高橋事件
2017年05月12日
2016年07月12日
昨日午後1時30分から102号法廷で控訴審第1回公判が行われました。報道されたとおり、こちらの証人申請はすべて却下され、弁論は終結されました。判決言渡しは9月7日午後1時30分と指定されました。
昨日主任弁護人高野隆が行った弁論は下記のとおりです。
なお、以下の資料も閲覧できます。
*第1審判決はこちら。
*控訴趣意書はこちら。
【高橋事件控訴審第1回公判における弁護人の弁論】
裁判長、
両倍席裁判官、
私どもが皆さんに判断していただきたいことは本年1月に提出した控訴趣意書の通りです。控訴の趣意は全17項目にわたり、趣意書は160ページを超えるものです。私どもは、皆さんに訴えたいことを厳選して申し上げました。原審の手続とその判断における違法のすべてを取り上げた訳ではありません。この国の刑事司法の運営のあり方として、看過できない、極めて深刻な問題のみを取り上げたつもりです。それはまた、私どもの依頼人高橋克也氏の人生を左右する重大な問題でもあります。
私どもがこの趣意書で取り上げた論点はいずれも皆様の判断を仰ぐにふさわしい重要かつ深刻な論点です。何一つ無駄な記述はありません。そして、そこに書かれていることがすべてです。趣意書には数カ所明らかな誤記がありますが、この弁論で趣意書に何かを付け加えるとか、削るとか、補足することはありません。
この弁論では、皆さんが控訴趣意の内容を調査し判断するうえで留意していただきたい点を数点申し上げるにとどめます。
まず私どもがお願いしたいのは、きちんと応答して欲しいということです。単に結論を示すだけではなく、きちんとした理由を示して頂きたいということです。通り一遍の紋切り型の理由ではなく、われわれが提示した法令や証拠を踏まえた議論に知的に応答して欲しいということです。
これは余りにも当たり前のことですが、私が敢えてここでこうした要望を皆さんに申し上げるには理由があります。
原審の訴訟記録にも現れていますが、原審裁判官と私どもとの間には、こうした知的なやりとりはほとんど全く行われませんでした。麻原彰晃氏や土谷正実氏の証人尋問が本件の争点と密接に関連することについて、公判前整理手続中もそして公判開始後も、弁護人は長文の意見書を提出したり、口頭で意見を述べたりして原審裁判官に訴えました。しかし、原審裁判官は全くなにも理由を述べずに、ただ単に証人申請を却下しました。却下決定に対して、私どもは理由を付して異議を申し立てました。異議を却下するならその理由もきちんと説明して欲しいとも申し上げました。しかし、中里裁判長は一切理由を述べずに、異議を棄却しました。
この不毛なやりとりは原審において何度も繰り返されました。5人の死刑囚の証人尋問に際して遮へい措置を施すこと、平田悟証人の尋問が予定された公判期日を取消し、同じ時刻に裁判所のなかで期日外尋問を行うことなどについて、私どもはそれが裁判公開原則や刑事被告人の公開裁判を受ける権利、証人審問権を侵害し、かつ、法律の定めにも違反することを書面や口頭で述べましたが、原審はこれに一切応答せずに、全くなにも理由を告げないままに、われわれの異議を退けて、遮へい措置や期日外尋問を実施しました。
そればかりではありません。われわれの違憲違法の主張が根拠があることを記録に残そうとするわれわれの活動を、裁判所は阻止しました。遮へい措置が証人自身に与える影響についてわれわれが証人に尋問することを制止しました。そして、遮へい措置が傍聴人の側にどのような影響を与えるのかを検証する申立てついても、これを拒絶しました。
原審裁判所が行ったことは、東京拘置所や検察官の要望に沿う訴訟運営をしたというだけです。なぜそれが必要なのか、なぜそれが憲法や訴訟法の規定に沿った訴訟運営なのか、弁護人の再三にわたる要求にもかかわらず、中里裁判長は一切説明しませんでした。これは民主制の下における裁判官の仕事ぶりとして正しいでしょうか?こうした訴訟運営と、全体主義国家における専断的な刑事裁判の運営と一体どこが違うのでしょうか?
1947年に任命された最初の15人の最高裁判事の一人、小谷勝重判事は、ある大法廷判決に付した個別意見のなかで、こう述べました。
「訴訟法は裁判所の執務の安易や簡便のために設けられているものではない」。
大法廷の法廷意見は、必要的弁護事件の控訴審裁判所が、控訴趣意書提出期限経過後に国選弁護人を選任しても憲法や刑訴法に違反するところはないと言いました。この法廷意見に対して、小谷裁判官は、必要的弁護事件における弁護人の選任は単なる「開廷の要件」ではない;それは被告人が弁護人による実質的な援助を受けるための制度であり、したがって弁護権の行使が可能な時期に選任をしなければ意味がないと言って批判する意見を述べました。
小谷判事のこの言葉は、その文脈を離れて、刑事訴訟手続というものが何のためにあるのかを、改めてわれわれに考えさせるものです。
刑事裁判の手続は、裁判所という役所、裁判官という役人が、その執務を効率的に進めるための便法ではないのです。それは、憲法が予定している公正な裁判を実現するために行われなければならないのです。
拘置所や検察庁の要請にしたがって死刑囚の証人採用を拒否したり、傍聴人と証人との間に分厚い遮蔽を施して証人が一般公衆の目に触れないようにする;それに異を唱える者の意見を黙殺する。そうすれば、手続は表面上波乱なく進み、拘置所との友好関係は維持され、裁判官の役人生活は安泰でしょう。しかし、それによって失われるものは余りにも大きいと言わなければなりません。
わが国の訴訟手続は、憲法と法令に則って行われるべきです。拘置所と検察庁と裁判所のお役所の都合がすべてに優先するというのでは、日本国はもはや法の支配を尊ぶ立憲民主主義の国とは言えないでしょう。
原判決は多くの証拠、証言を無視し、黙殺しました。高橋さんの故意や共謀を否定する方向の証拠を弁護人は最終弁論でるる指摘しました。しかし、原判決はその多くを全く取り上げませんでした。ただ黙殺しました。その一方で、有罪方向の証拠をつなぎあわせ、ときには想像によってこれを補い、最終的には検察官の主張通りの有罪認定を行いました。
原判決が黙殺した証拠の内容は控訴趣意書に書いたとおりです。一つだけ取り上げます。
原審に現れた証拠によれば、オウム真理教において「ワーク」と呼ばれる修業に従事する出家信者同士が行うコミュニケーションには際立った特徴がありました。それは、自分のワークが他の信者や教団との関係でどのような意味をもつのかについて、信者は関心がなく、むしろ関心をもつことを禁じられていたということです。例えば、運転のワークをする出家信者は、何時どこで誰を車に乗せてどこまで乗せていくのか、についてだけ関心を持ち、その人物が目的地で何をするのかについて一切関心を持たないということです。まるでタクシー運転手のように、そうしたことにコミットしないように訓練されていたということです。
出家信者の間のこうしたコミュニケーションの特徴は、原審に専門家証人として登場したオウム真理教研究者たちが異口同音に述べています。それだけではありません。検察側証人として登場した元信者たちも一致して証言していました。教団と縁を切って20年経過した現在でもその影響から抜け切れていないという証人もいました。
研究者の証言によれば、このコミュニケーションの特殊性は、偶然ではなく、オウム真理教の教義の中核部分に関係するものです。それは必然的で根深いものです。
すなわち、合法的なものであれ非合法なものであれ、「ワーク」は出家信者がその修業のステージを上り詰めるために、絶対的な存在である尊師麻原彰晃から直接的に与えられた宗教上の課題である;チベット密教と同様に、オウム真理教においては、修業はすべてグルと弟子の一対一の関係で行われるのであって、その間に第三者が介在することは許されない;したがって、他の信者がどのような課題=ワークを与えられているのかは一切関与するべきではなく、関与することは許されない。そういうことです。
控訴趣意書のなかで指摘したように、さまざまな分野の専門家がこのことを指摘しました。また、様々な立場の出家信者や最高幹部と言われた人たちも、異口同音にこれを指摘しました。このコミュニケーションの問題は、本件における高橋克也さんの故意や共謀の成否を考えるうえで非常に重要な事実であることは疑問の余地がありません。ところが、原判決はこの問題をほとんど全く検討しませんでした。
これはほんの一例に過ぎません。原判決は実に様々な証拠を黙殺しています。
