2018年07月08日
オウム真理教・高橋事件冒頭陳述(抄)
*これは2015年1月16日東京地方裁判所104号法廷で行われた弁護人の冒頭陳述の一部を当時のメモをもとに再録したものです。
1 人と宗教
皆さん、
人は死にます。必ず死にます。いまこの法廷にいる人のうち50年後に生存している人は半分もいないでしょう。100年後には誰一人としてこの世にはいないでしょう。
われわれはふだん自分の死というものを意識せずに忙しく働いています。死を意識しないために仕事をしているのかもしれません。しかし、ずっと自分の死を考えないなどということはできません。自分はいつか死ぬ;なのに生きている意味はあるだろうか;なんのために学校に通い勉強しているんだろう;どうせ死ぬのにあくせく働いて何になるんだ。
そうした疑問に答え、この生を意味あるものにするために、人類が生み出したもの、それが宗教というものです。古今東西の歴史のなかで、人類は様々な神を作り出し、崇拝してきました。そして、その神のために命を投げ出して戦ったりもしてきました。キリスト教でも仏教でもヒンズー教でも、肉体は滅びても魂は生き続けるという体系を持っています。死んだあと魂は別の世界へと旅立つのです。だから、人の死は終わりを意味しないとされました。
仏教では人の霊魂は死んだあと49日間闇の世界をさまよったあと、別の生き物として生まれ変わるとされます。生前に功徳を積んだ人はより高い世界――天界に生まれ変わり、神になる。逆に悪業を重ねた人は地獄に落ちる、あるいは動物に生まれ変わる。こうしてわれわれは生と死を無限に繰り返す、輪廻転生を何百回何千回と繰り返すのです。道端にうごめいているバッタは前世ではあなたの兄弟だったかもしれません。だから生き物をむやみに殺してはいけない。これが仏の教えです。
2 高度物質文明と心の闇
1980年代後半以降、日本は高度経済成長の末期に入りました。山手線の内側の土地の価格でアメリカ全土を買い取ることができるというような激しい資産価格の高騰、日経平均株価が35,000円を超えるような好景気のもとで、日本人は物質的な豊かさに酔いしれていました。しかし、そうした傾向に満たされない思いを抱く若者も確実に増えていきました。
超能力や超常現象、オカルトがブームとなりました。書店には「精神世界」のコーナーができ、宗教書や哲学書とともに、超能力やオカルト関係の書籍や雑誌が並びました。
3 終末論ブーム
この時代のもう一つの特徴は、若者の間に終末論が流行ったことです。『ノストラダムスの大予言』という本が200万部を超える大ベストセラーとなりました。「1999年7の月に恐怖の大王」が地上を襲い、人類は滅亡するというのです。「恐怖の大王」とは、環境汚染か、核戦争か、あるいは、大地震か。テレビや雑誌、マンガなどのメディアを通じて人類の滅亡、この世の終わりが繰り返し語られました。
この時代の若者のなかには、この世の終わりを信じる人がかなりいました。彼らにとって「人類の終わり」をどう生きるのかは切実な問題でした。20世紀末に起こる核戦争や大災害を自分は生き延びることができるだろうか。死後の自分はどうなるのだろうか。彼らは自分の生と死の問題に直面したのです。
4 オウム真理教の誕生
こうした時代にオウム真理教は誕生しました。
皆さん、
オウム真理教の教義は、麻原彰晃が発明したわけではありません。独創的なものでもありません。その内容は決して特異なものではありませんでした。むしろ、オウムの教義は伝統的な宗教や哲学に根ざしたものです。そのことを少し説明します。
源流としてのチベット密教
その教義は古い仏教の一つであるチベット密教をベースにしたものです。あらゆる生き物は6つの世界の間で輪廻転生を無限に繰り返します;6つの世界とは、より高い世界から「天界」「阿修羅界」「人間界」「動物界」「餓鬼界」そして「地獄界」と呼ばれます;われわれが人間界に生まれる前にも生があり、死んで人間界を去った後にも生があるのです;生前に修行を行い、戒律を守り、善業を積むことでより高い世界――阿修羅界や天界−−に転生することができます。
逆に、戒律を破ったり悪業を重ねたりした人は、死後により低い世界つまり「動物界」「餓鬼界」「地獄界」に落ちます。この3つを「三悪趣」と呼びます。悪業のことを「カルマ」と言います。殺生をしたり人の物を盗んだり他人の悪口を言うなどの悪業=カルマを重ねた人は、この世で修行を行い、カルマを落とさない限り、動物になったり、何百年も何千年もの間、飢えと渇きに悩まされ続けたり、火に焼かれ続けたりしなければならないのです。
人はこのままではこうした輪廻転生を無限に繰り返すことになります。それは気の遠くなる話であると同時に、とても虚しいことであり、そして非常に恐ろしいことでもあります。そこで仏教では修行を積むことでこの輪廻転生から解脱して悟りの境地に達することをめざします。この解脱の境地にはいくつかの段階=ステージがあります。
一つはヒナ・ヤーナ(小乗)です。 煩悩を捨て、修行をすることで修行者個人の解脱を目指すという考え方です。
もう一つはマハー・ヤーナ(大乗)の教えです。ヒナ・ヤーナの解脱を達成した行者が次に進むのは、一般大衆=衆生の救済です。自ら厳しい修行に耐えるとともに、法を知り、法を説き、お布施をさせるなどして、すべての人が悪業をやめ、善業を行うことへと導く。これがマハー・ヤーナ=大乗の教えです。
修行の基本はヨーガです。身体を清め、独特の呼吸法によって精神を集中します。そのうで、マントラを唱え、瞑想します。ヨーガによって身体の内部に眠っているエネルギーを覚醒させ、そのエネルギーを身体の中心にある管を通して上昇させます。このエネルギーをコントロールすることができた状態が解脱とされます。
このヨーガの行法にもいくつかのステージがあります。クンダリニー・ヨーガと呼ばれる行法は、身体の尾てい骨のあたりに眠っている精神エネルギーすなわちクンダリニーを覚醒させ、そのエネルギーを身体の中心を通る管を通じて頭の天辺まで上昇させるヨーガです。エネルギーが頭のてっぺんを突き抜けたとき、修行者は中空に飛び上がり、様々な光に包まれ、歓喜の状態、至福の状態に達すると言われます。
こうした修行は修行者一人で行うことはできません。必ず解脱を達成した指導者の下で行う必要があります。この指導者のことを「ラマ」あるいは「グル」と言います。密教の修行はグルと修行者の一対一の関係だと言われます。グルに対する絶対的な帰依がなければ修行は成就しないとされます。グルの指導に疑問を持つことは許されません。
阿含宗・『虹の階梯』
1970年代の終りころに、こうしたチベット密教に基礎をおき、ヨーガの修行による解脱を説く新宗教が既にありました。桐山靖雄という人が主宰する「阿含宗」です。そして、阿含宗の運営する出版社はチベット密教やヨーガに関する本を多数出版しました。その中の一つに『虹の階梯』という本があります。これは中沢新一という東大出身の宗教学者がチベット密教のグルの教えを直接受けて書いた本です。ここにはチベット密教の教えとその修行の方法が具体的に記されていました。この本も1980年代の中頃にベストセラーになりました。
