憲法的刑事手続

2023年07月10日

再審開始決定が確定した袴田事件について、検察側が再審公判で有罪立証をする方針だという。

しかし、日本の再審制度の実態を前提に考えると、再審請求審で再審開始決定がなされた事件について、さらに公判を行い、検察側に有罪立証の機会を与えるということは、同じ事実について2度刑事訴追すること(二重起訴)に等しいのであって、それを禁じた日本国憲法39条に違反すると思う。

日本の再審とコモンロー系諸国の再審(new trial)とは、言葉は同じでも全く異なるものである。コモンロー系諸国では、通常の上訴手続(appeal)あるいは人身保護手続(habeas corpus)によって、有罪判決に至る手続に憲法違反や重大な法令違反があったと認定されれば――有罪認定に誤りがあるかどうかに関係なく――、事件は公判裁判所に差し戻され、公判は最初からやり直される。上訴や人身保護の審理では有罪か無罪かをめぐる証拠調べは行われていないので、再審(new trial)で事実審理を行うことは二重の危険(double jeopardy)の禁止を定めた合衆国憲法第5修正に違反しない。

日本の再審手続はこれと全く異なる。審理の対象が違う。日本の再審手続では手続の法令違反は審理されない。日本の再審手続で審理されるのは有罪判決の事実認定の誤りである。「有罪の言渡しを受けた者に対して無罪[…]を言い渡[す]べき明らかな証拠をあらたに発見したとき」(刑事訴訟法435条6号)に再審が「開始」されることになっている(同法448条1項)。

日本では、再審開始が決めれられた段階で、すでに、3人の職業裁判官による評議によって――即時抗告と特別抗告が行われた場合には、合計11人の裁判官によって――「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があると判断されてしまっているのである。その決定がなされるまでの間に、検察官は有罪判決に誤りはないと主張してそれを支える証拠を提出する機会が与えられている。その決定に対する不服申立の機会まで与えられている。

このうえさらに公判審理を行って有罪か無罪かを決めるというのは、単に迂遠で時間や経費の無駄使いだというにとどまらない。強大な権力と莫大な資金力を持つ政府にそうした権力や資金と無縁な個人を訴追する機会を繰り返し与えることにほかならない。それは日本国憲法が禁じる二重の危険(double jeopardy)そのものではないだろうか。実態に即して言えば、それは同じ犯罪事実について2度起訴され2度裁判を受けるのに等しい負担を個人に課すものである。

二重の危険禁止の意味について説明したアメリカ連邦最高裁の次の説示は、その憲法を承継したこの国の刑事裁判にも当てはまると思う――「政府は、その有する全ての資源と権力とを用いて個人を断罪する試みを繰り返すことによって、彼をして困惑させ、出費をさせ、試練にさらし、持続する憂慮と不安のうちに生きることをやむなくさせ、そして、無罪であっても有罪とされる危険を高めるようなことをしてはならないということである」Green v. United States, 355 U.S. 184 (1957), at 187-188.


plltakano at 17:45│コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2023年03月09日

1「裁判員量刑検索システム」

最高裁判所事務総局刑事局(以下「刑事局」)は、2008年4月1日に「Web版量刑検索システム」の運用を開始した。現在行なわれている「裁判員量刑検索システム」(2012年3月26日運用開始)はそれを引き継いだものである(1) 。このシステムは裁判員裁判において裁判官と裁判員が行なう量刑に関する評議の場で活用することを主たる目的として構築されたものであり、評議の際に裁判官が裁判員にその検索結果を「示す」ことが予定されている(2) 。

最高裁刑事局長の「事務連絡」によると、「刑事局において本システムの運用事務を分掌する係の担当課長補佐」がシステムの管理者である (3)。また、この管理者から指名された者も管理者と同一の権限を有する(4) 。現在まで、「分掌する係」が何を指すのか、その「課長補佐」が誰なのか、そして、その課長補佐から指名された、「管理者と同一の権限を持つ者」が誰なのかは一切公表されていない。

また、刑事局長事務連絡によれば、「地方裁判所本庁及び支部(合議事件を取り扱う支部に限る。)に所属する刑事事件担当裁判官」は、システムにデータを登録する権限(「登録権限」)を持っているとされ (5)、各庁ごとに「登録権限を有する者の中から、登録担当者を決める」ことになっている(6) 。しかし、各庁(地方裁判所本庁及び支部)の誰が登録担当者なのかも全く公表されていない。

前述の「管理者から指名された者」は「承認担当者」として、登録されたデータを点検し、不備がなければ「承認処理」を行なう (7)。この承認処理によってデータは検索対象となり、全国の端末から参照可能となる (8)。しかし、この「承認担当者」が誰なのかも不明である。さらに、具体的にどのような方法で「承認処理」を行っているのかもわからない。登録されたデータが幾つであり、そのうちどのくらいのデータが承認を得られなかったのか、その理由が何なのかも公表されていない。

刑事局は、量刑検索システムへの「データ登録のルール」(以下「刑事局ルール」)を定めている。2014年改訂版によると、「有罪判決が宣告された裁判員裁判対象事件」のほか「法定合議事件の一部(強姦、非現住建造物等放火等)」も対象となっている(刑事局ルール1頁)。データの登録は処断罪を基準にそれぞれの事件の特定事項――判決日、裁判所、事件番号、求刑、判決結果等)――と量刑因子――動機、凶器の有無、傷害の程度、被害者の落ち度、共犯関係、被告人から見た被害者の立場、被告人の懲役前科、被告人の反省、示談等――をプルダウンから選択することになっている。プルダウン方式であるから、入力者は自由に項目を設けたり、記述することはできない。

この「データ登録のルール」がどのような検討の末に、誰によって作成されたのか、全く不明である。なぜ裁判員裁判対象事件のほかに「法廷合議事件の一部」を含むことにしたのかも不明である。その「一部」以外の事件を含めなかった理由もまた不明である。量刑因子として登録する項目を決めたのは誰か。どのような論理や基準によってそれを定めたのかも分からない。

検索されたデータは、「量刑分布表」と「量刑グラフ」と「事例一覧表」という形式で出力される。また、検索条件に該当する各事件の登録内容を事件ごとに表示した「個別事件票」を出力することができる。しかし、いずれの出力形式についても、個別事件を識別する情報――被告人名、裁判所名、裁判官名、事件番号等――は一切表示されない (9)。したがって、検索結果から元になった判決を参照することもできない。

2 民主的正当性が全くない

量刑検索システムというデータベースを作成すること、そして、それを裁判員裁判の量刑判断の資料として利用することを定めた法律は存在しない。裁判員法にも裁判員規則にも量刑検索システムの作成や利用を認める規定は全くない。そもそも、裁判員制度を提言した司法制度改革審議会においても、その提言に基づいて裁判員制度を具体的に設計した司法制度改革推進本部・刑事検討会においても、そしてまた裁判員法の審議を行った国会においても、裁判員が量刑について過去の裁判例をまとめた参考資料を用いて量刑判断を行うことなど、一度も議論されたことはない(10) 。

量刑検索システムは一般市民に公開されていない。国会議員も見ることができない。刑事司法を研究する学者もその内容を知ることはできない。前述のように、その作成のプロセス――どのような議論に基づいて、いつ、誰が、どのような資料に基づいて量刑因子を決めたのかなど――が一切不明である。その正確性や公正さを第三者が検証することは全くできない。いわばシステム全体が一つのブラックボックスとなっている。

弁護士は裁判員裁判対象事件を受任したときに限りシステムを利用することができる。事件が係属する担当部の書記官室に赴き、そこに設置された端末で検索条件を入力すると、それに該当する事件の「量刑グラフ」、「量刑分布表」と「個別事件票」を見ることができる。それらをプリントアウトすることもできる。しかし、その用紙には「被告人・閲覧可、交付不可」という注意書きがある。弁護人は自分の依頼人に検索結果を見せることはできるが、プリントアウトしたデータを依頼人に渡すことは禁じられるのである。どの法律に基づいて、被告人と弁護人との間の情報共有にこうした制限を加えることが可能なのか、不明である。

検索結果として得た判決の事件を識別する情報を得ることはできない。弁護人は検索結果を利用してもとの事件の判決文の謄写等を行って、判決文を確認することができない。したがって、出力データが正確かどうか、出力された項目以外にどのような量刑因子が存在したのかを点検することはできない。また判決に関与した裁判官が誰なのかも全く不明である。要するに、法律上の根拠もなく、誰が何に基づいて作ったのかも分からない、データベースソフトがインストールされたパソコンのモニターに表示された「検索結果」が1人の人間の運命を決めているのだ。

東京高等裁判所2022年7月7日判決(11)は、「量刑判断は、特段の必要性がある場合を除き、個々の過去の裁判例といちいちの事情を比較して重くしたり軽くしたりする性質のものではないと解され、裁判員量刑検索システムに入力された事例の判決文が出力、特定等できないことも問題ない」などと言う。さらには、正確性が担保されていないとしても、また、「[入力]ミスが生じたことをもって、裁判員量刑検索システム自体の利用に支障が生じているものとも認められない」とも言っている。要するに、入力元となった判決文が不明のままでも、入力データの正確性が検証されなくとも、さらには入力に誤りがあっても、問題ないというのである。しかし、入力データに誤りがあるにもかかわらず、そのデータに基づいて評議され決定された判決が正当であり、被告人にその執行を甘受せよと、どうして主張することができるというのだろうか?こうした論法が許されるなら、有罪判決の基礎となった証拠が偽造された証拠であっても、確定した判決は有効なものであり、被告人はそれに従うべきだと言うのと同じである。少なくとも、現在のこの国の刑事訴訟法はそうした立場には立っていない(刑訴法435条1号)。

量刑検索システムの目的が個々の裁判例と裁判対象となる事件との「いちいちの事情」を比較するためにあるのではなく、「目安」としての「おおまかな量刑傾向」(12) を知るためのものに過ぎないとしても、だからといって入力元の判決を特定できなくて良いということにはならない。その「大まかな量刑傾向」を構成しているのはまさに一つ一つの判決なのである。個性ある一つ一つの事件のなかから、限られた「量刑因子」を選定して集めたデータの検索結果が果たして実際の判決を公正に反映したものなのか、実際の判決にはデータベースに反映されていないが実質的に判決結果に影響を与えた別の「量刑因子」があったのではないかといった疑問は常に起こりうるのであり、そうした疑問を検証する機会を訴訟当事者に与えないというのは明らかにアンフェアである。また、一般市民や立法機関がそうした検証を絶えず行うことで、データの正確性は保持されるのである。こうした検証に耐えてこそ、それは被告人の運命を決する重大要素である「大まかな量刑傾向」を示すものとして機能する正当性を主張することができるのである。

3 証拠裁判主義違反

(1)証明対象としての「量刑傾向」
最高裁判所第1小法廷2014年7月24日判決は、裁判所の量刑判断の公平性を担保するためには、これまでの裁判例の集積によって形成された、犯罪類型ごとの量刑傾向を考慮しなければならないとした。

我が国の刑法は,一つの構成要件の中に種々の犯罪類型が含まれることを前提に幅広い法定刑を定めている。その上で,裁判においては,行為責任の原則を基礎としつつ,当該犯罪行為にふさわしいと考えられる刑が言い渡されることとなるが,裁判例が集積されることによって,犯罪類型ごとに一定の量刑傾向が示されることとなる。そうした先例の集積それ自体は直ちに法規範性を帯びるものではないが,量刑を決定するに当たって,その目安とされるという意義をもっている。量刑が裁判の判断として是認されるためには,量刑要素が客観的に適切に評価され,結果が公平性を損なわないものであることが求められるが,これまでの量刑傾向を視野に入れて判断がされることは,当該量刑判断のプロセスが適切なものであったことを担保する重要な要素になると考えられるからである。

この点は,裁判員裁判においても等しく妥当するところである。裁判員制度は,刑事裁判に国民の視点を入れるために導入された。したがって,量刑に関しても,裁判員裁判導入前の先例の集積結果に相応の変容を与えることがあり得ることは当然に想定されていたということができる。その意味では,裁判員裁判において,それが導入される前の量刑傾向を厳密に調査・分析することは求められていないし,ましてや,これに従うことまで求められているわけではない。しかし,裁判員裁判といえども,他の裁判の結果との公平性が保持された適正なものでなければならないことはいうまでもなく,評議に当たっては,これまでのおおまかな量刑の傾向を裁判体の共通認識とした上で,これを出発点として当該事案にふさわしい評議を深めていくことが求められているというべきである(13) 。


最高裁は、量刑判断において、「これまでの大まかな量刑の傾向」を「裁判体の共通認識」とすることが必要であると言ったのである。他方で、最高裁は、その方法について何も言っていない。「量刑検索システム」を利用せよとも勿論言っていない。最高裁は、しかし逆に、どんな方法でも良いとも言っていない。したがって、実際の刑事裁判において、どのような手続に基づいて「これまでの大まかな量刑傾向」を「裁判体の共通認識」にすることが正しいのかを検討する必要がある。

