刑事弁護全般
2022年04月27日
このブログのプロバイダであるLINE株式会社は、2022年4月25日、このブログから以下の4つの記事を削除しました。
1)「知財高裁判決:懲戒請求書の全文引用は正当」(2021年12月23日)
2)「懲戒不相当決定」(2021年7月1日)
3)「被告高野隆の陳述」(2020年7月31日)
4)「懲戒請求に対する弁明書」(2020年2月4日)
記事の削除は私に対して懲戒請求と民事訴訟を提起したS・N氏の要請によるものです。S・N氏は削除請求する理由として「[S・N氏の]氏名を掲載している」と指摘しています。私は、「私のブログの記事が削除されるようなことがあれば、それは表現の自由に対する甚だしい侵害」であり、かつ、「自分は匿名のまま弁護士に対する無責任な懲戒請求を行うことを許すことにな[る]」「他人を名指ししてその非違行為を公的に訴えるのであれば、当然自分も公的に名を名乗るべき」である、知財高裁も彼の削除請求を棄却したと述べて、削除に異議を唱えました。
しかし、LINE株式会社は、「『権利が侵害されたことが明らか』(プロバイダ責任制限法第3条第2項第1号)であると判断しました」と言って、私のブログ記事をタイトルも含め全文削除しました。
この措置は、現代における表現活動の事実上のインフラ――「プラットフォーム」――を提供する企業の基本的な使命に反するのではないかと私は考えます。今回の記事削除措置に対してどうするかは未定ですが、このブログの読者の皆さんに経過報告をした次第です。
1)「知財高裁判決:懲戒請求書の全文引用は正当」(2021年12月23日)
2)「懲戒不相当決定」(2021年7月1日)
3)「被告高野隆の陳述」(2020年7月31日)
4)「懲戒請求に対する弁明書」(2020年2月4日)
記事の削除は私に対して懲戒請求と民事訴訟を提起したS・N氏の要請によるものです。S・N氏は削除請求する理由として「[S・N氏の]氏名を掲載している」と指摘しています。私は、「私のブログの記事が削除されるようなことがあれば、それは表現の自由に対する甚だしい侵害」であり、かつ、「自分は匿名のまま弁護士に対する無責任な懲戒請求を行うことを許すことにな[る]」「他人を名指ししてその非違行為を公的に訴えるのであれば、当然自分も公的に名を名乗るべき」である、知財高裁も彼の削除請求を棄却したと述べて、削除に異議を唱えました。
しかし、LINE株式会社は、「『権利が侵害されたことが明らか』(プロバイダ責任制限法第3条第2項第1号)であると判断しました」と言って、私のブログ記事をタイトルも含め全文削除しました。
この措置は、現代における表現活動の事実上のインフラ――「プラットフォーム」――を提供する企業の基本的な使命に反するのではないかと私は考えます。今回の記事削除措置に対してどうするかは未定ですが、このブログの読者の皆さんに経過報告をした次第です。
2021年12月23日
永沢真平氏が私に対して提起した懲戒請求に関して、私は彼の懲戒請求書を全文引用したうえで反論しました。これに対して、永沢氏は、懲戒請求書は彼の未公表著作物であり、その全文引用は彼の著作権を侵害するとして、その削除と損害賠償を求める訴訟を提起しました。第1審東京地裁は、本年4月14日、永沢氏の主張を一部認めて、私にブログ記事の削除を命じました。私は、これを不服として控訴しました。
12月22日、知財高裁は、私どもの控訴を容れて、東京地裁判決を破棄したうえ、永沢氏の請求をすべて棄却しました。
知財高裁は、次のように述べて、永沢氏の著作権主張は権利濫用だと言いました。
なお、永沢氏の懲戒請求について、第二東京弁護士会は「懲戒不相当」と決定しています。
12月22日、知財高裁は、私どもの控訴を容れて、東京地裁判決を破棄したうえ、永沢氏の請求をすべて棄却しました。
知財高裁は、次のように述べて、永沢氏の著作権主張は権利濫用だと言いました。
一審被告高野が、本件リンクを張ることによって本件懲戒請求書の全文を引用したことは、一審原告[永沢氏]が自ら産経新聞社に本件懲戒請求書又はその内容に関する情報を提供して本件産経記事が産経新聞のニュースサイトに掲載されたなどの本件事案における個別的な事情のもとにおいては、本件懲戒請求に対する反論を公にする方法として相当なものであったと認められる。***一審原告が本件懲戒請求書に関して有する、公衆送信権により保護されるべき財産的利益、公表権により保護されるべき人格的利益はもとよりそれほど大きなものとはいえない上、一審原告自身の行動により相当程度減少していたこと、前記[…]のとおり、本件記事1[高野ブロクの記事]を作成、公表し、本件リンクを張ることについて、その目的は正当であったこと、[...]本件リンクによる引用の態様は、[…]本件懲戒請求に対する反論を公にする方法として相当なものであったことを総合考慮すると、一審原告の一審被告高野に対する公衆送信権及び公表権に基づく権利行使は、権利濫用にあたり許されないものと認めるのが相当である。
なお、永沢氏の懲戒請求について、第二東京弁護士会は「懲戒不相当」と決定しています。
2021年11月02日
本日、横浜地方裁判所第3刑事部で臨時の三者協議が行われました。景山太郎裁判長と二人の陪席裁判官、弁護側からは私、そして検察官1名が参加しました。