『虹の階梯』はチベット密教における「ポワ」について詳しく解説しています。死者の魂は、生まれ変わるまでの間「バルドー」と呼ばれる中間的な世界をさまよっている。密教の修行を極めた指導者=グルは、この死者の魂が低い世界=三悪趣に落ちるのを防ぐことができる。この技法のことを「ポワ」と言います。自ら修行を積んで自らの死に際してポワを行う技法を身につけるならば、決して死は怖くない。むしろより高い世界に生まれ変われる貴重な機会でもある。『虹の階梯』はそう説いています。
オウム真理教の教祖となる麻原彰晃は、阿含宗の信者でした。彼はインドに渡り、ヨーガの修行をします。彼が後にオウム真理教の教義として掲げた項目の主なものはこの『虹の階梯』という書物に書かれていることです。
神智学・霊性進化論
似たような宗教哲学は西欧にもあります。その代表格が「神智学」あるいは「霊性進化論」と呼ばれる思想です。これは19世紀後半にヨーロッパに現れたブラヴァツキー夫人という霊媒師が考え出したものです。普通の人間の霊魂は輪廻転生を繰り返すだけだが、修行を積むことで霊魂は進化を遂げて、新しい人類として生まれ変わるという考え方です。この修業の方法も密教のヨーガの修行と基本的には同じです。そして、神に選ばれ進化した人種は高度の知性と超能力を身につけています。空中を浮遊したり、身体を離脱して、より高い世界とこの現実世界との間を自由に行き来できます。
この考え方は20世紀後半に世界中に生まれた新宗教に多大の影響を与えました。桐山靖雄の「阿含宗」もこの影響を受けています。オウムも「神智学」から多大の影響を受けました。
オウム真理教の誕生
1984年に麻原彰晃は都内のビルの一室で「オウム神仙の会」というヨーガ教室を始めました。心身の不調に悩む若者や自分の生きる意味を模索する若者たちが会員となりました。このヨーガ教室は徐々に宗教色を強めて行きました。翌年にはオカルト系の雑誌に麻原の空中浮遊の写真が掲載されました。また、その翌年1986年には麻原は『超能力――秘密の開発法』という本を出版しました。彼は、自分はチベットでグルのもとで修行を行い、最終解脱者となったと宣言しました。本の中でヨーガ修行の具体的な方法を説き、自分の指導の下で修行を積めばだれでも超能力を身に付けることができると言いました。
麻原は、都内の道場でヨーガの指導を行う他に、各地でセミナーを開きました。そうした折に、修行中の若者に麻原のエネルギーを直接注入する技法が行なわれました。それはシャクティ・パットと呼ばれる技法で、寝そべった修行者の額に麻原が自分の親指を当ててマントラを唱えながらエネルギーを注入するのです。シャクティ・パットを受けた参加者のなかには、光が見える、尾てい骨の辺りが燃えるように熱くなる、などの神秘体験をする人が続出しました。
1987年、「オウム神仙の会」は「オウム真理教」と名前を改めました。彼の道場やセミナーには多数の若者が通うようになりました。名前を改めるのと同時に出家制度が始まりました。家族や仕事を捨てて、全財産を教団に布施して体一つで教団施設に寝泊まりして、修行一筋の生活をする若い男女が集まりました。そして初期に出家した信者の中から、麻原の指導の下で過酷な修行に耐えた数名の男女がクンダリニー・ヨーガを成就し「解脱者」と認定されました。
オウム真理教は宗教界でも注目を集めました。中沢新一ら気鋭の宗教学者はオウム真理教と麻原を高く評価しました。そして、ノーベル平和賞受賞者でもあるチベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世を始めとする、海外の聖職者も麻原を本物の修行者、高い能力を持ったグルとして賞賛しました。
こうして、オウム真理教とその教祖麻原彰晃は、自分の生と死の問題を真面目に見つめる若者の心を確実に捉えました。
1 高橋さんの人生の悩み
高橋克也さんのことを話します。
高橋克也さんは1958年(昭和33年)に横浜市で生まれました。父はサラリーマン、母はパートタイマー。4歳上の兄がいます。高橋さんは幼少のころから、両親は「長男」である兄の方を自分よりも大事にしているのではないか、というコンプレックスを持っていました。兄は小学校から高校まで進学校に進み、大学も国立大学に進み、親の仕送りで好きな勉強をしていました。高橋さんは中学卒業後、高専に進学しました。
20歳で高専を卒業すると家の近くにある電気関係の会社に就職しました。彼は、自分の仕事にそれなりにやりがいを感じていましたが、社内の人間関係にうまく対処できませんでした。大学出と差別されている;自分は兄や両親のせいで大学にいけなかったという思いに悩まされました。
高橋さんは会社を辞めてしまいた。再就職せずに自分のことをゆっくり考えようと思ったのです。彼は生きていることへの根本的な疑問を持っていました。心に裏表のある人の社会の中で、うまく立ち回れず、人を恨んで生きることに意味があるのか。もしも人生がこうした世界に一時居るだけなのだとしたら、食べて、年をとって、死ぬというだけだったとしたら、生きることに何の意味があるのだろうか。高橋さんは、現実社会を超越したものに関心をもちました。こうした汚れた世界以外にも純粋な世界があることを確信したかったのです。
2 阿含宗へ
高橋さんは阿含宗に入りました。瞑想とヨーガの修行を始めました。しかし、なかなかうまく行きませんでした。阿含宗には具体的な指導理論はなく指導者もいないと感じました。また、その道場の世俗的な雰囲気にも馴染めませんでした。仲間もできませんでした。阿含宗へは自然と足が遠のき、結局退会しましました。
3 オウムへ
あるとき、高橋さんは書店で麻原彰晃の『超能力「秘密の開発法」』を手にしました。そこにはヨーガの修行法が順を追って具体的に説明されていました。その通りに修行すればだれでも超能力を獲得できると書かれていました。実際に修行をして成就した人にしか書けない、試行錯誤が記録されていました。高橋さんは「オウム神仙の会」の本部に電話して、世田谷の公民館で行われたセミナーに参加しました。1987年春のことでした。
高橋さんは道場に通って、麻原や彼の弟子たちの指導のもとで、ヨーガの基本を学びましだ。体調が良くなり、人生に前向きになれたような気がしました。そして、麻原のシャクティ・パットを受けました。尾てい骨の辺りが熱くなり、目を閉じているのに明るい光が見えました。エネルギーが背骨を駆け上がる感覚がして、とても心地よいものでした。
麻原は信徒の心の中を読むことができました。視力がほとんどないのに、遠くの出来事を見通すことができました。麻原が特別な能力をもった解脱者であることは明らかでした。彼こそ、私の心を完全に理解し、私を導いてくれるグルである。高橋さんはそう確信しました。
4 出家
1987年7月、高橋さんは彼の全財産である自動車と現金300万円をオウム真理教に布施して、出家信者となりました。高橋さんは着の身着のままでオウムの道場に寝泊まりしました。多くの出家信徒は彼より若かったのですが、対等の仲間、家族であり、ともに解脱を目指して修行に励む同行者でした。高橋さんは、彼ら若い信徒と一緒に「バクティ」と呼ばれる奉仕活動に励みました。セミナーの準備の手伝いや新しい信徒への対応、九州支部の設立準備などの「ワーク」を精力的にこなしました。
1 グルイズム
チベット密教の修行は「グル」と呼ばれる指導者のもとで行なわれます。グルは解脱を果たした聖者であり、弟子に教義を説き、修行のための助言を与え、解脱へと導きます。弟子にとってグルは絶対的な存在です。その指示命令に背けば破門され、解脱への道は閉ざされるのです。