最高裁が言う「量刑傾向」とは、「犯罪類型ごと」の裁判例の集積である。ここに言う「犯罪類型」とは、単なる罪名ではないし、刑法が定める犯罪構成要件を指すのでもない。最高裁は「行為責任」とか「当該犯罪行為にふさわしいと考えられる刑」を考えるという文脈で「犯罪類型」と言っているのであるから、犯罪構成要件の要素をさらに細かく分類選別することを要求していることは明らかであろう。それは有罪とされた犯罪事実に含まれる諸事情――犯行の態様・動機・被告人の地位・役割(共犯関係)等――を一定の基準にしたがって分類し、その分類にそって裁判例を再評価するということである。そうすると、決定的に重要なのは、「犯罪類型」をどのように分類するかということであり、その分類項目を評価するものさしとして何を設定するかということである。

そして、審判対象となっている事件があらかじめ設定された犯罪類型ごとの分類に、該当するのかどうかが決定的に重要である。これは犯罪構成要件に関する事実認定と同じ認定判断の構造である。当事者間において争いが生じうるし、裁判体と当事者の間でも見解の相違が生じうる。たとえば、犯罪の動機について、「経済的利益を得ること」か「名誉を守るため」かという分類をすることが正しいのか;犯行に「凶器」を使ったのかどうか、凶器が「刃物」か「拳銃」か「それ以外」かに分けることは正しいのかについて論争が生じ得る。そして、取り上げられている裁判例が実際にその動機や凶器の有無などを事実として認定したのかどうかについても、争いが起こりえるのである。

このように、「量刑傾向」なるものは、訴訟の帰趨(量刑)に決定的な影響を与える事項であり、訴訟の当事者間において争いの対象となりえるものなのであって、したがってそれは証拠によって認定判断すべき事柄なのである。

(2)厳格な証明の対象である
要するに、最高裁が言う「裁判例の集積」に基づく「目安」としての「量刑傾向」なるものは、訴追の対象となっている犯罪事実の認定に匹敵する、決定的に重要で論争の対象となりうる事実認定の問題なのである。したがってこれは「厳格な証明」を要する事実である。すなわち、量刑傾向を立証する証拠は、刑事訴訟法320条以下の伝聞法則の適用を受けるのであり、法廷外で作成された供述証拠(書面)の内容を証拠とするのであれば、その作成者が法廷で証言するか、あるいは、その書面が伝聞例外規定(刑訴法323条各号)に該当することが証明されなければならない。

いずれにしても、当事者には量刑傾向についての主張・立証の機会が与えられるだけではなく、相手方の主張・立証の内容を予め知り、それに反駁し反証を行なう機会が与えられなければならない。そして、裁判所が職権で量刑傾向を立証しようとする場合には、当事者双方にその内容を知り、意見を述べ、かつ、反証の機会が与えられなければならない。

そうした手続を踏まずに、量刑傾向の内容を一方的に、当事者が知らなううちに、裁判体に提供することは、証拠裁判主義(刑訴法317条)に違反し、ひいては、公平な裁判所による公正な裁判を受ける権利(憲法37条1項、2項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条2項)を侵害すると言わなければならない。

(3)「証拠による証明」が必要である
仮に、「これまでの大まかな量刑傾向」は、量刑に関する事実であるから、「厳格な証明」は必要ではなく、「自由な証明」で足りるという見解を採用したとしても、評議室の中で裁判官と裁判員だけで量刑検索システムを利用することが違法であることに変わりはない。なぜなら、「自由な証明」も証明手続の一種なのであって、公判廷に顕出して当事者双方と事実認定者の吟味に付することもなく、秘密裏に量刑判断の資料にすることが許されているとはとうてい考えられないからである。

最高裁判所第2小法廷1949年2月22日判決は、原判決が、執行猶予に付さなかった理由について証拠を引用して説明しなかったことが証拠裁判主義に反するという上告趣意に対して、情状に関する理由は判決にその判断を示す必要もなく、その証拠理由を示す必要もないとして退けたが、「刑の執行を猶予すべき情状の有無と雖も、必ず適法なる証拠にもとずいて、判断しなければならぬことは所論のとおりである」とした(14) 。また、最高裁判所第1小法廷1950年10月5日判決は、死刑事件に対する被告人の控訴を棄却した原判決が「その結果の社会に及ぼす影響もまた甚大である点」を「斟酌」したと言いながら、その証拠を挙げていない点は証拠裁判主義に反する(したがって、法定手続を保障した憲法31条に違反する)とした上告趣意に対して、「刑の量定に関する事項については記録上これを認むべき証拠あるを以て足り訴訟法上証拠を掲げてこれを説明するを要するものでない」と判示した(15) 。このように、最高裁判例は、「犯情」ではない単なる情状に関する事実についても、一切の証拠なしにこれを認定したり、あるいは、訴訟手続に登場しない秘密の場所で資料を検討するなどということを決して認めてはいないのである。むしろ、単なる情状に関する事実についても、その判断の根拠となる資料は、証拠として公判廷で吟味されることを要求していると言うべきである (16)。

裁判官や裁判員は、評議室に何でも持ち込みそれを参照して良いというわけではない。証拠として採用され法廷で取調べられてもいない「資料」を評議室に持ち込むことは許されないのである。誰かがインターネットで検索した結果を評議室に持ち込んで評議の材料にすることが許されないように、証拠として取り調べれていない量刑検索システムの検索結果なるものを評議室に持ち込むことは、証拠裁判主義に違反するのである。

量刑検索システムの検索結果は訴訟記録に編綴されていない。それが不当な内容であったとしても、上訴審はそれを審査できないのである。刑事訴訟法は、上訴審の審査対象となるべき訴訟手続を示す資料は、全て訴訟記録のなかに収められなければならない言っているのである。だから、上訴した当事者はその上訴理由を原審の訴訟記録のなかから見つけ出さなければならないのである。例えば、量刑不当の控訴趣意は「訴訟記録及び原裁判所において取調べた証拠にあらわれている事実」を援用しなければならない(刑訴法381条)。証拠として取調べられていない、訴訟記録に編綴されてもいないものに基づいて量刑判断をすることは、この法の建前と明らかに矛盾する。

(4)量刑傾向の認定は「判例調査」ではない
前出の2022年東京高裁判決は、量刑傾向を把握することは「法規の解釈のために裁判例等を調査することなどと同様の作用」だと言う。しかし、これは明らかな誤りである。

刑の量定が「法規の解釈」ではないことは明白である。裁判員法は法令の解釈は裁判官の専権事項であるとする(裁判員法6条2項1号)一方、刑の量定は、裁判官と裁判員の合議によって決すべき事項であるとしているのである(同項3号)。すなわち、法的な教育や訓練を受けていない普通の市民が、その社会常識を駆使して証拠を検討することによって、適正な量刑判断に到達することができることを法は予定しているのである。2014年第1小法廷判決は、前述したように、「大まかな量刑傾向」を「目安」「出発点」として「当該事案にふさわしい評議を深めていくこと」が必要であると言っている。この量刑傾向の調査が裁判官の専権に属するなどとは一言も言っていない。そのような解釈はそもそも裁判員法に明白に違反するのである。

「大まかな量刑傾向」が何であるかを裁判員が――裁判官と対等の立場で――認定判断できるためには、検察官と弁護人の双方がそのことを立証テーマとして主張し合ったうえ、その裏付けとなる適切な証拠――具体的な裁判例や、量刑や処遇などに関する専門家証言など――を提出し合い、弁論を行い、それらを見聞した上で、評議室に臨むという仕組みがあれば良いのである。そして、この仕組みこそ、証拠裁判主義・公判中心主義に基づく事実認定の仕組みにほかならないである。

東京高裁判決は、量刑判断の過程――その中核である量刑傾向の認定過程――を法令解釈と異ならないなどという独自の見解(裁判員制度を無視した見解)に基づいて、刑事裁判のもっとも中核的な価値である証拠裁判主義・公判中心主義をなし崩しにしようとするものである。

5 裁判官の独立への侵害

裁判員裁判においては、被告人の量刑は裁判官と裁判員の評議によって決定される(裁判員法6条1項3号)。この評議において、裁判官と裁判員の意見の重みは同等である。裁判員には裁判官の量刑に関する意見に従う義務などない。量刑の前提となる証拠の評価は、裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられる(同法62条)。量刑判断の前提となる量刑傾向についても、その判断は裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられなければならないのである。量刑傾向を構成する裁判例を分類するための「犯罪類型」として何が重要かを判断するのも、裁判官と裁判員の権限に属するのである。そして、その犯罪類型を評価するための基準として何を設定するかについても、裁判官と裁判員は対等の立場で議論できなければならないのである。

前述したように、「量刑検索システム」は最高裁判所事務総局刑事局長という司法行政機関が運営しているデータベースであり、司法行政文書である。そうした文書が裁判の結果に重大な影響を与えることなど、日本国憲法の下では決してあってはならないことである。ところが、現実にそれが平然と全国の裁判所で行なわれているのである。しかも、データの基礎となっている裁判例は全く特定されておらず、データの正確性を検証することも全く不可能である。さらに、裁判例を分類するための類型すなわち「量刑因子」の選択もそれを評価するためのものさしも、刑事局長名の「事務連絡」や「ルール」によって恣意的に決められているのである。何が重要な量刑因子であり、それをどのような基準で評価するべきかは、各事件を担当する裁判官と裁判員が評議の上で決めるべきことである。司法行政機関がその権限に介入することなど許されないことは明らかである。

「量刑検索システム」の利用は、刑の量定が裁判官と裁判員の対等な評議によって決せられるべきことを定めた裁判員法6条1項3号に違反する。またそれは裁判官の独立を保障した日本国憲法76条3項に違反する。そしてまたそれは、「独立の・・・裁判所による・・・審理」を保障する市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項にも違反する。

6 結論

罪刑の均衡は正義の要である。犯人が犯した罪にふさわしい刑罰が課されなければならない。それと同時にそれは公平なものであるべきである。公平さを担保するための一つの装置として、それまでの裁判例の集積から導かれる「量刑傾向」を参照するというのは、決して間違ってはいない。問題なのは、その手続である。

「量刑傾向」として何が認められるのかは、単純明快な事実ではない。争いの余地が多分にある。そうであるにも関わらず、それは最終的に「裁判体の共通認識」として認定され、被告人の量刑に決定的な影響を与えるのである。そうであれば、「量刑傾向」を認定する手続が公開の法廷で厳格になされなければならないことは当然であろう。

それを実現する方法はいくつもある。そのためには、まず、全裁判例を公開することが必要である。そうすることで、問題の殆どは解消されてしまうであろう。検察と弁護は、公刊された裁判例をもとに、「量刑傾向」が何かを主張・立証すれば良い。その主張に異論があれば、裁判例を特定して反論すれば良いのである。裁判例の内容やその解釈に争いがあれば、判決文を証拠請求すれば良い。当事者が証拠請求した判決文や判例集は同意書証(326条)あるいは伝聞例外に該当する証拠(323条1号)として許容性が認められるであろう。

一般国民にとっても法律家にとっても正体不明のブラックボックスである「量刑検索システム」などを利用する必要は全然ない。司法行政文書に頼った刑事裁判など現代の国際社会において信頼されるはずはない。一刻も早く廃止されなければならない。

【注】
(1) 2012年3月23日付刑事局長事務連絡。
(2) 司法研修所編(井田良、大島隆明、園原敏彦、辛島朗)『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』(法曹会2012)、26頁(「裁判官としては、裁判員から抵抗感を示されたとしても、評議において、量刑資料を示すことをちゅうちょする必要はない。」)。
(3) 前注1の刑事局長事務連絡に添付された「改正後の運用要領」第3の2。
(4) 同前、第3の3。
(5) 同前、第3の4、第1の1。
(6)同前、第5の3。
(7)同前、第6の1。
(8)同前、第6の2。
(9)同前、第8。
(10)趙誠峰「裁判員量刑検索システムの違憲性」大澤恒夫ほか編『民主的司法の展望:四宮啓先生古希記念論文集』(日本評論社2022)、278、280頁。
(11) 東京高裁第10刑事部2022年7月7日判決(同裁判所令和4年(う)第225号)公刊物未搭載。私は同事件の弁護人の一人であり、本稿は同判決に対する上告趣意書の一部に加筆したものである。なお、上告審である最高裁第1小法廷は、2023年3月8日、われわれの上告趣意を「実質は単なる法令違反[]の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」と言って棄却した。
(12) 最1小判2014・7・24刑集68-6-925、928〜929頁。
(13) 刑集68-6、928〜929頁。強調は引用者。
(14) 最2小判1949・2・22刑集3-2-221、222頁。強調は引用者。
(15) 最1小判1950・10・5刑集4-10-1875、1876頁。強調は引用者。
(16) 最高裁判所第2小法廷1952年12月27日決定は、控訴審の弁論終結後に検察官が裁判所に直接送付した前科調書に基づいて、弁論を再開せずに、したがって、前科調書の証拠調べもせずに、そのまま前科を認定して「執行猶予の言渡しを為すは相当ならず」と判決したという事案について、「所論の資料は単なる量刑判断に用いたものであって罪となるべき事実認定の証拠ではないから厳格な証拠調手続を履践することを要しない」とした。最2小決1952・12・27刑集6-12-1481、1482〜1483頁。この判例については強い批判がある。安廣文夫元東京高裁判事は「情状関係の証拠を公判廷に顕出することもしないで量刑判断の用に供するというようなことが、今日無条件に許容されるなどと考えるべきではあるまい」と述べている。河上和雄他編『大コンメンタール刑事訴訟法(第2版)第7巻』(青林書院2012)、366頁[安廣文夫]。



plltakano at 16:16│コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2022年10月08日

