張を退けた。

 
しかし、憲法37条2項に、刑事被告人はすべての証人に対し審問する機会を充分に与えられると規定しているのは、裁判所の職権により、又は訴訟当事者の請求により喚問した証人につき、反対訊問の機会を十分に与えなければならないと言うのであって、被告人に反対訊問の機会を与えない証人その他の者(被告人を除く。)の供述を録取した書類は、絶対に証拠とすることは許されないと言う意味を含むものではない。従って、刑訴応急措置法第12条において、証人その他の者(被告人を除く。)の供述を録取した書類は、被告人の請求があるときは、その供述者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えれば、これを証拠とすることができる旨を規定し、検事聴取書の如き書類は、右制限内において、これを証拠とすることができるものとしても、憲法第37条第2項の趣旨に反するものではない。
 論旨は公判廷において被告人に反対訊問の機会を与えたとしてもその訊問の結果を証拠となし得るに止まり、検事聴取書其ものは被告人に反対訊問の機会を与えて作成したことにはならないから、これを証拠することはできないと主張するものであるが、右主張は、憲法第37条第2項は被告人に反対訊問の機会を与えない証人の供述録取書は絶対に証拠とすることは許されないことを意味すると言う、独自の見解に基づくものであるから、採用できない。検事聴取書は、いわば、原告官たる検事が作成したものであるが、他の書類と同一の訴訟資料として、公判において被告人に読聞けられるものであり、もし被告人に不審不満の点があれば、憲法上の権利として、公費でしかも強制手続によって其供述者の喚問を請求し、充分反対訊問をなし、その内容を明らかにすることができるのであるから、裁判官の自由なる心証により、これを証拠となし得るものとするも、被告人の保護に缺くるところはない、唯無制限にこれを証拠となし得るものとすれば、憲法第37条第2項の趣旨に反する結果を生ずる恐れがあるから、刑訴応急措置法第12条により、被告人の権益保護につとめているのであって、右措置法の規定は憲法第37条第2項の旨を受けたものであり、たがいに杆格するものではなく、これを無効とすべき理由はない[11] 。


 たしかに、大法廷は「憲法37条2項[は]、[…]裁判所の職権により、又は訴訟当事者の請求により喚問した証人につき、反対訊問の機会を十分に与えなければならないと言うのであ[る]」と言って、「出廷したら尋問させれば良い」テーゼを語っている。しかし、その事案は、供述者が法廷に実際に出頭して被告人に尋問の機会を与えたうえで検事聴取書を採用したというものなのであり、証人尋問が行われなかったケース――刑訴法321条1項2号前段が想定しているケース――ではそもそもない。

 大法廷は、また、「もし被告人に不審不満の点があれば、憲法上の権利として、公費でしかも強制手続によって其供述者の喚問を請求し、充分反対訊問をなし、その内容を明らかにすることができる」から実質的に被告人の権利は保障されているという。この説示を読むと、いかにも被告人が証人尋問を請求したら、裁判所は必ずそれを採用して強制的に被告人に尋問の機会が与えられるかのような印象を受ける。ところが実際にはそうではない。最高裁判所大法廷は、この判決の前年に、「健全な合理性に反しない限り、裁判所は一般に自由裁量の範囲で適当に証人申請の取捨選択をすることができると言わねばならぬ。所論の憲法第37条第2項に、『刑事被告人は、公費で自己のために強制手続により証人を求める権利を有する』というのは、裁判所がその必要を認めて訊問を許可した証人について規定しているものと解すべきである。この規定を根拠として、裁判所は被告人側の申請にかかる証人の総てを取調ぶべきだとする論旨には、到底賛同することができない」と言っているのである[12] 。これを最高裁の「二枚舌」というのは言い過ぎだろうか。

 2号前段の2件目の合憲判決は、最高裁第1小法廷1961年3月9日判決 [13]である。被告人の有罪を認定する唯一の証拠である自称被害者の検察官調書を採用しながら、被告人側による供述者の証人申請を「国外に旅行中である」との理由で却下したという事案である。憲法37条2項に違反するとの論旨を、「証人が外国旅行中であつて、これに対する反対尋問の機会を被告人に与えることができない場合であつても、その証人の供述録取書を証拠として採用することが憲法37条2項の規定に違反するものでないことは当裁判所昭和24年5月18日,同25年9月27日、同年10月4日、同27年4月9日、同23年7月19日の各大法廷判決の趣旨に徴し明かであるから所論違憲の主張は採用し難い」と、ワンセンテンスで退けている[14] 。