麻原彰晃はこのグルへの絶対的な帰依を信者たちに厳しく要求しました。修行途上にある信者はみな様々な欲望=煩悩を抱えています。不完全な存在です。そうした煩悩を打ち砕くためには自分を空っぽにして、そこにグルの情報を注入する、グルと合一化し、グルのクローンになる必要がある。それこそが解脱への早道であると麻原は強調しました。
信者にとってグルであり、尊師である麻原は絶対的な存在であり、その言葉に疑問を唱えたり、反抗することなど考えられないことです。そのような者はもっとも恐ろしい世界=「無間地獄」に落ちると弟子たちは信じていました。
2 マハー・ムドラー
チベット密教の修行方法の1つとして「マハー・ムドラー」というものがあります。これはグルが弟子に対して一見理不尽とも思える様々な無理難題を課し、弟子がそれを乗り越えることで、グルに対する帰依を深め、かつ弟子が心の奥底に持ち続けている煩悩やカルマ(悪業)を断ち切るというものです。これはグルへの絶対的な帰依を確かめる方法であると同時に、一種の荒療治として修行のステージを一気に高める効果もあるとされました。
例えば、麻原は説法の中でチベット密教の聖者ティローパとその弟子ナローパの逸話を引いて、その意味を説明しています。
麻原は、このマハー・ムドラーをクンダリニー・ヨーガの上に位置づけました。クンダリニー・ヨーガを成就した者は次に、マハー・ムドラーの成就を目指したのです。出家信者はクンダリニー・ヨーガを成就すると「師」という尊称を与えられ、チベット密教の聖者にちなんだ「ホーリーネーム」が与えられました。
1990年代になると、クンダリニー・ヨーガを成就した出家信者は相当な数いました。しかし、マハー・ムドラーを成し遂げた信者はほんのわずかしかいませんでした。彼らは、救済者とされ、「正大師」という非常に高い地位が与えられました。
1990年代以降、麻原は、弟子たちの自分への帰依を確かめ、修行を積ませるために、マハー・ムドラーの一環として、一見理不尽な仕事を要求し、無理難題を課すようになりました。その内容はどんどんエスカレートしていき、単なる無理難題の域を超えて、違法行為、さらには犯罪になるようなことまで指示するようになりました。弟子たちは、それが自分たちのグルへの帰依が揺るぎないことを試す試練であり、マハー・ムドラーを成就するための重要な修行の機会であると信じて、それを実践しました。
3 ヴァジラヤーナ
出家信者による犯罪や違法行為を正当化する教義はまだありました。先ほど説明したように、チベット密教における解脱の教えとして、ヒナヤーナ(小乗)とマハー・ヤーナ(大乗)があります。実はもう一つ秘密の教えあります。それがヴァジラヤーナ(金剛乗)あるいはタントラ・ヴァジラヤーナ(秘密金剛乗)の教えです。
ヴァジラヤーナとは、解脱を達成して人の前世や来世を見通す能力があるグルによってしかできない救済方法です。グルはその絶対的な能力に基づいて、その人にとって最善・最速の救済を実行することができるとされます。ヒナ・ヤーナやマハー・ヤーナの教えでは、殺生や盗みや邪淫は厳禁です。しかし、ヴァジラヤーナの教えでは、グルは戒律違反を行うことも許されます。例えば、悪業を積み続ける魂を救済するためにその人を殺すこと、財力に任せて物や人をむさぼる人の魂を救済するためにその財産を奪うことです。こうした方法によってその人が今後も更に悪業を重ねて、三悪趣に落ちることを防ぎ、その魂をより高い世界に導くこと、つまりポワすることができるというのです。
麻原は次のような説法を行っています。
ヴァジラヤーナを行うことができるのは、麻原しかいません。なぜなら、他人の生き様を見通すことができるのは彼しかいないからです。弟子たちは彼の心と一体化し、彼の命じるままに理不尽な、非合法な、ときには犯罪に当たる行為を実践する以外にないのです。なぜなら、グルは絶対であり、グルの命じるままに行動する事こそが、マハー・ムドラーの修行に他ならないからです。
ヴァジラヤーナは、ヒナ・ヤーナ、マハー・ヤーナを超えた「最も早く最高の境地へ到達する」方法だとされたのです。麻原は、1990年代以降、このヴァジラヤーナの教えを教義の中心に据えました。それは、すぐそこに迫った「人類滅亡の日」に備える必要があったからです。マハー・ムドラーを成就し救済者となった信徒、いわば新しい種として生まれ変わった人類をそれまでに大量生産しておく必要があったのです。修行する信徒は次のような文句を繰り返し、何百回も何千回も何万回も、声に出して唱えることを求められました。
4 一般信徒は非合法活動・犯罪が行なわれていることを知らなかった
麻原は、説法の中で、ヴァジラヤーナの教義においては、非合法活動や犯罪ですらも正当化されることがある、と説いていました。だから一般の信徒はそうした教義の存在を知っていましたし、オウム真理教の救済の方法論の奥深さに感銘をうけたでしょう。
しかし、教団がこの教義の実践として、実際に犯罪行為を行っていることは極秘事項とされていました。それを知っていたのは、麻原から直接犯罪を指示された教団の幹部と、その幹部から指示されて犯罪を実行した一部の出家信者だけでした。彼らは、グルの指示に対しては絶対に従わなければならない;反抗したら三悪趣に落ちると信じていました。彼らには指示されたことを実行する以外に選択肢はありませんでした。
自分に命じられた行為がどのような動機に基づき、何を目的としているのか、自分が手を下そうとしている相手がどのような人なのか、という疑問を提起することも許されませんでした。彼ら最も早く解脱に達する修行すなわち「マハー・ムドラー」の実践として指示されたことを行ったのです。
5 ハルマゲドンと武装化
麻原彰晃は、「ハルマゲドン」と呼ばれる世界規模の戦争が1997年に起こり、人類の大部分は滅びると予言しました。自分は救世主としてこの戦争に勝利して、行き残った出家信者とともに新しい国家を建設するのだと宣言しました。
麻原は、自分たちに対する攻撃は既に始まっている;ユダヤ人の一派であるフリー・メーソンがアメリカや日本のスパイ組織を通じて自分たちに毒ガス攻撃を仕掛けているなどと、説法で言うようになりました。
そして、麻原は、極秘のうちに自分の側近のみを集めて、ハルマゲドンに備えて、銃火器や爆発物、さらには生物・化学兵器を製造する準備をするように指示したのです。
6 一般信徒は武装化を知らなかった
麻原は、ハルマゲドンが起こるという予言や教団が毒ガス攻撃を受けているということを説法や著作のなかで公に述べていました。しかし、兵器を製造しようとしているということは、もちろん公表しませんでした。この事実を知っているのは、麻原の指示を受けて実際に兵器開発を行っているごく一部の出家信者だけでした。一般信徒はもちろん、出家信徒でも日常的に麻原と接する機会のない者には知るすべはありませんでした。
7 出家信者の間のコミュニケーションの特殊性
オウム真理教の出家信者の間で行われるコミュニケーションは、われわれ一般人のそれとはかなり異なります。先ほど説明したように、グルは絶対的な存在です。信者は自らを空っぽにしてそこにグルのエネルギーを注いで、グルと合一化しなければなりません。その指示に逆らうことはできません。逆らったら無間地獄に落ちてしまいます。だから、麻原から何か指示されたら、その指示をそのまま実行しなければなりません。それに疑問を提起することなどありえません。何かをやるように指示されたら、その理由や目的を問うこと自体が教義に反するのです。