�� 再検討が必要である


 日本国憲法の施行(1947年)から数年しか経過していない時期においては、まだ、憲法の制定過程に関する資料は十分に公開されておらず、また、憲法37条2項のもとになった合衆国憲法の修正条項の研究も十分ではなかった。

 1949年大法廷判決は、憲法37条2項前段の証人審問権は法廷に喚問された証人に対して被告人の反対尋問権を保障しただけである(「出廷したら尋問させれば良い」テーゼ)から、伝聞排除法則とは全く関係のない規定であると言う一方で、被告人において伝聞供述の供述者を尋問したければ、同項後段の強制手続権を行使して供述者を証人尋問すれば良いのだから、伝聞証拠を採用しても被告人の権利保護に欠けるところはない、と言った。しかし、この憲法解釈は、憲法の沿革に対する無知に由来する、まさに「独自の見解」である。すなわち、日本国憲法の制定過程から明らかなように、37条2項前段の証人審問権は合衆国憲法第6修正の対決権条項(confrontation clause)を承継するものであるのに対して、同項後段の強制手続権は同修正の強制手続条項(compulsory process clause)を承継するものなのである。前者は自己に不利益な供述をする人物と法廷で対決して反対尋問を行う権利であるのに対して、後者は自己に有利な供述をする人物を法廷に呼ぶために強制手続を利用する権利である[32] 。当時の最高裁裁判官は、この両者の違いを理解せず、前者を単なる法廷での尋問権と決めつけ、後者を敵対証人に対する反対尋問のための権利であると位置づけてしまったのである。

 1949年大法廷判決は、何一つ論証を試みることなく、憲法の歴史的沿革を無視した独自の見解――「出廷したら尋問させれば良い」テーゼにもとづいて、伝聞排除の憲法的基礎であるべき条項を伝聞排除とは無関係の規定であると宣言してしまった。その後の判例は、この説示の信憑性について自ら再検討しようとせず、金科玉条の如くにこの判例を引用して、被告人の違憲の主張を繰り返し退けてきたのである。

 1949年大法廷判決はそもそも刑訴法321条1項2号の合憲性を審査した判例ですならない。それは刑訴応急措置法に関する先例である。刑訴応急措置法は、旧刑訴法から新刑訴法への過渡期において、新憲法の要求をとりあえず必要最小限の範囲で満足させようと意図したものに過ぎない。文字通り「応急的措置」なのである。当時はそもそも反対尋問なるものについて法曹一般が理解しておらず、実際にも行われていなかったのである。このような時代的な制約のなかで、憲法の施行に間に合わせるために不十分ながらもその要求に応じようとするしかなかったのである。この意味で、応急措置法の合憲性をもって直ちに新刑訴法の合憲性を理由づけることはできないと言わなければならない [33]。

 憲法が施行された直後から1950年代中頃にかけての最高裁判例を概観して感じるのは、その議論の内容の希薄さと速やかに刑事手続の合憲判断をしなければならないという性急な意識である。一国の法令の憲法適合性を決定する「最終審裁判所」(“the court of last resort”)(憲法81条)である最高裁判所の行うものとして、その議論の内容のあまりの貧困さは目を覆いたくなるほどである。憲法の解釈をする以上、まずもって当該規定の歴史的沿革や制定過程を調査すべきであるが、最高裁判所の法廷意見は全くこれを行っていない。憲法37条2項の歴史的な沿革に多少なりとも触れたのは、1948年大法廷判決における栗山裁判官の反対意見のみである。

 当時は、まだ、憲法の制定過程に関する資料は十分に公開されておらず、憲法37条2項前段のもとになった対決権条項の研究も十分ではなかった。後述するように、その後に公開された憲法制定過程に関する文献や対決権条項の沿革に関する文献などを参照していれば、同項は、被告人を訴追する目的で行われ、被告人に対決・尋問の機会を与えずになされた尋問の結果を排除することを主眼とする規定であることが理解できたであろう。しかし、1949年大法廷判決は、そのような憲法解釈[34] を「独自の見解」[35] と言って排斥したのである。

 1949年大法廷判決の「出廷したら尋問させれば良い」テーゼには、いかなる意味でも論証というものが存在しない。要するに、「憲法の文言をそのように読むことができる」というだけである。また、同判決は、実質的根拠として、「もし被告人に不審不満の点があれば、憲法上の権利として、[…]其供述者の喚問を請求し、充分反対訊問をなし、その内容を明らかにすることができるのであるから」と言っているが、これが憲法の沿革に関する無知に由来すること、そして、実際には最高裁は被告人が請求すれば必ず証人喚問するつもりなどなかったこと(「最高裁の二枚舌」)は、前述した。これらの点をさておいても、被告人不在の場所で作成された法廷外供述を採用しても、供述者を後で法廷で尋問する機会を与えれば反対尋問権は十分保障されたと言えるということについても、論証はなされていない。法廷外の供述に対して、法廷で十分な反対尋問をするためには、供述者が法廷で、問題の法廷外供述を自己の供述であると認める必要がある[36] 。ところが、2号後段によって証拠請求される検察官調書の供述者のほとんどは、調書における供述を自己の真意に基づく供述であるとは認めないのである。要するに、事後的な反対尋問は、同時的な反対尋問の代用とはなり得ないのである。こうした点についても、1949年大法廷判決はもとより、今日までわが国の最高裁判事たちは全く検討したことがない。

 判例データベースで1948年以降の刑事事件に関する最高裁判所の憲法判断の件数を調べてみる[37] と、表1のとおりである。その推移をグラフにすると次のとおりである。


グラフ1刑事に関する最高裁憲法判例件数



 1948年には刑事事件に関して大法廷判決が83件、小法廷判決が112件、合計195件の最高裁判決があった。その後も1953年まで毎年100件を超える憲法判例があった(例外は1952年の79件)[38] 。年間200件の憲法判断をするということは、2日に1回以上のペースで憲法判断を示していることになる。きちんとした調査をする暇などなかったことは想像に難くない。刑訴応急措置法や新刑訴法制定直後の時期の諸判例は、憲法違反の上告が山積した時代に、「『適正手続』の原則に対する理解が十分でない中で、刑事司法・刑事手続の安定を図るため、急速に最高裁判所の判断を示す必要があり、暫定的に憲法判断を次々に示した」ものなのである[39] 。このような暫定的で拙速な憲法判断によってその後の実務が支配されている現状は不幸である。

 1995年に平場安治教授は次のように指摘した――「50年の経験を踏まえ、刑事手続に対する内外の批判もあることでもあり、新法施行直後の一連の最高裁判決を腰を据えて再検討すべきときにきている」[40] 。それからさらに30年近く経っているのに、そして「刑事手続に対する内外の批判」はますます大きくなっているのに、日本の最高裁は全く動く気配がない。われわれは、この国で刑事司法に携わっている職業人として、このままいつまでも手をこまねいている訳にはいかないとわたしは考える。われわれは今こそ、1940年末期から50年代前半にかけて最高裁判所が大量生産した刑事手続合憲判例を見直すべきである。
(つづく)

【脚注】
[32]田中・前注4、136頁は、この点を指摘していた。
[33]江家義男『刑事証拠法の基礎理論(訂正版)』(有斐閣1952)、100頁参照。
[34]1949年大法廷判決の上告趣意であると同時に、1948年大法廷判決の栗山裁判官の反対意見の趣旨でもあった。
[35]刑集3-6、790頁。
[36]後述の連邦最高裁のダグラス対アラバマ判決(1965年)を参照。
[37]TKC LEX/DBで「憲法」を検索語にして、各年の最高裁判所の刑事判例を検索した。
[38]2000年代以降、最高裁の憲法判断は最大で年間26件であり、大法廷判決は2011年に2件、2017年に1件あっただけで、あとはゼロ件である。
[39]平場安治「刑事訴訟法学と現実の刑事手続」季刊刑事弁護3‐12(1995)、13頁。
[40]同前。



plltakano at 23:23│コメント(1)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2022年09月30日

 明治時代から、犯罪捜査を行う公務員として、警察官とは別に検察官(検事)というものが存在していた。しかし、明治刑訴法(1890年)には検事や警察官が被疑者や参考人を尋問(取調べ)して、その供述を記録することができることを定めた規定はなく、そうした聴取書は無効であって、被告人の有罪を立証する証拠として利用することはできないというのが大審院の判例 [1]であった。しかし、1903年に大審院は判例を変更して、法律の規定によらずに「自由任意ノ承諾ニ出タル供述」を記録することは可能であり、そうして作成された聴取書も有効であって証拠として採用することができるとした[2]。大正刑訴法(1922年)は、しかし、法令上の権限がない者によって作成された法廷外供述の許容性を一般的に否定した。そのうえで、供述者が死亡や疾病のために法廷で尋問できない場合に限り例外的に聴取書を証拠として採用できるとした(大正刑訴法343条)[3] 。いずれにしても、検事が被疑者や参考人を尋問して作成した供述録取書(検事聴取書)の許容性について特別扱いをする規定は戦前には存在しなかった。

 ところが、1948年に制定され1949年に施行された昭和刑事訴訟法(現行刑事訴訟法)は、検事の作成する供述録取書に特別な地位を与えた。昭和刑事訴訟法は「公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」(320条)と宣言する一方で、「その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき、又は公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異なつた供述をしたとき。ただし、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するとき」には検事作成の聴取書を証拠にしても良いとしたのである(321条1項2号)。

 昭和刑訴法が制定される前年に施行された日本国憲法(1947年施行)には、詳細な刑事人権規定が定められており、その37条2項前段は「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ[る]」と定めていた。検察官調書の特別扱いについては、いち早く英米証拠法の専門家がその違憲性を指摘した[4] 。しかし、最高裁判所は、321条1項2号前段については1952年に、そして、同号後段については1955年に、それぞれ合憲判決を出した。

 その後今日まで70年間にわたって、刑事弁護人や一部の学者は、合憲判例は根拠が薄弱で説得力がないとして、同号の合憲性について繰り返し異議を唱えているが、今日に至るまで最高裁判所は当初の合憲判例を引用する以外に何らの応答もしていない。しかし、そうしたいわば惰性的な合憲判断によって良心的な違憲論者を納得させることは不可能である。同号については依然として内外から批判が根強い。本稿は、日本国憲法制定から間がない時期に出された合憲判決を分析し、それがほとんど論証と呼べるものを欠いた空論であることを明らかにする。そして、憲法37条2項前段の歴史と沿革を踏まえて、検察官調書を特別扱いする321条1項2号の違憲性は明白であることを改めて主張する。

�機々膩�判例には先例としての価値がない


刑訴法321条1項2号前段(証言不能)についての判例
 刑訴法321条1項2号前段が憲法37条2項に違反しないと述べた最初の最高裁判例は、1952年4月9日大法廷判決 である[5]。大法廷はこう述べた。

憲法37条2項は、裁判所が尋問すべきすべての証人に対して被告人にこれを審問する機会を充分に与えなければならないことを規定したものであつて、被告人にかかる審問の機会を与えない証人の供述には絶対的に証拠能力を認めないとの法意を含むものではない(昭和23年(れ)833号同24年5月18日大法廷判決判例集3巻6号789頁以下参照)。されば被告人のため反対尋問の機会を与えていない証人の供述又はその供述を録取した書類であつても、現にやむことを得ない事由があつて、その供述者を裁判所において尋問することが妨げられ、これがために被告人に反対尋問の機会を与え得ないような場合にあつては、これを裁判上証拠となし得べきものと解したからとて、必ずしも前記憲法の規定に背反するものではない。刑訴321条1項2号が、検察官の面前における被告人以外の者の供述を録取した書面について、その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明、若しくは国外にあるため、公判準備若しくは公判期日において供述することができないときは、これを証拠とすることができる旨規定し、その供述について既に被告人のため反対尋問の機会を与えたか否かを問わないのも、全く右と同一見地に出た立法ということができる[6] 。