会議の冒頭、裁判長は「弁護人の訴訟活動にパソコンの使用が不可欠であること、そのために法廷電源の使用が必要であることについて配慮が足りず、一律禁止したことについて率直に反省します。申し訳なかったと思います」と述べました。そのうえで、三者間において以下の事項が確認されました。
1 裁判長は、弁護人による法廷電源使用禁止処分を撤回する。
2 裁判所は、今後、当事者から法廷電源を使用したいとの申し出がある場合は、特段の事情がない限り、制限しない。
3 以上を確認した上で、弁護人は裁判長の法廷電源使用禁止処分に対する異議を取り下げる。
会議の冒頭、裁判長は「弁護人の訴訟活動にパソコンの使用が不可欠であること、そのために法廷電源の使用が必要であることについて配慮が足りず、一律禁止したことについて率直に反省します。申し訳なかったと思います」と述べました。そのうえで、三者間において以下の事項が確認されました。
1 裁判長は、弁護人による法廷電源使用禁止処分を撤回する。
2 裁判所は、今後、当事者から法廷電源を使用したいとの申し出がある場合は、特段の事情がない限り、制限しない。
3 以上を確認した上で、弁護人は裁判長の法廷電源使用禁止処分に対する異議を取り下げる。
2021年10月29日
2021年10月28日
横浜地方裁判所第3刑事部の「裁判所の電気」使用禁止処分について、最高裁判所第2小法廷(裁判長岡村和美)は、昨日付で、私どもの特別抗告を「憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法433条の抗告理由に当たらない」と述べて、棄却しました。
決定書PDFはこちら。
決定書PDFはこちら。
2021年10月07日
横浜地方裁判所第3刑事部景山太郎裁判長の「裁判所の電気使用禁止処分」について私どもがなした抗告について、東京高等裁判所第5刑事部は10月6日付で抗告を棄却するとの決定をしました。東京高裁決定は、「異議を棄却するとも告げていない」「異議申立棄却決定は存在しない」という景山太郎裁判長の意見書における主張を受け入れて、「本件抗告の申立ては存在しない決定に対するものであり、不適法である」としました。
われわれは特別抗告をする予定です。その中で、事実に反する景山裁判長の意見書に対する反論もする予定です。
【参考資料】
景山太郎裁判長の意見書
東京高裁の抗告棄却決定書
われわれは特別抗告をする予定です。その中で、事実に反する景山裁判長の意見書に対する反論もする予定です。
【参考資料】
景山太郎裁判長の意見書
東京高裁の抗告棄却決定書
2021年10月01日
9月27日横浜地方裁判所で進行中の公判前整理手続において、裁判長から、法廷内の電源は「国の電気」なので使用してはならないとの命令を受けました。これまでどの裁判所でも、弁護人席に設置された電源タップにノートパソコンをつないで、メモをとったり資料を点検したり、パワーポイントを操作したりしてきました。実際、この出来事の直前まで横浜地裁の別の法廷で行われていた公判前整理手続でも弁護人席の電源を使用してパソコンを操作していました。今回の裁判長の処分は弁護人に不合理な不便を強いるものであり、刑事被告人が弁護人の援助を受ける権利を侵害すると思います。その旨異議申し立てをしましたが棄却されたので、9月30日付けで東京高裁に抗告を申し立てました。その全文は以下のとおりです。
本件の公判裁判所である横浜地方裁判所第3刑事部裁判長裁判官景山太郎が2021年9月27日に弁護人らに対してなした「裁判所の電気を使用してはならない」と命じた処分に対する異議申し立てを棄却した同裁判所の決定に対して抗告を申し立てる。原決定を取消し、景山裁判長の処分を取消したうえ、本件弁護活動のために必要な限り裁判所内で電気を使用することを認めるとの決定を求める。
1 裁判長による法廷での電気使用を禁じる処分
2021年9月27日午後1時30分横浜地方裁判所403号法廷において、裁判長景山太郎、裁判官鈴木新星を受命裁判官として、公判前整理手続期日が開かれた。期日開始が宣せされる直前に裁判長は、次のように述べて、弁護人らが法廷内の電源コンセントにノートパソコンを繋ぐなどして裁判所が管理する電気を使用することを禁じる命令を出した――「皆さんだけに電気の使用を許すわけにはいかないので。国の電気ですから、私的とか、仕事上かもしれないけど、自前の電気でやってください。そのように各地の裁判所でもしています。公判前整理手続で電気を使うのは筋違いだと思います。」
弁護人は、この命令が裁判長の訴訟指揮による処分であることを裁判長自身に確認した上で、この処分が刑事被告人の弁護人の援助を受ける権利(憲法37条3項)を侵害する違憲違法な処分であるとして、異議を申し立てた。裁判所(受命裁判官たる景山裁判長と鈴木裁判官)は合議のうえで、弁護人の異議申し立てを棄却すると決定した。
2 弁護人の援助を受ける権利の侵害
現代社会において、パソコンの利用は、効果的な弁護活動を行う上で必要不可欠である。現代の弁護人は、法廷において、パソコンを使用して、メモを取り、訴訟書類や証拠を点検し、そして、事実認定者に証拠を提示したり、冒頭陳述や最終弁論の際にビジュアル・エイドを活用するのである。こうした活動は、狭い意味での公判期日においてだけ必要というわけではない。充実した公判を連続的に行うための準備として行われる公判前整理手続においても、パソコンを用いた弁護活動――典型的にはメモをとったり、訴訟記録や証拠を点検するなどの活動であるが、それに限られるわけではない――は必要不可欠である。