自分の上司である出家信者から指示を受けた下位の出家信者も同じです。上司はグルの意思のもとで部下に指示を与えているのですから、その指示に背くということはありえません。その指示の理由や目的を問うこともないのです。
もう一つ、信者間のコミュニケーションで特徴的なのは、他の信者が行っていることに口を出したりしないということです。オウム真理教のなかではグルと信者は1対1の関係です。グルに帰依した修行者は直接個人として帰依しているのです。それぞれが直接グルとつながっているのです。他の修行者はグルの意思を直接体現しているのですから、他の修行者はその人に何をしているのか、なぜそんなことをしているかなどと問いかけることもないのです。言い換えると、出家信者は別の出家信者の行動に対して極めて無関心なのです。一人ひとりの出家信者は、自分とグルの関係しか考えず、自分の修行に専念するだけなのです。
1 高橋さんは井上の部下=運転手
高橋さんは1987年の夏に出家しました。麻原のシャクティ・パットを受けてクンダリニーの覚醒を体験しました。その後も修行に励みました。しかし、修行はなかなか進みませんでした。彼がクンダリニー・ヨーガを成就したのは1990年に入ってからでした。
オウム真理教の信者の序列は、修行がどこまで進んでいるかによって決められます。年齢には関係ありません。また、入信時期が早いか遅いかにも関係ありません。入信の時期が遅くても、また、年が若くても、修行が進んだ人はホーリーネームが与えられ、高い尊称が与えられます。逆に、入信時期が早くても年齢が上でも、修行が進まなければいつまでも下位の地位に甘んじなければなりません。
高橋さんは出家後、教団内の「車両班」に配属されました。教団幹部の自動車を運転したり、自動車の整備をする係です。高橋さんは若くして教団幹部となった井上嘉浩の運転手となりました。
井上は、年齢は高橋さんよりも若いですが、修行の進行が非常に早く、若くして教団の幹部となりました。高橋さんは井上の運転手として、彼の指示にしたがって日本全国を車で駆け回っていました。こうした仕事は「ワーク」と呼ばれ、これも修行の一環でした。もちろん給料などもらえません。教団が提供する「オウム食」と呼ばれる粗末な食事をとり、まとまった睡眠をとることもなく、井上からの指示のままに、ひたすら車を運転するのです。
2 省庁制後も基本は同じ
1994年6月に教団は「省庁制」というものを始めました。井上嘉浩が「諜報省」の長官になりました。高橋さんはそのまま井上の部下として諜報省に配属されました。「省」という名前がついていますが、高橋さんの仕事の内容はそれまでと変わりませんでした。なにか事務的な仕事をするということもありませんでした。高橋さんは井上の指示にしたがって、車を用意し、運転し、整備する。ひたすらそういう日々を送っていたのです。ほとんど睡眠をとらないこともそれまでと同じでした。
3 非合法活動への関与
高橋さんは、もちろんヴァジラヤーナの教義を知っていました。しかし、出家信者が麻原の指示で実際に犯罪までを行っているということは知りませんでした。教団施設の中で爆発物や化学兵器が作られているということも知りませんでした。
しかし、1994年夏に省庁制が始まり、諜報省のメンバーとして井上嘉浩の指示で自動車の運転をする中で、非合法活動が実際に行なわれているのを目の当たりにすることになります。そしてさらに、彼自身が非合法活動に加担させられることにもなりました。
行方不明になった信者の行方を探すために、その親族の家の電話を盗聴したり、教団のための情報を入手するために他人の住居や事務所に無断で侵入したりするようになりました。もちろんこれらは、井上嘉浩の指示によって行なわれたものです。
1994年12月には、水野さんにVXをかけるという事件に関わることになりました。井上から「尊師の指示で中野に住む水野という人にVXをかけることになった」と言われ、車の運転と見張りをするように指示されました。高橋さんは、麻原の説法などからVXが猛毒の化学兵器であることは知っていました。しかし、見たことはもちろんありませんでしたし、どうして教団がそれを用意できるのかもわかりませんでした。水野という人が誰なのか、なんのためにその人にVXをかけるのかも知りませんでした。
「尊師の指示」である以上、そして、自分の上司である井上の指示である以上、疑問を唱えることはもちろん許されません。高橋さんは、言われたとおり、車を運転して井上や新實たちを水野さんの自宅付近に連れて行きました。
彼らの話によれば、水野さんにVXをかけることには成功したようでした。その結果水野さんがどうなったのか、高橋さんは知りませんでした。しかし、水野さんが亡くなったとか、重傷を負ったという話もありませんでした。
この件を皮切りに、高橋さんはVXであるとか、レーザー光線であるとか、ボツリヌス菌だとかを使った事件に運転手や見張りとして関わるようになりました。しかし、高橋さんの知る限り、どの事件でも科学技術省が開発したものは「兵器」としての役割をまったく果たしませんでした。
4 ヴァジラヤーナの実践・武装化についての高橋さんの認識は曖昧なものだった
一連の体験を通じて、高橋さんは、麻原が説法で言っているヴァジラヤーナの教えが、ただの喩え話ではなく、教団の上層部の人たちが現実に実践しているのだということを知りました。しかし、彼らが殺人まで行っている事実は知りませんでした。
高橋さんは、また、教団の「科学技術省」のメンバーが毒物や化学兵器を作ろうとしているということをうすうす知りました。しかし、それは非常に幼稚な代物であり、人を殺すようなものではなく、「兵器」というには程遠いものだと理解しました。
それでは、高橋克也さんが罪に問われている事件についてお話します。詳しい説明は、これから行なわれる審理の過程で事件ごとに詳しい冒頭陳述を行います。ここでは事件の簡単なあらましだけをかいつまんで説明します。
1 VX事件
高橋さんの経験と認識
濱口事件
1994年(平成6年)12月のある日、高橋さんは、井上から、新實智光と一緒に大阪に行くよう指示されました。何をしに行くのか説明はありませんでした。高橋さんは、すぐに大阪に向かいました。
大阪では、新實の指示に従い、山形明と一緒にホテルに行きました。そこで、井上は、「公安のスパイにVXをかける」と言っていました。実行役である山形と新實を車で現場に連れて行くことを指示されました。
井上は他の人にも色々と指示をしていましが、高橋さんは自分に対する指示を記憶することに集中しました。ほかの人に対する指示は聞いていませんでした。関心もありませんでした。この会議の間、意見を述べたことは一度もありませんでした。ほかの人から意見を求められたり、質問をされたりもしませんでした。話し合いは10分程度で終わりました。
これまでの経験に照らして、高橋さんは、VXと呼ばれる液体をかけても人が死ぬことはないと思いました。
ホテルでの会議が終わると、車を運転して現場に行きました。山形と新實がサラリーマン風の男性に近づいていました。直後に、2人はその男性に追いかけられて、どこかに行ってしまいました。そうした光景をただ見ていました。その後井上に指示されて、1人で車を運転してホテルに戻りました。