 つまり、憲法37条2項は、現実に公判廷において証人尋問が行われたときには被告人に対して尋問の機会を与えなければならないというだけであって[7] 、法廷以外の場所で作成された供述録取書を、その供述者に対する尋問の機会を与えずに採用しても憲法とは無関係だと言うのである。大法廷は、その解釈が正しい根拠を自ら何一つ示さず、別の大法廷判決を引用した。それ――1949(昭和24)年5月18日の大法廷判決[8] ――はどんな判例なんだろうか。

 それは、刑訴応急措置法12条[9] に基づいて、公判で尋問された証人の検事聴取書を採用したことの合憲性が争われた事案である。弁護人は、憲法37条2項は合衆国憲法第6修正と同旨の規定であり、被告人に反対尋問の機会を与えずに作成された供述の許容性を否定する趣旨であって、公判で尋問の機会を与えさえすれば、尋問の機会を与えずに作成された供述録取書を採用しても良いという応急措置法12条は憲法37条2項に違反すると主張した[10] 。大法廷は次のように述べてこの主張を退けた。

 
しかし、憲法37条2項に、刑事被告人はすべての証人に対し審問する機会を充分に与えられると規定しているのは、裁判所の職権により、又は訴訟当事者の請求により喚問した証人につき、反対訊問の機会を十分に与えなければならないと言うのであって、被告人に反対訊問の機会を与えない証人その他の者(被告人を除く。)の供述を録取した書類は、絶対に証拠とすることは許されないと言う意味を含むものではない。従って、刑訴応急措置法第12条において、証人その他の者(被告人を除く。)の供述を録取した書類は、被告人の請求があるときは、その供述者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えれば、これを証拠とすることができる旨を規定し、検事聴取書の如き書類は、右制限内において、これを証拠とすることができるものとしても、憲法第37条第2項の趣旨に反するものではない。
 論旨は公判廷において被告人に反対訊問の機会を与えたとしてもその訊問の結果を証拠となし得るに止まり、検事聴取書其ものは被告人に反対訊問の機会を与えて作成したことにはならないから、これを証拠することはできないと主張するものであるが、右主張は、憲法第37条第2項は被告人に反対訊問の機会を与えない証人の供述録取書は絶対に証拠とすることは許されないことを意味すると言う、独自の見解に基づくものであるから、採用できない。検事聴取書は、いわば、原告官たる検事が作成したものであるが、他の書類と同一の訴訟資料として、公判において被告人に読聞けられるものであり、もし被告人に不審不満の点があれば、憲法上の権利として、公費でしかも強制手続によって其供述者の喚問を請求し、充分反対訊問をなし、その内容を明らかにすることができるのであるから、裁判官の自由なる心証により、これを証拠となし得るものとするも、被告人の保護に缺くるところはない、唯無制限にこれを証拠となし得るものとすれば、憲法第37条第2項の趣旨に反する結果を生ずる恐れがあるから、刑訴応急措置法第12条により、被告人の権益保護につとめているのであって、右措置法の規定は憲法第37条第2項の旨を受けたものであり、たがいに杆格するものではなく、これを無効とすべき理由はない[11] 。


 たしかに、大法廷は「憲法37条2項[は]、[…]裁判所の職権により、又は訴訟当事者の請求により喚問した証人につき、反対訊問の機会を十分に与えなければならないと言うのであ[る]」と言って、「出廷したら尋問させれば良い」テーゼを語っている。しかし、その事案は、供述者が法廷に実際に出頭して被告人に尋問の機会を与えたうえで検事聴取書を採用したというものなのであり、証人尋問が行われなかったケース――刑訴法321条1項2号前段が想定しているケース――ではそもそもない。

 大法廷は、また、「もし被告人に不審不満の点があれば、憲法上の権利として、公費でしかも強制手続によって其供述者の喚問を請求し、充分反対訊問をなし、その内容を明らかにすることができる」から実質的に被告人の権利は保障されているという。この説示を読むと、いかにも被告人が証人尋問を請求したら、裁判所は必ずそれを採用して強制的に被告人に尋問の機会が与えられるかのような印象を受ける。ところが実際にはそうではない。最高裁判所大法廷は、この判決の前年に、「健全な合理性に反しない限り、裁判所は一般に自由裁量の範囲で適当に証人申請の取捨選択をすることができると言わねばならぬ。所論の憲法第37条第2項に、『刑事被告人は、公費で自己のために強制手続により証人を求める権利を有する』というのは、裁判所がその必要を認めて訊問を許可した証人について規定しているものと解すべきである。この規定を根拠として、裁判所は被告人側の申請にかかる証人の総てを取調ぶべきだとする論旨には、到底賛同することができない」と言っているのである[12] 。これを最高裁の「二枚舌」というのは言い過ぎだろうか。

 2号前段の2件目の合憲判決は、最高裁第1小法廷1961年3月9日判決 [13]である。被告人の有罪を認定する唯一の証拠である自称被害者の検察官調書を採用しながら、被告人側による供述者の証人申請を「国外に旅行中である」との理由で却下したという事案である。憲法37条2項に違反するとの論旨を、「証人が外国旅行中であつて、これに対する反対尋問の機会を被告人に与えることができない場合であつても、その証人の供述録取書を証拠として採用することが憲法37条2項の規定に違反するものでないことは当裁判所昭和24年5月18日,同25年9月27日、同年10月4日、同27年4月9日、同23年7月19日の各大法廷判決の趣旨に徴し明かであるから所論違憲の主張は採用し難い」と、ワンセンテンスで退けている[14] 。

 第1小法廷が引用している5つの判例のうち2つ――昭和24年(1949年)5月18日と昭和27年(1952年)4月9日各大法廷判決――については、すでに触れた。

 昭和23年(1948年)7月19日大法廷判決 [15]は、共犯者とされる者の「始末書」を刑訴応急措置法12条に基づいて裁判所が採用したが、第1審弁護人はその供述者の証人申請をしなかったという事案である。上告趣意は、憲法37条2項の法意は刑事事件において第三者の供述を証拠とするにはその者を証人として公開の法廷で尋問し、被告人に審問の機会を十分に与えることにあるのであって、供述者の聴取書や供述代用書面をもって証人尋問に代えることは許されないというものであった [16]。多数意見は、次のように述べてこの論旨を退けた。

 
刑訴応急措置法第12条は、証人その他の者の供述を録取した書類又は之に代わるべき書類を証拠とするには、被告人の請求がある場合には、その供述者又は作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えることを必要とし、憲法37条に基づき被告人は、公費で自己のために強制手続によりかかる証人の訊問を請求することができるし、又証人に対して充分に審問する機会を与えられることができ不当に訊問権の行使を制限されることがない訳である。しかし裁判所は、被告人側からかかる証人の訊問請求がない場合においても、義務として現実に訊問の機会を被告人に与えなければ、これらの書類を証拠とすることができないものと解すべき理由はどこにも存しない。憲法の諸規定は、将来の刑事手続が一層直接主義に徹せんとする契機を充分に包蔵しているが、それがどの程度に具体的に実現されてゆくかは、社会の実情に即して適当に規制せらるべき立法政策の問題である。今直ちに憲法37条を根拠として、論旨のごとく第三者の供述を証拠とするにはその者を公判において証人として訊問すべきものであり、公判外における聴取書又は供述に代わる書面をもって証人に代えることは絶対に許されないと断定し去るのは、早計に過ぎるものであって到底賛同することができない [17]。


 要するに、この1948年大法廷判決は、刑訴応急措置法が「被告人の請求があるときは、その供述者又は作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えなければ、これを証拠とすることができない」と規定しているのは憲法に沿うものであり、被告人が供述者の証人尋問を請求しなかった場合にその供述書を採用しても憲法には違反しないというのである。1961年第1小法廷判決は、被告人側が自称被害者の証人申請をしたのに、裁判所は証人が海外旅行中だというだけの理由で証人申請を却下して、唯一の有罪証拠であるその検察官調書を採用したという事案であって、1948年大法廷判決とは全く異なる、むしろ、逆のケースと言っても良い事案であった。それにも関わらず、第1小法廷は、この判例を引用して上告を棄却したのである。

 ところで、1948年大法廷判決には、栗山茂裁判官の詳細な反対意見が付されている。彼は、刑訴応急措置法12条は憲法37条2項の趣旨にそって限定的に解釈されなければならず、同条によって証拠とすることができるのは、原則として、被告人に尋問の機会を与えたうえで作成された供述に限られると言うのである。

 
憲法第37条第2項は、被告人又は弁護人の面前でされる証人の供述でなければ証拠にとれない。言いかえれば、供述を録取した書類を読聞けただけでは証拠とすることができない。即ち直接審理の原則を宣明したものである。刑訴応急措置法第12条はこの趣旨に適合するように解釈されなくてはならぬ。同条は、証人その他の者が当審公判廷外で被告人の面前で供述をしても(即ち審問の機会が与えられたのである)直接審理主義からいえば、当審公判廷で更に被告人の面前で証人として供述せしむべきものである。けれども被告人には既に審問の機会が与えられているのであるから、被告人又は弁護人からその請求がなければ、その供述を録取した書類又は之に代るべき書類を読聞けて証拠とすることができるという趣旨と解すべきものである。
 尤も被告人に傷害された被害者が瀕死の場合に彼を証人として被告人に審問の機会を与えることが著しく困難な場合がある。又被告人に既に審問の機会が与えられた証人その他の者が既に死亡し又は国外に去った場合がある。これらの場合に直接審理主義が制限せられるのは巳むを得ないであろう。然るに一度も被告人に対質の機会を与えず即ち裁判所も直接審理の機会を持たなかった証人その他の者が単に死亡若しくは国外に去ったという理由で、当然にその供述に証拠能力が出てくるものではありえない。瀕死の被害者の供述と雖も容易に信用できないものである。けだし被害者が被告人を見違うこともあり又他の動機で被告人を罪に陥れんとすることもあるであろうから、瀕死の一事を以ってその供述を録取した書類に証拠能力を認めるのさえ必ずしも公正を期しえないのものである。而てこの理由は第三者が被害者でなく而も死亡せず又国外に去らない場合でも同様でなくてはならぬ。従て刑訴応急措置法第12条は人権を尊重する上に於て、出来る限り厳格に解釈すべきものである。
 元来憲法第37条第2項の特権は、第三者の供述を、被告人に対質もさせないで即ち審問の機会も与えないで、単に読聞けただけで断罪した専制政府の裁判に対し、人権を擁護するために出来た保障であって、恐るべき裁判の歴史の産物である。専制政府が自分の好ましからずとする人物を倒すのには、これほど有力な武器はなかったし又ないであろうと思われる。犯罪捜索[ママ]の機関である司法警察官又は検察官が証拠を収集する段階で作成した報告書即ち聴取書は、理論上は公訴機関が公訴を提起するか否かを判断する資料に過ぎないものである。之を公訴提起後に公訴機関が公判期日に証拠として提出した場合に(弾劾主義の建前から、かように解釈すべきものである)この報告書に録取された第三者の供述については、捜索[ママ]の段階で、被告人に審問の機会が与えられた訳ではないから、裁判所は直接審理主義に基づいて、被告人又は弁護人の面前で供述者を証人として訊問とした後でなければ証拠にとれないことを原則とすべきである。ことに第三者の供述によって被告人に刑責を負わせる場合の如き、裁判所としては未だ嘗て直接審理をしたことがないのに、(たとえ裁判所にとって本人の刑責が明であると認めても)その供述を録取した書類によって裁判するのは、被告人又は弁護人の請求の有無に拘わらず、憲法第37条第2項の原則に反するものである。従て刑訴応急措置法第12条は、前掲のような特殊事由がある場合を除いては、原則として嘗て審問の機会が与えられた証人その他の者の供述を録取した書類と解すべきであると考える。同条が刑事訴訟法334条[ママ]を適用しないとしたにもかかわらず、同条を極めて皮相に文理解釈して、却て刑訴第343条[18] 以下の審理に終らんとするのは、同条が憲法第37条第2項を前提として出来ていることを忘れるものである[19] 。


 昭和25年(1950年)9月27日大法廷判決 [20]も被告側が自称被害者の尋問を請求しなかった事案である[21] 。そして、同年10月4日大法廷決定[22] は、刑訴法228条により被疑者・弁護人の立会いなしになされた証人尋問調書を、刑訴法321条1項1号によって採用した証拠決定に対する特別抗告事件である。公判では、検察官が証人申請を行い、実際に証人尋問が行われ、弁護人は反対尋問を行っているのである。その意味で2号前段の問題状況(証言不能)とは異なる事案なのである[23] 。