どうか、皆さんは、そうした不誠実な態度をとらないで下さい。証拠を黙殺なさらないようにお願いします。仮に結論が私どものそれと異なったとしても、証拠を無視してその結論を導くのではなく、その証拠を細心の注意を払って検討した上でもなお、私ども弁護人の主張が成り立たない所以を私どもが納得できるようにご説明下さい。お願いします。
われわれ普通の日本人は、オウム真理教とその幹部たち、そして彼らが起こした事件について、なにひとつ証拠を見なくても、既に一定の具体的なイメージを持っています。世代によっては、20年前のあの出来事についてそれぞれの物語を語ることもできるでしょう。その物語の中に、一連のテロ事件の犯人のなかで逃亡を続けていた出家信者として、高橋さんが登場することでしょう。
こうしたイメージ、物語を完全に払拭して、白紙の状態で裁判の証拠に向き合うことは、ほとんど不可能かもしれません。われわれ全員にとってこの事件は既に歴史の一部です。われわれはみなこの事件について拭いがたいバイアス、予断を抱いているのです。
しかし、刑事裁判というものに意味があるとすれば、どんなに世間が予断に満ちていようとも、世間はとっくの昔に被告人を断罪していようとも、少なくとも事実認定者は、証拠に基づき、証拠のみによって、ゼロから被告人が有罪か無罪かを決定するべきであるということです。
原審の公判審理を通じて、オウム事件をめぐる歴史的な定説とは異なる証拠が幾つも登場しました。原審の裁判官も裁判員もそれらを無視することはできませんでした。しかし、甚だ残念なことに、彼らは自らの歴史的な予断を乗り越えることはできませんでした。証拠が歴史に反することを感じながらも、証拠に基づかない推論や想像によって、事実を歪曲してしまいました。いくつかの例を上げます。
われわれはみなこの裁判がはじまるずっと前から「ポア」という言葉を知っていました。オウムの出家信者の間では「ポア」という言葉は、「殺人」を意味する隠語として使われていたのだと思っていました。
しかし、原審の公判に現れた証拠によって次の事実が明らかになりました。――「ポア」は、チベット密教の修業の一つであり、死後により高い転生をえるための技法である;麻原彰晃もその説法のなかで「ポア」の意味をそうした宗教用語として使っていた;説法のなかで悪業を積む人を殺害することが宗教上「ポア」となる可能性を示唆する発言があったが、信者はそれを一つの宗教的なたとえ話と理解していた;麻原と最高幹部の間で殺人の隠語として「ポア」が使われることがあったが、それはごく限られた人たちの間でのことだった;高橋さんが「ポア」という言葉を殺人を意味する言葉として使っているのを聞いた人はいないし、彼にそれを説明した人もない。
こうした証拠関係を冷静に見つめるならば、「誰々をポアする」という麻原の計画が高橋さんに伝えられたとして、高橋さんがそれを殺人計画であると理解したということは、簡単には認定できないはずです。
ところが、原判決は、こうした証拠を全く無視して、ポアは「客観的には殺人に当たる行為をすることを意味するものとしても用いられていた」「このことを被告人も認識していた」などと実にあっさりと断定してしまいました。一体どこに、麻原が説法の中でポアを殺人を意味する言葉として使っていたという証拠があるんでしょうか。そのことを高橋さんが理解していたという証拠がどこにあるんでしょうか。
假谷事件では実行犯たちは假谷清志さんを麻酔薬を使って眠らせて拉致することを共謀し、彼は麻酔薬の副作用で亡くなったというのが、定説です。
しかし、原審の公判ではこの定説に反する証拠が沢山登場しました。そもそも、高橋さんに麻酔薬の使用を説明した人は一人もいませんでした。高橋さんは、「信者の居場所を知っている人を上九一色村の教団施設に連れて行くのを手伝って欲しい。ワゴン車に押しこむのを手伝って欲しい」と言われただけです。そして、上九一色村で中川が林郁夫から假谷さんの監視を引き継ぐ段階では、假谷さんは麻酔薬の影響から脱していて、その副作用によって亡くなるような危険はなかったという林郁夫の明確な証言がありました。
原判決はこうした証拠を深刻に受け止めませんでした。
電話をするために15分間假谷さんのそばを離れている間に假谷さんが亡くなったという、全く何の裏付けもない中川の証言のみによって、假谷さんは麻酔薬の副作用で亡くなったのだと認定しました。
そのうえで、麻酔薬を使うかどうかは、逮捕監禁の手段に過ぎず、犯罪の主要部分(骨格)ではないから、假谷さんを拉致することについて知っていた以上、高橋さんは逮捕監禁致死罪の正犯として責任を負うのだと断定しました。
しかし、車に押し込むとしか知らされていない人に、麻酔薬を使った逮捕監禁罪の共謀まで認めるというのは、われわれの常識に反するのではないでしょうか。しかも、麻酔薬で亡くなったことの責任まで負わせるというのは、さらに非常識ではないでしょうか。
犯罪の手段は「骨格」ではないという原判決の基準をそのまま適用すれば、たとえば、「あいつ気に食わないから、ちょっと懲らしめてやろう。焼きを入れてやろう」と言われて、1,2発ビンタする程度だと思って、これに賛同した人は、実行犯が鉄パイプで被害者の頭を殴り、被害者が脳挫傷で亡くなったことについても、正犯として責任を負わなければなりません。それは刑法の正しい解釈と言えますか。
われわれの歴史の中にある「地下鉄サリン事件」では、麻原彰晃や村井秀夫から指示された井上嘉浩が今川の家や渋谷ホームズで、実行犯や運転手役に向けて「地下鉄にサリンを撒く」という計画を告げた;実行犯はもちろん運転手役も地下鉄に猛毒のサリンを撒くというテロ計画を明確に認識して犯行に及んだということになっています。
検察官も起訴状にそう書き、証明予定事実記載書でその詳細な経過を書き、そして、公判開始後の冒頭陳述でそう説明しました。しかし、証拠はこれとぜんぜん違う事実を指し示しました。
今川の家でも渋谷ホームズでも「サリンを撒く」ということを誰も告げていないという事実が浮上してきたのです。つまり、高橋さんは地下鉄にサリンが撒かれるということを誰からも知らされませんでした。地下鉄に何かを撒くということは理解しましたが、それが何かは知らされていなかったのです。
ところが、原判決は、高橋さんがサリンを撒くことを知らされていなかったことを認めながら、「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」を撒くことは想像できたはずだと認定しました。
これは公正な裁判といえるでしょうか?本件の争点は高橋さんが「サリンを撒く」という説明を井上から受けていたかどうかでした。検察側の立証は完全に崩壊しました。高橋さんは誰からも「サリンを撒く」という説明を受けていなかったのです。だとしたら高橋さんは無罪でなければおかしいでしょう。
誰もそれまで言ってなかった「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」などという得体の知れない物質を創造して有罪にするというのは、「後出しじゃんけん」と同じように卑怯なやり方ではないでしょうか。
「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」ってそもそも何でしょうか。豊田亨を車に乗せて中目黒駅に向かう直前に渋谷ホームズで高橋さんが見たもののことでしょうか。それは透明なビニール袋に入った茶色い液体でした。実行犯たちはみなそれを素手で掴んでいました。内側の袋が破れているものもありました。その様子を見てそれが「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」だと思う人がこの世界に一体何人いるでしょうか。
都庁事件は都知事や都庁に勤務する人々の無差別殺人を狙った爆弾テロ事件だというのが、われわれの歴史上の定説です。しかし、ここでもそれと異なる証拠が公判で登場しました。
この事件の計画をした最高幹部たち――井上、中川、林泰男、豊田亨――は誰ひとりとして、人を殺すことを考えていませんでした。麻原からの指示――いわゆる「有能神メッセージ」――にも殺人は含まれていませんでした。
そして、さらに、中川が作ったRDXはわずか10グラムでした。爆発物の人体への影響を長年にわたって研究している専門家は、この量では、とたえ人体の至近距離で爆発したとしても人は死なないと証言しました。
そして、起爆装置を作った高橋さんは爆薬の中に鉛玉を入れることに反対し入れませんでした。
こうした証拠を常識にしたがって判断するならば、この事件はそもそも殺人事件ではなかったというべきでしょう。しかし、原判決は、麻原の「有能神メッセージ」から「人の殺傷の可能性をも想定したそれなりに大きな事件」を「容易に想像できたはず」だと言って、高橋さんを殺人未遂罪で有罪としてしまいました。誰も証言していない、「想像できたはずだ」という、文字通り「想像」によって殺意が肯定されてしまったのです。