その後、濱口さんがどうなったのか、高橋さんは誰からも知らされませんでした。実際には10日後に濱口さんは亡くなりました。が、その事実を高橋さんは知りませんでした。相変わらずVXなるものは人を殺すようなものではないと彼は信じていたのです。
永岡事件
しばらくして、井上嘉浩から、「オウム真理教被害者の会」会長である永岡弘行さんかその息子で元信者である辰也さんにVXをかけるから、手伝うように指示されました。このときも井上の指示はそれだけです。計画の詳しい内容は聞かされませんでした。高橋さんから細かな理由や方法を尋ねることもありませんでした。
実行の直前に、今回は山形明のサポートをするように指示されました。他のメンバーは永岡さんに顔を知られているということでした。
高橋さんは、指示された通りに、注射器に入った液体を持っている山形明の横に付き添いました。そして、傘を広げて永岡さんが自分たちの顔を見ることができないようにしたりしました。
高橋さんは、永岡さんがどうなったのか、誰からも聞いていません。尋ねてもいません。VXで永岡さんが死ぬとは思いませんでした。
主張の概要
濱口事件にしても、永岡事件にしても、「VXをかける」というのは麻原彰晃が発案し、新實や井上に命じたことです。なぜ二人にVXをかけなければならないのかは麻原にしかわかりません。新實と井上は、ヴァジラヤーナの教義の実践として、そして、マハー・ムドラーの修行の一環として、グルの指示に従ったのです。新實と井上は麻原の発案と指示にしたがって、具体的な計画を立てました。
高橋さんは、この犯罪の計画には一切関わっていません。新實らが用意したVXなる液体が人を殺す威力を持っていることなど、考えていませんでした。もちろん、彼には濱口さんや永岡さんに対する殺意もありませんでした。
これは高橋さんの犯罪ではありません。グルの犯罪を行う弟子たちの手助けを、それと知らずにしてしまっただけです。
VX事件について、高橋さんを殺人や殺人未遂の共同正犯に問うことはできません。
2 假谷事件
高橋さんの経験と認識
1995年(平成7年)2月終わり、高橋さんは、疲れて今川の家で寝ていました。井上嘉浩に起こされました。「いなくなった信者がいる。その居場所を知っている人から居場所を聞き出す。その人を連れてくる手伝いをするように」。そう言われました。
言われたのはそれだけです。いなくなった信徒というのは誰なのか。その居場所を知っている人というのは誰なのか。どこに連れて来るのか。どうやって居場所を聞き出すのか。何も知らされませんでした。
寝ていたところを起こされた高橋さんは、言われるまま車に乗り込みました。現場についてから、連れて来る人を車の中に押し込む役を指示されました。
一緒に待機していた中村昇が、一人の老人を見つけると、車を飛び出していきました。高橋さんは、井田善広と一緒にその後を追いかけました。中村が老人にタックルしました。高橋さんはその体を持ってワゴン車に押し込みました。
高橋さんの役目はそこまでで終わりでした。それ以上の指示はされていませんでした。高橋さんは、拉致された老人と一緒に車に乗り込みました。これからその人がどうなるのか、知りませんでした。どうやって彼から居場所を聞き出すことになるのか、知りませんでした。
老人は車の中で暴れました。すると、中川智正が何かを注射しました。男性は大人しくなりました。中川が注射した薬剤が何なのか、高橋さんは知りませんでした。
高橋さんたちの車は世田谷区にある芦花(ろか)公園に着きました。そこで、高橋さんは車を山梨県上九一色村の教団施設まで運転するよう指示されました。高橋さんは、指示されたとおり運転しました。
上九一色村につくと、老人は「第2サティアン」の瞑想室という部屋に寝かされました。その後、高橋さんは一歩も瞑想室の中に入っていません。その老人がどうなったのか、高橋さんは全く知りません。瞑想室の中で何が行われたのか、高橋さんは全く知らされていませんでした。高橋さんは、雑用をしたり、車の中で寝たりしていました。
数時間が経ち、高橋さんが眠っていると、起こされました。中川智正は、老人が死んでしまったと言いました。高橋さんにとっては寝耳に水でした。高橋さんは、なぜ亡くなったのか、意味が分かりませんでした。
その後、高橋さんは井上から、亡くなった男性のご遺体を焼却するのを見守るように指示され、指示通り見守りました。
主張の概要
假谷さんを拉致して「ナルコ」と呼ばれる、麻酔薬を使った尋問で彼から仁科さんの居場所を聞き出すというのは麻原彰晃の発案です。麻原から指示を受けたのは井上と中村です。井上たちが具体的な犯行の計画を立てました。
高橋さんは、假谷さんの名前も知りませんでした。彼にナルコが行われることも知りませんでした。井上の指示で彼をワゴン車に押し込んだり、車を運転しただけでした。假谷さんの死亡に全く関わっていません。高橋さんが関わった行為すなわち假谷さんを車に押し込んだり、自動車を運転したことと、假谷さんの死亡との間にはなんの関連性もありません。
この一連の出来事は、グル麻原彰晃の犯罪です。如何なる意味でも高橋さんの犯罪ではありません。高橋さんが逮捕監禁致死罪や死体損壊罪の共同正犯に問われるいわれはありません。
3 地下鉄サリン事件
高橋さんの経験と認識
教団がサリンを作ろうとしているということを知っているのは、ごく一部の麻原の側近に限られていました。高橋さんはもちろんそんなこと知りませんでした。ましてや、麻原が自らの預言を実現するために、大量のサリンを散布して無差別殺人を行おうとしていることなど、知るよしもありませんでした。
1995年(平成7年)3月19日、高橋さんは、井上に呼ばれて、杉並区今川にある諜報省の拠点、通称「今川の家」に行きました。今川の家に行くと、井上から、そのとき今川の家にいた出家信者を渋谷にある拠点「渋谷ホームズ」に案内するように言われました。
渋谷ホームズに行くと、井上から「豊田享を車で地下鉄中目黒駅に連れて行くように」と指示されました。
このとき「何かを撒く」というような話がありました。しかし「サリン」という言葉は聞きませんでした。
日付が変わり、3月20日未明に、林泰男らが渋谷ホームズに茶褐色の液体が入ったビニール袋を持ってくるのを見ました。高橋さんは、それが何かわかりませんでした。だれも説明しませんでした。高橋さんは、その液体を用いてなにか騒ぎを起こすのかもしれないと思いました。しかし、その液体で人を殺すなど思いもよりませんでした。
そして、自動車を運転して豊田を中目黒駅に送り届けました。車中でも豊田から何をしに行くのか説明はありませんでした。
主張の概要
地下鉄にサリンを撒くというのは麻原彰晃が考えたことです。その具体的な手順は麻原と彼の側近である村井秀夫や井上嘉浩が考えたことです。これはグル麻原の犯罪です。高橋さんの犯罪ではありません。
豊田享を自動車に乗せて中目黒駅に向かっているとき、彼がサリンを駅で撒くのだということを、高橋さんは知りませんでした。そのことを誰かと共謀したことなどありません。
高橋さんがこの事件の共同正犯であるわけがありません。
4 都庁爆発物事件
高橋さんの経験と認識
地下鉄サリン事件から1ヶ月ほど経過したころ、高橋さんは、井上から「八王子の家」に呼び出されました。