 刑訴法321条1項2号前段の合憲性を肯定した3件目の最高裁判例は、1995年6月20の第三小法廷判決 [24]である。退去強制させられた結果証人尋問をする機会がなかった外国人の検察官調書が刑訴法321条1項2号前段によって採用されたことが問題となった。捜査官・訴追官に過ぎない検察官の作成する供述調書の証拠能力を単に必要性の要件だけで肯定する刑訴法の規定は憲法37条2項に違反するとの上告趣意を、第3小法廷は、1952年大法廷判決の――説示を引用することもなく――サイテーションを示すだけで、片づけた[25] 。しかし、すでに見たとおり、1952年大法廷判決が依って立つのは、全く事案を異にし、対象となる法律すら別な事案に関する判例(1949年大法廷判決)の、結論とは無関係な傍論部分――「出廷したら尋問させれば良い」テーゼ――にすぎないのであった[26] 。

刑訴法321条1項2号後段(自己矛盾)に関する判例

 刑訴法321条1項2号後段の合憲性を15人の最高裁判事が審査したことは一度もない。2号後段の合憲性問題を取り上げてその判断を示した最高裁判例としては、1955年11月29日の第3小法廷判決 [27]があるだけである。しかし、この合憲判断は全くの傍論に過ぎないのである。事案は恐喝事件であるが、1審において弁護人は検察官調書の取り調べに同意している。1審においても2審においても、弁護人は2号後段の違憲性を主張していない。上告審において初めて憲法違反の主張がなされたのである。第3小法廷は、なぜかこの主張を取り上げて、「所論は、原審で主張、判断されていない事項に関する主張である」と、言わずもがなの説示をしたうえで[28] 、ワンセンテンスの合憲判断を付け加えたのである。
 
 そして、判決が述べる合憲の理由は、またしても、1949年大法廷判決の「出廷したら尋問させれば良い」テーゼである――「憲法37条2項が、刑事被告人は、すべての証人に対し審問する機会を充分に与えられると規定しているのは、裁判所の職権により又は当事者の請求により喚問した証人につき、反対尋問の機会を充分に与えなければならないという趣旨であって、被告人に反対尋問の機会を与えない証人その他の者の供述を録取した書類を絶対に証拠とすることを許さない意味を含むものではなく、従って、法律においてこれらの書類はその供述者を公判期日において尋問する機会を被告人に与えれば、これを証拠とすることができる旨を規定したからといって、憲法37条2項に反するものでないことは、当裁判所大法廷の判例[1949年大法廷判決]が示すところであるから、刑訴321条1項2号後段の規定が違憲でないことはおのずから明らかである」[29] 。

まとめ

 つまるところ、刑訴法321条1項2号の合憲性の根拠は、1949年大法廷判決の「出廷したら尋問させれば良い」テーゼ以外にないのである。しかし、このテーゼが現代において憲法37条2項の公権的解釈として通用するような代物ではないことは明白である。そして、それは他ならぬ最高裁自身が認めているのである。1995年判決は「憲法37条2項が被告人に証人審問権を保障している趣旨」に照らすと、「検察官面前調書が作成されるに至った事情や、供述者が国外にいることになった事由のいかんによっては、その検察官面前調書を常に右規定により証拠能力があるものとして事実認定の証拠とすることができるとすることには疑問の余地がある」と言った[30] 。憲法37条2項の趣旨が「喚問した証人につき、反対訊問の機会を十分に与えなければならない」というだけだ(1949年大法廷判決)としたら、「検察官面前調書が作成されるに至った事情や、供述者が国外にいることになった事由のいかん」とかによって、検察官調書の許容性が左右されるいわれはないだろう。

 要するに、刑訴法321条1項2号が合憲であると宣言した最高裁判所判例は、まったく筋違いの先例、そして、その後の最高裁自身がそれと矛盾する判断をしているような先例をほとんど唯一の根拠としているのである。もはや先例拘束性(stare decisis)の前提条件を欠いた先例であるという他ない。「先例が先例であるということのみが裁判所の作ったルールを支え得る全ての論拠となったとき、その時こそ、そのルールの作成者がそれを打ち破るときである」 [31]。
(つづく)

【脚注】
[1]大判1892・6・30法律新聞1875-4;大判1892・11・10裁判粋誌大審院判決例刑事集7-341;大判1895・10・3大審院刑禄1-3-27;大判1895・10・3大審院刑禄1-3-29。
[2]大判1903・10・22大審院刑禄9-26-1721、1723〜1724頁。
[3]1941年に国防保安法と改正治安維持法によって、それぞれの法律が規定する犯罪については警察官や検事に尋問権が与えられ、したがってそれらの聴取書の許容性が認められた。また、1942年の戦時刑事特別法によって、刑訴法343条それ自体が停止された。高野隆『人質司法』(KADOKAWA、2021)、132-133頁。
[4]鈴木勇『証拠法を中心とする新刑事手続の解説』(近代書房1948)、99-100頁;江家義男「刑訴法321条1項の合憲性」刑法雑誌1-3=4-405(1950);田中和夫「刑事被告人の証人審問権に関する判例」法曹時報3-6-125(1951)。
[5]最大判1952・4・9刑集6-4-584。
[6]刑集6-4、588頁。
[7]証人が法廷に来たら尋問させれば良いということ、以下これを「出廷したら尋問させれば良い」テーゼという。
[8]最大判1949・5・18刑集3-6-789。
[9]日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律(1948(昭和23)年法律第76号)第12条1項「証人その他の者(被告人を除く。)の供述を録取した書類又はこれに代わるべき書類は、被告人の請求があるときは、その供述者又は作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に与えなければ、これを証拠とすることができない。但し、その機会を与えることができず、又は著しく困難な場合には、裁判所は、これらの書類についての制限及び被告人の憲法上の権利を適当に考慮して、これを証拠とすることができる。」
[10]刑集3-6、792〜793頁。
[11]同前、790〜791頁。
[12]最大判1948・6・23刑集2-7-734、735-736頁。
[13]最1小判1961・3・9刑集15-3-500。
[14]刑集15-3、502頁。
[15]最大判1948・7・19刑集2-8-952。
[16]刑集2-8、971頁。
[17]同前、957頁(強調は引用者)。
[18]大正刑訴法(1922年)343条1項は次のように規定する:「被告人其ノ他ノ者ノ供述ヲ録取シタル書類ニシテ法令ニ依リ作成シタル訊問調書ニ非サルモノハ左ノ場合ニ限リ之ヲ証拠ト為スコトヲ得
1 供述者死亡シタルトキ
2 疾病其ノ他ノ事由ニ因リ供述者ヲ供訊問スルコト能ハサルトキ
3 訴訟関係人異議ナキトキ」
検事聴取書や始末書は「法令ニ依リ作成シタル訊問調書」ではないので、供述者が尋問不能であるか、弁護側が同意しない限り、許容性は認められていなかった。なお、同法では、検事も警察官も、現行犯逮捕された被疑者に対してしか取調べを行うことができず、しかも、警察官は「即時」(127条)、検事は「24時間以内」(129条)に限られていた。1932年の大審院判例は検事が現行犯逮捕された犯人を受け取ってから4日後に作成した検事聴取書の許容性を否定した。大判1932・4・18大審院刑集11-384、394-395頁。
[19]刑集2-8、959〜961頁(強調は引用者)。
[20]最大判1950・9・27刑集4-9-1774。
[21]大法廷は、「本件では所論始末書又は被害届について原審公判廷でその作成者を訊問することを得る旨告げられたにかかわらず被告人並びに弁護人は之を請求しなかったこと記録上明かであるから、原審がこれを証拠としたからといって、違法であるということができない」と説示している。刑集4-9、1776〜1777。
[22]最大決1950・10・4刑集4-10-1866。
[23]大法廷は、「本件においては、所論の証人赤間勝美は、検察官の請求により、原審公判廷において尋問せられ、被告人側の反対訊問にも充分にさらされたことが明白である、従って、この点において、憲法37条2項の要請は充たされたものと認めることができる」として、抗告を棄却した。刑集4-10、1869頁。
[24]最3小1995・6・20刑集49-6-741。
[25]「刑訴法の右規定が憲法37条2項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和26年(あ)第2357号同27年4月9日大法廷判決・刑集6巻4号584頁)とするところであるから、所論は理由がな[い]」。刑集49-6、743頁。
[26]だから、1995年第3小法廷判決は、321条1項2号前段による証拠採用が常に合憲だとは限らず、一定の場合に憲法違反となりうることを説示したのだと思われる――「憲法37条2項が被告人に証人審問権を保障している趣旨にもかんがみると、検察官面前調書が作成されるに至った事情や、供述者が国外にいることになった事由のいかんによっては、その検察官面前調書を常に右規定により証拠能力があるものとして事実認定の証拠とすることができるとすることには疑問の余地がある。[…]当該外国人の検察官面前調書を証拠請求することが手続的正義の観点から公正さを欠くと認められるときは、これを事実認定の証拠とすることが許容されないこともあり得るといわなければならない。」刑集49-6、744〜745頁。
[27]最3小判1955・11・29刑集9-12-2524。
[28]刑集9-12、2525頁。
[29]同前、2526頁。
[30]刑集49-6、744〜745頁。
[31]Francis v. Southern Pacific Co., 333 U.S. 445, 471 (1948) (Black,J., dissenting).


plltakano at 22:10│コメント(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2019年04月13日

4月9日付で東京地検検事正あてに以下の申入書を送付しました。
なお、現在まで検察庁からは何も応答がありません。

在外証人の供述録取手続に関する申入書



 私どもは現在東京地方裁判所刑事第17部に係属中の金融商品取引法違反被告事件、会社法違反被告事件並びに起訴前勾留中の会社法違反被疑事件の弁護人です。

 本件では、日本国外に居住する事件関係者が多数おります。これらの関係者については、当該国との間の司法共助条約や捜査共助に関する合意その他に基づいて、当該国の司法機関や捜査機関の協力において、日本から検察官を派遣するなどの方法で供述録取手続が行われているものと推察いたします。

 他方で、訴追側の証人に対して刑事被告人は十分な審問を行う憲法上の権利を保障されています(日本国憲法37条2項)。私どもはカルロス・ゴーン・ビシャラ氏の弁護人として、貴庁の検察官らが在外証人から事情聴取を行い、その供述を録取する手続に立ち会い、反対尋問をする機会を保障することを求めます。そこで、以下のことを申し入れます。

1 現在予定されている在外証人の供述録取手続について、証人の氏名、住所、尋問事項、予定されている供述録取手続の内容、日時及び場所を明らかにすること

2 上記1について、弁護人の立ち会い並びに反対尋問権の行使が可能となるように、当該国の当局と協議するなど適切な手続をとること

3 その他、われわれの手続への立ち会い並びに尋問が実現するように最善の努力をすること
以上




plltakano at 14:18│コメント(9)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2008年09月03日

ある朝会社に出勤してみると、全従業員に紙コップが配布され、上司から「諸君は責任ある行動をとらなければならない。ただちに尿を提出するように」と告げられる。集められた尿については、直ちに、専門家が、簡易検査キットを使って、覚せい剤と大麻の有無を検査する。会社は陽性反応が出た従業員の氏名をマスコミに発表し、さらに警察に通報する。警察は従業員を警察署に「任意同行」して薬物使用について取り調べる。

日本相撲協会がやったのは、要するにこういうことである。

われわれはいつ排泄するかの自由を持っている。そして排泄した尿の処分について誰からも干渉されない自由も持っている。これらの自由はプライバシーの領域であり、それは人間の尊厳に由来している。

警察は裁判官の発行する令状がなければ個人の尿を強制的に入手できない。そして、裁判官は、証拠として尿を必要とする具体的な犯罪の嫌疑が証明されないかぎり、令状を発行することはできない。国家は個人に対して「潔白を示す」ことを要求できないのである。犯罪の証拠を必要とする国家の側で犯罪の嫌疑があることを示さなければならないのである。

これらはすべて日本国憲法の要求である。

今回の日本相撲協会と警視庁の共同作業は、この日本国憲法の要求を無意味にしかねないものである。このようなことが許されるならば、警察は、証拠を集めて裁判所に令状を請求するなどという面倒臭いことをやめて、様々な企業や団体に対して、簡易検査キットを無償で配布して、抜き打ち尿検査をするように奨励し、その結果の報告をもとめればよい。

力士になるということは排泄の自由を放棄することを意味しない。彼らから尿を入手するためには彼らに選択の自由を与えて、任意の承諾を得なければならないはずである。検査結果を警察に通報するのであれば、そのことも力士に教えておかなければならないであろう。しかし、今回の「抜き打ち検査」が行われる前にこのような手順が踏まれたという話は全く聞かない。検査の準備は極秘に進められ、別の用事で集まった力士にいきなり採尿用の紙コップが配られたということである(朝日新聞9月3日朝刊)。