確かに、われわれは予断を持って生活しています。普段の生活のなかで何かを決めるときに、厳密に証拠を求めることなどしないでしょう。オウム真理教の事件を雑談のテーマにするのであれば、本やネットに書いてあることを喋っても何も害はないかもしれません。
しかし、刑事裁判でそれは許されないはずです。高橋克也という一人の男性がこれから先一生刑務所で過ごさなければならないかどうかという極めて重大な決定をするのです。そのために公開の法廷で厳粛な手続で証人尋問が行われるのです。
事実認定者はそうして登場した証拠に忠実に従う義務があるはずです。たとえ、それが歴史の定説に反していようと、それまで信じて疑わなかったことと異なっていようと、事実認定者は証拠を離れて、想像や思い込みで事実認定をすることは許されません。まして、それを無視することなどあってはならないことです。
裁判がはじまる前から結論が決まっているなら、それは裁判ではありません。ただのリンチです。
ありがとうございました。
昨日主任弁護人高野隆が行った弁論は下記のとおりです。
なお、以下の資料も閲覧できます。
*第1審判決はこちら。
*控訴趣意書はこちら。
【高橋事件控訴審第1回公判における弁護人の弁論】
裁判長、
両倍席裁判官、
私どもが皆さんに判断していただきたいことは本年1月に提出した控訴趣意書の通りです。控訴の趣意は全17項目にわたり、趣意書は160ページを超えるものです。私どもは、皆さんに訴えたいことを厳選して申し上げました。原審の手続とその判断における違法のすべてを取り上げた訳ではありません。この国の刑事司法の運営のあり方として、看過できない、極めて深刻な問題のみを取り上げたつもりです。それはまた、私どもの依頼人高橋克也氏の人生を左右する重大な問題でもあります。
私どもがこの趣意書で取り上げた論点はいずれも皆様の判断を仰ぐにふさわしい重要かつ深刻な論点です。何一つ無駄な記述はありません。そして、そこに書かれていることがすべてです。趣意書には数カ所明らかな誤記がありますが、この弁論で趣意書に何かを付け加えるとか、削るとか、補足することはありません。
この弁論では、皆さんが控訴趣意の内容を調査し判断するうえで留意していただきたい点を数点申し上げるにとどめます。
まず私どもがお願いしたいのは、きちんと応答して欲しいということです。単に結論を示すだけではなく、きちんとした理由を示して頂きたいということです。通り一遍の紋切り型の理由ではなく、われわれが提示した法令や証拠を踏まえた議論に知的に応答して欲しいということです。
これは余りにも当たり前のことですが、私が敢えてここでこうした要望を皆さんに申し上げるには理由があります。
原審の訴訟記録にも現れていますが、原審裁判官と私どもとの間には、こうした知的なやりとりはほとんど全く行われませんでした。麻原彰晃氏や土谷正実氏の証人尋問が本件の争点と密接に関連することについて、公判前整理手続中もそして公判開始後も、弁護人は長文の意見書を提出したり、口頭で意見を述べたりして原審裁判官に訴えました。しかし、原審裁判官は全くなにも理由を述べずに、ただ単に証人申請を却下しました。却下決定に対して、私どもは理由を付して異議を申し立てました。異議を却下するならその理由もきちんと説明して欲しいとも申し上げました。しかし、中里裁判長は一切理由を述べずに、異議を棄却しました。
この不毛なやりとりは原審において何度も繰り返されました。5人の死刑囚の証人尋問に際して遮へい措置を施すこと、平田悟証人の尋問が予定された公判期日を取消し、同じ時刻に裁判所のなかで期日外尋問を行うことなどについて、私どもはそれが裁判公開原則や刑事被告人の公開裁判を受ける権利、証人審問権を侵害し、かつ、法律の定めにも違反することを書面や口頭で述べましたが、原審はこれに一切応答せずに、全くなにも理由を告げないままに、われわれの異議を退けて、遮へい措置や期日外尋問を実施しました。
そればかりではありません。われわれの違憲違法の主張が根拠があることを記録に残そうとするわれわれの活動を、裁判所は阻止しました。遮へい措置が証人自身に与える影響についてわれわれが証人に尋問することを制止しました。そして、遮へい措置が傍聴人の側にどのような影響を与えるのかを検証する申立てついても、これを拒絶しました。
原審裁判所が行ったことは、東京拘置所や検察官の要望に沿う訴訟運営をしたというだけです。なぜそれが必要なのか、なぜそれが憲法や訴訟法の規定に沿った訴訟運営なのか、弁護人の再三にわたる要求にもかかわらず、中里裁判長は一切説明しませんでした。これは民主制の下における裁判官の仕事ぶりとして正しいでしょうか?こうした訴訟運営と、全体主義国家における専断的な刑事裁判の運営と一体どこが違うのでしょうか?
1947年に任命された最初の15人の最高裁判事の一人、小谷勝重判事は、ある大法廷判決に付した個別意見のなかで、こう述べました。
「訴訟法は裁判所の執務の安易や簡便のために設けられているものではない」。
大法廷の法廷意見は、必要的弁護事件の控訴審裁判所が、控訴趣意書提出期限経過後に国選弁護人を選任しても憲法や刑訴法に違反するところはないと言いました。この法廷意見に対して、小谷裁判官は、必要的弁護事件における弁護人の選任は単なる「開廷の要件」ではない;それは被告人が弁護人による実質的な援助を受けるための制度であり、したがって弁護権の行使が可能な時期に選任をしなければ意味がないと言って批判する意見を述べました。
小谷判事のこの言葉は、その文脈を離れて、刑事訴訟手続というものが何のためにあるのかを、改めてわれわれに考えさせるものです。
刑事裁判の手続は、裁判所という役所、裁判官という役人が、その執務を効率的に進めるための便法ではないのです。それは、憲法が予定している公正な裁判を実現するために行われなければならないのです。
拘置所や検察庁の要請にしたがって死刑囚の証人採用を拒否したり、傍聴人と証人との間に分厚い遮蔽を施して証人が一般公衆の目に触れないようにする;それに異を唱える者の意見を黙殺する。そうすれば、手続は表面上波乱なく進み、拘置所との友好関係は維持され、裁判官の役人生活は安泰でしょう。しかし、それによって失われるものは余りにも大きいと言わなければなりません。
わが国の訴訟手続は、憲法と法令に則って行われるべきです。拘置所と検察庁と裁判所のお役所の都合がすべてに優先するというのでは、日本国はもはや法の支配を尊ぶ立憲民主主義の国とは言えないでしょう。
原判決は多くの証拠、証言を無視し、黙殺しました。高橋さんの故意や共謀を否定する方向の証拠を弁護人は最終弁論でるる指摘しました。しかし、原判決はその多くを全く取り上げませんでした。ただ黙殺しました。その一方で、有罪方向の証拠をつなぎあわせ、ときには想像によってこれを補い、最終的には検察官の主張通りの有罪認定を行いました。
原判決が黙殺した証拠の内容は控訴趣意書に書いたとおりです。一つだけ取り上げます。
原審に現れた証拠によれば、オウム真理教において「ワーク」と呼ばれる修業に従事する出家信者同士が行うコミュニケーションには際立った特徴がありました。それは、自分のワークが他の信者や教団との関係でどのような意味をもつのかについて、信者は関心がなく、むしろ関心をもつことを禁じられていたということです。例えば、運転のワークをする出家信者は、何時どこで誰を車に乗せてどこまで乗せていくのか、についてだけ関心を持ち、その人物が目的地で何をするのかについて一切関心を持たないということです。まるでタクシー運転手のように、そうしたことにコミットしないように訓練されていたということです。
出家信者の間のこうしたコミュニケーションの特徴は、原審に専門家証人として登場したオウム真理教研究者たちが異口同音に述べています。それだけではありません。検察側証人として登場した元信者たちも一致して証言していました。教団と縁を切って20年経過した現在でもその影響から抜け切れていないという証人もいました。
研究者の証言によれば、このコミュニケーションの特殊性は、偶然ではなく、オウム真理教の教義の中核部分に関係するものです。それは必然的で根深いものです。
すなわち、合法的なものであれ非合法なものであれ、「ワーク」は出家信者がその修業のステージを上り詰めるために、絶対的な存在である尊師麻原彰晃から直接的に与えられた宗教上の課題である;チベット密教と同様に、オウム真理教においては、修業はすべてグルと弟子の一対一の関係で行われるのであって、その間に第三者が介在することは許されない;したがって、他の信者がどのような課題=ワークを与えられているのかは一切関与するべきではなく、関与することは許されない。そういうことです。