井上から「警察の捜査を攪乱するために騒ぎを起こす。本を用いた爆発物を使うので、起爆装置を作ってください」と指示されました。高橋さんが説明を受けたのはこれだけです。高橋さんが電気関係に詳しいので起爆装置の作成を頼まれたというのは理解できました。しかし、具体的なことは何も説明されませんでした。「捜査を撹乱するために騒ぎを起こす」という以外に高橋さんは何も聞かされませんでした。
高橋さんは井上に指示されたとおり、部品や工具を調達して、起爆装置となる電気回路を作りました。
起爆装置をセットする際に、中川からプラスチックケースに入った爆薬を受け取りました。しかし、それがなんという爆薬なのか、その威力はどの程度のものなのかなどの説明は一切ありませんでした。
主張の概要
都庁事件もグル麻原が発案し命じたものです。彼が井上たちに「騒ぎを起こせ」と命令し、井上たちはその命令にしたがい、具体的な犯行を計画したのです。如何なる意味でもこれは「高橋さんの犯罪」ではありません。
中川が高橋さんに渡した爆薬は人を殺すような威力はありませんでした。井上や中川が意図していたのは「騒ぎを起こして捜査を撹乱すること」です。彼らには人を殺す必要も理由もありませんでした。
高橋さんにしても同じです。この爆発物を受け取った人の命を狙おうなどと考えたことは一度もありませんでした。
高橋さんを殺人未遂の共同正犯というのは間違いです。
I オウムは人生を真面目に考える若者を惹きつけた
1 人と宗教
皆さん、
人は死にます。必ず死にます。いまこの法廷にいる人のうち50年後に生存している人は半分もいないでしょう。100年後には誰一人としてこの世にはいないでしょう。
われわれはふだん自分の死というものを意識せずに忙しく働いています。死を意識しないために仕事をしているのかもしれません。しかし、ずっと自分の死を考えないなどということはできません。自分はいつか死ぬ;なのに生きている意味はあるだろうか;なんのために学校に通い勉強しているんだろう;どうせ死ぬのにあくせく働いて何になるんだ。
そうした疑問に答え、この生を意味あるものにするために、人類が生み出したもの、それが宗教というものです。古今東西の歴史のなかで、人類は様々な神を作り出し、崇拝してきました。そして、その神のために命を投げ出して戦ったりもしてきました。キリスト教でも仏教でもヒンズー教でも、肉体は滅びても魂は生き続けるという体系を持っています。死んだあと魂は別の世界へと旅立つのです。だから、人の死は終わりを意味しないとされました。
仏教では人の霊魂は死んだあと49日間闇の世界をさまよったあと、別の生き物として生まれ変わるとされます。生前に功徳を積んだ人はより高い世界――天界に生まれ変わり、神になる。逆に悪業を重ねた人は地獄に落ちる、あるいは動物に生まれ変わる。こうしてわれわれは生と死を無限に繰り返す、輪廻転生を何百回何千回と繰り返すのです。道端にうごめいているバッタは前世ではあなたの兄弟だったかもしれません。だから生き物をむやみに殺してはいけない。これが仏の教えです。
2 高度物質文明と心の闇
1980年代後半以降、日本は高度経済成長の末期に入りました。山手線の内側の土地の価格でアメリカ全土を買い取ることができるというような激しい資産価格の高騰、日経平均株価が35,000円を超えるような好景気のもとで、日本人は物質的な豊かさに酔いしれていました。しかし、そうした傾向に満たされない思いを抱く若者も確実に増えていきました。
超能力や超常現象、オカルトがブームとなりました。書店には「精神世界」のコーナーができ、宗教書や哲学書とともに、超能力やオカルト関係の書籍や雑誌が並びました。
3 終末論ブーム
この時代のもう一つの特徴は、若者の間に終末論が流行ったことです。『ノストラダムスの大予言』という本が200万部を超える大ベストセラーとなりました。「1999年7の月に恐怖の大王」が地上を襲い、人類は滅亡するというのです。「恐怖の大王」とは、環境汚染か、核戦争か、あるいは、大地震か。テレビや雑誌、マンガなどのメディアを通じて人類の滅亡、この世の終わりが繰り返し語られました。
この時代の若者のなかには、この世の終わりを信じる人がかなりいました。彼らにとって「人類の終わり」をどう生きるのかは切実な問題でした。20世紀末に起こる核戦争や大災害を自分は生き延びることができるだろうか。死後の自分はどうなるのだろうか。彼らは自分の生と死の問題に直面したのです。
4 オウム真理教の誕生
こうした時代にオウム真理教は誕生しました。
皆さん、
オウム真理教の教義は、麻原彰晃が発明したわけではありません。独創的なものでもありません。その内容は決して特異なものではありませんでした。むしろ、オウムの教義は伝統的な宗教や哲学に根ざしたものです。そのことを少し説明します。
源流としてのチベット密教
その教義は古い仏教の一つであるチベット密教をベースにしたものです。あらゆる生き物は6つの世界の間で輪廻転生を無限に繰り返します;6つの世界とは、より高い世界から「天界」「阿修羅界」「人間界」「動物界」「餓鬼界」そして「地獄界」と呼ばれます;われわれが人間界に生まれる前にも生があり、死んで人間界を去った後にも生があるのです;生前に修行を行い、戒律を守り、善業を積むことでより高い世界――阿修羅界や天界−−に転生することができます。
逆に、戒律を破ったり悪業を重ねたりした人は、死後により低い世界つまり「動物界」「餓鬼界」「地獄界」に落ちます。この3つを「三悪趣」と呼びます。悪業のことを「カルマ」と言います。殺生をしたり人の物を盗んだり他人の悪口を言うなどの悪業=カルマを重ねた人は、この世で修行を行い、カルマを落とさない限り、動物になったり、何百年も何千年もの間、飢えと渇きに悩まされ続けたり、火に焼かれ続けたりしなければならないのです。
人はこのままではこうした輪廻転生を無限に繰り返すことになります。それは気の遠くなる話であると同時に、とても虚しいことであり、そして非常に恐ろしいことでもあります。そこで仏教では修行を積むことでこの輪廻転生から解脱して悟りの境地に達することをめざします。この解脱の境地にはいくつかの段階=ステージがあります。
一つはヒナ・ヤーナ(小乗)です。 煩悩を捨て、修行をすることで修行者個人の解脱を目指すという考え方です。
もう一つはマハー・ヤーナ(大乗)の教えです。ヒナ・ヤーナの解脱を達成した行者が次に進むのは、一般大衆=衆生の救済です。自ら厳しい修行に耐えるとともに、法を知り、法を説き、お布施をさせるなどして、すべての人が悪業をやめ、善業を行うことへと導く。これがマハー・ヤーナ=大乗の教えです。
修行の基本はヨーガです。身体を清め、独特の呼吸法によって精神を集中します。そのうで、マントラを唱え、瞑想します。ヨーガによって身体の内部に眠っているエネルギーを覚醒させ、そのエネルギーを身体の中心にある管を通して上昇させます。このエネルギーをコントロールすることができた状態が解脱とされます。
このヨーガの行法にもいくつかのステージがあります。クンダリニー・ヨーガと呼ばれる行法は、身体の尾てい骨のあたりに眠っている精神エネルギーすなわちクンダリニーを覚醒させ、そのエネルギーを身体の中心を通る管を通じて頭の天辺まで上昇させるヨーガです。エネルギーが頭のてっぺんを突き抜けたとき、修行者は中空に飛び上がり、様々な光に包まれ、歓喜の状態、至福の状態に達すると言われます。