 第1小法廷が引用している5つの判例のうち2つ――昭和24年(1949年)5月18日と昭和27年(1952年)4月9日各大法廷判決――については、すでに触れた。

 昭和23年(1948年)7月19日大法廷判決 [15]は、共犯者とされる者の「始末書」を刑訴応急措置法12条に基づいて裁判所が採用したが、第1審弁護人はその供述者の証人申請をしなかったという事案である。上告趣意は、憲法37条2項の法意は刑事事件において第三者の供述を証拠とするにはその者を証人として公開の法廷で尋問し、被告人に審問の機会を十分に与えることにあるのであって、供述者の聴取書や供述代用書面をもって証人尋問に代えることは許されないというものであった [16]。多数意見は、次のように述べてこの論旨を退けた。

 
刑訴応急措置法第12条は、証人その他の者の供述を録取した書類又は之に代わるべき書類を証拠とするには、被告人の請求がある場合には、その供述者又は作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えることを必要とし、憲法37条に基づき被告人は、公費で自己のために強制手続によりかかる証人の訊問を請求することができるし、又証人に対して充分に審問する機会を与えられることができ不当に訊問権の行使を制限されることがない訳である。しかし裁判所は、被告人側からかかる証人の訊問請求がない場合においても、義務として現実に訊問の機会を被告人に与えなければ、これらの書類を証拠とすることができないものと解すべき理由はどこにも存しない。憲法の諸規定は、将来の刑事手続が一層直接主義に徹せんとする契機を充分に包蔵しているが、それがどの程度に具体的に実現されてゆくかは、社会の実情に即して適当に規制せらるべき立法政策の問題である。今直ちに憲法37条を根拠として、論旨のごとく第三者の供述を証拠とするにはその者を公判において証人として訊問すべきものであり、公判外における聴取書又は供述に代わる書面をもって証人に代えることは絶対に許されないと断定し去るのは、早計に過ぎるものであって到底賛同することができない [17]。


 要するに、この1948年大法廷判決は、刑訴応急措置法が「被告人の請求があるときは、その供述者又は作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えなければ、これを証拠とすることができない」と規定しているのは憲法に沿うものであり、被告人が供述者の証人尋問を請求しなかった場合にその供述書を採用しても憲法には違反しないというのである。1961年第1小法廷判決は、被告人側が自称被害者の証人申請をしたのに、裁判所は証人が海外旅行中だというだけの理由で証人申請を却下して、唯一の有罪証拠であるその検察官調書を採用したという事案であって、1948年大法廷判決とは全く異なる、むしろ、逆のケースと言っても良い事案であった。それにも関わらず、第1小法廷は、この判例を引用して上告を棄却したのである。

 ところで、1948年大法廷判決には、栗山茂裁判官の詳細な反対意見が付されている。彼は、刑訴応急措置法12条は憲法37条2項の趣旨にそって限定的に解釈されなければならず、同条によって証拠とすることができるのは、原則として、被告人に尋問の機会を与えたうえで作成された供述に限られると言うのである。