控訴趣意書のなかで指摘したように、さまざまな分野の専門家がこのことを指摘しました。また、様々な立場の出家信者や最高幹部と言われた人たちも、異口同音にこれを指摘しました。このコミュニケーションの問題は、本件における高橋克也さんの故意や共謀の成否を考えるうえで非常に重要な事実であることは疑問の余地がありません。ところが、原判決はこの問題をほとんど全く検討しませんでした。
これはほんの一例に過ぎません。原判決は実に様々な証拠を黙殺しています。
どうか、皆さんは、そうした不誠実な態度をとらないで下さい。証拠を黙殺なさらないようにお願いします。仮に結論が私どものそれと異なったとしても、証拠を無視してその結論を導くのではなく、その証拠を細心の注意を払って検討した上でもなお、私ども弁護人の主張が成り立たない所以を私どもが納得できるようにご説明下さい。お願いします。
われわれ普通の日本人は、オウム真理教とその幹部たち、そして彼らが起こした事件について、なにひとつ証拠を見なくても、既に一定の具体的なイメージを持っています。世代によっては、20年前のあの出来事についてそれぞれの物語を語ることもできるでしょう。その物語の中に、一連のテロ事件の犯人のなかで逃亡を続けていた出家信者として、高橋さんが登場することでしょう。
こうしたイメージ、物語を完全に払拭して、白紙の状態で裁判の証拠に向き合うことは、ほとんど不可能かもしれません。われわれ全員にとってこの事件は既に歴史の一部です。われわれはみなこの事件について拭いがたいバイアス、予断を抱いているのです。
しかし、刑事裁判というものに意味があるとすれば、どんなに世間が予断に満ちていようとも、世間はとっくの昔に被告人を断罪していようとも、少なくとも事実認定者は、証拠に基づき、証拠のみによって、ゼロから被告人が有罪か無罪かを決定するべきであるということです。
原審の公判審理を通じて、オウム事件をめぐる歴史的な定説とは異なる証拠が幾つも登場しました。原審の裁判官も裁判員もそれらを無視することはできませんでした。しかし、甚だ残念なことに、彼らは自らの歴史的な予断を乗り越えることはできませんでした。証拠が歴史に反することを感じながらも、証拠に基づかない推論や想像によって、事実を歪曲してしまいました。いくつかの例を上げます。
われわれはみなこの裁判がはじまるずっと前から「ポア」という言葉を知っていました。オウムの出家信者の間では「ポア」という言葉は、「殺人」を意味する隠語として使われていたのだと思っていました。
しかし、原審の公判に現れた証拠によって次の事実が明らかになりました。――「ポア」は、チベット密教の修業の一つであり、死後により高い転生をえるための技法である;麻原彰晃もその説法のなかで「ポア」の意味をそうした宗教用語として使っていた;説法のなかで悪業を積む人を殺害することが宗教上「ポア」となる可能性を示唆する発言があったが、信者はそれを一つの宗教的なたとえ話と理解していた;麻原と最高幹部の間で殺人の隠語として「ポア」が使われることがあったが、それはごく限られた人たちの間でのことだった;高橋さんが「ポア」という言葉を殺人を意味する言葉として使っているのを聞いた人はいないし、彼にそれを説明した人もない。
こうした証拠関係を冷静に見つめるならば、「誰々をポアする」という麻原の計画が高橋さんに伝えられたとして、高橋さんがそれを殺人計画であると理解したということは、簡単には認定できないはずです。
ところが、原判決は、こうした証拠を全く無視して、ポアは「客観的には殺人に当たる行為をすることを意味するものとしても用いられていた」「このことを被告人も認識していた」などと実にあっさりと断定してしまいました。一体どこに、麻原が説法の中でポアを殺人を意味する言葉として使っていたという証拠があるんでしょうか。そのことを高橋さんが理解していたという証拠がどこにあるんでしょうか。
假谷事件では実行犯たちは假谷清志さんを麻酔薬を使って眠らせて拉致することを共謀し、彼は麻酔薬の副作用で亡くなったというのが、定説です。
しかし、原審の公判ではこの定説に反する証拠が沢山登場しました。そもそも、高橋さんに麻酔薬の使用を説明した人は一人もいませんでした。高橋さんは、「信者の居場所を知っている人を上九一色村の教団施設に連れて行くのを手伝って欲しい。ワゴン車に押しこむのを手伝って欲しい」と言われただけです。そして、上九一色村で中川が林郁夫から假谷さんの監視を引き継ぐ段階では、假谷さんは麻酔薬の影響から脱していて、その副作用によって亡くなるような危険はなかったという林郁夫の明確な証言がありました。
原判決はこうした証拠を深刻に受け止めませんでした。
電話をするために15分間假谷さんのそばを離れている間に假谷さんが亡くなったという、全く何の裏付けもない中川の証言のみによって、假谷さんは麻酔薬の副作用で亡くなったのだと認定しました。
そのうえで、麻酔薬を使うかどうかは、逮捕監禁の手段に過ぎず、犯罪の主要部分(骨格)ではないから、假谷さんを拉致することについて知っていた以上、高橋さんは逮捕監禁致死罪の正犯として責任を負うのだと断定しました。
しかし、車に押し込むとしか知らされていない人に、麻酔薬を使った逮捕監禁罪の共謀まで認めるというのは、われわれの常識に反するのではないでしょうか。しかも、麻酔薬で亡くなったことの責任まで負わせるというのは、さらに非常識ではないでしょうか。
犯罪の手段は「骨格」ではないという原判決の基準をそのまま適用すれば、たとえば、「あいつ気に食わないから、ちょっと懲らしめてやろう。焼きを入れてやろう」と言われて、1,2発ビンタする程度だと思って、これに賛同した人は、実行犯が鉄パイプで被害者の頭を殴り、被害者が脳挫傷で亡くなったことについても、正犯として責任を負わなければなりません。それは刑法の正しい解釈と言えますか。
われわれの歴史の中にある「地下鉄サリン事件」では、麻原彰晃や村井秀夫から指示された井上嘉浩が今川の家や渋谷ホームズで、実行犯や運転手役に向けて「地下鉄にサリンを撒く」という計画を告げた;実行犯はもちろん運転手役も地下鉄に猛毒のサリンを撒くというテロ計画を明確に認識して犯行に及んだということになっています。
検察官も起訴状にそう書き、証明予定事実記載書でその詳細な経過を書き、そして、公判開始後の冒頭陳述でそう説明しました。しかし、証拠はこれとぜんぜん違う事実を指し示しました。
今川の家でも渋谷ホームズでも「サリンを撒く」ということを誰も告げていないという事実が浮上してきたのです。つまり、高橋さんは地下鉄にサリンが撒かれるということを誰からも知らされませんでした。地下鉄に何かを撒くということは理解しましたが、それが何かは知らされていなかったのです。
ところが、原判決は、高橋さんがサリンを撒くことを知らされていなかったことを認めながら、「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」を撒くことは想像できたはずだと認定しました。
これは公正な裁判といえるでしょうか?本件の争点は高橋さんが「サリンを撒く」という説明を井上から受けていたかどうかでした。検察側の立証は完全に崩壊しました。高橋さんは誰からも「サリンを撒く」という説明を受けていなかったのです。だとしたら高橋さんは無罪でなければおかしいでしょう。
誰もそれまで言ってなかった「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」などという得体の知れない物質を創造して有罪にするというのは、「後出しじゃんけん」と同じように卑怯なやり方ではないでしょうか。
「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」ってそもそも何でしょうか。豊田亨を車に乗せて中目黒駅に向かう直前に渋谷ホームズで高橋さんが見たもののことでしょうか。それは透明なビニール袋に入った茶色い液体でした。実行犯たちはみなそれを素手で掴んでいました。内側の袋が破れているものもありました。その様子を見てそれが「人を死亡させる危険性が高い揮発性の毒物」だと思う人がこの世界に一体何人いるでしょうか。
都庁事件は都知事や都庁に勤務する人々の無差別殺人を狙った爆弾テロ事件だというのが、われわれの歴史上の定説です。しかし、ここでもそれと異なる証拠が公判で登場しました。