要するに、現代においては、弁護士がその職責を十分に果たすためには、裁判所においてパソコンを使用する必要があるのであり、そのために電源の供給を受けることは弁護活動の必須の条件なのである。そして、こうした弁護活動を補助するために、現在の法廷の当事者席にはパソコンに接続するためのモニターケーブルが設置され、電源を供給するために電源タップが備えられているのである。司法の一翼を担う弁護活動を効果的・効率的に行えるように、裁判所も税金を投入してこうした設備を弁護人に提供しているのである。
法廷における弁護人席への電源の供給は、裁判所が「恩恵」として弁護人に授けているのではない。憲法が保障する弁護人の援助を受ける権利(憲法37条3項)を実効的に確保するためには、こうしたインフラの整備は不可欠なのである。そして、それは司法が適正に運営され市民の信頼を得るためにも不可欠な要素なのである。弁護人が法廷でパソコンを使えず、紙とペンでメモを取らなければならず、証拠や資料の検索もできず、プレゼン・ソフトも使えない、そのような不便を強いる裁判はもはや国民の信頼を得られないのである。
わが国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約14条3項(b)は、すべての刑事被告人に「防御の準備のために十分な[…]便益」(adequate [...]facilities for the preparation of his defence)が保障されなければならないと定めている。この規定はヨーロッパ人権条約(European Convention on Human Rights)6条3項(b)を引き継ぐものである。ヨーロッパ人権裁判所の判例によれば、同項は、被告人が防御活動に集中できるような環境を確保することをも要請しているのである(Razvozzhayev v. Russia and Ukraine and Udaltsov v. Russia, Judgment, 19 November 2019, No. 75734/12)。そして、この保障は被告人だけではなく、その弁護人にも及ぶのである(Manfred Nowak, CCPR Commentary, 2nd rev’d ed., 2005, p332)。ノートパソコンの電源が切れるのを気にしながら、法廷活動をしなければならないのでは、弁護人は落ち着いて手続に集中できない。弁護人席に電源タップがあるにもかかわらず、弁護人をそうした状況に追い込むというのは、不必要で理不尽で不合理な制約である。ほとんど嫌がらせ、いじめというべきである。
法廷での電気の使用を禁じる景山裁判長の処分は、弁護活動の機能を奪い、効果的な弁護を受けるという被告人の権利を侵害するものである。それは日本国憲法に違反し、国際条約にも違反する。
3 弁護人の役割の否定
景山裁判長は、裁判所の法廷における弁護活動は「私的」なものであるから、そのために政府の機関である裁判所の資源――「国の電気」――を使うことは許されないという。しかし、これは官尊民卑思想と弁護人の役割に対する無理解に基づくものというほかない。
われわれは法廷で綿菓子を売っているわけではない。われわれは法廷で刑事訴追を受けた人の弁護活動をしているのである。われわれは個人である被告人の権利と利益を擁護することを通じて、国家の中核的機能の一つである刑事司法を担っているのである。われわれの仕事は、個人の基本的人権を擁護することを通じて社会正義を実現することである(弁護士法1条、弁護士職務基本規程1条、46条)。
第8回国連犯罪防止会議(1990年)で採択された「弁護士の役割に関する基本原則」は、弁護士を「司法運営における必須の代理人」(“essential agents of administration of justice”)と呼んだ(原則12)。そして、政府は「弁護士への効果的で平等なアクセスのために効果的が手続と即応的なメカニズムを確立しなければならない」と要請している(原則2)。また、アメリカ法曹協会(American Bar Association)による「刑事弁護の機能に関する刑事司法の水準」(第4版、2017年)4.1-2は、刑事弁護人の機能と義務に関して、「刑事弁護人は刑事司法の運営に必要不可欠である。刑事事件を審理するために適切に構成された裁判所は、裁判所(裁判官、陪審員、その他の裁判所職員を含む)、検察側法律家、そして弁護人で構成される実体と見なすべきである。」と定め、弁護人が事件を審理する裁判所の一員(officer of the court)とみなされるべきことを定めている。わが国における刑事弁護人の役割もまさに、これらの国際的な準則が定めるものと同等のものであるべきである。
景山裁判長の処分そしてそれを受け入れた原決定は、刑事弁護人のこうした公共的役割を理解せず、弁護人の弁護活動を「私的」なものと決めつけて憚らない。およそ的外れで時代錯誤的な思い込みに基づくものと言う他ない。
4 結論