プロのスポーツ選手になるということは、こうした抜き打ち検査を受けても良いという「推定的承諾」があるのだ、という考え方もあるかもしれない。空港で手荷物検査を受けたりバッグを開くことについては、安全なフライトと引き換えに承諾することが推定されている、と考えられるのと同じように。この論理を認めるとしても、しかし、検査結果を無断で警察に通報することまでの承諾を推定することはできないだろう。

相撲協会の次はどこなんだろうか。普通の企業が従業員に突然紙コップを渡す日は来るのだろうか。


plltakano at 21:44│コメント(2)│トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2007年06月14日

まえがき

1993年5月、チャールズ・L・ケーディス氏が来日した。ケーディス氏は、連合国軍総司令部(GHQ)民政局次長であり、1946年2月に連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーが日本政府に提示した憲法草案(「GHQ草案」あるいは「マッカーサー草案」)の起草を指揮し、その後も内閣法制局との交渉などを通じて日本国憲法の制定に深くかかわった人である。

「陪審裁判を考える会」のメンバーから、ケーディス氏のインタビューに付き合わないかと誘われて、私はこのまたとない機会を逃すまいと、何の準備もなく氏の滞在する赤坂プリンスホテルに赴いたのであった。そのころ私は、日弁連接見交通権確立実行委員会の有力メンバーとともに、「日本国憲法の刑事人権規定が想定した刑事手続はどのようなものだったのか」というテーマの共同研究を行っていた。仕事の合間に日本国憲法の制定過程に関する資料を読んでみたところ、その面白さに圧倒されてしまった。ケーディスやラウエル、ハッシーという面々は占領軍の軍人であると同時に、ハーバード・ロースクール卒の気鋭の法律家であり、鋭敏な人権感覚の持主であった。彼ら「運営委員会」の調整の下で、民政局を横断する人材が、青臭い理想に燃えて智慧を出し合って合作したのがGHQ草案であった。対する日本政府側の法務官はアメリカ憲法の基本的なコンセプトについて驚くほどに無知であった。その両者が夜を徹して議論をし、議会の裏舞台で駆け引きを行って出来上がったのが日本国憲法である。

われわれの研究会の問題意識は、刑事人権規定の英語版と日本語版との間に翻訳上の問題以上に事柄の本質にかかわる乖離があるのではないか、ということが出発点であった。制定過程を調べていくうちにこの問題意識は非常に強く裏付けられるとともに、憲法学者たちがこの問題を殆ど無視していることが気になった。英米法学者の田中英夫はこの問題に正面から立ち向かった数少ない学者である。田中は、アメリカ憲法判例の歴史的展開についての深い造詣と日本国憲法の制定過程の研究から、憲法31条はデュー・プロセス保障規定ではないと断定した。憲法学者の通説は、彼の論拠を殆ど黙殺することで、やり過ごそうとしている。この態度には学者的良心が全くない。私にはそう思える。

私は、率直にこの問題をケーディス氏に尋ねてみた。ケーディス氏は当時87歳であったが、語り口は非常にしっかりしていたし、40年以上も前のやり取りを非常に鮮明に記憶しているようであり、驚かされた。

このインタビューの後、私は、田中英夫の説が正しいことを確信した。われわれは、憲法施行50周年の年にわれわれの研究に一区切りをつけ、その一応の成果を発表した(憲法的刑事手続研究会編『憲法的刑事手続』(日本評論社1997))。勿論、憲法学者はわれわれを無視した。日本の憲法学者はそれぞれの政治哲学に引き寄せて憲法の条文を解釈することに忙しく、その条文に込められた人々の願いや格闘の歴史には興味がないらしい。

ケーディス氏は1996年6月18日90年の生涯を閉じた。

以下の資料は、私たちが行ったインタビューの録音テープを私が翻訳したものである。

*****

ケーディス氏インタビュー
1993年5月6日
赤坂プリンスホテル
参加者
チャールズ・L・ケーディス
利谷信義
伊佐千尋
飯室勝彦
鈴木昭典
四宮啓
和田幹彦
高野隆

利谷:私の専門は民事法なのですが、法社会学者として陪審制度の研究をしています。私はとりわけアメリカの陪審制度ならびに戦前の日本の陪審制度に関心を持っています。わたしの質問は、2つしかありません。一つは、憲法草案ははじめ陪審制度に関する規定を持っていたのに、それが削除されたのは何故かと言うことです。それは陪審に関する否定的な評価をGHQが持っていたからですか。

ケーディス:いつの日付の草案ですか。

和田:1946年2月8日付けです。

ケーディス:それは人権に関する委員会のドラフトだ。われわれ運営委員会は陪審制度の要請を削除した。なぜなら、陪審制度は特殊アングローサクソン的な制度であり、一般的にドイツの法制度やナポレオン法典(これらには陪審制度はない)に従っていた日本に押し付けられるべきではないと考えたからだ。

伊佐:われわれは戦前には陪審制度を持っていました。

ケーディス:日本には陪審があったかもしれないが、日本の制度が模範としていた、例えばドイツの法典には陪審制度はない。……われわれは陪審制度を禁止した訳ではない。それを要請はしなかったに過ぎない。われわれが陪審を憲法に盛り込んだとすれば、日本は陪審制を持つことを義務づけられることになる。われわれはただ、問題をオープンにしておいたに過ぎない。あなたがたがそれを欲すれば、持つことができるし、欲しくなければ持つ必要はないということだ。運営委員会は陪審制度を必須の制度として要求すべきとは考えなかったのだ。

利谷:GHQの内部にも陪審制度を日本に入れた方が良いと考えた人もいたのですね
ケーディス:名前は忘れたが、そのような人がいたことは聞違いない。そうでなければドラフトに陪審制度が加えられることはあり得ない。

利谷:私の第2の質問です。裁判所法の審議の最終段階で、GHQは陪審法の将来の可能性を認める規定を挿入することを要求しました。そのことについてご意見を伺いたい。

ケーディス:その条項がどのようなものだったか思い出せないのだが……。

利谷:私が見た記録によると、オプラー博士が日本側に対してそのことを要求しました。

ケーディス:オプラーは日本側に何かを要求するということが殆どなかった。彼はいつも日本側の選択に任せていた。この件も要求したというよりも、一つの提案をしたのだろうと思う。

伊佐:裁判所法3条3項については、かなり強硬で「これは命令だ」と記録されているんです。

ケーディス:彼がそれについて私に話したかどうか、おぼえていない。もしも話したとすれば、私は「命令などするな」と言ったはずだ。

伊佐:私は「命令」に感謝します。それがなかったら、このような規定をわれわれは持つことができなかったでしょう(笑い)。

ケーディス:オプラーも喜んでいるでしょう(笑い)。

利谷:よろしければ、ケーディスさんの陪審制度に対するお考えをお聞きかせください。

ケーディス:一般的に言って、陪審制度は良い制度だと思う。1951年か52年に日本の最高裁判所をアメリカの最高裁判所や多くの裁判官に紹介したことがある。あるとき私は当時第2巡回区連邦控訴裁判所判事をしていたジェローム・フランクを紹介した。ある日本の裁判官はフランク判事に陪審制についての質問をした。すると、フランク判事は非常に長い、説得力のある反陪審論を展開した。

利谷:『裁かれる裁判所』のなかでも彼は、反陪審論を展開していますね。

ケーディス:私は彼のことを個人的にもよく知っているし、大変良い裁判官だ。フランク判事に紹介したすぐ後で、私は日本の裁判官たちをもう一人の裁判官ハロルド・メディナHarold Medina判事に紹介した。彼も大変優れた連邦地裁判事であり、多くの陪審裁判を経験していた。彼はニューヨークで私と同じアパートに住んでいたので、私は彼のこともよく知っていた。私はメディナ判事に、その前日か前々日に行われた日本の裁判官とフランク判事の会話のことを話した。するとメディナ判事は、わたしたちの会談の殆ど全ての時間を費やして、いかに陪審制度が素晴らしいものであり、全ての国がこの制度を持つべきでること、そしてフランク判事の説が如何に誤りであるかを弁じた。わたしは彼の議論にも感銘を受けた(笑い)。

この問題は非常に議論が多い。しかし、私は刑事事件については一般的に言って陪審は良い制度だと思う。民事事件については、よく判らない。1949年から1979年まで実務に携わり、何度も裁判所に出頭したが、陪審裁判を経験したことは一度もない。したがって、陪審制度についての私の意見は、経験に基づくものではない。

利谷:「ロドニー・キング事件」の陪審裁判はどうお感じになりましたでしょうか。

ケーディス:評決は正しかったと思う。私は裁判をテレビでみていました。評決後私は妻に「私も同じ評決をしたと思う」と言いました。

高野:どちらの評決ですか。州のケースですか、連邦のケースですか。

ケーディス:連邦の公民権違反事件の方だ。テレビで、問題のビデオが通常のスピードやスローモーションで何度も再生された。それを見て、私は一人の警察官は明らかに無罪だと思った。しかし、もう一人の警察官は、明らかに過剰な暴行を加えており、監督する立場にあった巡査部長はそれを止めるべきだと私は感じた。評決が出たときには、妻は私を「賢い」と言って誉めてくれた。(笑い)。

私は、この事件はまだ最終的な結論には達していないと思う。有罪になった2人の警察官は控訴すると思う。

四宮:占領当時のことをお伺いします。当時、日本政府の方から陪審制度について、反対若しくは先送りにしたいというような声がケーディスさんたちのところに届いたことはあったでしょうか。

ケーディス:いいえ、当時賛成論も反対論も聞いたことはなかった。

伊佐:陪審制度がなかった方が、占領行政を遂行するのに好都合だったということはないでしょうか。

ケーディス:ワシントンにおいては陪審制に関して、賛成・反対いずれのポリシーもなかったし、この件についてわれわれはいかなる指令も受けていない。われわれはどのような立場にも立たなかったはずだ。われわれは、陪審制を採用するかどうかという問題を完全に日本政府に委ねたのである。オプラーが陪審条項の挿入を「命令した」という皆さんお話しを今日聞くまではそう思っていた。

伊佐:陪審についての当時のディスカッションの議事録があると思うのですが、どこに行けば見ることができるのでしょうか。

ケーディス:そのような記録が取られたのかどうか判らないが、もしもあるとすれば、ワシントン郊外にあるSuitlandと言うこところに保存されている民政局のファイルの中に含まれている筈だ。私はそこに行ったことはないが、合衆国公文書館のように記録が整理されておらず、文書はただ箱の中に入れられているだけなので、目的の文書を探すのは一苦労だと思う。

利谷:ケーディスさんの記憶のなかに、運営委員会で陪審が議論されたということはありますか。

ケーディス:いいえ。運営委員会の記録は高柳、田中、大友らがラウエルから入手した文書に基づいて出版した書物の中にあると思う。

伊佐:あの本は全てをカバーしている訳ではないと思います。

ケーディス:全部カバーしていないって?しかし、ラウエルの全てをカバーしているがね(笑い)。わたしの知る限りもう一つの文書はミシガン大学にある「ハッシー・ペーパー」だ。そのなかにあるかもしれない。しかし私はラウエル・ペーパーは完全なファイルだと思っていた。わたしも幾つかの文書を持っているが、そのほとんどをジャスティン・ウィリアムズに貸した。彼はその文書に基づいて本を執筆したが、この文書はその後メリーランド大学に保存されている。
この文書のなかに陪審制度に関する記述があったかどうかは覚えていない。メリーランド大学にPrangeコレクションという膨大な資料集がある。これは当時の新聞の切り抜きなど多数の文献を収集したもので、この中に問題の文献があるかもしれない。メリーランド大学のMayo教授に半年前に聞いたところ、Prangeコレクションは現在閉鎖されているということだ。多くの学者が文書の一部を勝手に持ち去るという出来事があって、それを防ぐ手だてがないということだ。いつかはまた公開されるだろうが、次の飛行機には間に合わないね(笑い)。