この事件の計画をした最高幹部たち――井上、中川、林泰男、豊田亨――は誰ひとりとして、人を殺すことを考えていませんでした。麻原からの指示――いわゆる「有能神メッセージ」――にも殺人は含まれていませんでした。
そして、さらに、中川が作ったRDXはわずか10グラムでした。爆発物の人体への影響を長年にわたって研究している専門家は、この量では、とたえ人体の至近距離で爆発したとしても人は死なないと証言しました。
そして、起爆装置を作った高橋さんは爆薬の中に鉛玉を入れることに反対し入れませんでした。
こうした証拠を常識にしたがって判断するならば、この事件はそもそも殺人事件ではなかったというべきでしょう。しかし、原判決は、麻原の「有能神メッセージ」から「人の殺傷の可能性をも想定したそれなりに大きな事件」を「容易に想像できたはず」だと言って、高橋さんを殺人未遂罪で有罪としてしまいました。誰も証言していない、「想像できたはずだ」という、文字通り「想像」によって殺意が肯定されてしまったのです。
確かに、われわれは予断を持って生活しています。普段の生活のなかで何かを決めるときに、厳密に証拠を求めることなどしないでしょう。オウム真理教の事件を雑談のテーマにするのであれば、本やネットに書いてあることを喋っても何も害はないかもしれません。
しかし、刑事裁判でそれは許されないはずです。高橋克也という一人の男性がこれから先一生刑務所で過ごさなければならないかどうかという極めて重大な決定をするのです。そのために公開の法廷で厳粛な手続で証人尋問が行われるのです。
事実認定者はそうして登場した証拠に忠実に従う義務があるはずです。たとえ、それが歴史の定説に反していようと、それまで信じて疑わなかったことと異なっていようと、事実認定者は証拠を離れて、想像や思い込みで事実認定をすることは許されません。まして、それを無視することなどあってはならないことです。
裁判がはじまる前から結論が決まっているなら、それは裁判ではありません。ただのリンチです。
ありがとうございました。
2015年05月02日
高橋克也氏とわれわれ弁護人は、昨日の有罪判決に対して、本日控訴しました。
判決の事実認定は、その手法もその結果もとうてい納得できるようなものではありません。裁判所は、高橋さんに「サリンを撒くので運転手役をやるように」と指示したという井上嘉浩氏の証言は信用できないと言いました。また、高橋さんがいる部屋で「サリン」という言葉を聞いたり言ったりしたという林郁夫氏と広瀬健一氏の証言はいずれも信用できないと言いました。判決は、サリンを地下鉄に撒くという計画を高橋さんは誰からも告げらなかったと判断したのです。にもかかわらず、鼻水と涙が出たので自動車の窓を開けたとか、渋谷の拠点にもどって林郁夫氏から注射をしてもらったというような、さまざまに解釈できる事情を恣意的に取り上げ、推論を重ねて、「サリンの可能性を含む、人を死亡させる危険性の高い揮発性の毒物を撒くと認識していた」などと認定しました。
裁判所は弁護人が指摘した無罪方向の証拠を無視することすらしました。例えば、「高橋の方から『中毒が心配だから治療して欲しい』と言って寄ってきた」という林郁夫氏の証言について、林氏は事件直後には警察から写真を示されて「高橋はサリン事件のメンバーの中にいなかった」と述べていたのです。いなかったと思う人間から「中毒が心配だから治療して欲しい」と言われたと記憶することなど不可能です。しかし、裁判所はこの重大な証拠を黙殺しました。そして、林郁夫は「被告人が争っているサリンの認識に関わることについて、特に慎重に証言している」などと全く根拠のない、むしろ真実とは真逆の評価を行いました。そもそも、「人を死亡させる危険性の高い揮発性の毒物」のせいで急に鼻水と涙が出たと感じている人が、わざわざ遠回りして時間を潰してから拠点に帰るでしょうか?
VX事件では、事件にかかわった出家信者の多くが教団製の「VX」なるものの効力に大いに疑問を持っていました。その疑問には根拠がありました。実際に最初の実行では何らの効果もありませんでした。判決は、あえて従来品とは異なる「新しいVX」が濱口さんに使われたと言いました。しかし、そのことが高橋さんには知らされていなかったという事実を無視しました。高橋さんが井上の指示で病院に行ったという事実を無視して、病院に行ったという点だけを取り出して、「殺傷力があることを当然の前提としたもの」と決めつけました。
假谷事件では、「すでに麻酔薬の影響を脱していた」「心不全のような突発的なこと以外に死亡の危険はなかった」という林郁夫の証言にあえて目をつぶり、假谷清志さんの死因を「麻酔薬の過量投与による副作用」だと決めつけました。他方で判決は、麻酔薬が使われることについて高橋氏が知らなかったことを認めました。そうであるにもかかわらず、麻酔薬の投与は「主要部分(骨格)」ではないと言って致死の責任まで認めてしまいました。
都庁事件では、裁判所は世界中の科学者が依拠する爆風圧の定義を無視しました。そのうえで、爆発物の人体への影響に関する研究者が具体的な数値と症例を示して、この程度の爆薬の量では人が死ぬことはないと証言しているのを過小評価しました。そして、実際に人が死んでおらず、事件に関与した関係者が口を揃えて「人の死は望んでいなかった」、「鉛玉を入れるのをやめた」と証言しているのを無視して、「大きなことを起こす」とはすなわち「要人を殺すこと」に他ならないと決めつけました。
これらはほんの一部です。刑事6部の証拠評価、事実認定の問題点は枚挙に暇がありません。
地裁の判断の問題点はその訴訟手続にもありました。事件の「首謀者」とされる人物の証人尋問の請求を裁判官たちは「必要性がない」と言い張って却下しました。「サリン」や「VX」の製造を担当していたとされた人物の証人尋問も却下しました。製造者本人の証言も聞かずに、使用されたのは「新しいVX」であるとか、その「殺傷力は明らか」などと断定しました。裁判所はさらに、全く必要性がなく当の証人が嫌がっているにもかかわらず、法の要件とその立法経緯を無視して、「死刑囚」が証言する姿を傍聴人に見せないようにする「遮へい措置」を実行しました。さらには、証人がそれを希望しているというだけの理由で公判期日を取り消して同じ日の同じ時刻に「期日外尋問」をするという明白な脱法行為までしました。こうした裁判所の措置は、刑事被告人の憲法上の権利を直接侵害するものです。
われわれは一方的で不正確な情報だけを伝えるマスコミ報道が裁判官や裁判員の判断にどの程度の影響を与えたのか分かりません。また、評議室のなかで市民の代表である裁判員がどの程度活発に意見を延べ、それが判決にどの程度反映したのかも分かりません。全ては「守秘義務」のベールに包まれています。裁判員や補充裁判員は判決言い渡し後も自ら体験した事実を表現する自由を奪われたままです。しかし、いつか必ずこの理不尽な状況は改善されるだろうと思います。裁判員が評議室のなかで体験した真実を語ることができる日がくるでしょう。
高橋克也氏の弁護人を代表して、
弁護士高野隆
判決の事実認定は、その手法もその結果もとうてい納得できるようなものではありません。裁判所は、高橋さんに「サリンを撒くので運転手役をやるように」と指示したという井上嘉浩氏の証言は信用できないと言いました。また、高橋さんがいる部屋で「サリン」という言葉を聞いたり言ったりしたという林郁夫氏と広瀬健一氏の証言はいずれも信用できないと言いました。判決は、サリンを地下鉄に撒くという計画を高橋さんは誰からも告げらなかったと判断したのです。にもかかわらず、鼻水と涙が出たので自動車の窓を開けたとか、渋谷の拠点にもどって林郁夫氏から注射をしてもらったというような、さまざまに解釈できる事情を恣意的に取り上げ、推論を重ねて、「サリンの可能性を含む、人を死亡させる危険性の高い揮発性の毒物を撒くと認識していた」などと認定しました。
裁判所は弁護人が指摘した無罪方向の証拠を無視することすらしました。例えば、「高橋の方から『中毒が心配だから治療して欲しい』と言って寄ってきた」という林郁夫氏の証言について、林氏は事件直後には警察から写真を示されて「高橋はサリン事件のメンバーの中にいなかった」と述べていたのです。いなかったと思う人間から「中毒が心配だから治療して欲しい」と言われたと記憶することなど不可能です。しかし、裁判所はこの重大な証拠を黙殺しました。そして、林郁夫は「被告人が争っているサリンの認識に関わることについて、特に慎重に証言している」などと全く根拠のない、むしろ真実とは真逆の評価を行いました。そもそも、「人を死亡させる危険性の高い揮発性の毒物」のせいで急に鼻水と涙が出たと感じている人が、わざわざ遠回りして時間を潰してから拠点に帰るでしょうか?