景山太郎裁判長の処分とそれを是認した原決定は、司法の一翼を担う刑事弁護人の活動に不条理で時代錯誤的で不合理な制約を科するものである。われわれはこれまで多年にわたって法廷の弁護人席の電源を使用してきた。景山裁判長の処分が是認されるならば、こうした良き実務慣行が否定され、全国の弁護士は法廷に発電機やバッテリーを私的に持ち運ばなければ満足な弁護活動ができないということになってしまうだろう。この国の刑事司法は日本国民からもそして全世界からも信頼されなくなるだろう。日本で刑事訴追を受ける被告人だけ、19世紀と同じ条件と設備で人生のかかった裁判を受けなければならないのか。それとも、刑事訴追を受ける個人は不必要な制限なしに資格のある弁護士によって十分な援助を受けられるのか。いずれが文明国にふさわしい対応なのか。
抗告申立書
本件の公判裁判所である横浜地方裁判所第3刑事部裁判長裁判官景山太郎が2021年9月27日に弁護人らに対してなした「裁判所の電気を使用してはならない」と命じた処分に対する異議申し立てを棄却した同裁判所の決定に対して抗告を申し立てる。原決定を取消し、景山裁判長の処分を取消したうえ、本件弁護活動のために必要な限り裁判所内で電気を使用することを認めるとの決定を求める。
抗告理由
1 裁判長による法廷での電気使用を禁じる処分
2021年9月27日午後1時30分横浜地方裁判所403号法廷において、裁判長景山太郎、裁判官鈴木新星を受命裁判官として、公判前整理手続期日が開かれた。期日開始が宣せされる直前に裁判長は、次のように述べて、弁護人らが法廷内の電源コンセントにノートパソコンを繋ぐなどして裁判所が管理する電気を使用することを禁じる命令を出した――「皆さんだけに電気の使用を許すわけにはいかないので。国の電気ですから、私的とか、仕事上かもしれないけど、自前の電気でやってください。そのように各地の裁判所でもしています。公判前整理手続で電気を使うのは筋違いだと思います。」
弁護人は、この命令が裁判長の訴訟指揮による処分であることを裁判長自身に確認した上で、この処分が刑事被告人の弁護人の援助を受ける権利(憲法37条3項)を侵害する違憲違法な処分であるとして、異議を申し立てた。裁判所(受命裁判官たる景山裁判長と鈴木裁判官)は合議のうえで、弁護人の異議申し立てを棄却すると決定した。
2 弁護人の援助を受ける権利の侵害
現代社会において、パソコンの利用は、効果的な弁護活動を行う上で必要不可欠である。現代の弁護人は、法廷において、パソコンを使用して、メモを取り、訴訟書類や証拠を点検し、そして、事実認定者に証拠を提示したり、冒頭陳述や最終弁論の際にビジュアル・エイドを活用するのである。こうした活動は、狭い意味での公判期日においてだけ必要というわけではない。充実した公判を連続的に行うための準備として行われる公判前整理手続においても、パソコンを用いた弁護活動――典型的にはメモをとったり、訴訟記録や証拠を点検するなどの活動であるが、それに限られるわけではない――は必要不可欠である。
要するに、現代においては、弁護士がその職責を十分に果たすためには、裁判所においてパソコンを使用する必要があるのであり、そのために電源の供給を受けることは弁護活動の必須の条件なのである。そして、こうした弁護活動を補助するために、現在の法廷の当事者席にはパソコンに接続するためのモニターケーブルが設置され、電源を供給するために電源タップが備えられているのである。司法の一翼を担う弁護活動を効果的・効率的に行えるように、裁判所も税金を投入してこうした設備を弁護人に提供しているのである。
法廷における弁護人席への電源の供給は、裁判所が「恩恵」として弁護人に授けているのではない。憲法が保障する弁護人の援助を受ける権利(憲法37条3項)を実効的に確保するためには、こうしたインフラの整備は不可欠なのである。そして、それは司法が適正に運営され市民の信頼を得るためにも不可欠な要素なのである。弁護人が法廷でパソコンを使えず、紙とペンでメモを取らなければならず、証拠や資料の検索もできず、プレゼン・ソフトも使えない、そのような不便を強いる裁判はもはや国民の信頼を得られないのである。
わが国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約14条3項(b)は、すべての刑事被告人に「防御の準備のために十分な[…]便益」(adequate [...]facilities for the preparation of his defence)が保障されなければならないと定めている。この規定はヨーロッパ人権条約(European Convention on Human Rights)6条3項(b)を引き継ぐものである。ヨーロッパ人権裁判所の判例によれば、同項は、被告人が防御活動に集中できるような環境を確保することをも要請しているのである(Razvozzhayev v. Russia and Ukraine and Udaltsov v. Russia, Judgment, 19 November 2019, No. 75734/12)。そして、この保障は被告人だけではなく、その弁護人にも及ぶのである(Manfred Nowak, CCPR Commentary, 2nd rev’d ed., 2005, p332)。ノートパソコンの電源が切れるのを気にしながら、法廷活動をしなければならないのでは、弁護人は落ち着いて手続に集中できない。弁護人席に電源タップがあるにもかかわらず、弁護人をそうした状況に追い込むというのは、不必要で理不尽で不合理な制約である。ほとんど嫌がらせ、いじめというべきである。
