2023年03月09日
量刑検索システムの違憲性
1「裁判員量刑検索システム」
最高裁判所事務総局刑事局(以下「刑事局」)は、2008年4月1日に「Web版量刑検索システム」の運用を開始した。現在行なわれている「裁判員量刑検索システム」(2012年3月26日運用開始)はそれを引き継いだものである(1) 。このシステムは裁判員裁判において裁判官と裁判員が行なう量刑に関する評議の場で活用することを主たる目的として構築されたものであり、評議の際に裁判官が裁判員にその検索結果を「示す」ことが予定されている(2) 。
最高裁刑事局長の「事務連絡」によると、「刑事局において本システムの運用事務を分掌する係の担当課長補佐」がシステムの管理者である (3)。また、この管理者から指名された者も管理者と同一の権限を有する(4) 。現在まで、「分掌する係」が何を指すのか、その「課長補佐」が誰なのか、そして、その課長補佐から指名された、「管理者と同一の権限を持つ者」が誰なのかは一切公表されていない。
また、刑事局長事務連絡によれば、「地方裁判所本庁及び支部(合議事件を取り扱う支部に限る。)に所属する刑事事件担当裁判官」は、システムにデータを登録する権限(「登録権限」)を持っているとされ (5)、各庁ごとに「登録権限を有する者の中から、登録担当者を決める」ことになっている(6) 。しかし、各庁(地方裁判所本庁及び支部)の誰が登録担当者なのかも全く公表されていない。
前述の「管理者から指名された者」は「承認担当者」として、登録されたデータを点検し、不備がなければ「承認処理」を行なう (7)。この承認処理によってデータは検索対象となり、全国の端末から参照可能となる (8)。しかし、この「承認担当者」が誰なのかも不明である。さらに、具体的にどのような方法で「承認処理」を行っているのかもわからない。登録されたデータが幾つであり、そのうちどのくらいのデータが承認を得られなかったのか、その理由が何なのかも公表されていない。
刑事局は、量刑検索システムへの「データ登録のルール」(以下「刑事局ルール」)を定めている。2014年改訂版によると、「有罪判決が宣告された裁判員裁判対象事件」のほか「法定合議事件の一部(強姦、非現住建造物等放火等)」も対象となっている(刑事局ルール1頁)。データの登録は処断罪を基準にそれぞれの事件の特定事項――判決日、裁判所、事件番号、求刑、判決結果等)――と量刑因子――動機、凶器の有無、傷害の程度、被害者の落ち度、共犯関係、被告人から見た被害者の立場、被告人の懲役前科、被告人の反省、示談等――をプルダウンから選択することになっている。プルダウン方式であるから、入力者は自由に項目を設けたり、記述することはできない。
この「データ登録のルール」がどのような検討の末に、誰によって作成されたのか、全く不明である。なぜ裁判員裁判対象事件のほかに「法廷合議事件の一部」を含むことにしたのかも不明である。その「一部」以外の事件を含めなかった理由もまた不明である。量刑因子として登録する項目を決めたのは誰か。どのような論理や基準によってそれを定めたのかも分からない。
検索されたデータは、「量刑分布表」と「量刑グラフ」と「事例一覧表」という形式で出力される。また、検索条件に該当する各事件の登録内容を事件ごとに表示した「個別事件票」を出力することができる。しかし、いずれの出力形式についても、個別事件を識別する情報――被告人名、裁判所名、裁判官名、事件番号等――は一切表示されない (9)。したがって、検索結果から元になった判決を参照することもできない。
2 民主的正当性が全くない
量刑検索システムというデータベースを作成すること、そして、それを裁判員裁判の量刑判断の資料として利用することを定めた法律は存在しない。裁判員法にも裁判員規則にも量刑検索システムの作成や利用を認める規定は全くない。そもそも、裁判員制度を提言した司法制度改革審議会においても、その提言に基づいて裁判員制度を具体的に設計した司法制度改革推進本部・刑事検討会においても、そしてまた裁判員法の審議を行った国会においても、裁判員が量刑について過去の裁判例をまとめた参考資料を用いて量刑判断を行うことなど、一度も議論されたことはない(10) 。
量刑検索システムは一般市民に公開されていない。国会議員も見ることができない。刑事司法を研究する学者もその内容を知ることはできない。前述のように、その作成のプロセス――どのような議論に基づいて、いつ、誰が、どのような資料に基づいて量刑因子を決めたのかなど――が一切不明である。その正確性や公正さを第三者が検証することは全くできない。いわばシステム全体が一つのブラックボックスとなっている。
弁護士は裁判員裁判対象事件を受任したときに限りシステムを利用することができる。事件が係属する担当部の書記官室に赴き、そこに設置された端末で検索条件を入力すると、それに該当する事件の「量刑グラフ」、「量刑分布表」と「個別事件票」を見ることができる。それらをプリントアウトすることもできる。しかし、その用紙には「被告人・閲覧可、交付不可」という注意書きがある。弁護人は自分の依頼人に検索結果を見せることはできるが、プリントアウトしたデータを依頼人に渡すことは禁じられるのである。どの法律に基づいて、被告人と弁護人との間の情報共有にこうした制限を加えることが可能なのか、不明である。
検索結果として得た判決の事件を識別する情報を得ることはできない。弁護人は検索結果を利用してもとの事件の判決文の謄写等を行って、判決文を確認することができない。したがって、出力データが正確かどうか、出力された項目以外にどのような量刑因子が存在したのかを点検することはできない。また判決に関与した裁判官が誰なのかも全く不明である。要するに、法律上の根拠もなく、誰が何に基づいて作ったのかも分からない、データベースソフトがインストールされたパソコンのモニターに表示された「検索結果」が1人の人間の運命を決めているのだ。