VX事件では、事件にかかわった出家信者の多くが教団製の「VX」なるものの効力に大いに疑問を持っていました。その疑問には根拠がありました。実際に最初の実行では何らの効果もありませんでした。判決は、あえて従来品とは異なる「新しいVX」が濱口さんに使われたと言いました。しかし、そのことが高橋さんには知らされていなかったという事実を無視しました。高橋さんが井上の指示で病院に行ったという事実を無視して、病院に行ったという点だけを取り出して、「殺傷力があることを当然の前提としたもの」と決めつけました。
假谷事件では、「すでに麻酔薬の影響を脱していた」「心不全のような突発的なこと以外に死亡の危険はなかった」という林郁夫の証言にあえて目をつぶり、假谷清志さんの死因を「麻酔薬の過量投与による副作用」だと決めつけました。他方で判決は、麻酔薬が使われることについて高橋氏が知らなかったことを認めました。そうであるにもかかわらず、麻酔薬の投与は「主要部分(骨格)」ではないと言って致死の責任まで認めてしまいました。
都庁事件では、裁判所は世界中の科学者が依拠する爆風圧の定義を無視しました。そのうえで、爆発物の人体への影響に関する研究者が具体的な数値と症例を示して、この程度の爆薬の量では人が死ぬことはないと証言しているのを過小評価しました。そして、実際に人が死んでおらず、事件に関与した関係者が口を揃えて「人の死は望んでいなかった」、「鉛玉を入れるのをやめた」と証言しているのを無視して、「大きなことを起こす」とはすなわち「要人を殺すこと」に他ならないと決めつけました。
これらはほんの一部です。刑事6部の証拠評価、事実認定の問題点は枚挙に暇がありません。
地裁の判断の問題点はその訴訟手続にもありました。事件の「首謀者」とされる人物の証人尋問の請求を裁判官たちは「必要性がない」と言い張って却下しました。「サリン」や「VX」の製造を担当していたとされた人物の証人尋問も却下しました。製造者本人の証言も聞かずに、使用されたのは「新しいVX」であるとか、その「殺傷力は明らか」などと断定しました。裁判所はさらに、全く必要性がなく当の証人が嫌がっているにもかかわらず、法の要件とその立法経緯を無視して、「死刑囚」が証言する姿を傍聴人に見せないようにする「遮へい措置」を実行しました。さらには、証人がそれを希望しているというだけの理由で公判期日を取り消して同じ日の同じ時刻に「期日外尋問」をするという明白な脱法行為までしました。こうした裁判所の措置は、刑事被告人の憲法上の権利を直接侵害するものです。
われわれは一方的で不正確な情報だけを伝えるマスコミ報道が裁判官や裁判員の判断にどの程度の影響を与えたのか分かりません。また、評議室のなかで市民の代表である裁判員がどの程度活発に意見を延べ、それが判決にどの程度反映したのかも分かりません。全ては「守秘義務」のベールに包まれています。裁判員や補充裁判員は判決言い渡し後も自ら体験した事実を表現する自由を奪われたままです。しかし、いつか必ずこの理不尽な状況は改善されるだろうと思います。裁判員が評議室のなかで体験した真実を語ることができる日がくるでしょう。
高橋克也氏の弁護人を代表して、
弁護士高野隆
2015年02月16日
本日行われた廣瀬健一氏の証人尋問について、テレビ朝日は次のように報道しました:廣瀬氏は「事件前日に井上嘉浩死刑囚(45)から『サリンをまく量を増やす、一人1リットルだ』と説明があった時、高橋被告もその場にいたと証言しました。広瀬死刑囚はサリン散布後、足が痙攣(けいれん)したために薬を打ってもらいましたが、高橋被告も同じように薬を打っていたと振り返りました。さらに、高橋被告が犯行後にテレビの報道を見ながら『やりましたね』と発言したと証言しました」と。http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000044605.html
この報道は全く事実に反します。廣瀬氏はそのような証言をしていません。
彼の証言は次のようなものです:
1)井上嘉浩氏は渋谷のマンションで「部屋に散らばっている人」に向かって「一人1リットル」と言った。廣瀬氏は、その中に高橋克也氏がいたとは証言していません。
2)事件後ニュースを見ていて、井上氏が林泰男氏に向かって「イシディンナ師(林泰男氏のこと)、やりましたね」と言ったと証言しました。高橋氏が言ったなどとは彼は証言していません。
3)事件後自分は林郁夫氏にパムを打ってもらった。林泰男氏も打ってもらったかもしれない、と証言しました。高橋氏が打ってもらったなどとは全然証言していません。
また、フジテレビは、廣瀬氏が「高橋被告の車のなかでサリンを撒く話をした」と証言した、と報じました。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00286491.html
これも事実ではありません。廣瀬氏はそのような証言を全然していません。
本日まで約1ヶ月間この事件の公判についてマスコミは誤った報道を毎日のように繰り返し行っています。専門家が「VXは液体であり、揮発性はない」と証言しているのに、いまだに「VXガス事件」などと報じている新聞もあります。これが日本の裁判報道の現実です。午前中の検察官の尋問を聞いただけで、バタバタと慌ただしく法廷を抜けだした記者が記事を書いているわけですから、誤報だらけなのは仕方がないと思います。いちいちクレームをつけていったらキリがありません。われわれは日本のマスコミがこの事件のような刑事裁判について公正な報道をすることはほとんど全く期待できないと諦めています。
しかし、せっかく裁判所が一般市民の入場を制限してまでして、マスコミのために多数の特別席を用意しているのですから、証言を傍聴した報道機関には責任ある報道をしていただきたいと思います。われわれは諦めてはいますが、許してはいません。念のため。
高橋克也氏の弁護人を代表して、
弁護士 高野隆
この報道は全く事実に反します。廣瀬氏はそのような証言をしていません。
彼の証言は次のようなものです:
1)井上嘉浩氏は渋谷のマンションで「部屋に散らばっている人」に向かって「一人1リットル」と言った。廣瀬氏は、その中に高橋克也氏がいたとは証言していません。
2)事件後ニュースを見ていて、井上氏が林泰男氏に向かって「イシディンナ師(林泰男氏のこと)、やりましたね」と言ったと証言しました。高橋氏が言ったなどとは彼は証言していません。
3)事件後自分は林郁夫氏にパムを打ってもらった。林泰男氏も打ってもらったかもしれない、と証言しました。高橋氏が打ってもらったなどとは全然証言していません。
また、フジテレビは、廣瀬氏が「高橋被告の車のなかでサリンを撒く話をした」と証言した、と報じました。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00286491.html
これも事実ではありません。廣瀬氏はそのような証言を全然していません。
本日まで約1ヶ月間この事件の公判についてマスコミは誤った報道を毎日のように繰り返し行っています。専門家が「VXは液体であり、揮発性はない」と証言しているのに、いまだに「VXガス事件」などと報じている新聞もあります。これが日本の裁判報道の現実です。午前中の検察官の尋問を聞いただけで、バタバタと慌ただしく法廷を抜けだした記者が記事を書いているわけですから、誤報だらけなのは仕方がないと思います。いちいちクレームをつけていったらキリがありません。われわれは日本のマスコミがこの事件のような刑事裁判について公正な報道をすることはほとんど全く期待できないと諦めています。
しかし、せっかく裁判所が一般市民の入場を制限してまでして、マスコミのために多数の特別席を用意しているのですから、証言を傍聴した報道機関には責任ある報道をしていただきたいと思います。われわれは諦めてはいますが、許してはいません。念のため。
高橋克也氏の弁護人を代表して、
弁護士 高野隆
2015年01月10日
昨日の新聞報道に「497人に選任手続きの呼び出し状を送ったが、8日午後、同地裁に集まった候補者は86人だった」とか「辞退が相次いだ」などというものがありました(日本経済新聞朝刊 讀賣新聞朝刊 朝日新聞朝刊)。これらの記事は、大部分の候補者は自身に振りかかる負担や不利益を心配して、呼出状を黙殺したかのような印象を与えます。しかし、これは非常にミスリーディングな記事であると言わなければなりません。