伊佐:これはゴードン夫人から頂いたもので、かなり早い段階の憲法草案だと思うのですが。

ケーディス:これは第3章(人権の章)だ。……ハッシーの筆跡だ。これは2番目か3番目のドラフトだ。最初のドラフトには条文のナンバリングはなかった。

伊佐:ここには陪審制の条項があります。

ケーディス:ここに陪審の条項があり、高柳らの本にその件のディスカッションがないとすれば、それはとても不思議なことで、不完全な資料と言わなければならない。このドラフトに陪審があり、運営委員会がそれを削った際に人権に関する委員会からなんらの異論もないとすれば不思議なことだ。もしかしたら、これが最初のドラフトなのかもしれない。というのは、このドラフトはTOP SECRETと分類されているが、私の記憶では、TOP SECRETというのは高すぎる分類なので、ただのSECRETにするように指示したことがあるからだ。
このドラフトが最初で後からナンバリングをしたのかも知れない。それから、ここにハッシーの筆跡でOriginal Reportと書いてあることも、これが最初の草案であると考える理由となるだろう。しかし、誰かが別の場所にあったハッシーのノートをここに誤って張り付けてしまったという可能性もある。人々が文書を閲覧した際にそのようなことをするということを、私はマクネリー教授から聞いたことがある。非常に多くの人々がハッシー文書を扱っているために、現在の彼のノートの位置が彼が添付した当時のままであると信じることができなくなっているのだ。……9条について非常に多く質問を受けたので、これ以上9条の話しをするのは嫌なのだが、ここでも同じことが言える。9条の草案が前文と一緒にクリップされていたので、9条が前文に入れられる筈であったのだと考える人がいるのだ。

鈴木:9条が真ん中に入った前文のドラフトがあります。

ケーディス:私はそのようなドラフトを知らない。……ウィットニー将軍や運営委員会のメンバーは皆、前文にそれを入れることに反対していた。われわれはこの条項は憲法の本文に入れられるべきであると考えていたのだ。1条にするか、2条か、それとも3条かという点については議論があったが、本文中に入れるべきだという点についは意見が完全に一致していた。一方、ハッシーがもしかしたらある時期に前文にいれた草案を考えていたかもしれない。というのは松本蒸治博士が前文にこれを入れることを望んでおり、前文にいれたらどうなるかを検討していたかもしれないから。しかし、わたしはそのような前文の存在を全く思い出せない。ハッシーは実験的にそのようなことをしたのかもしれない。

高野:刑事手続に関する規定について質問します。日本国憲法には、非常に詳細な刑事手続規定があることが種々の人々から指摘されています。そこで、まず、はじめにおおざっぱな質問ですが、なぜあなたやあなたの同僚たちはこのような詳細な刑事手続規定を憲法に定めようと考えたのですか。

ケーディス:刑事手続上の権利規定の原案の起草に私は直接かかわってはいない。これらの原案はハッシーとラウエルが起草したものだ。彼等はそれまでの日本の刑事被告人たちは非常に少ない権利しか持っておらず、それを保障するためには憲法に詳細な規定を設ける必要があると考えたのだと思う。憲法の規定が一般的すぎると、刑事訴訟法による保障も期待できず、結局、何等の権利も保障されないことになってしまうことを恐れたのだ。彼等は、ベアタ・ゴードンたちが市民的自由について考えていたのと同じように考えていたのかも知れない。彼等もまた、非常に詳細な市民的自由に関する規定を起草した。しかし、運営委員会はその幾つかを削除した。運営委員会は、憲法というものは一般的な原則を述べるべきであって、詳細な規定は制定法に委ねるべきだと考えた。彼女や人権に関する委員会の他のメンバー、ワイルズ博士やルースト中佐たちの意見は、憲法上に市民的自由に関する詳細な規定を置かなければ、日本側は決してこれらの権利規定を制定法に置くことはしないだろうと言うものであった。しかし、我々は日本側はそうするだろうと考えて、詳細な規定を原案から削除した。ラウエルとハッシーは、刑事手続上の権利に関して、彼女たちが考えたのと同じように考えたのだと思う。勿論、これらの権利は、結局、憲法第三章に規定されることになった。それはつまり、ラウエルやハッシーが、これら刑事手続上の権利を、女性や子供の権利あるいは労働の権利等に関する規定よりも重要と考えたためであろう。

高野:ラウエル氏は当時の日本の刑事手続の状況についての予備的なリポートを書いています。その中で、例えば、彼はつぎのように言っています。「日本の刑事裁判は、拷問によって得られた自白に依拠するところが大きいこと、および政府の批判者に犯罪を犯させるアジャン・プロヴォカツールを用いることで、悪名高いものがある」。ラウエル氏は、憲法草案起草にあたって日本の刑事手続の実際についての調査をしたのでしょうか。

ケーディス:それこそ彼の仕事であったと思う。

高野:彼は誰か日本人の専門家の援助を受けたのでしょうか。

ケーディス:我々の人材は非常に不足していた。1946年の1月下旬か2月にゴードン夫人が参加するまで民間人や政府の調査機関を利用することはできなかった。私はラウエルが独自に調査したのではないかと思う。彼は非常に優秀な弁護士であった。彼は長年にわたって弁護士実務に携わっていた。良い弁護士というのは非常に思慮深く、慎重である。

高野:GHQ草案の32条についてお伺いします。同条はこう言っています。「何人も、国会の定める手続によらずに、その生命もしくは自由を奪われ、またはいかなる刑罰をも科せられることはない」。この規定は合衆国憲法のデュープロセス・クローズに似ていますが、しかし、明かに異なった表現が用いられています。なぜあなたがたは、デュープロセス・クローズと異なる表現を用いたのでしょうか。

ケーディス:何故にwithout due process of Lawという表現を我々が使わなかったかという質問か?

高野:そうです。なぜ、あなたがたはその有名なフレーズを使わなかったのでしょうか。

ケーディス:私がその表現を使うのを避けたのだ。その理由は次のようなものだ。合衆国憲法のデュープロセス・クローズつまりNo one shall be deprived of his life, liberty or property without due process of Lawという条項のもとで、合衆国最高裁判所は、1920年代から30年代初頭にかけて、多くの制定法を違憲であると宣言した。その考え方は、実体的デュープロセス(substantive due process)というもので、手続的デュープロセス(procedural due process)とは区別される概念だ。私の意見では良い法律、例えば、最低賃金法とか児童労働の禁止とかに関する法律、要するに一般に社会的な立法と言われるものの多くを、最高裁判所は、「法の適正な手続」によらずに経営者の財産権を奪うものであるとか、雇用者が児童を雇用し、あるいは、時給の額を決定する自由を奪うものであるとして、憲法に違反するとした。私のロースクールの教授のなかに、フランクファーター裁判官がいた。彼は、実体的デュープロセスに非常に強く反対して、最高裁判所は間違っていると言った。
彼によれば、「デュープロセス」とは手続的なデュープロセス、すなわち、procedures established by Lawに他ならない。私は、この考え方を日本の憲法の中に取り入れたのだと思う。最初の31条の原案のなかにwithout due process of Lawというフレーズがあったかどうか思い出せないが、もしあったのだとすれば、私はそれを取り外したと思う。

高野:最初の草案の段階から、そのフレーズは使われていません。

ケーディス:ハッシーもラウエルもハーバードロースクールの出身だが、彼等がフランクファーターのもとで学んだかどうかは、思い出せない。しかし、彼等も同様の思考をしたのかも知れない。

高野:それでは、逆に、なぜこの規定を憲法に入れることにしたのですか。全然このような規定を設けないことも可能であったと思われるのに、あえてアメリカのデュープロセス・クローズを思い起こさせる規定を設けた理由は何ですか。なぜ、except according to procedures established by the Dietという表現を使おうとしたのでしょうか。

ケーディス:我々が目指したのは、刑事手続上の人権の保障というような手続的デュープロセスであって、実体的デュープロセスではないということだ。私の手元のコピーではprocedures established by Lawとなっているが.....。

高野:それは最終的に採用された条文の表現です。

ケーディス:我々は皆、何人も告知を受けず、あるいは、審問を受けずに、生命や自由を奪われることはないというような権利は保障されると考えていた。

高野:それが、要するに手続的デュープロセスということなんですね。

ケーディス:そうだ。この規定に関して当時行なわれた議論を詳しくは思い出せないが、しかし、due process of Lawという表現を用いなかった理由として、アメリカの最高裁判所が1920年代から30年代にかけておこなったと同じようなことを日本の最高裁判所がやるだろうと考えていたことは、よく覚えている。

高野:しかし、アメリカの最高裁判所は1937年に態度を変えました。

ケーディス:その通りだ。しかし、賭をしてみるつもりはなかったんだよ。(笑い)。

高野:この規定の起草過程には、いわゆる「ニューディール時代」に財務省などの連邦法務官を歴任したあなた自身の経歴が影響していると思いますか。

ケーディス:多分そうだろう。必ずしも意識的にそうしていた訳ではないが。われわれはあの時代、いつも最高裁判所の少数意見の考えに賛成していた。良い法律が、裁判官の経済的好みによって違憲とされたのだ。

高野:GHQ草案の最初の原案には「財産」という言葉がありましたが、次のドラフトではこの言葉は削られています。これは、多分運営委員会のメンバーの誰かによってなされたのだと思いますが、あなたが削ったのかも知れませんね。

ケーディス:多分。(笑い)

伊佐:ごく初期のGHQ原案では「逮捕のときから国選弁護人が付される」と記載されています。ところが、最終的な条文である37条は、これとは異なり、国選弁護人は起訴後にしか付されないことになってしまいました。この違いはなぜ生じたのでしょうか。私は、これこそ日本で冤罪が多発している最大の原因の一つだと思うのです。

ケーディス:多分、これは日本側との妥協の結果だと思うのだが。

伊佐:日本ではthe accusedという言葉が、indictされた後の者とされているのです。

ケーディス:その点についてどのようなディスカッションが行なわれたのかは思い出せないが、それが問題であることは判る。日本側と協議していて、しばしば、問題の部分の日本語がどうなっているのかということが問題となった。例えば、逮捕の際に司法官憲が発する令状が必要である場合の例外であるunless he is apprehended, the offense being committedに相当する日本語がどうなっているのか、というようなことを巡って議論した覚えがある。日本側が同意した日本語がどのような意味なのかを確認するのは大変困難なことだった。

伊佐:日本側の代表として交渉に参加した佐藤氏は次のような報告をしています。GHQ草案にimmcomunicadoを禁止すると言う規定あるが、その意味が判らないので、GHQ側に問いただしたが、満足な答えがないので、彼等も良く判らないのだと考えて、この規定は削除することにした、と。こんなことは信じられないのですが。

ケーディス:とても、信じられないね(笑い)。法制局のサトウ・タツオのことか....。

高野:佐藤氏はまた、次のような報告もしています。GHQ草案では逮捕状の発布権者を「権限のある裁判所の一員(a competent officer of a court of law)」にしていたが、3月4日から5日にかけてのGHQとの折衝によって、これを「権限ある司法官憲(a competent judicial officer)」に変更することに合意した、これは検察官を令状発布権者に含めようとする趣旨である、と彼は報告しています。この報告は正しいでしょうか。

ケーディス:これも交渉の過程における譲歩の一つだと思うが、われわれの理解では、competent judicial officerには、マジストレートなどの下級の裁判所職員が含まれることはあっても、検察官を含むことはない。だから、刑事訴訟法が改定されるときに、日本側に対してcompetent judicial officerには検察官は含まれないと言っているはずだ。

高野:佐藤氏は、GHQのメンバー自身もcompetent judicial officerには検察官が含まれることを了解していたというのですが。これは本当なのでしょうか。私には本当には思えないのですが。

ケーディス:私もそうは思わないが、定かな記憶はない。もしも、検察官を含むつもりならば、public procuratorという言葉を使ったはずだ。なぜなら、われわれは通常procuratorをjudicial officerとは考えないから。日本の裁判所では、検察官は弁護人よりも高い席についていた。この実務をわれわれは変えたいと考えていたのだ。彼等検察官は、一段高い席についているために、裁判官のように見えた。佐藤が言うような合意があったのかどうか、記憶はない。3月4日から5日にかけて折衝したわけだが、われわれがこの章に達したのもう午前3時、4時と言う時刻だったことをはっきり覚えている。それまでに非常に多くの時間を費やし、そして、更に多くの章が残されていた。つかれていたことは間違いない。良い言い訳ではないが...(笑い)。

高野:あなたはその徹夜の折衝に終始参加していたのですか。

ケーディス:ずっといた。ベアタ・ゴードンもいたし、後に彼女の夫になるゴードンもいたと思う。ホイットニーはその部屋にはおらず、自分のオフィスにいた。

四宮:日本国憲法76条3項は「すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職務を行ない、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定しています。学者のなかには、裁判官が陪審員の評決に従うことは、この規定に違反するから、我が国では陪審制を採用することはできないと主張する人がいます。あなたがたは、この規定を起草するときに、このような議論が可能だと考えましたか。

ケーディス:まったく考えなかった。この規定によって、陪審の評決の拘束力を排除しようという考えは全くなかった。われわれは、陪審制を採用するかどうかの問題は、日本国民すなわち国会に委ねようと考えていたのだ。

(高野隆 記1993年8月24日)

plltakano at 22:45│コメント(0)│トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2007年05月14日