東京高等裁判所2022年7月7日判決(11)は、「量刑判断は、特段の必要性がある場合を除き、個々の過去の裁判例といちいちの事情を比較して重くしたり軽くしたりする性質のものではないと解され、裁判員量刑検索システムに入力された事例の判決文が出力、特定等できないことも問題ない」などと言う。さらには、正確性が担保されていないとしても、また、「[入力]ミスが生じたことをもって、裁判員量刑検索システム自体の利用に支障が生じているものとも認められない」とも言っている。要するに、入力元となった判決文が不明のままでも、入力データの正確性が検証されなくとも、さらには入力に誤りがあっても、問題ないというのである。しかし、入力データに誤りがあるにもかかわらず、そのデータに基づいて評議され決定された判決が正当であり、被告人にその執行を甘受せよと、どうして主張することができるというのだろうか?こうした論法が許されるなら、有罪判決の基礎となった証拠が偽造された証拠であっても、確定した判決は有効なものであり、被告人はそれに従うべきだと言うのと同じである。少なくとも、現在のこの国の刑事訴訟法はそうした立場には立っていない(刑訴法435条1号)。
量刑検索システムの目的が個々の裁判例と裁判対象となる事件との「いちいちの事情」を比較するためにあるのではなく、「目安」としての「おおまかな量刑傾向」(12) を知るためのものに過ぎないとしても、だからといって入力元の判決を特定できなくて良いということにはならない。その「大まかな量刑傾向」を構成しているのはまさに一つ一つの判決なのである。個性ある一つ一つの事件のなかから、限られた「量刑因子」を選定して集めたデータの検索結果が果たして実際の判決を公正に反映したものなのか、実際の判決にはデータベースに反映されていないが実質的に判決結果に影響を与えた別の「量刑因子」があったのではないかといった疑問は常に起こりうるのであり、そうした疑問を検証する機会を訴訟当事者に与えないというのは明らかにアンフェアである。また、一般市民や立法機関がそうした検証を絶えず行うことで、データの正確性は保持されるのである。こうした検証に耐えてこそ、それは被告人の運命を決する重大要素である「大まかな量刑傾向」を示すものとして機能する正当性を主張することができるのである。
3 証拠裁判主義違反
(1)証明対象としての「量刑傾向」
最高裁判所第1小法廷2014年7月24日判決は、裁判所の量刑判断の公平性を担保するためには、これまでの裁判例の集積によって形成された、犯罪類型ごとの量刑傾向を考慮しなければならないとした。
最高裁は、量刑判断において、「これまでの大まかな量刑の傾向」を「裁判体の共通認識」とすることが必要であると言ったのである。他方で、最高裁は、その方法について何も言っていない。「量刑検索システム」を利用せよとも勿論言っていない。最高裁は、しかし逆に、どんな方法でも良いとも言っていない。したがって、実際の刑事裁判において、どのような手続に基づいて「これまでの大まかな量刑傾向」を「裁判体の共通認識」にすることが正しいのかを検討する必要がある。
最高裁が言う「量刑傾向」とは、「犯罪類型ごと」の裁判例の集積である。ここに言う「犯罪類型」とは、単なる罪名ではないし、刑法が定める犯罪構成要件を指すのでもない。最高裁は「行為責任」とか「当該犯罪行為にふさわしいと考えられる刑」を考えるという文脈で「犯罪類型」と言っているのであるから、犯罪構成要件の要素をさらに細かく分類選別することを要求していることは明らかであろう。それは有罪とされた犯罪事実に含まれる諸事情――犯行の態様・動機・被告人の地位・役割(共犯関係)等――を一定の基準にしたがって分類し、その分類にそって裁判例を再評価するということである。そうすると、決定的に重要なのは、「犯罪類型」をどのように分類するかということであり、その分類項目を評価するものさしとして何を設定するかということである。
そして、審判対象となっている事件があらかじめ設定された犯罪類型ごとの分類に、該当するのかどうかが決定的に重要である。これは犯罪構成要件に関する事実認定と同じ認定判断の構造である。当事者間において争いが生じうるし、裁判体と当事者の間でも見解の相違が生じうる。たとえば、犯罪の動機について、「経済的利益を得ること」か「名誉を守るため」かという分類をすることが正しいのか;犯行に「凶器」を使ったのかどうか、凶器が「刃物」か「拳銃」か「それ以外」かに分けることは正しいのかについて論争が生じ得る。そして、取り上げられている裁判例が実際にその動機や凶器の有無などを事実として認定したのかどうかについても、争いが起こりえるのである。
このように、「量刑傾向」なるものは、訴訟の帰趨(量刑)に決定的な影響を与える事項であり、訴訟の当事者間において争いの対象となりえるものなのであって、したがってそれは証拠によって認定判断すべき事柄なのである。
(2)厳格な証明の対象である
要するに、最高裁が言う「裁判例の集積」に基づく「目安」としての「量刑傾向」なるものは、訴追の対象となっている犯罪事実の認定に匹敵する、決定的に重要で論争の対象となりうる事実認定の問題なのである。したがってこれは「厳格な証明」を要する事実である。すなわち、量刑傾向を立証する証拠は、刑事訴訟法320条以下の伝聞法則の適用を受けるのであり、法廷外で作成された供述証拠(書面)の内容を証拠とするのであれば、その作成者が法廷で証言するか、あるいは、その書面が伝聞例外規定(刑訴法323条各号)に該当することが証明されなければならない。
いずれにしても、当事者には量刑傾向についての主張・立証の機会が与えられるだけではなく、相手方の主張・立証の内容を予め知り、それに反駁し反証を行なう機会が与えられなければならない。そして、裁判所が職権で量刑傾向を立証しようとする場合には、当事者双方にその内容を知り、意見を述べ、かつ、反証の機会が与えられなければならない。
そうした手続を踏まずに、量刑傾向の内容を一方的に、当事者が知らなううちに、裁判体に提供することは、証拠裁判主義(刑訴法317条)に違反し、ひいては、公平な裁判所による公正な裁判を受ける権利(憲法37条1項、2項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条2項)を侵害すると言わなければならない。
(3)「証拠による証明」が必要である