法廷での電気の使用を禁じる景山裁判長の処分は、弁護活動の機能を奪い、効果的な弁護を受けるという被告人の権利を侵害するものである。それは日本国憲法に違反し、国際条約にも違反する。
3 弁護人の役割の否定
景山裁判長は、裁判所の法廷における弁護活動は「私的」なものであるから、そのために政府の機関である裁判所の資源――「国の電気」――を使うことは許されないという。しかし、これは官尊民卑思想と弁護人の役割に対する無理解に基づくものというほかない。
われわれは法廷で綿菓子を売っているわけではない。われわれは法廷で刑事訴追を受けた人の弁護活動をしているのである。われわれは個人である被告人の権利と利益を擁護することを通じて、国家の中核的機能の一つである刑事司法を担っているのである。われわれの仕事は、個人の基本的人権を擁護することを通じて社会正義を実現することである(弁護士法1条、弁護士職務基本規程1条、46条)。
第8回国連犯罪防止会議(1990年)で採択された「弁護士の役割に関する基本原則」は、弁護士を「司法運営における必須の代理人」(“essential agents of administration of justice”)と呼んだ(原則12)。そして、政府は「弁護士への効果的で平等なアクセスのために効果的が手続と即応的なメカニズムを確立しなければならない」と要請している(原則2)。また、アメリカ法曹協会(American Bar Association)による「刑事弁護の機能に関する刑事司法の水準」(第4版、2017年)4.1-2は、刑事弁護人の機能と義務に関して、「刑事弁護人は刑事司法の運営に必要不可欠である。刑事事件を審理するために適切に構成された裁判所は、裁判所(裁判官、陪審員、その他の裁判所職員を含む)、検察側法律家、そして弁護人で構成される実体と見なすべきである。」と定め、弁護人が事件を審理する裁判所の一員(officer of the court)とみなされるべきことを定めている。わが国における刑事弁護人の役割もまさに、これらの国際的な準則が定めるものと同等のものであるべきである。
景山裁判長の処分そしてそれを受け入れた原決定は、刑事弁護人のこうした公共的役割を理解せず、弁護人の弁護活動を「私的」なものと決めつけて憚らない。およそ的外れで時代錯誤的な思い込みに基づくものと言う他ない。
4 結論
景山太郎裁判長の処分とそれを是認した原決定は、司法の一翼を担う刑事弁護人の活動に不条理で時代錯誤的で不合理な制約を科するものである。われわれはこれまで多年にわたって法廷の弁護人席の電源を使用してきた。景山裁判長の処分が是認されるならば、こうした良き実務慣行が否定され、全国の弁護士は法廷に発電機やバッテリーを私的に持ち運ばなければ満足な弁護活動ができないということになってしまうだろう。この国の刑事司法は日本国民からもそして全世界からも信頼されなくなるだろう。日本で刑事訴追を受ける被告人だけ、19世紀と同じ条件と設備で人生のかかった裁判を受けなければならないのか。それとも、刑事訴追を受ける個人は不必要な制限なしに資格のある弁護士によって十分な援助を受けられるのか。いずれが文明国にふさわしい対応なのか。
以上
2021年07月01日
2020年07月31日
永沢真平氏が私に対して提起した著作者人格権等侵害行為差止等請求事件の第1回口頭弁論期日(2020年7月22日)において、私は被告本人として要旨以下のような口頭陳述を行いました。
裁判長並びに陪席裁判官、
この裁判の開始にあたり、被告である私に口頭陳述の機会を与えていただき、感謝いたします。
私は約40年間刑事弁護士として活動してきました。刑事弁護というのは犯罪者として訴追を受けた個人の依頼を受けて、その生命・自由・財産を擁護する活動をするのを生業とする職業です。刑事弁護士は、個人の権利を守るために政府と対立するのです。個人のために政府と対立するわれわれのような存在があることは、自由で民主的な国家の統治にとっても最も必要かつ基本的なしくみです。ですから、憲法はわが国に存在する全ての個人に、資格のある刑事弁護人による効果的な弁護を受ける権利を保障しています。この権利は文明国にとっての最低基準ということができます。
ことがらの性質上、われわれ刑事弁護士は、警察官や検察官、そしてときには裁判官とも対立しなければならないことがあります。そして、われわれに対して政府や世論が攻撃的に振る舞うということがときにあります。刑事弁護の歴史をひもとくと、政府や社会が刑事弁護人を犯罪者と同一視して「共犯者」の一人であるかのように批判をするというようなことが繰り返されて来ました。
歴史上最も悲惨な例は、フランス革命のときにルイ16世の弁護人となったマルゼルブ卿の場合です。彼はもともと司法官で、ルイ15世、16世の時代に国務大臣などの要職を歴任した人です。根っからの自由主義者でルソーやデイドロ、ヴォルテールら啓蒙思想家と親交があり、彼らの著作の出版に尽力した人です。彼は自由を擁護する姿勢を生涯貫きました。ルイ15世の時にもまた16世の時にも国務大臣に任命されはしましたが、何度も王権と対立して辞職しています。