こうした修行は修行者一人で行うことはできません。必ず解脱を達成した指導者の下で行う必要があります。この指導者のことを「ラマ」あるいは「グル」と言います。密教の修行はグルと修行者の一対一の関係だと言われます。グルに対する絶対的な帰依がなければ修行は成就しないとされます。グルの指導に疑問を持つことは許されません。
阿含宗・『虹の階梯』
1970年代の終りころに、こうしたチベット密教に基礎をおき、ヨーガの修行による解脱を説く新宗教が既にありました。桐山靖雄という人が主宰する「阿含宗」です。そして、阿含宗の運営する出版社はチベット密教やヨーガに関する本を多数出版しました。その中の一つに『虹の階梯』という本があります。これは中沢新一という東大出身の宗教学者がチベット密教のグルの教えを直接受けて書いた本です。ここにはチベット密教の教えとその修行の方法が具体的に記されていました。この本も1980年代の中頃にベストセラーになりました。
『虹の階梯』はチベット密教における「ポワ」について詳しく解説しています。死者の魂は、生まれ変わるまでの間「バルドー」と呼ばれる中間的な世界をさまよっている。密教の修行を極めた指導者=グルは、この死者の魂が低い世界=三悪趣に落ちるのを防ぐことができる。この技法のことを「ポワ」と言います。自ら修行を積んで自らの死に際してポワを行う技法を身につけるならば、決して死は怖くない。むしろより高い世界に生まれ変われる貴重な機会でもある。『虹の階梯』はそう説いています。
オウム真理教の教祖となる麻原彰晃は、阿含宗の信者でした。彼はインドに渡り、ヨーガの修行をします。彼が後にオウム真理教の教義として掲げた項目の主なものはこの『虹の階梯』という書物に書かれていることです。
神智学・霊性進化論
似たような宗教哲学は西欧にもあります。その代表格が「神智学」あるいは「霊性進化論」と呼ばれる思想です。これは19世紀後半にヨーロッパに現れたブラヴァツキー夫人という霊媒師が考え出したものです。普通の人間の霊魂は輪廻転生を繰り返すだけだが、修行を積むことで霊魂は進化を遂げて、新しい人類として生まれ変わるという考え方です。この修業の方法も密教のヨーガの修行と基本的には同じです。そして、神に選ばれ進化した人種は高度の知性と超能力を身につけています。空中を浮遊したり、身体を離脱して、より高い世界とこの現実世界との間を自由に行き来できます。
この考え方は20世紀後半に世界中に生まれた新宗教に多大の影響を与えました。桐山靖雄の「阿含宗」もこの影響を受けています。オウムも「神智学」から多大の影響を受けました。
オウム真理教の誕生
1984年に麻原彰晃は都内のビルの一室で「オウム神仙の会」というヨーガ教室を始めました。心身の不調に悩む若者や自分の生きる意味を模索する若者たちが会員となりました。このヨーガ教室は徐々に宗教色を強めて行きました。翌年にはオカルト系の雑誌に麻原の空中浮遊の写真が掲載されました。また、その翌年1986年には麻原は『超能力――秘密の開発法』という本を出版しました。彼は、自分はチベットでグルのもとで修行を行い、最終解脱者となったと宣言しました。本の中でヨーガ修行の具体的な方法を説き、自分の指導の下で修行を積めばだれでも超能力を身に付けることができると言いました。
麻原は、都内の道場でヨーガの指導を行う他に、各地でセミナーを開きました。そうした折に、修行中の若者に麻原のエネルギーを直接注入する技法が行なわれました。それはシャクティ・パットと呼ばれる技法で、寝そべった修行者の額に麻原が自分の親指を当ててマントラを唱えながらエネルギーを注入するのです。シャクティ・パットを受けた参加者のなかには、光が見える、尾てい骨の辺りが燃えるように熱くなる、などの神秘体験をする人が続出しました。
1987年、「オウム神仙の会」は「オウム真理教」と名前を改めました。彼の道場やセミナーには多数の若者が通うようになりました。名前を改めるのと同時に出家制度が始まりました。家族や仕事を捨てて、全財産を教団に布施して体一つで教団施設に寝泊まりして、修行一筋の生活をする若い男女が集まりました。そして初期に出家した信者の中から、麻原の指導の下で過酷な修行に耐えた数名の男女がクンダリニー・ヨーガを成就し「解脱者」と認定されました。
オウム真理教は宗教界でも注目を集めました。中沢新一ら気鋭の宗教学者はオウム真理教と麻原を高く評価しました。そして、ノーベル平和賞受賞者でもあるチベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世を始めとする、海外の聖職者も麻原を本物の修行者、高い能力を持ったグルとして賞賛しました。
こうして、オウム真理教とその教祖麻原彰晃は、自分の生と死の問題を真面目に見つめる若者の心を確実に捉えました。
II 高橋克也さんはオウムに希望を見た
1 高橋さんの人生の悩み
高橋克也さんのことを話します。
高橋克也さんは1958年(昭和33年)に横浜市で生まれました。父はサラリーマン、母はパートタイマー。4歳上の兄がいます。高橋さんは幼少のころから、両親は「長男」である兄の方を自分よりも大事にしているのではないか、というコンプレックスを持っていました。兄は小学校から高校まで進学校に進み、大学も国立大学に進み、親の仕送りで好きな勉強をしていました。高橋さんは中学卒業後、高専に進学しました。
20歳で高専を卒業すると家の近くにある電気関係の会社に就職しました。彼は、自分の仕事にそれなりにやりがいを感じていましたが、社内の人間関係にうまく対処できませんでした。大学出と差別されている;自分は兄や両親のせいで大学にいけなかったという思いに悩まされました。
高橋さんは会社を辞めてしまいた。再就職せずに自分のことをゆっくり考えようと思ったのです。彼は生きていることへの根本的な疑問を持っていました。心に裏表のある人の社会の中で、うまく立ち回れず、人を恨んで生きることに意味があるのか。もしも人生がこうした世界に一時居るだけなのだとしたら、食べて、年をとって、死ぬというだけだったとしたら、生きることに何の意味があるのだろうか。高橋さんは、現実社会を超越したものに関心をもちました。こうした汚れた世界以外にも純粋な世界があることを確信したかったのです。
2 阿含宗へ
高橋さんは阿含宗に入りました。瞑想とヨーガの修行を始めました。しかし、なかなかうまく行きませんでした。阿含宗には具体的な指導理論はなく指導者もいないと感じました。また、その道場の世俗的な雰囲気にも馴染めませんでした。仲間もできませんでした。阿含宗へは自然と足が遠のき、結局退会しましました。
3 オウムへ
あるとき、高橋さんは書店で麻原彰晃の『超能力「秘密の開発法」』を手にしました。そこにはヨーガの修行法が順を追って具体的に説明されていました。その通りに修行すればだれでも超能力を獲得できると書かれていました。実際に修行をして成就した人にしか書けない、試行錯誤が記録されていました。高橋さんは「オウム神仙の会」の本部に電話して、世田谷の公民館で行われたセミナーに参加しました。1987年春のことでした。
高橋さんは道場に通って、麻原や彼の弟子たちの指導のもとで、ヨーガの基本を学びましだ。体調が良くなり、人生に前向きになれたような気がしました。そして、麻原のシャクティ・パットを受けました。尾てい骨の辺りが熱くなり、目を閉じているのに明るい光が見えました。エネルギーが背骨を駆け上がる感覚がして、とても心地よいものでした。