 
憲法第37条第2項は、被告人又は弁護人の面前でされる証人の供述でなければ証拠にとれない。言いかえれば、供述を録取した書類を読聞けただけでは証拠とすることができない。即ち直接審理の原則を宣明したものである。刑訴応急措置法第12条はこの趣旨に適合するように解釈されなくてはならぬ。同条は、証人その他の者が当審公判廷外で被告人の面前で供述をしても(即ち審問の機会が与えられたのである)直接審理主義からいえば、当審公判廷で更に被告人の面前で証人として供述せしむべきものである。けれども被告人には既に審問の機会が与えられているのであるから、被告人又は弁護人からその請求がなければ、その供述を録取した書類又は之に代るべき書類を読聞けて証拠とすることができるという趣旨と解すべきものである。
 尤も被告人に傷害された被害者が瀕死の場合に彼を証人として被告人に審問の機会を与えることが著しく困難な場合がある。又被告人に既に審問の機会が与えられた証人その他の者が既に死亡し又は国外に去った場合がある。これらの場合に直接審理主義が制限せられるのは巳むを得ないであろう。然るに一度も被告人に対質の機会を与えず即ち裁判所も直接審理の機会を持たなかった証人その他の者が単に死亡若しくは国外に去ったという理由で、当然にその供述に証拠能力が出てくるものではありえない。瀕死の被害者の供述と雖も容易に信用できないものである。けだし被害者が被告人を見違うこともあり又他の動機で被告人を罪に陥れんとすることもあるであろうから、瀕死の一事を以ってその供述を録取した書類に証拠能力を認めるのさえ必ずしも公正を期しえないのものである。而てこの理由は第三者が被害者でなく而も死亡せず又国外に去らない場合でも同様でなくてはならぬ。従て刑訴応急措置法第12条は人権を尊重する上に於て、出来る限り厳格に解釈すべきものである。
 元来憲法第37条第2項の特権は、第三者の供述を、被告人に対質もさせないで即ち審問の機会も与えないで、単に読聞けただけで断罪した専制政府の裁判に対し、人権を擁護するために出来た保障であって、恐るべき裁判の歴史の産物である。専制政府が自分の好ましからずとする人物を倒すのには、これほど有力な武器はなかったし又ないであろうと思われる。犯罪捜索[ママ]の機関である司法警察官又は検察官が証拠を収集する段階で作成した報告書即ち聴取書は、理論上は公訴機関が公訴を提起するか否かを判断する資料に過ぎないものである。之を公訴提起後に公訴機関が公判期日に証拠として提出した場合に(弾劾主義の建前から、かように解釈すべきものである)この報告書に録取された第三者の供述については、捜索[ママ]の段階で、被告人に審問の機会が与えられた訳ではないから、裁判所は直接審理主義に基づいて、被告人又は弁護人の面前で供述者を証人として訊問とした後でなければ証拠にとれないことを原則とすべきである。ことに第三者の供述によって被告人に刑責を負わせる場合の如き、裁判所としては未だ嘗て直接審理をしたことがないのに、(たとえ裁判所にとって本人の刑責が明であると認めても)その供述を録取した書類によって裁判するのは、被告人又は弁護人の請求の有無に拘わらず、憲法第37条第2項の原則に反するものである。従て刑訴応急措置法第12条は、前掲のような特殊事由がある場合を除いては、原則として嘗て審問の機会が与えられた証人その他の者の供述を録取した書類と解すべきであると考える。同条が刑事訴訟法334条[ママ]を適用しないとしたにもかかわらず、同条を極めて皮相に文理解釈して、却て刑訴第343条[18] 以下の審理に終らんとするのは、同条が憲法第37条第2項を前提として出来ていることを忘れるものである[19] 。


 昭和25年(1950年)9月27日大法廷判決 [20]も被告側が自称被害者の尋問を請求しなかった事案である[21] 。そして、同年10月4日大法廷決定[22] は、刑訴法228条により被疑者・弁護人の立会いなしになされた証人尋問調書を、刑訴法321条1項1号によって採用した証拠決定に対する特別抗告事件である。公判では、検察官が証人申請を行い、実際に証人尋問が行われ、弁護人は反対尋問を行っているのである。その意味で2号前段の問題状況(証言不能)とは異なる事案なのである[23] 。

 刑訴法321条1項2号前段の合憲性を肯定した3件目の最高裁判例は、1995年6月20の第三小法廷判決 [24]である。退去強制させられた結果証人尋問をする機会がなかった外国人の検察官調書が刑訴法321条1項2号前段によって採用されたことが問題となった。捜査官・訴追官に過ぎない検察官の作成する供述調書の証拠能力を単に必要性の要件だけで肯定する刑訴法の規定は憲法37条2項に違反するとの上告趣意を、第3小法廷は、1952年大法廷判決の――説示を引用することもなく――サイテーションを示すだけで、片づけた[25] 。しかし、すでに見たとおり、1952年大法廷判決が依って立つのは、全く事案を異にし、対象となる法律すら別な事案に関する判例(1949年大法廷判決)の、結論とは無関係な傍論部分――「出廷したら尋問させれば良い」テーゼ――にすぎないのであった[26] 。