仮に、「これまでの大まかな量刑傾向」は、量刑に関する事実であるから、「厳格な証明」は必要ではなく、「自由な証明」で足りるという見解を採用したとしても、評議室の中で裁判官と裁判員だけで量刑検索システムを利用することが違法であることに変わりはない。なぜなら、「自由な証明」も証明手続の一種なのであって、公判廷に顕出して当事者双方と事実認定者の吟味に付することもなく、秘密裏に量刑判断の資料にすることが許されているとはとうてい考えられないからである。
最高裁判所第2小法廷1949年2月22日判決は、原判決が、執行猶予に付さなかった理由について証拠を引用して説明しなかったことが証拠裁判主義に反するという上告趣意に対して、情状に関する理由は判決にその判断を示す必要もなく、その証拠理由を示す必要もないとして退けたが、「刑の執行を猶予すべき情状の有無と雖も、必ず適法なる証拠にもとずいて、判断しなければならぬことは所論のとおりである」とした(14) 。また、最高裁判所第1小法廷1950年10月5日判決は、死刑事件に対する被告人の控訴を棄却した原判決が「その結果の社会に及ぼす影響もまた甚大である点」を「斟酌」したと言いながら、その証拠を挙げていない点は証拠裁判主義に反する(したがって、法定手続を保障した憲法31条に違反する)とした上告趣意に対して、「刑の量定に関する事項については記録上これを認むべき証拠あるを以て足り訴訟法上証拠を掲げてこれを説明するを要するものでない」と判示した(15) 。このように、最高裁判例は、「犯情」ではない単なる情状に関する事実についても、一切の証拠なしにこれを認定したり、あるいは、訴訟手続に登場しない秘密の場所で資料を検討するなどということを決して認めてはいないのである。むしろ、単なる情状に関する事実についても、その判断の根拠となる資料は、証拠として公判廷で吟味されることを要求していると言うべきである (16)。
裁判官や裁判員は、評議室に何でも持ち込みそれを参照して良いというわけではない。証拠として採用され法廷で取調べられてもいない「資料」を評議室に持ち込むことは許されないのである。誰かがインターネットで検索した結果を評議室に持ち込んで評議の材料にすることが許されないように、証拠として取り調べれていない量刑検索システムの検索結果なるものを評議室に持ち込むことは、証拠裁判主義に違反するのである。
量刑検索システムの検索結果は訴訟記録に編綴されていない。それが不当な内容であったとしても、上訴審はそれを審査できないのである。刑事訴訟法は、上訴審の審査対象となるべき訴訟手続を示す資料は、全て訴訟記録のなかに収められなければならない言っているのである。だから、上訴した当事者はその上訴理由を原審の訴訟記録のなかから見つけ出さなければならないのである。例えば、量刑不当の控訴趣意は「訴訟記録及び原裁判所において取調べた証拠にあらわれている事実」を援用しなければならない(刑訴法381条)。証拠として取調べられていない、訴訟記録に編綴されてもいないものに基づいて量刑判断をすることは、この法の建前と明らかに矛盾する。
(4)量刑傾向の認定は「判例調査」ではない
前出の2022年東京高裁判決は、量刑傾向を把握することは「法規の解釈のために裁判例等を調査することなどと同様の作用」だと言う。しかし、これは明らかな誤りである。
刑の量定が「法規の解釈」ではないことは明白である。裁判員法は法令の解釈は裁判官の専権事項であるとする(裁判員法6条2項1号)一方、刑の量定は、裁判官と裁判員の合議によって決すべき事項であるとしているのである(同項3号)。すなわち、法的な教育や訓練を受けていない普通の市民が、その社会常識を駆使して証拠を検討することによって、適正な量刑判断に到達することができることを法は予定しているのである。2014年第1小法廷判決は、前述したように、「大まかな量刑傾向」を「目安」「出発点」として「当該事案にふさわしい評議を深めていくこと」が必要であると言っている。この量刑傾向の調査が裁判官の専権に属するなどとは一言も言っていない。そのような解釈はそもそも裁判員法に明白に違反するのである。
「大まかな量刑傾向」が何であるかを裁判員が――裁判官と対等の立場で――認定判断できるためには、検察官と弁護人の双方がそのことを立証テーマとして主張し合ったうえ、その裏付けとなる適切な証拠――具体的な裁判例や、量刑や処遇などに関する専門家証言など――を提出し合い、弁論を行い、それらを見聞した上で、評議室に臨むという仕組みがあれば良いのである。そして、この仕組みこそ、証拠裁判主義・公判中心主義に基づく事実認定の仕組みにほかならないである。
東京高裁判決は、量刑判断の過程――その中核である量刑傾向の認定過程――を法令解釈と異ならないなどという独自の見解(裁判員制度を無視した見解)に基づいて、刑事裁判のもっとも中核的な価値である証拠裁判主義・公判中心主義をなし崩しにしようとするものである。
5 裁判官の独立への侵害
裁判員裁判においては、被告人の量刑は裁判官と裁判員の評議によって決定される(裁判員法6条1項3号)。この評議において、裁判官と裁判員の意見の重みは同等である。裁判員には裁判官の量刑に関する意見に従う義務などない。量刑の前提となる証拠の評価は、裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられる(同法62条)。量刑判断の前提となる量刑傾向についても、その判断は裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられなければならないのである。量刑傾向を構成する裁判例を分類するための「犯罪類型」として何が重要かを判断するのも、裁判官と裁判員の権限に属するのである。そして、その犯罪類型を評価するための基準として何を設定するかについても、裁判官と裁判員は対等の立場で議論できなければならないのである。