東京高裁第10刑事部(須田賢裁判長)は、5月10日、村岡兼造元官房長官に対する政治資金規正法違反事件(不記載)について、1審東京地裁の無罪判決(東京地裁平成18年3月30日判決[未公刊])を破棄して、禁固10ヶ月執行猶予3年の逆転有罪判決を言渡した。新聞報道によると、日本歯科医師連盟から平成研究会(橋本派)への1億円の献金を村岡氏の指示で収支報告書に記載しなかったという滝川俊行氏(元平成研究会事務局長)の証言について、東京地裁が「思い込みや想像が多く、信用できない」「[他の有力政治家に]塁が及ぶのを避けるため虚偽供述した可能性が大きい」としてその信用性を否定したのに対して、東京高裁は「根幹部分は一貫しており、信用性が高い」「誰かをかばうため虚偽供述する理由はない」としてその信用性を肯定した(日経新聞2007年5月11日朝刊13版39頁)。

これは、刑事裁判における「二重の危険」を禁止している憲法がありながら、無罪判決に対する検察官上訴を認めているわが国の刑事司法が日常的に作り出している多数の悲劇の一つである。

どんなに有力な政治家や資産家でも国家権力には及ばない。東京地検特捜部は日歯連や平成研究会から段ボール箱数十個分の証拠を押収し、関係者数十名を呼び出して事情聴取し、さらには滝川氏や日歯連幹部の身柄を拘束して連日長時間の取調べを行って、滝川氏らの自白を獲得して、この事件を起訴したのである。無実を主張する村岡氏にも彼を弁護する弁護人にもこのような権限は全く与えられていない。そして検察は自分たちが収集した膨大な資料の中から被告人の有罪を証明する証拠だけを裁判所に提出する。それ以外の証拠は検察庁の倉庫に眠ったままだ。無実を主張する被告人は限られた資源で自分の無実を証明する証拠を探索するが、結局めぼしい証拠は既になく、乏しい資料を土台に法廷戦術を駆使して検察の圧倒的な有罪証拠に対して絶望的な闘いを挑むのである。それは経済的にも精神的にも、また、肉体的にもストレスに満ちた戦いなのである。

このような苦労もほとんど報われることはない。刑事第1審否認事件の無罪率は1%ほどである。この現実と身柄拘束からの早期解放(否認すれば保釈は認められない)とを秤にかけて、闘わずして諦める被告人が非常に多い。要するに、無罪判決を獲得するというのは、被告人自身の強靭な精神力や弁護人の能力と、そして、幸運がなければ、なしえない事柄である。村岡氏は1審の無罪判決言い渡しの際に歓喜の涙を流したそうだが、無罪を獲得した被告人は誰もみなそうである。

しかし、これで終わったわけではない。まだ続きがある。検事控訴である。

そして、高裁の判事たちは、地裁の裁判官たちよりもさらに一層検察官びいきである。

わが国の控訴審は「事後審」と呼ばれ、1審の手続や事実認定に誤りがあるかどうかを判断するために、1審の記録だけを審査するのが原則である。裁判をもう一度やり直すわけではない。新聞の見出しによく「高裁も実刑」などと書いてあるのをときどき見かけるが、あれは間違いである。正しくは「高裁、一審の実刑判決を是認」ということになる。高裁では新しい証拠を取調べないのが原則であり、「やむを得ない事由によって第1審の弁論終結前に取調を請求することができなかった」場合でない限り、新しい証拠を取調べないことになっている(刑訴法382条の2、393条第1項)。

高裁の裁判官は被告人側の証拠調べ請求に対してはこの規定を非常に厳格に適用する。だから、被告人が控訴した事件の第一回公判期日に被告側の証拠申請を全部却下して直ちに終結という事件も決してめずらしくない。ところが、検察官が控訴した事件では高裁は非常に緩やかに検察官の証拠申請を認める。1審で検事が請求するのを忘れた証拠やただの蒸し返しに過ぎないような証人申請ですら、高裁判事は検察官申請のときには認めることが多い。弁護人の申請の証拠調べはたいてい「やむを得ない事由の疎明がない」と言って却下する。検事の申請のときにはなにもいわずに「採用します」と言って採用する、あるいは、「裁判所の職権で採用します」などと言って採用する。この職権による証拠採用というのは、要するに、「やむを得ない事由」があったかどうかを問わず、検察官が取調べてもらいたいと思う証拠を、裁判所も積極的に調べてみたいので調べるというわけであり、これほど不公平なことはない。しかし、最高裁判所の判例は高裁判事がこのような姿勢をとることを許している(最1小決昭59・9・20刑集38-9-2810)。

この事件でも、東京高裁第10刑事部は、滝川証人の尋問を認めている。滝川氏は1審での証言を繰り返したうえ、「橋本龍太郎元首相ら当時の幹部に累が及ぶのを阻止するため、虚偽供述した可能性もある」という1審判決に対して、「(虚偽は)全くありません」と反論したと言う(日本経済新聞2007年2月20日朝刊39頁)。この証言が1審証言の蒸し返しに過ぎないものであることは明らかである。高裁が検察側の証人だけ繰返し証言することを許し、しかも当の証人に1審判決への批判をさせるというのは、あまりにも一方的ではないだろうか。しかし、これは日本の高裁判事の平均的な訴訟進行からそれほど大きく離れていないのである。ありがちな訴訟進行の一つである。

結果として、検察官控訴による原判決破棄率は非常に高い。平成17年度の司法統計年報によると、検察官の控訴申立て266件のうち実に202件(75.9%)で原判決が破棄されている(平成17年度司法統計年報第45表、53表)。ちなみに、被告人控訴事件の破棄率は12%(9080件のうち1091件)である。

精神的・肉体的・経済的に多大の犠牲を払ってようやく獲得した無罪判決も、こうして検察官控訴によって反故にされることが多いのである。裁判で無罪を獲得するためには非常に困難な闘いを2回勝たなければならない。いや、上告審があるから、3回勝ってはじめて冤罪の恐怖から解放されるという場合もありえる。わが国の刑事裁判は有罪も無罪も多数決で決定される。したがって、1審無罪・2審有罪という場合、事件を担当した6人の裁判官のうち最大で4人の裁判官が無罪の意見だった可能性がある。4人の裁判官が「滝川証言は信用できない。有罪には合理的な疑いがある」と考えていたとしても、その意見は結果に反映しないということである。

日本国憲法39条はこう定めている――「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」。この条文は非常に分りづらい。その原因は、原案を作成したGHQの法律家の意図を日本政府の担当者が十分に理解していなかったことにある。GHQ草案では刑事事後法の禁止(実行のときに適法であった行為の処罰の禁止)と二重の危険の禁止(同一の犯罪について二度裁判を受けない)は全く別の条文であった。けれどもGHQとの折衝を担当した内閣法制局の入江俊郎や佐藤達夫らは「二重の危険」(double jeopardy)の意味を知らなかったので、日本語の草案では一旦これを削った。しかし、後でGHQが二重の危険禁止条項の削除には同意していないことを知って、残った条文の末尾にこれを付け足すことにしたのである(入江俊郎『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』(入江俊郎論集刊行会1976)、222〜225頁;佐藤達夫(佐藤功補訂)『日本国憲法成立史(第3巻)』(有斐閣1994)、127頁、295頁)。「又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」という部分の公定英訳文はこうなっている:“nor shall he, in any way, be placed in double jeopardy.”この表現は合衆国憲法第5修正から来ている:“nor shall any person be subject for the same offence to be twice put in jeopardy of life or limb.”(「何人も同一の犯罪のためにその命や手足を2度にわたって危険に曝されてはならない」)。

無罪判決に対して検察官が控訴することは憲法39条に違反するか。最高裁判所大法廷昭和25年9月25日判決は、違反しないと述べた:「一審の手続も控訴審の手続もまた、上告審のそれも同じ事件においては、継続せる一つの危険の各部分たるにすぎないのである。……それ故に、下級審における無罪又は有罪判決に対し、検察官が上訴をなし有罪又はより重き刑の判決を求めることは、被告人を二重の危険に曝すものでもなく、従ってまた憲法39条に違反して重ねて刑事上の責任を問うものでもない」と(最大判昭25・9・27刑集4-9-1805)。しかし、何ゆえに1審から上告審までが「継続せる一つの危険」に過ぎないのか最高裁は説明していない。

これに対し英米の判例は古くから事実審の公判審理を一つの危険と考えており、したがって、無罪の評決は事件に対する最終判断であり、それに対して上訴はできないとされてきた。1957年の合衆国最高裁判所の判例はその理由をこう説明している:「政府は、その有する全ての資源と権力とを用いて個人を断罪する試みを繰り返すことによって、彼をして困惑させ、出費をさせ、試練にさらし、持続する憂慮と不安のうちに生きることをやむなくさせ、そして、無罪であっても有罪とされる危険を高めるようなことをしてはならないということである」(Green v. United States, 355 U.S. 184 (1957))。ここには、刑事訴追というものが巨大な権限を持った国家と何等の権限も権威もない一個人との間の紛争であることについての深い認識がある。

そして、この認識はわが国の刑事裁判の現状に対してこそそのまま当てはまるのではないだろうか。わが国において、1審無罪判決に対する検察官控訴の実態は、政府が「全ての資源と権力とを用いて個人を断罪する試みを繰り返すこと」に他ならず、被告人をして「困惑させ、出費をさせ、試練にさらし、持続する憂慮と不安のうちに生きることをやむなくさせ、そして、無罪であっても有罪とされる危険を高める」という評価がもっとも相応しい。

裁判員法の制定の際に上訴審をどうするかについて多少の議論はあったようだが、立法的な手当ては結局何もなされなかった。しかし、裁判員と裁判官が評議した結果出された無罪判決に対して検察官が上訴するということ、そして、高等裁判所が今回と同じように一審の判断と反対に「検察側証人は信用できる」と言って逆転有罪判決を言渡すことは、今まで以上に事態の不条理さを際立たせるであろう。仮に1審が全員一致で無罪を言い渡し、高裁判決が多数決で有罪の判断をしたのだとすると、裁判に関与した12人のうち10人が無罪の意見であっても被告人は有罪になるということである。そのような有罪判決を人々は信頼するだろうか。


plltakano at 20:28│コメント(2)│トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加

2007年03月02日

刑事手続に関するアメリカの憲法判例集
【最終更新日 2007年3月1日】
取調べと自白
エスコビード対イリノイ(1964年)
――弁護人との面会を拒否して獲得された自白を被告人に不利益な証拠として採用することは弁護権を保障した合衆国憲法第6修正に違反する。

ミランダ対アリゾナ(1966年)――身柄拘束下の取調べにおいて、被疑者は取調べを拒否しあるいは弁護人立会いのうえで供述する権利があるのであって、これらの権利を告知せずに取調べることは黙秘権を保障した合衆国憲法第5修正に違反する。

ミニック対ミシシッピ(1990年)――身柄拘束下の取調べにおいて、被疑者が弁護人を要請したならば取り調べは停止されなければならず、その後は、被疑者が彼の弁護人と相談したか否かにかかわらず、弁護人の在席なしに捜査官は取り調べを再聞することはできない。

ステファン対州(1985年アラスカ州最高裁判所)――身柄拘束下の取調べは可能な限り全てテープに記録しなければならないとの規則は、アラスカ州憲法のデュープロセス条項の要請であり、この規則に違反して得られた自白は証拠から排除されなければならない。

弁護権
パウエル対アラバマ(1932年)――死刑事件において、被告人が自ら弁護人を依頼することが出来ない場合には、要求があるかどうかにかかわらず、州政府は彼のために弁護人を任命することが第14修正の法の正当な過程(due process of law)の要求であり、かつ、その任命は、被告人が公判において効果的な援助を実質的に受けることができるような仕方でなされなければならない。


ギデオン対ウェインライト(1963年)――弁護人の援助を受ける権利を保障する第6修正は第14修正を通じて州政府にも適用されるのであり、重罪事件において、自ら弁護人を依頼することができない被告人に対して、州政府は弁護人を任命する義務を負う。


対決権
バーバー対ページ(1968年)
――政府は証人の出廷確保のために善意の努力をしなければならず、証人が法域の外にいるというだけでは「召喚不能」とは言えず、その者の従前の証言を採用することは憲法が保障する対決権を侵害する。


コイ対アイオワ(1988年)
――被害者証人を保護するために遮へい措置をとることは、その個別具体的な必要性が認められないかぎり、対決権を保障した憲法に違反する。


クロフォード対ワシントン(2004年)
――公判に出廷しない者の証言的伝聞供述(testimonial hearsay)は、たとえその者が召喚不能であっても、供述当時に被告人に反対尋問の機会が与えられていたのでない限り、これを証拠として許容することは対決権を保証した合衆国憲法第6修正に違反する。

証拠法
ドーバート対メレル・ダウ薬品会社(1993年)
――科学的証拠の許容性の基準



plltakano at 00:43│コメント(2)│トラックバック(0)  このエントリーをはてなブックマークに追加
Profile

高野隆

記事検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