マルゼルブは、ルイ16世が逮捕されて革命政府の下でその裁判が行われようとするとき、誰も弁護する人がいない国王の要請に応じて、彼の弁護人となりました。国王は有罪を宣告されてギロチンで処刑されました。そして、その後ジャコバン政権の下でルイ16世の王妃マリ・アントワネットも処刑されましたが、それと共にマルゼルブも処刑されてしまいました。裁判すら受けずに、マルゼルブ本人だけではなくて彼の娘、娘婿、そして孫も処刑されています。
これほど極端ではありませんが、私もこれまでの刑事弁護の仕事の過程で政府や世間から攻撃されたことが何度かあります。1995年春に地下鉄サリン事件が起こったとき、私は、この国に黙秘権を根付かせるための弁護活動を推進する弁護士の団体「ミランダの会」という団体の代表をしていました。ミランダの会のメンバーがオウム真理教の幹部の弁護人となり、取調べに対して弁護人の立ち会いを求め、それが容れられないために取調べを拒否することを助言しました。そのことが報道されると、私の事務所の電話がひっきりなしに鳴るようになりました。私に対して身体的攻撃を加える旨の脅迫状や私を誹謗中傷する手紙がたくさん来ました。全国紙の社説が私どもの弁護活動を国民の安全をないがしろにするものだと言って批判しました。検察庁の幹部はわれわれの弁護活動を「捜査妨害であり、違法である」と記者会見で発表しました。
2001年には本庄保険金殺人事件という事件の裁判の過程で私が検察官側の証拠物の同一性立証が不十分であることを示すために検察官が証拠請求した証拠物と極めて似た物を作ってそれを利用して反対尋問を行ったところ、検察官が証拠の捏造だと言って私に対して懲戒請求をしてきました。
こうした攻撃によって私が怪我をしたり命を失うなどということはありませんでした。しかし、世の中がふっ騰している時には、刑事弁護士は攻撃される可能性があるということを私は身をもって体験しました。これは決してわが国だけの現象でありません。政府や世論は、ときに刑事弁護士に対して「なんであんな奴らの弁護をするんだ」と言って攻撃をするのです。個人の生命自由財産を擁護する、そのために個人に代わって政府と戦うという仕事に対する世の中の理解は決して十分ではありません。
永沢真平氏の私に対する懲戒請求も、こうした刑事弁護士に対する攻撃の一環であると私は理解しています。私の依頼人であったカルロス・ゴーン氏は昨年末に、保釈条件に違反してこの国を密出国してレバノンに逃亡してしまいました。彼の行為が犯罪であり刑事司法の適正な運営を危うくするものであることは確かです。しかし、彼を極悪人のように言い募り、日本国民全体の敵であると言うのは、違うと私は考えます。昨年の春から年末まで私は彼と身近に接していました。彼が保釈条件を一生懸命守ろうとしていたことは間違いありません。しかし裁判所は彼が奥さんと会うことをなかなか認めようとしませんでした。公判前整理手続が検察官側の要求によって次々と空転し、いつになったら裁判が始まるかわからない、いつまで日本に幽閉され続けるのか分からないという状況でした。自分は公正な裁判を受けられるのだろうか。彼は何度も私に尋ねました。こうした事情を知っている私として、その事情を世間に公表することは、この国の刑事司法を正当に評価するために、また私の依頼人であるカルロス・ゴーン氏に対する評価を正当なものにするためには必要なことだと私は考えました。そこでその経緯をブログに書きました。
永沢真平さんは私に対して懲戒請求をしてきました。私の発言は、犯罪を容認するものであり、弁護士としての品位を辱める行為だと言いました。それだけではなく、懲戒請求書をマスメディアに提示して彼の言い分に沿った報道をさせました。私は永沢氏の懲戒請求はこの国の刑事弁護全体に対する不当な攻撃であると考えます。私自身がこれに対してきちんとした反論、防御をすることは、私自身の職業生活のためにも必要なことでしょうが、それだけではなく刑事弁護全体のために、日本の刑事司法の健全な発展のためにも必要なことだと私は考えます。
刑事弁護士を犯罪者と同視するような世間の攻撃は、これまでの歴史において繰り返されたことです。これ対して弁護士は正当な反論をすべきです。自己防衛をするべきです。そうした攻撃に対して手をこまねいて何の反論も反撃もしない、何の防御もしないということは宜しくありません。それは結局のところ刑事弁護を萎縮させることにつながります。この国の刑事司法に対する信頼性を損なうことになります。すべての個人が最善の弁護活動を受ける権利を保障されなければならない;そのための職業倫理のあり方についてわれわれは市民に語り続ける必要があります。刑事弁護に対する正しい理解というものがなければ司法の権威は地に落ちてしまいます。
ですから私は、私に対する不当な攻撃に対して正当な反論をしようと考えました。そのために最も正しい方法として、永沢真平氏の懲戒請求書の全文を明らかにした上でその主張に対する私の反論の全文を世間に公表しました。このことは正しい行いだと私は思います。この国の刑事司法を守るために必要な行動だったと考えます。