前述したように、「量刑検索システム」は最高裁判所事務総局刑事局長という司法行政機関が運営しているデータベースであり、司法行政文書である。そうした文書が裁判の結果に重大な影響を与えることなど、日本国憲法の下では決してあってはならないことである。ところが、現実にそれが平然と全国の裁判所で行なわれているのである。しかも、データの基礎となっている裁判例は全く特定されておらず、データの正確性を検証することも全く不可能である。さらに、裁判例を分類するための類型すなわち「量刑因子」の選択もそれを評価するためのものさしも、刑事局長名の「事務連絡」や「ルール」によって恣意的に決められているのである。何が重要な量刑因子であり、それをどのような基準で評価するべきかは、各事件を担当する裁判官と裁判員が評議の上で決めるべきことである。司法行政機関がその権限に介入することなど許されないことは明らかである。
「量刑検索システム」の利用は、刑の量定が裁判官と裁判員の対等な評議によって決せられるべきことを定めた裁判員法6条1項3号に違反する。またそれは裁判官の独立を保障した日本国憲法76条3項に違反する。そしてまたそれは、「独立の・・・裁判所による・・・審理」を保障する市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項にも違反する。
6 結論
罪刑の均衡は正義の要である。犯人が犯した罪にふさわしい刑罰が課されなければならない。それと同時にそれは公平なものであるべきである。公平さを担保するための一つの装置として、それまでの裁判例の集積から導かれる「量刑傾向」を参照するというのは、決して間違ってはいない。問題なのは、その手続である。
「量刑傾向」として何が認められるのかは、単純明快な事実ではない。争いの余地が多分にある。そうであるにも関わらず、それは最終的に「裁判体の共通認識」として認定され、被告人の量刑に決定的な影響を与えるのである。そうであれば、「量刑傾向」を認定する手続が公開の法廷で厳格になされなければならないことは当然であろう。
それを実現する方法はいくつもある。そのためには、まず、全裁判例を公開することが必要である。そうすることで、問題の殆どは解消されてしまうであろう。検察と弁護は、公刊された裁判例をもとに、「量刑傾向」が何かを主張・立証すれば良い。その主張に異論があれば、裁判例を特定して反論すれば良いのである。裁判例の内容やその解釈に争いがあれば、判決文を証拠請求すれば良い。当事者が証拠請求した判決文や判例集は同意書証(326条)あるいは伝聞例外に該当する証拠(323条1号)として許容性が認められるであろう。
一般国民にとっても法律家にとっても正体不明のブラックボックスである「量刑検索システム」などを利用する必要は全然ない。司法行政文書に頼った刑事裁判など現代の国際社会において信頼されるはずはない。一刻も早く廃止されなければならない。
【注】
(1) 2012年3月23日付刑事局長事務連絡。
(2) 司法研修所編(井田良、大島隆明、園原敏彦、辛島朗)『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』(法曹会2012)、26頁(「裁判官としては、裁判員から抵抗感を示されたとしても、評議において、量刑資料を示すことをちゅうちょする必要はない。」)。
(3) 前注1の刑事局長事務連絡に添付された「改正後の運用要領」第3の2。
(4) 同前、第3の3。
(5) 同前、第3の4、第1の1。
(6)同前、第5の3。
(7)同前、第6の1。
(8)同前、第6の2。
(9)同前、第8。
(10)趙誠峰「裁判員量刑検索システムの違憲性」大澤恒夫ほか編『民主的司法の展望:四宮啓先生古希記念論文集』(日本評論社2022)、278、280頁。
(11) 東京高裁第10刑事部2022年7月7日判決(同裁判所令和4年(う)第225号)公刊物未搭載。私は同事件の弁護人の一人であり、本稿は同判決に対する上告趣意書の一部に加筆したものである。なお、上告審である最高裁第1小法廷は、2023年3月8日、われわれの上告趣意を「実質は単なる法令違反[]の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」と言って棄却した。
(12) 最1小判2014・7・24刑集68-6-925、928〜929頁。
(13) 刑集68-6、928〜929頁。強調は引用者。
(14) 最2小判1949・2・22刑集3-2-221、222頁。強調は引用者。
(15) 最1小判1950・10・5刑集4-10-1875、1876頁。強調は引用者。
(16) 最高裁判所第2小法廷1952年12月27日決定は、控訴審の弁論終結後に検察官が裁判所に直接送付した前科調書に基づいて、弁論を再開せずに、したがって、前科調書の証拠調べもせずに、そのまま前科を認定して「執行猶予の言渡しを為すは相当ならず」と判決したという事案について、「所論の資料は単なる量刑判断に用いたものであって罪となるべき事実認定の証拠ではないから厳格な証拠調手続を履践することを要しない」とした。最2小決1952・12・27刑集6-12-1481、1482〜1483頁。この判例については強い批判がある。安廣文夫元東京高裁判事は「情状関係の証拠を公判廷に顕出することもしないで量刑判断の用に供するというようなことが、今日無条件に許容されるなどと考えるべきではあるまい」と述べている。河上和雄他編『大コンメンタール刑事訴訟法(第2版)第7巻』(青林書院2012)、366頁[安廣文夫]。
最高裁判所事務総局刑事局(以下「刑事局」)は、2008年4月1日に「Web版量刑検索システム」の運用を開始した。現在行なわれている「裁判員量刑検索システム」(2012年3月26日運用開始)はそれを引き継いだものである(1) 。このシステムは裁判員裁判において裁判官と裁判員が行なう量刑に関する評議の場で活用することを主たる目的として構築されたものであり、評議の際に裁判官が裁判員にその検索結果を「示す」ことが予定されている(2) 。
最高裁刑事局長の「事務連絡」によると、「刑事局において本システムの運用事務を分掌する係の担当課長補佐」がシステムの管理者である (3)。また、この管理者から指名された者も管理者と同一の権限を有する(4) 。現在まで、「分掌する係」が何を指すのか、その「課長補佐」が誰なのか、そして、その課長補佐から指名された、「管理者と同一の権限を持つ者」が誰なのかは一切公表されていない。