刑訴法321条1項2号後段(自己矛盾)に関する判例

 刑訴法321条1項2号後段の合憲性を15人の最高裁判事が審査したことは一度もない。2号後段の合憲性問題を取り上げてその判断を示した最高裁判例としては、1955年11月29日の第3小法廷判決 [27]があるだけである。しかし、この合憲判断は全くの傍論に過ぎないのである。事案は恐喝事件であるが、1審において弁護人は検察官調書の取り調べに同意している。1審においても2審においても、弁護人は2号後段の違憲性を主張していない。上告審において初めて憲法違反の主張がなされたのである。第3小法廷は、なぜかこの主張を取り上げて、「所論は、原審で主張、判断されていない事項に関する主張である」と、言わずもがなの説示をしたうえで[28] 、ワンセンテンスの合憲判断を付け加えたのである。
 
 そして、判決が述べる合憲の理由は、またしても、1949年大法廷判決の「出廷したら尋問させれば良い」テーゼである――「憲法37条2項が、刑事被告人は、すべての証人に対し審問する機会を充分に与えられると規定しているのは、裁判所の職権により又は当事者の請求により喚問した証人につき、反対尋問の機会を充分に与えなければならないという趣旨であって、被告人に反対尋問の機会を与えない証人その他の者の供述を録取した書類を絶対に証拠とすることを許さない意味を含むものではなく、従って、法律においてこれらの書類はその供述者を公判期日において尋問する機会を被告人に与えれば、これを証拠とすることができる旨を規定したからといって、憲法37条2項に反するものでないことは、当裁判所大法廷の判例[1949年大法廷判決]が示すところであるから、刑訴321条1項2号後段の規定が違憲でないことはおのずから明らかである」[29] 。

まとめ

 つまるところ、刑訴法321条1項2号の合憲性の根拠は、1949年大法廷判決の「出廷したら尋問させれば良い」テーゼ以外にないのである。しかし、このテーゼが現代において憲法37条2項の公権的解釈として通用するような代物ではないことは明白である。そして、それは他ならぬ最高裁自身が認めているのである。1995年判決は「憲法37条2項が被告人に証人審問権を保障している趣旨」に照らすと、「検察官面前調書が作成されるに至った事情や、供述者が国外にいることになった事由のいかんによっては、その検察官面前調書を常に右規定により証拠能力があるものとして事実認定の証拠とすることができるとすることには疑問の余地がある」と言った[30] 。憲法37条2項の趣旨が「喚問した証人につき、反対訊問の機会を十分に与えなければならない」というだけだ(1949年大法廷判決)としたら、「検察官面前調書が作成されるに至った事情や、供述者が国外にいることになった事由のいかん」とかによって、検察官調書の許容性が左右されるいわれはないだろう。

 要するに、刑訴法321条1項2号が合憲であると宣言した最高裁判所判例は、まったく筋違いの先例、そして、その後の最高裁自身がそれと矛盾する判断をしているような先例をほとんど唯一の根拠としているのである。もはや先例拘束性(stare decisis)の前提条件を欠いた先例であるという他ない。「先例が先例であるということのみが裁判所の作ったルールを支え得る全ての論拠となったとき、その時こそ、そのルールの作成者がそれを打ち破るときである」 [31]。
(つづく)

