2023年07月10日
再審開始決定と再審公判
再審開始決定が確定した袴田事件について、検察側が再審公判で有罪立証をする方針だという。
しかし、日本の再審制度の実態を前提に考えると、再審請求審で再審開始決定がなされた事件について、さらに公判を行い、検察側に有罪立証の機会を与えるということは、同じ事実について2度刑事訴追すること(二重起訴)に等しいのであって、それを禁じた日本国憲法39条に違反すると思う。
日本の再審とコモンロー系諸国の再審(new trial)とは、言葉は同じでも全く異なるものである。コモンロー系諸国では、通常の上訴手続(appeal)あるいは人身保護手続(habeas corpus)によって、有罪判決に至る手続に憲法違反や重大な法令違反があったと認定されれば――有罪認定に誤りがあるかどうかに関係なく――、事件は公判裁判所に差し戻され、公判は最初からやり直される。上訴や人身保護の審理では有罪か無罪かをめぐる証拠調べは行われていないので、再審(new trial)で事実審理を行うことは二重の危険(double jeopardy)の禁止を定めた合衆国憲法第5修正に違反しない。
日本の再審手続はこれと全く異なる。審理の対象が違う。日本の再審手続では手続の法令違反は審理されない。日本の再審手続で審理されるのは有罪判決の事実認定の誤りである。「有罪の言渡しを受けた者に対して無罪[…]を言い渡[す]べき明らかな証拠をあらたに発見したとき」(刑事訴訟法435条6号)に再審が「開始」されることになっている(同法448条1項)。
日本では、再審開始が決めれられた段階で、すでに、3人の職業裁判官による評議によって――即時抗告と特別抗告が行われた場合には、合計11人の裁判官によって――「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があると判断されてしまっているのである。その決定がなされるまでの間に、検察官は有罪判決に誤りはないと主張してそれを支える証拠を提出する機会が与えられている。その決定に対する不服申立の機会まで与えられている。
このうえさらに公判審理を行って有罪か無罪かを決めるというのは、単に迂遠で時間や経費の無駄使いだというにとどまらない。強大な権力と莫大な資金力を持つ政府にそうした権力や資金と無縁な個人を訴追する機会を繰り返し与えることにほかならない。それは日本国憲法が禁じる二重の危険(double jeopardy)そのものではないだろうか。実態に即して言えば、それは同じ犯罪事実について2度起訴され2度裁判を受けるのに等しい負担を個人に課すものである。
二重の危険禁止の意味について説明したアメリカ連邦最高裁の次の説示は、その憲法を承継したこの国の刑事裁判にも当てはまると思う――「政府は、その有する全ての資源と権力とを用いて個人を断罪する試みを繰り返すことによって、彼をして困惑させ、出費をさせ、試練にさらし、持続する憂慮と不安のうちに生きることをやむなくさせ、そして、無罪であっても有罪とされる危険を高めるようなことをしてはならないということである」Green v. United States, 355 U.S. 184 (1957), at 187-188.
しかし、日本の再審制度の実態を前提に考えると、再審請求審で再審開始決定がなされた事件について、さらに公判を行い、検察側に有罪立証の機会を与えるということは、同じ事実について2度刑事訴追すること(二重起訴)に等しいのであって、それを禁じた日本国憲法39条に違反すると思う。
日本の再審とコモンロー系諸国の再審(new trial)とは、言葉は同じでも全く異なるものである。コモンロー系諸国では、通常の上訴手続(appeal)あるいは人身保護手続(habeas corpus)によって、有罪判決に至る手続に憲法違反や重大な法令違反があったと認定されれば――有罪認定に誤りがあるかどうかに関係なく――、事件は公判裁判所に差し戻され、公判は最初からやり直される。上訴や人身保護の審理では有罪か無罪かをめぐる証拠調べは行われていないので、再審(new trial)で事実審理を行うことは二重の危険(double jeopardy)の禁止を定めた合衆国憲法第5修正に違反しない。
日本の再審手続はこれと全く異なる。審理の対象が違う。日本の再審手続では手続の法令違反は審理されない。日本の再審手続で審理されるのは有罪判決の事実認定の誤りである。「有罪の言渡しを受けた者に対して無罪[…]を言い渡[す]べき明らかな証拠をあらたに発見したとき」(刑事訴訟法435条6号)に再審が「開始」されることになっている(同法448条1項)。
日本では、再審開始が決めれられた段階で、すでに、3人の職業裁判官による評議によって――即時抗告と特別抗告が行われた場合には、合計11人の裁判官によって――「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があると判断されてしまっているのである。その決定がなされるまでの間に、検察官は有罪判決に誤りはないと主張してそれを支える証拠を提出する機会が与えられている。その決定に対する不服申立の機会まで与えられている。
このうえさらに公判審理を行って有罪か無罪かを決めるというのは、単に迂遠で時間や経費の無駄使いだというにとどまらない。強大な権力と莫大な資金力を持つ政府にそうした権力や資金と無縁な個人を訴追する機会を繰り返し与えることにほかならない。それは日本国憲法が禁じる二重の危険(double jeopardy)そのものではないだろうか。実態に即して言えば、それは同じ犯罪事実について2度起訴され2度裁判を受けるのに等しい負担を個人に課すものである。
二重の危険禁止の意味について説明したアメリカ連邦最高裁の次の説示は、その憲法を承継したこの国の刑事裁判にも当てはまると思う――「政府は、その有する全ての資源と権力とを用いて個人を断罪する試みを繰り返すことによって、彼をして困惑させ、出費をさせ、試練にさらし、持続する憂慮と不安のうちに生きることをやむなくさせ、そして、無罪であっても有罪とされる危険を高めるようなことをしてはならないということである」Green v. United States, 355 U.S. 184 (1957), at 187-188.