また、刑事局長事務連絡によれば、「地方裁判所本庁及び支部(合議事件を取り扱う支部に限る。)に所属する刑事事件担当裁判官」は、システムにデータを登録する権限(「登録権限」)を持っているとされ (5)、各庁ごとに「登録権限を有する者の中から、登録担当者を決める」ことになっている(6) 。しかし、各庁(地方裁判所本庁及び支部)の誰が登録担当者なのかも全く公表されていない。
前述の「管理者から指名された者」は「承認担当者」として、登録されたデータを点検し、不備がなければ「承認処理」を行なう (7)。この承認処理によってデータは検索対象となり、全国の端末から参照可能となる (8)。しかし、この「承認担当者」が誰なのかも不明である。さらに、具体的にどのような方法で「承認処理」を行っているのかもわからない。登録されたデータが幾つであり、そのうちどのくらいのデータが承認を得られなかったのか、その理由が何なのかも公表されていない。
刑事局は、量刑検索システムへの「データ登録のルール」(以下「刑事局ルール」)を定めている。2014年改訂版によると、「有罪判決が宣告された裁判員裁判対象事件」のほか「法定合議事件の一部(強姦、非現住建造物等放火等)」も対象となっている(刑事局ルール1頁)。データの登録は処断罪を基準にそれぞれの事件の特定事項――判決日、裁判所、事件番号、求刑、判決結果等)――と量刑因子――動機、凶器の有無、傷害の程度、被害者の落ち度、共犯関係、被告人から見た被害者の立場、被告人の懲役前科、被告人の反省、示談等――をプルダウンから選択することになっている。プルダウン方式であるから、入力者は自由に項目を設けたり、記述することはできない。
この「データ登録のルール」がどのような検討の末に、誰によって作成されたのか、全く不明である。なぜ裁判員裁判対象事件のほかに「法廷合議事件の一部」を含むことにしたのかも不明である。その「一部」以外の事件を含めなかった理由もまた不明である。量刑因子として登録する項目を決めたのは誰か。どのような論理や基準によってそれを定めたのかも分からない。
検索されたデータは、「量刑分布表」と「量刑グラフ」と「事例一覧表」という形式で出力される。また、検索条件に該当する各事件の登録内容を事件ごとに表示した「個別事件票」を出力することができる。しかし、いずれの出力形式についても、個別事件を識別する情報――被告人名、裁判所名、裁判官名、事件番号等――は一切表示されない (9)。したがって、検索結果から元になった判決を参照することもできない。
2 民主的正当性が全くない
量刑検索システムというデータベースを作成すること、そして、それを裁判員裁判の量刑判断の資料として利用することを定めた法律は存在しない。裁判員法にも裁判員規則にも量刑検索システムの作成や利用を認める規定は全くない。そもそも、裁判員制度を提言した司法制度改革審議会においても、その提言に基づいて裁判員制度を具体的に設計した司法制度改革推進本部・刑事検討会においても、そしてまた裁判員法の審議を行った国会においても、裁判員が量刑について過去の裁判例をまとめた参考資料を用いて量刑判断を行うことなど、一度も議論されたことはない(10) 。
量刑検索システムは一般市民に公開されていない。国会議員も見ることができない。刑事司法を研究する学者もその内容を知ることはできない。前述のように、その作成のプロセス――どのような議論に基づいて、いつ、誰が、どのような資料に基づいて量刑因子を決めたのかなど――が一切不明である。その正確性や公正さを第三者が検証することは全くできない。いわばシステム全体が一つのブラックボックスとなっている。
弁護士は裁判員裁判対象事件を受任したときに限りシステムを利用することができる。事件が係属する担当部の書記官室に赴き、そこに設置された端末で検索条件を入力すると、それに該当する事件の「量刑グラフ」、「量刑分布表」と「個別事件票」を見ることができる。それらをプリントアウトすることもできる。しかし、その用紙には「被告人・閲覧可、交付不可」という注意書きがある。弁護人は自分の依頼人に検索結果を見せることはできるが、プリントアウトしたデータを依頼人に渡すことは禁じられるのである。どの法律に基づいて、被告人と弁護人との間の情報共有にこうした制限を加えることが可能なのか、不明である。
検索結果として得た判決の事件を識別する情報を得ることはできない。弁護人は検索結果を利用してもとの事件の判決文の謄写等を行って、判決文を確認することができない。したがって、出力データが正確かどうか、出力された項目以外にどのような量刑因子が存在したのかを点検することはできない。また判決に関与した裁判官が誰なのかも全く不明である。要するに、法律上の根拠もなく、誰が何に基づいて作ったのかも分からない、データベースソフトがインストールされたパソコンのモニターに表示された「検索結果」が1人の人間の運命を決めているのだ。
東京高等裁判所2022年7月7日判決(11)は、「量刑判断は、特段の必要性がある場合を除き、個々の過去の裁判例といちいちの事情を比較して重くしたり軽くしたりする性質のものではないと解され、裁判員量刑検索システムに入力された事例の判決文が出力、特定等できないことも問題ない」などと言う。さらには、正確性が担保されていないとしても、また、「[入力]ミスが生じたことをもって、裁判員量刑検索システム自体の利用に支障が生じているものとも認められない」とも言っている。要するに、入力元となった判決文が不明のままでも、入力データの正確性が検証されなくとも、さらには入力に誤りがあっても、問題ないというのである。しかし、入力データに誤りがあるにもかかわらず、そのデータに基づいて評議され決定された判決が正当であり、被告人にその執行を甘受せよと、どうして主張することができるというのだろうか?こうした論法が許されるなら、有罪判決の基礎となった証拠が偽造された証拠であっても、確定した判決は有効なものであり、被告人はそれに従うべきだと言うのと同じである。少なくとも、現在のこの国の刑事訴訟法はそうした立場には立っていない(刑訴法435条1号)。