本件の文脈において、私と永沢氏とは対等の関係にあります。私も彼も法は平等に扱わなければなりません。彼が市民であるのと同時に私も市民です。私は権力者ではありません。私の権利と彼の権利との間に差異があっていいはずはありません。永沢氏が私の実名を公表してメディアに晒した上で私を懲戒請求することができるのと同じように、私の反論においても私は彼の実名を掲げる権利があります。それはまさに表現の自由であり私の職業上の信用と権利を守るために必要なことです。
私の両親は共働きでした。夏休みになると私はまるまる1ヶ月間母の実家に預けられました。夏休みはとても楽しい日々でした。私はよく祖父の自転車に乗せられて彼が耕していたスイカ畑とかとうもろこし畑に連れて行かれました。祖父からはいろいろな遊びを教えてもらいましたが、何度か叱られたことがあります。今でも印象に残ってるのは私がいじめられて近所の友達やその家族の悪口などを言った時に祖父から言われた言葉です。
「隆よ、影に廻って人の悪口を言うもんではない。悪口を言うならば堂々と本人の前で言うんだ」。
この祖父の教えはとても重要なことだと私は思います。この教えを守らなければ人間の社会は成り立たないと考えています。影に回って人の悪口を言ってはいけないというのは人間として最低限のモラルであると同時に、すべての社会人が自分の言動に責任を持つための基盤だと思います。自分だけ匿名の仮面を被ったまま他人の悪口を言い募るというようなことを許す社会は間違っていると思います。
マルゼルブ卿は『出版自由論』という本を書いています。その中で彼はこう言いました−−「諸見解の公的討論は真理を開く確実な道であり、おそらくその唯一の道である。かくして、政府は、なんらの留保もなしにすべての人に討論を許すこと、すなわち『出版の自由』と呼ばれているものを樹立すること以外にとるべき方策はない」 *。民衆がバスティーユ牢獄を襲撃する1年前のことです。
ありがとうございました。
[注]
*木崎喜代治『マルゼルブ――フランス18世紀の一貴族の肖像』(岩波書店1986)より。
裁判長並びに陪席裁判官、
この裁判の開始にあたり、被告である私に口頭陳述の機会を与えていただき、感謝いたします。
私は約40年間刑事弁護士として活動してきました。刑事弁護というのは犯罪者として訴追を受けた個人の依頼を受けて、その生命・自由・財産を擁護する活動をするのを生業とする職業です。刑事弁護士は、個人の権利を守るために政府と対立するのです。個人のために政府と対立するわれわれのような存在があることは、自由で民主的な国家の統治にとっても最も必要かつ基本的なしくみです。ですから、憲法はわが国に存在する全ての個人に、資格のある刑事弁護人による効果的な弁護を受ける権利を保障しています。この権利は文明国にとっての最低基準ということができます。
ことがらの性質上、われわれ刑事弁護士は、警察官や検察官、そしてときには裁判官とも対立しなければならないことがあります。そして、われわれに対して政府や世論が攻撃的に振る舞うということがときにあります。刑事弁護の歴史をひもとくと、政府や社会が刑事弁護人を犯罪者と同一視して「共犯者」の一人であるかのように批判をするというようなことが繰り返されて来ました。
歴史上最も悲惨な例は、フランス革命のときにルイ16世の弁護人となったマルゼルブ卿の場合です。彼はもともと司法官で、ルイ15世、16世の時代に国務大臣などの要職を歴任した人です。根っからの自由主義者でルソーやデイドロ、ヴォルテールら啓蒙思想家と親交があり、彼らの著作の出版に尽力した人です。彼は自由を擁護する姿勢を生涯貫きました。ルイ15世の時にもまた16世の時にも国務大臣に任命されはしましたが、何度も王権と対立して辞職しています。
マルゼルブは、ルイ16世が逮捕されて革命政府の下でその裁判が行われようとするとき、誰も弁護する人がいない国王の要請に応じて、彼の弁護人となりました。国王は有罪を宣告されてギロチンで処刑されました。そして、その後ジャコバン政権の下でルイ16世の王妃マリ・アントワネットも処刑されましたが、それと共にマルゼルブも処刑されてしまいました。裁判すら受けずに、マルゼルブ本人だけではなくて彼の娘、娘婿、そして孫も処刑されています。
これほど極端ではありませんが、私もこれまでの刑事弁護の仕事の過程で政府や世間から攻撃されたことが何度かあります。1995年春に地下鉄サリン事件が起こったとき、私は、この国に黙秘権を根付かせるための弁護活動を推進する弁護士の団体「ミランダの会」という団体の代表をしていました。ミランダの会のメンバーがオウム真理教の幹部の弁護人となり、取調べに対して弁護人の立ち会いを求め、それが容れられないために取調べを拒否することを助言しました。そのことが報道されると、私の事務所の電話がひっきりなしに鳴るようになりました。私に対して身体的攻撃を加える旨の脅迫状や私を誹謗中傷する手紙がたくさん来ました。全国紙の社説が私どもの弁護活動を国民の安全をないがしろにするものだと言って批判しました。検察庁の幹部はわれわれの弁護活動を「捜査妨害であり、違法である」と記者会見で発表しました。
2001年には本庄保険金殺人事件という事件の裁判の過程で私が検察官側の証拠物の同一性立証が不十分であることを示すために検察官が証拠請求した証拠物と極めて似た物を作ってそれを利用して反対尋問を行ったところ、検察官が証拠の捏造だと言って私に対して懲戒請求をしてきました。