【脚注】
[1]大判1892・6・30法律新聞1875-4;大判1892・11・10裁判粋誌大審院判決例刑事集7-341;大判1895・10・3大審院刑禄1-3-27;大判1895・10・3大審院刑禄1-3-29。
[2]大判1903・10・22大審院刑禄9-26-1721、1723〜1724頁。
[3]1941年に国防保安法と改正治安維持法によって、それぞれの法律が規定する犯罪については警察官や検事に尋問権が与えられ、したがってそれらの聴取書の許容性が認められた。また、1942年の戦時刑事特別法によって、刑訴法343条それ自体が停止された。高野隆『人質司法』(KADOKAWA、2021)、132-133頁。
[4]鈴木勇『証拠法を中心とする新刑事手続の解説』(近代書房1948)、99-100頁;江家義男「刑訴法321条1項の合憲性」刑法雑誌1-3=4-405(1950);田中和夫「刑事被告人の証人審問権に関する判例」法曹時報3-6-125(1951)。
[5]最大判1952・4・9刑集6-4-584。
[6]刑集6-4、588頁。
[7]証人が法廷に来たら尋問させれば良いということ、以下これを「出廷したら尋問させれば良い」テーゼという。
[8]最大判1949・5・18刑集3-6-789。
[9]日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律(1948(昭和23)年法律第76号)第12条1項「証人その他の者(被告人を除く。)の供述を録取した書類又はこれに代わるべき書類は、被告人の請求があるときは、その供述者又は作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えなければ、これを証拠とすることができない。但し、その機会を与えることができず、又は著しく困難な場合には、裁判所は、これらの書類についての制限及び被告人の憲法上の権利を適当に考慮して、これを証拠とすることができる。」
[10]刑集3-6、792〜793頁。
[11]同前、790〜791頁。
[12]最大判1948・6・23刑集2-7-734、735-736頁。
[13]最1小判1961・3・9刑集15-3-500。
[14]刑集15-3、502頁。
[15]最大判1948・7・19刑集2-8-952。
[16]刑集2-8、971頁。
[17]同前、957頁(強調は引用者)。
[18]大正刑訴法(1922年)343条1項は次のように規定する:「被告人其ノ他ノ者ノ供述ヲ録取シタル書類ニシテ法令ニ依リ作成シタル訊問調書ニ非サルモノハ左ノ場合ニ限リ之ヲ証拠ト為スコトヲ得
1 供述者死亡シタルトキ
2 疾病其ノ他ノ事由ニ因リ供述者ヲ供訊問スルコト能ハサルトキ
3 訴訟関係人異議ナキトキ」
検事聴取書や始末書は「法令ニ依リ作成シタル訊問調書」ではないので、供述者が尋問不能であるか、弁護側が同意しない限り、許容性は認められていなかった。なお、同法では、検事も警察官も、現行犯逮捕された被疑者に対してしか取調べを行うことができず、しかも、警察官は「即時」(127条)、検事は「24時間以内」(129条)に限られていた。1932年の大審院判例は検事が現行犯逮捕された犯人を受け取ってから4日後に作成した検事聴取書の許容性を否定した。大判1932・4・18大審院刑集11-384、394-395頁。
[19]刑集2-8、959〜961頁(強調は引用者)。
[20]最大判1950・9・27刑集4-9-1774。
[21]大法廷は、「本件では所論始末書又は被害届について原審公判廷でその作成者を訊問することを得る旨告げられたにかかわらず被告人並びに弁護人は之を請求しなかったこと記録上明かであるから、原審がこれを証拠としたからといって、違法であるということができない」と説示している。刑集4-9、1776〜1777。
[22]最大決1950・10・4刑集4-10-1866。
[23]大法廷は、「本件においては、所論の証人赤間勝美は、検察官の請求により、原審公判廷において尋問せられ、被告人側の反対訊問にも充分にさらされたことが明白である、従って、この点において、憲法37条2項の要請は充たされたものと認めることができる」として、抗告を棄却した。刑集4-10、1869頁。
[24]最3小1995・6・20刑集49-6-741。
[25]「刑訴法の右規定が憲法37条2項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和26年(あ)第2357号同27年4月9日大法廷判決・刑集6巻4号584頁)とするところであるから、所論は理由がな[い]」。刑集49-6、743頁。
[26]だから、1995年第3小法廷判決は、321条1項2号前段による証拠採用が常に合憲だとは限らず、一定の場合に憲法違反となりうることを説示したのだと思われる――「憲法37条2項が被告人に証人審問権を保障している趣旨にもかんがみると、検察官面前調書が作成されるに至った事情や、供述者が国外にいることになった事由のいかんによっては、その検察官面前調書を常に右規定により証拠能力があるものとして事実認定の証拠とすることができるとすることには疑問の余地がある。[…]当該外国人の検察官面前調書を証拠請求することが手続的正義の観点から公正さを欠くと認められるときは、これを事実認定の証拠とすることが許容されないこともあり得るといわなければならない。」刑集49-6、744〜745頁。
[27]最3小判1955・11・29刑集9-12-2524。
[28]刑集9-12、2525頁。
[29]同前、2526頁。
[30]刑集49-6、744〜745頁。
[31]Francis v. Southern Pacific Co., 333 U.S. 445, 471 (1948) (Black,J., dissenting).


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