量刑検索システムの目的が個々の裁判例と裁判対象となる事件との「いちいちの事情」を比較するためにあるのではなく、「目安」としての「おおまかな量刑傾向」(12) を知るためのものに過ぎないとしても、だからといって入力元の判決を特定できなくて良いということにはならない。その「大まかな量刑傾向」を構成しているのはまさに一つ一つの判決なのである。個性ある一つ一つの事件のなかから、限られた「量刑因子」を選定して集めたデータの検索結果が果たして実際の判決を公正に反映したものなのか、実際の判決にはデータベースに反映されていないが実質的に判決結果に影響を与えた別の「量刑因子」があったのではないかといった疑問は常に起こりうるのであり、そうした疑問を検証する機会を訴訟当事者に与えないというのは明らかにアンフェアである。また、一般市民や立法機関がそうした検証を絶えず行うことで、データの正確性は保持されるのである。こうした検証に耐えてこそ、それは被告人の運命を決する重大要素である「大まかな量刑傾向」を示すものとして機能する正当性を主張することができるのである。
3 証拠裁判主義違反
(1)証明対象としての「量刑傾向」
最高裁判所第1小法廷2014年7月24日判決は、裁判所の量刑判断の公平性を担保するためには、これまでの裁判例の集積によって形成された、犯罪類型ごとの量刑傾向を考慮しなければならないとした。
我が国の刑法は,一つの構成要件の中に種々の犯罪類型が含まれることを前提に幅広い法定刑を定めている。その上で,裁判においては,行為責任の原則を基礎としつつ,当該犯罪行為にふさわしいと考えられる刑が言い渡されることとなるが,裁判例が集積されることによって,犯罪類型ごとに一定の量刑傾向が示されることとなる。そうした先例の集積それ自体は直ちに法規範性を帯びるものではないが,量刑を決定するに当たって,その目安とされるという意義をもっている。量刑が裁判の判断として是認されるためには,量刑要素が客観的に適切に評価され,結果が公平性を損なわないものであることが求められるが,これまでの量刑傾向を視野に入れて判断がされることは,当該量刑判断のプロセスが適切なものであったことを担保する重要な要素になると考えられるからである。
この点は,裁判員裁判においても等しく妥当するところである。裁判員制度は,刑事裁判に国民の視点を入れるために導入された。したがって,量刑に関しても,裁判員裁判導入前の先例の集積結果に相応の変容を与えることがあり得ることは当然に想定されていたということができる。その意味では,裁判員裁判において,それが導入される前の量刑傾向を厳密に調査・分析することは求められていないし,ましてや,これに従うことまで求められているわけではない。しかし,裁判員裁判といえども,他の裁判の結果との公平性が保持された適正なものでなければならないことはいうまでもなく,評議に当たっては,これまでのおおまかな量刑の傾向を裁判体の共通認識とした上で,これを出発点として当該事案にふさわしい評議を深めていくことが求められているというべきである(13) 。
最高裁は、量刑判断において、「これまでの大まかな量刑の傾向」を「裁判体の共通認識」とすることが必要であると言ったのである。他方で、最高裁は、その方法について何も言っていない。「量刑検索システム」を利用せよとも勿論言っていない。最高裁は、しかし逆に、どんな方法でも良いとも言っていない。したがって、実際の刑事裁判において、どのような手続に基づいて「これまでの大まかな量刑傾向」を「裁判体の共通認識」にすることが正しいのかを検討する必要がある。
最高裁が言う「量刑傾向」とは、「犯罪類型ごと」の裁判例の集積である。ここに言う「犯罪類型」とは、単なる罪名ではないし、刑法が定める犯罪構成要件を指すのでもない。最高裁は「行為責任」とか「当該犯罪行為にふさわしいと考えられる刑」を考えるという文脈で「犯罪類型」と言っているのであるから、犯罪構成要件の要素をさらに細かく分類選別することを要求していることは明らかであろう。それは有罪とされた犯罪事実に含まれる諸事情――犯行の態様・動機・被告人の地位・役割(共犯関係)等――を一定の基準にしたがって分類し、その分類にそって裁判例を再評価するということである。そうすると、決定的に重要なのは、「犯罪類型」をどのように分類するかということであり、その分類項目を評価するものさしとして何を設定するかということである。
そして、審判対象となっている事件があらかじめ設定された犯罪類型ごとの分類に、該当するのかどうかが決定的に重要である。これは犯罪構成要件に関する事実認定と同じ認定判断の構造である。当事者間において争いが生じうるし、裁判体と当事者の間でも見解の相違が生じうる。たとえば、犯罪の動機について、「経済的利益を得ること」か「名誉を守るため」かという分類をすることが正しいのか;犯行に「凶器」を使ったのかどうか、凶器が「刃物」か「拳銃」か「それ以外」かに分けることは正しいのかについて論争が生じ得る。そして、取り上げられている裁判例が実際にその動機や凶器の有無などを事実として認定したのかどうかについても、争いが起こりえるのである。
このように、「量刑傾向」なるものは、訴訟の帰趨(量刑)に決定的な影響を与える事項であり、訴訟の当事者間において争いの対象となりえるものなのであって、したがってそれは証拠によって認定判断すべき事柄なのである。
(2)厳格な証明の対象である
要するに、最高裁が言う「裁判例の集積」に基づく「目安」としての「量刑傾向」なるものは、訴追の対象となっている犯罪事実の認定に匹敵する、決定的に重要で論争の対象となりうる事実認定の問題なのである。したがってこれは「厳格な証明」を要する事実である。すなわち、量刑傾向を立証する証拠は、刑事訴訟法320条以下の伝聞法則の適用を受けるのであり、法廷外で作成された供述証拠(書面)の内容を証拠とするのであれば、その作成者が法廷で証言するか、あるいは、その書面が伝聞例外規定(刑訴法323条各号)に該当することが証明されなければならない。