裁判所は、多くの候補者には法律上の辞退事由があると認め、あらかじめ呼び出しそのものを取り消したのです。最終的に裁判所に呼び出されたのは132人の候補者です。そのうち、86名の方が出頭されました。そのなかには、幼子をベビーカーに乗せて来られた若い女性や不自由な体をおして杖をつきながら霞ヶ関の裁判所に来られた方もおられました。
出頭された候補者の皆さんは、どなたも選任手続に真摯に取り組んでおられました。最終的に辞退された方々も、できるだけ参加して職務を果たしたいという希望を述べておられました。
弁護団を代表して
2015年1月10日
弁護士 高野隆
裁判所は、多くの候補者には法律上の辞退事由があると認め、あらかじめ呼び出しそのものを取り消したのです。最終的に裁判所に呼び出されたのは132人の候補者です。そのうち、86名の方が出頭されました。そのなかには、幼子をベビーカーに乗せて来られた若い女性や不自由な体をおして杖をつきながら霞ヶ関の裁判所に来られた方もおられました。
出頭された候補者の皆さんは、どなたも選任手続に真摯に取り組んでおられました。最終的に辞退された方々も、できるだけ参加して職務を果たしたいという希望を述べておられました。
弁護団を代表して
2015年1月10日
弁護士 高野隆
2014年11月21日
高橋事件弁護団広報2014年11月21日
死刑囚証人と傍聴人との間の遮へいについて
本日午前11時から行なわれた第10回公判前整理手続において、東京地方裁判所刑事第6部(中里智美裁判長)は、死刑囚5名を含む検察側証人6名について、検察官の請求どおり傍聴人と証人との間の遮へい措置をとるとの決定をしました。この決定に対してわれわれは「公開裁判を受ける被告人の権利を侵害する」「刑事訴訟法が要求する必要性は立証されていない」と異議申立てを行いましたが、裁判所はわれわれの異議を棄却しました。その際に行なわれた主なやりとりは以下のとおりです。
裁判長:検察官から申出のあった遮へい措置について、次のとおり決定します。6名の証人の尋問に際しては、傍聴人と証人との間で相互に相手の状態を認識することができないようにするための措置をとることにします。
高野弁護人:裁判長、なぜ遮へい措置が必要なんでしょうか。
裁判長:異議ですか。
高野弁護人:異議をこれから述べますが、異議の理由をきちんと述べるためには、決定の理由を知る必要があります。遮へい措置の決定の理由を教えて下さい。検察官の主張を全部認めるということですか。
裁判長:刑訴法がいう「相当と認めるとき」に当たるということです。
高野弁護人:それは法律に書いてあるので分かります。なぜ「相当」なのかご説明いただけないですか。
裁判長:法律の要件に当たるということです。
高野弁護人:……それでは、裁判所の決定に対して異議を申し立てます。遮へい措置は被告人の公開裁判を受ける憲法上の権利に対する重大な制約です。したがって、その措置をとる場合には、それが必要であることが説明される必要があります。法律の条文をオウム返しに言うだけでは理由を述べたことにはなりません。行政処分に関する最高裁判所の判例は、国民の権利を制約する処分を行うときは単に法律の条文に該当するというだけでは足りない;それを基礎づける事実の説明が必要だと言っています。憲法上の権利を制約するためには、その必要性を基礎づける事実が証明されなければなりません。裁判所の今回の決定をするにあたって、そのような事実は何一つ証明されませんでした。今回の遮へい措置の決定は、被告人の憲法上の権利を侵害するものであり、最高裁判所の判例の趣旨にも反します。
裁判長:弁護人の異議に対するご意見は。
神田検察官:異議には理由がないものと思料します。
裁判長:異議は棄却します。
坂根弁護人:ひとこと述べます。この間われわれ弁護人は裁判所からの様々な要請に対して誠実に対応してきました。釈明や書面の提出要求に対して迅速に応じてきました。法曹三者が協力して裁判員にとって分かりやすい裁判を実現するために最大の努力をしてきました。ところが裁判所は遮へい措置という重大な決定をするに当って理由をなにも説明しないという態度をとるというのは三者の信頼関係を損なうものと言わざるを得ません。
裁判所は本日の手続について報道機関に配布する広報用メモの案を配布しました。そこには「本日、第10回公判前整理手続期日を、被告人出席の上で開いた」とあるだけで、あとは次回期日の日程しか書かれていませんでした。そこで、次のやりとりがありました。
高野弁護人:この広報メモには遮へい措置を採る決定をしたことが書かれていません。これは裁判の公開に関する重要な決定ですから、広報する必要があると思います。
裁判長:遮へい措置を採ることについて裁判所から広報することはしません。
結局、なぜ遮へい措置をとるのかについて、裁判所は一切明らかにしませんでした。われわれはこの事件において証人と傍聴人との間の遮へい措置を採ることは刑事被告人の公開裁判を受ける権利を侵害すると同時に、公開裁判への公衆の権利=裁判を傍聴する公衆の権利を侵害すると考えます。なぜそのような重大な決定をしたのかわれわれには知る権利があります。この問題を訴訟当事者限りで議論すべきだとは思いません。そこで、遮へい措置を要求した検察官の申出書とわれわれの反対意見書の全文を公開することにします。
検察官の10月27日付証人尋問に関する申出書
弁護人の10月30日付遮へい申し出に対する意見書
弁護人の11月5日付遮へい措置申し出に対する補充意見書
高橋克也氏の弁護人を代表して
弁護士 高野隆
追伸:われわれ弁護団はこれまでマスコミ関係者の個別取材には一切応じてきませんでした。その姿勢は今後も維持します。ただ、東京地裁によるメディア向けの広報では不十分な点があり、一部で誤った報道がなされるという事態が生じました。そこで、必要に応じて手続の重要な出来事について広報をすることにしました。
死刑囚証人と傍聴人との間の遮へいについて
本日午前11時から行なわれた第10回公判前整理手続において、東京地方裁判所刑事第6部(中里智美裁判長)は、死刑囚5名を含む検察側証人6名について、検察官の請求どおり傍聴人と証人との間の遮へい措置をとるとの決定をしました。この決定に対してわれわれは「公開裁判を受ける被告人の権利を侵害する」「刑事訴訟法が要求する必要性は立証されていない」と異議申立てを行いましたが、裁判所はわれわれの異議を棄却しました。その際に行なわれた主なやりとりは以下のとおりです。
裁判長:検察官から申出のあった遮へい措置について、次のとおり決定します。6名の証人の尋問に際しては、傍聴人と証人との間で相互に相手の状態を認識することができないようにするための措置をとることにします。
高野弁護人:裁判長、なぜ遮へい措置が必要なんでしょうか。
裁判長:異議ですか。
高野弁護人:異議をこれから述べますが、異議の理由をきちんと述べるためには、決定の理由を知る必要があります。遮へい措置の決定の理由を教えて下さい。検察官の主張を全部認めるということですか。
裁判長:刑訴法がいう「相当と認めるとき」に当たるということです。
高野弁護人:それは法律に書いてあるので分かります。なぜ「相当」なのかご説明いただけないですか。
裁判長:法律の要件に当たるということです。
高野弁護人:……それでは、裁判所の決定に対して異議を申し立てます。遮へい措置は被告人の公開裁判を受ける憲法上の権利に対する重大な制約です。したがって、その措置をとる場合には、それが必要であることが説明される必要があります。法律の条文をオウム返しに言うだけでは理由を述べたことにはなりません。行政処分に関する最高裁判所の判例は、国民の権利を制約する処分を行うときは単に法律の条文に該当するというだけでは足りない;それを基礎づける事実の説明が必要だと言っています。憲法上の権利を制約するためには、その必要性を基礎づける事実が証明されなければなりません。裁判所の今回の決定をするにあたって、そのような事実は何一つ証明されませんでした。今回の遮へい措置の決定は、被告人の憲法上の権利を侵害するものであり、最高裁判所の判例の趣旨にも反します。
裁判長:弁護人の異議に対するご意見は。
神田検察官:異議には理由がないものと思料します。
裁判長:異議は棄却します。