こうした攻撃によって私が怪我をしたり命を失うなどということはありませんでした。しかし、世の中がふっ騰している時には、刑事弁護士は攻撃される可能性があるということを私は身をもって体験しました。これは決してわが国だけの現象でありません。政府や世論は、ときに刑事弁護士に対して「なんであんな奴らの弁護をするんだ」と言って攻撃をするのです。個人の生命自由財産を擁護する、そのために個人に代わって政府と戦うという仕事に対する世の中の理解は決して十分ではありません。
永沢真平氏の私に対する懲戒請求も、こうした刑事弁護士に対する攻撃の一環であると私は理解しています。私の依頼人であったカルロス・ゴーン氏は昨年末に、保釈条件に違反してこの国を密出国してレバノンに逃亡してしまいました。彼の行為が犯罪であり刑事司法の適正な運営を危うくするものであることは確かです。しかし、彼を極悪人のように言い募り、日本国民全体の敵であると言うのは、違うと私は考えます。昨年の春から年末まで私は彼と身近に接していました。彼が保釈条件を一生懸命守ろうとしていたことは間違いありません。しかし裁判所は彼が奥さんと会うことをなかなか認めようとしませんでした。公判前整理手続が検察官側の要求によって次々と空転し、いつになったら裁判が始まるかわからない、いつまで日本に幽閉され続けるのか分からないという状況でした。自分は公正な裁判を受けられるのだろうか。彼は何度も私に尋ねました。こうした事情を知っている私として、その事情を世間に公表することは、この国の刑事司法を正当に評価するために、また私の依頼人であるカルロス・ゴーン氏に対する評価を正当なものにするためには必要なことだと私は考えました。そこでその経緯をブログに書きました。
永沢真平さんは私に対して懲戒請求をしてきました。私の発言は、犯罪を容認するものであり、弁護士としての品位を辱める行為だと言いました。それだけではなく、懲戒請求書をマスメディアに提示して彼の言い分に沿った報道をさせました。私は永沢氏の懲戒請求はこの国の刑事弁護全体に対する不当な攻撃であると考えます。私自身がこれに対してきちんとした反論、防御をすることは、私自身の職業生活のためにも必要なことでしょうが、それだけではなく刑事弁護全体のために、日本の刑事司法の健全な発展のためにも必要なことだと私は考えます。
刑事弁護士を犯罪者と同視するような世間の攻撃は、これまでの歴史において繰り返されたことです。これ対して弁護士は正当な反論をすべきです。自己防衛をするべきです。そうした攻撃に対して手をこまねいて何の反論も反撃もしない、何の防御もしないということは宜しくありません。それは結局のところ刑事弁護を萎縮させることにつながります。この国の刑事司法に対する信頼性を損なうことになります。すべての個人が最善の弁護活動を受ける権利を保障されなければならない;そのための職業倫理のあり方についてわれわれは市民に語り続ける必要があります。刑事弁護に対する正しい理解というものがなければ司法の権威は地に落ちてしまいます。
ですから私は、私に対する不当な攻撃に対して正当な反論をしようと考えました。そのために最も正しい方法として、永沢真平氏の懲戒請求書の全文を明らかにした上でその主張に対する私の反論の全文を世間に公表しました。このことは正しい行いだと私は思います。この国の刑事司法を守るために必要な行動だったと考えます。
本件の文脈において、私と永沢氏とは対等の関係にあります。私も彼も法は平等に扱わなければなりません。彼が市民であるのと同時に私も市民です。私は権力者ではありません。私の権利と彼の権利との間に差異があっていいはずはありません。永沢氏が私の実名を公表してメディアに晒した上で私を懲戒請求することができるのと同じように、私の反論においても私は彼の実名を掲げる権利があります。それはまさに表現の自由であり私の職業上の信用と権利を守るために必要なことです。
私の両親は共働きでした。夏休みになると私はまるまる1ヶ月間母の実家に預けられました。夏休みはとても楽しい日々でした。私はよく祖父の自転車に乗せられて彼が耕していたスイカ畑とかとうもろこし畑に連れて行かれました。祖父からはいろいろな遊びを教えてもらいましたが、何度か叱られたことがあります。今でも印象に残ってるのは私がいじめられて近所の友達やその家族の悪口などを言った時に祖父から言われた言葉です。
「隆よ、影に廻って人の悪口を言うもんではない。悪口を言うならば堂々と本人の前で言うんだ」。
この祖父の教えはとても重要なことだと私は思います。この教えを守らなければ人間の社会は成り立たないと考えています。影に回って人の悪口を言ってはいけないというのは人間として最低限のモラルであると同時に、すべての社会人が自分の言動に責任を持つための基盤だと思います。自分だけ匿名の仮面を被ったまま他人の悪口を言い募るというようなことを許す社会は間違っていると思います。
マルゼルブ卿は『出版自由論』という本を書いています。その中で彼はこう言いました−−「諸見解の公的討論は真理を開く確実な道であり、おそらくその唯一の道である。かくして、政府は、なんらの留保もなしにすべての人に討論を許すこと、すなわち『出版の自由』と呼ばれているものを樹立すること以外にとるべき方策はない」 *。民衆がバスティーユ牢獄を襲撃する1年前のことです。
ありがとうございました。
[注]
*木崎喜代治『マルゼルブ――フランス18世紀の一貴族の肖像』(岩波書店1986)より。