いずれにしても、当事者には量刑傾向についての主張・立証の機会が与えられるだけではなく、相手方の主張・立証の内容を予め知り、それに反駁し反証を行なう機会が与えられなければならない。そして、裁判所が職権で量刑傾向を立証しようとする場合には、当事者双方にその内容を知り、意見を述べ、かつ、反証の機会が与えられなければならない。
そうした手続を踏まずに、量刑傾向の内容を一方的に、当事者が知らなううちに、裁判体に提供することは、証拠裁判主義(刑訴法317条)に違反し、ひいては、公平な裁判所による公正な裁判を受ける権利(憲法37条1項、2項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条2項)を侵害すると言わなければならない。
(3)「証拠による証明」が必要である
仮に、「これまでの大まかな量刑傾向」は、量刑に関する事実であるから、「厳格な証明」は必要ではなく、「自由な証明」で足りるという見解を採用したとしても、評議室の中で裁判官と裁判員だけで量刑検索システムを利用することが違法であることに変わりはない。なぜなら、「自由な証明」も証明手続の一種なのであって、公判廷に顕出して当事者双方と事実認定者の吟味に付することもなく、秘密裏に量刑判断の資料にすることが許されているとはとうてい考えられないからである。
最高裁判所第2小法廷1949年2月22日判決は、原判決が、執行猶予に付さなかった理由について証拠を引用して説明しなかったことが証拠裁判主義に反するという上告趣意に対して、情状に関する理由は判決にその判断を示す必要もなく、その証拠理由を示す必要もないとして退けたが、「刑の執行を猶予すべき情状の有無と雖も、必ず適法なる証拠にもとずいて、判断しなければならぬことは所論のとおりである」とした(14) 。また、最高裁判所第1小法廷1950年10月5日判決は、死刑事件に対する被告人の控訴を棄却した原判決が「その結果の社会に及ぼす影響もまた甚大である点」を「斟酌」したと言いながら、その証拠を挙げていない点は証拠裁判主義に反する(したがって、法定手続を保障した憲法31条に違反する)とした上告趣意に対して、「刑の量定に関する事項については記録上これを認むべき証拠あるを以て足り訴訟法上証拠を掲げてこれを説明するを要するものでない」と判示した(15) 。このように、最高裁判例は、「犯情」ではない単なる情状に関する事実についても、一切の証拠なしにこれを認定したり、あるいは、訴訟手続に登場しない秘密の場所で資料を検討するなどということを決して認めてはいないのである。むしろ、単なる情状に関する事実についても、その判断の根拠となる資料は、証拠として公判廷で吟味されることを要求していると言うべきである (16)。
裁判官や裁判員は、評議室に何でも持ち込みそれを参照して良いというわけではない。証拠として採用され法廷で取調べられてもいない「資料」を評議室に持ち込むことは許されないのである。誰かがインターネットで検索した結果を評議室に持ち込んで評議の材料にすることが許されないように、証拠として取り調べれていない量刑検索システムの検索結果なるものを評議室に持ち込むことは、証拠裁判主義に違反するのである。
量刑検索システムの検索結果は訴訟記録に編綴されていない。それが不当な内容であったとしても、上訴審はそれを審査できないのである。刑事訴訟法は、上訴審の審査対象となるべき訴訟手続を示す資料は、全て訴訟記録のなかに収められなければならない言っているのである。だから、上訴した当事者はその上訴理由を原審の訴訟記録のなかから見つけ出さなければならないのである。例えば、量刑不当の控訴趣意は「訴訟記録及び原裁判所において取調べた証拠にあらわれている事実」を援用しなければならない(刑訴法381条)。証拠として取調べられていない、訴訟記録に編綴されてもいないものに基づいて量刑判断をすることは、この法の建前と明らかに矛盾する。
(4)量刑傾向の認定は「判例調査」ではない
前出の2022年東京高裁判決は、量刑傾向を把握することは「法規の解釈のために裁判例等を調査することなどと同様の作用」だと言う。しかし、これは明らかな誤りである。
刑の量定が「法規の解釈」ではないことは明白である。裁判員法は法令の解釈は裁判官の専権事項であるとする(裁判員法6条2項1号)一方、刑の量定は、裁判官と裁判員の合議によって決すべき事項であるとしているのである(同項3号)。すなわち、法的な教育や訓練を受けていない普通の市民が、その社会常識を駆使して証拠を検討することによって、適正な量刑判断に到達することができることを法は予定しているのである。2014年第1小法廷判決は、前述したように、「大まかな量刑傾向」を「目安」「出発点」として「当該事案にふさわしい評議を深めていくこと」が必要であると言っている。この量刑傾向の調査が裁判官の専権に属するなどとは一言も言っていない。そのような解釈はそもそも裁判員法に明白に違反するのである。
「大まかな量刑傾向」が何であるかを裁判員が――裁判官と対等の立場で――認定判断できるためには、検察官と弁護人の双方がそのことを立証テーマとして主張し合ったうえ、その裏付けとなる適切な証拠――具体的な裁判例や、量刑や処遇などに関する専門家証言など――を提出し合い、弁論を行い、それらを見聞した上で、評議室に臨むという仕組みがあれば良いのである。そして、この仕組みこそ、証拠裁判主義・公判中心主義に基づく事実認定の仕組みにほかならないである。
東京高裁判決は、量刑判断の過程――その中核である量刑傾向の認定過程――を法令解釈と異ならないなどという独自の見解(裁判員制度を無視した見解)に基づいて、刑事裁判のもっとも中核的な価値である証拠裁判主義・公判中心主義をなし崩しにしようとするものである。
5 裁判官の独立への侵害