坂根弁護人:ひとこと述べます。この間われわれ弁護人は裁判所からの様々な要請に対して誠実に対応してきました。釈明や書面の提出要求に対して迅速に応じてきました。法曹三者が協力して裁判員にとって分かりやすい裁判を実現するために最大の努力をしてきました。ところが裁判所は遮へい措置という重大な決定をするに当って理由をなにも説明しないという態度をとるというのは三者の信頼関係を損なうものと言わざるを得ません。
裁判所は本日の手続について報道機関に配布する広報用メモの案を配布しました。そこには「本日、第10回公判前整理手続期日を、被告人出席の上で開いた」とあるだけで、あとは次回期日の日程しか書かれていませんでした。そこで、次のやりとりがありました。
高野弁護人:この広報メモには遮へい措置を採る決定をしたことが書かれていません。これは裁判の公開に関する重要な決定ですから、広報する必要があると思います。
裁判長:遮へい措置を採ることについて裁判所から広報することはしません。
結局、なぜ遮へい措置をとるのかについて、裁判所は一切明らかにしませんでした。われわれはこの事件において証人と傍聴人との間の遮へい措置を採ることは刑事被告人の公開裁判を受ける権利を侵害すると同時に、公開裁判への公衆の権利=裁判を傍聴する公衆の権利を侵害すると考えます。なぜそのような重大な決定をしたのかわれわれには知る権利があります。この問題を訴訟当事者限りで議論すべきだとは思いません。そこで、遮へい措置を要求した検察官の申出書とわれわれの反対意見書の全文を公開することにします。
検察官の10月27日付証人尋問に関する申出書
弁護人の10月30日付遮へい申し出に対する意見書
弁護人の11月5日付遮へい措置申し出に対する補充意見書
高橋克也氏の弁護人を代表して
弁護士 高野隆
追伸:われわれ弁護団はこれまでマスコミ関係者の個別取材には一切応じてきませんでした。その姿勢は今後も維持します。ただ、東京地裁によるメディア向けの広報では不十分な点があり、一部で誤った報道がなされるという事態が生じました。そこで、必要に応じて手続の重要な出来事について広報をすることにしました。
2014年10月31日
高橋事件弁護団広報2014年10月31日
死刑囚証人と傍聴人との間の遮へいについて
東京地方裁判所刑事第6部が証人尋問を決定した井上嘉浩氏らについて、検察官は、10月27日付書面で、刑事訴訟法157条の3第2項に基づき、各証人と傍聴人との間に遮へい措置を講じることを求める申出をしました。検察官は、これらの証人がいずれも死刑確定者であることから、多数の傍聴人の見守る法廷に出頭することで「再び社会に戻りたいという気持ち」から「自暴自棄になって第三者を巻き添えに生命を賭して逃走を図るなど、裁判員、裁判官その他の裁判所職員、弁護人、検察官、さらには一般市民である多数の傍聴人等に対する殺傷事案を引き起こすことになりかねない」と述べています。また、彼らを「奪還」したり「襲撃」する者が出てくる危険性があると検察官は主張しています。
われわれ弁護団は、検察官の要求は理由がないとして遮へい措置を講じることに反対しており、10月30日、反対の意見書を提出しました。われわれは、裁判公開原則を定める憲法82条1項や刑事被告人の公開裁判を受ける権利を保障する憲法37条1項にもとづいて、裁判を傍聴する市民には証人の証言を音声で聞くだけではなく、証人の証言態度やその表情、しぐさを観察する権利があると考えます。そうでなければ、刑事裁判を市民が監視し裁判が公正に運用されることを保障しようという憲法の趣旨は全うされません。
「殺傷事案」とか「奪還」「襲撃」などという検察官の見込みにはなんらの具体性もなく、刑事訴訟法157条の3の要件は全く立証されていません。仮に万が一そうした犯罪行為が行われる危険性があるとしたら、証人と傍聴席の間にスクリーンを設置するようなことでそれを防ぐことなど不可能です。
さらに、遮へいは井上氏ら証人自身が望んでいるわけでもありません。彼らはむしろ、公開の法廷できちんと証言することを希望しています。検察官による遮へいの要求は、彼ら証人のためというよりは、死刑囚を衆目にさらすことを極力厭う拘置所の前近代的な体質によるものです。
この遮へい要求は、刑事被告人の権利を侵害するというだけではなく、国民の知る権利や報道機関の報道の自由を侵害する、極めて重大な憲法問題です。この要求が認められ遮へいが実施されたら、傍聴人はこの事件の事実関係を語る証人の様子を全く観察することができなくなります。この事件の公判の一部がこうした秘密の審問の様相を呈して行われることは、わが国の刑事裁判の歴史に大きな汚点を残すことになると考えます。こうした措置が、国民の目から閉ざされた非公開の手続(公判前整理手続)のなかで決定されようとしていることに、われわれは大きな危惧を感じます。そこで、裁判所が誤った決定をする前にこの出来事を国民に伝えるべきだと判断しました。
高橋克也氏の弁護人を代表して
弁護士 高野隆
追伸:われわれ弁護団はこれまでマスコミ関係者の個別取材には一切応じてきませんでした。その姿勢は今後も維持します。ただ、東京地裁によるメディア向けの広報では不十分な点があり、一部で誤った報道がなされるという事態が生じました。そこで、必要に応じて手続の重要な出来事について広報をすることにしました。
死刑囚証人と傍聴人との間の遮へいについて
東京地方裁判所刑事第6部が証人尋問を決定した井上嘉浩氏らについて、検察官は、10月27日付書面で、刑事訴訟法157条の3第2項に基づき、各証人と傍聴人との間に遮へい措置を講じることを求める申出をしました。検察官は、これらの証人がいずれも死刑確定者であることから、多数の傍聴人の見守る法廷に出頭することで「再び社会に戻りたいという気持ち」から「自暴自棄になって第三者を巻き添えに生命を賭して逃走を図るなど、裁判員、裁判官その他の裁判所職員、弁護人、検察官、さらには一般市民である多数の傍聴人等に対する殺傷事案を引き起こすことになりかねない」と述べています。また、彼らを「奪還」したり「襲撃」する者が出てくる危険性があると検察官は主張しています。
われわれ弁護団は、検察官の要求は理由がないとして遮へい措置を講じることに反対しており、10月30日、反対の意見書を提出しました。われわれは、裁判公開原則を定める憲法82条1項や刑事被告人の公開裁判を受ける権利を保障する憲法37条1項にもとづいて、裁判を傍聴する市民には証人の証言を音声で聞くだけではなく、証人の証言態度やその表情、しぐさを観察する権利があると考えます。そうでなければ、刑事裁判を市民が監視し裁判が公正に運用されることを保障しようという憲法の趣旨は全うされません。
「殺傷事案」とか「奪還」「襲撃」などという検察官の見込みにはなんらの具体性もなく、刑事訴訟法157条の3の要件は全く立証されていません。仮に万が一そうした犯罪行為が行われる危険性があるとしたら、証人と傍聴席の間にスクリーンを設置するようなことでそれを防ぐことなど不可能です。
さらに、遮へいは井上氏ら証人自身が望んでいるわけでもありません。彼らはむしろ、公開の法廷できちんと証言することを希望しています。検察官による遮へいの要求は、彼ら証人のためというよりは、死刑囚を衆目にさらすことを極力厭う拘置所の前近代的な体質によるものです。
この遮へい要求は、刑事被告人の権利を侵害するというだけではなく、国民の知る権利や報道機関の報道の自由を侵害する、極めて重大な憲法問題です。この要求が認められ遮へいが実施されたら、傍聴人はこの事件の事実関係を語る証人の様子を全く観察することができなくなります。この事件の公判の一部がこうした秘密の審問の様相を呈して行われることは、わが国の刑事裁判の歴史に大きな汚点を残すことになると考えます。こうした措置が、国民の目から閉ざされた非公開の手続(公判前整理手続)のなかで決定されようとしていることに、われわれは大きな危惧を感じます。そこで、裁判所が誤った決定をする前にこの出来事を国民に伝えるべきだと判断しました。
高橋克也氏の弁護人を代表して
弁護士 高野隆
追伸:われわれ弁護団はこれまでマスコミ関係者の個別取材には一切応じてきませんでした。その姿勢は今後も維持します。ただ、東京地裁によるメディア向けの広報では不十分な点があり、一部で誤った報道がなされるという事態が生じました。そこで、必要に応じて手続の重要な出来事について広報をすることにしました。