裁判員裁判においては、被告人の量刑は裁判官と裁判員の評議によって決定される(裁判員法6条1項3号)。この評議において、裁判官と裁判員の意見の重みは同等である。裁判員には裁判官の量刑に関する意見に従う義務などない。量刑の前提となる証拠の評価は、裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられる(同法62条)。量刑判断の前提となる量刑傾向についても、その判断は裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられなければならないのである。量刑傾向を構成する裁判例を分類するための「犯罪類型」として何が重要かを判断するのも、裁判官と裁判員の権限に属するのである。そして、その犯罪類型を評価するための基準として何を設定するかについても、裁判官と裁判員は対等の立場で議論できなければならないのである。
前述したように、「量刑検索システム」は最高裁判所事務総局刑事局長という司法行政機関が運営しているデータベースであり、司法行政文書である。そうした文書が裁判の結果に重大な影響を与えることなど、日本国憲法の下では決してあってはならないことである。ところが、現実にそれが平然と全国の裁判所で行なわれているのである。しかも、データの基礎となっている裁判例は全く特定されておらず、データの正確性を検証することも全く不可能である。さらに、裁判例を分類するための類型すなわち「量刑因子」の選択もそれを評価するためのものさしも、刑事局長名の「事務連絡」や「ルール」によって恣意的に決められているのである。何が重要な量刑因子であり、それをどのような基準で評価するべきかは、各事件を担当する裁判官と裁判員が評議の上で決めるべきことである。司法行政機関がその権限に介入することなど許されないことは明らかである。
「量刑検索システム」の利用は、刑の量定が裁判官と裁判員の対等な評議によって決せられるべきことを定めた裁判員法6条1項3号に違反する。またそれは裁判官の独立を保障した日本国憲法76条3項に違反する。そしてまたそれは、「独立の・・・裁判所による・・・審理」を保障する市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項にも違反する。
6 結論
罪刑の均衡は正義の要である。犯人が犯した罪にふさわしい刑罰が課されなければならない。それと同時にそれは公平なものであるべきである。公平さを担保するための一つの装置として、それまでの裁判例の集積から導かれる「量刑傾向」を参照するというのは、決して間違ってはいない。問題なのは、その手続である。
「量刑傾向」として何が認められるのかは、単純明快な事実ではない。争いの余地が多分にある。そうであるにも関わらず、それは最終的に「裁判体の共通認識」として認定され、被告人の量刑に決定的な影響を与えるのである。そうであれば、「量刑傾向」を認定する手続が公開の法廷で厳格になされなければならないことは当然であろう。
それを実現する方法はいくつもある。そのためには、まず、全裁判例を公開することが必要である。そうすることで、問題の殆どは解消されてしまうであろう。検察と弁護は、公刊された裁判例をもとに、「量刑傾向」が何かを主張・立証すれば良い。その主張に異論があれば、裁判例を特定して反論すれば良いのである。裁判例の内容やその解釈に争いがあれば、判決文を証拠請求すれば良い。当事者が証拠請求した判決文や判例集は同意書証(326条)あるいは伝聞例外に該当する証拠(323条1号)として許容性が認められるであろう。
一般国民にとっても法律家にとっても正体不明のブラックボックスである「量刑検索システム」などを利用する必要は全然ない。司法行政文書に頼った刑事裁判など現代の国際社会において信頼されるはずはない。一刻も早く廃止されなければならない。
【注】
(1) 2012年3月23日付刑事局長事務連絡。
(2) 司法研修所編(井田良、大島隆明、園原敏彦、辛島朗)『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』(法曹会2012)、26頁(「裁判官としては、裁判員から抵抗感を示されたとしても、評議において、量刑資料を示すことをちゅうちょする必要はない。」)。
(3) 前注1の刑事局長事務連絡に添付された「改正後の運用要領」第3の2。
(4) 同前、第3の3。
(5) 同前、第3の4、第1の1。
(6)同前、第5の3。
(7)同前、第6の1。
(8)同前、第6の2。
(9)同前、第8。
(10)趙誠峰「裁判員量刑検索システムの違憲性」大澤恒夫ほか編『民主的司法の展望:四宮啓先生古希記念論文集』(日本評論社2022)、278、280頁。
(11) 東京高裁第10刑事部2022年7月7日判決(同裁判所令和4年(う)第225号)公刊物未搭載。私は同事件の弁護人の一人であり、本稿は同判決に対する上告趣意書の一部に加筆したものである。なお、上告審である最高裁第1小法廷は、2023年3月8日、われわれの上告趣意を「実質は単なる法令違反[]の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」と言って棄却した。
(12) 最1小判2014・7・24刑集68-6-925、928〜929頁。
(13) 刑集68-6、928〜929頁。強調は引用者。
(14) 最2小判1949・2・22刑集3-2-221、222頁。強調は引用者。
(15) 最1小判1950・10・5刑集4-10-1875、1876頁。強調は引用者。
(16) 最高裁判所第2小法廷1952年12月27日決定は、控訴審の弁論終結後に検察官が裁判所に直接送付した前科調書に基づいて、弁論を再開せずに、したがって、前科調書の証拠調べもせずに、そのまま前科を認定して「執行猶予の言渡しを為すは相当ならず」と判決したという事案について、「所論の資料は単なる量刑判断に用いたものであって罪となるべき事実認定の証拠ではないから厳格な証拠調手続を履践することを要しない」とした。最2小決1952・12・27刑集6-12-1481、1482〜1483頁。この判例については強い批判がある。安廣文夫元東京高裁判事は「情状関係の証拠を公判廷に顕出することもしないで量刑判断の用に供するというようなことが、今日無条件に許容されるなどと考えるべきではあるまい」と述べている。河上和雄他編『大コンメンタール刑事訴訟法(第2版)第7巻』(青林書院2012)、366頁[安廣文夫]。