麻原は信徒の心の中を読むことができました。視力がほとんどないのに、遠くの出来事を見通すことができました。麻原が特別な能力をもった解脱者であることは明らかでした。彼こそ、私の心を完全に理解し、私を導いてくれるグルである。高橋さんはそう確信しました。
4 出家
1987年7月、高橋さんは彼の全財産である自動車と現金300万円をオウム真理教に布施して、出家信者となりました。高橋さんは着の身着のままでオウムの道場に寝泊まりしました。多くの出家信徒は彼より若かったのですが、対等の仲間、家族であり、ともに解脱を目指して修行に励む同行者でした。高橋さんは、彼ら若い信徒と一緒に「バクティ」と呼ばれる奉仕活動に励みました。セミナーの準備の手伝いや新しい信徒への対応、九州支部の設立準備などの「ワーク」を精力的にこなしました。
III 教義の変質と武装化
1 グルイズム
チベット密教の修行は「グル」と呼ばれる指導者のもとで行なわれます。グルは解脱を果たした聖者であり、弟子に教義を説き、修行のための助言を与え、解脱へと導きます。弟子にとってグルは絶対的な存在です。その指示命令に背けば破門され、解脱への道は閉ざされるのです。
麻原彰晃はこのグルへの絶対的な帰依を信者たちに厳しく要求しました。修行途上にある信者はみな様々な欲望=煩悩を抱えています。不完全な存在です。そうした煩悩を打ち砕くためには自分を空っぽにして、そこにグルの情報を注入する、グルと合一化し、グルのクローンになる必要がある。それこそが解脱への早道であると麻原は強調しました。
信者にとってグルであり、尊師である麻原は絶対的な存在であり、その言葉に疑問を唱えたり、反抗することなど考えられないことです。そのような者はもっとも恐ろしい世界=「無間地獄」に落ちると弟子たちは信じていました。
2 マハー・ムドラー
チベット密教の修行方法の1つとして「マハー・ムドラー」というものがあります。これはグルが弟子に対して一見理不尽とも思える様々な無理難題を課し、弟子がそれを乗り越えることで、グルに対する帰依を深め、かつ弟子が心の奥底に持ち続けている煩悩やカルマ(悪業)を断ち切るというものです。これはグルへの絶対的な帰依を確かめる方法であると同時に、一種の荒療治として修行のステージを一気に高める効果もあるとされました。
例えば、麻原は説法の中でチベット密教の聖者ティローパとその弟子ナローパの逸話を引いて、その意味を説明しています。
ティローパがナローパに対して、塔に登ったときにね、「ここから飛び降りたらどうかな。きっとわたしの弟子はここから飛び降りるだろう」と独り言をいったと。それを聞いたナローパは、塔のてっぺんから飛び降りた。そして瀕死の重傷に遭い、3日3晩放置されたと。そこでティローパが登場してナローパを神秘の力によって回復させたと。これも一見、無謀なことをなしたように見えるけど、ナローパの持っていた殺生のカルマをね、ティローパが切ったんだ。
麻原は、このマハー・ムドラーをクンダリニー・ヨーガの上に位置づけました。クンダリニー・ヨーガを成就した者は次に、マハー・ムドラーの成就を目指したのです。出家信者はクンダリニー・ヨーガを成就すると「師」という尊称を与えられ、チベット密教の聖者にちなんだ「ホーリーネーム」が与えられました。
1990年代になると、クンダリニー・ヨーガを成就した出家信者は相当な数いました。しかし、マハー・ムドラーを成し遂げた信者はほんのわずかしかいませんでした。彼らは、救済者とされ、「正大師」という非常に高い地位が与えられました。
1990年代以降、麻原は、弟子たちの自分への帰依を確かめ、修行を積ませるために、マハー・ムドラーの一環として、一見理不尽な仕事を要求し、無理難題を課すようになりました。その内容はどんどんエスカレートしていき、単なる無理難題の域を超えて、違法行為、さらには犯罪になるようなことまで指示するようになりました。弟子たちは、それが自分たちのグルへの帰依が揺るぎないことを試す試練であり、マハー・ムドラーを成就するための重要な修行の機会であると信じて、それを実践しました。
3 ヴァジラヤーナ
出家信者による犯罪や違法行為を正当化する教義はまだありました。先ほど説明したように、チベット密教における解脱の教えとして、ヒナヤーナ(小乗)とマハー・ヤーナ(大乗)があります。実はもう一つ秘密の教えあります。それがヴァジラヤーナ(金剛乗)あるいはタントラ・ヴァジラヤーナ(秘密金剛乗)の教えです。
ヴァジラヤーナとは、解脱を達成して人の前世や来世を見通す能力があるグルによってしかできない救済方法です。グルはその絶対的な能力に基づいて、その人にとって最善・最速の救済を実行することができるとされます。ヒナ・ヤーナやマハー・ヤーナの教えでは、殺生や盗みや邪淫は厳禁です。しかし、ヴァジラヤーナの教えでは、グルは戒律違反を行うことも許されます。例えば、悪業を積み続ける魂を救済するためにその人を殺すこと、財力に任せて物や人をむさぼる人の魂を救済するためにその財産を奪うことです。こうした方法によってその人が今後も更に悪業を重ねて、三悪趣に落ちることを防ぎ、その魂をより高い世界に導くこと、つまりポワすることができるというのです。
麻原は次のような説法を行っています。
すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまうと。ここで例えば、生命を絶たせたほうがいいんだと考え、ポワさせたと。この人は一体何のカルマを積んだことになりますか。殺生ですかと、それとも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますかと。こうなるわけですよね。でもだよ、客観的に見るならば、これは殺生です。***しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポワです。
ヴァジラヤーナを行うことができるのは、麻原しかいません。なぜなら、他人の生き様を見通すことができるのは彼しかいないからです。弟子たちは彼の心と一体化し、彼の命じるままに理不尽な、非合法な、ときには犯罪に当たる行為を実践する以外にないのです。なぜなら、グルは絶対であり、グルの命じるままに行動する事こそが、マハー・ムドラーの修行に他ならないからです。
ヴァジラヤーナは、ヒナ・ヤーナ、マハー・ヤーナを超えた「最も早く最高の境地へ到達する」方法だとされたのです。麻原は、1990年代以降、このヴァジラヤーナの教えを教義の中心に据えました。それは、すぐそこに迫った「人類滅亡の日」に備える必要があったからです。マハー・ムドラーを成就し救済者となった信徒、いわば新しい種として生まれ変わった人類をそれまでに大量生産しておく必要があったのです。修行する信徒は次のような文句を繰り返し、何百回も何千回も何万回も、声に出して唱えることを求められました。
私は、完全なるヴァジラヤーナの実践を行うぞ。
わたしの心は、救済者であるグルの心と同一である。
いかなることがあろうとも、いかなる生においてもグルと一緒に転生し
すべての魂を高い世界へポワするぞ。
4 一般信徒は非合法活動・犯罪が行なわれていることを知らなかった
麻原は、説法の中で、ヴァジラヤーナの教義においては、非合法活動や犯罪ですらも正当化されることがある、と説いていました。だから一般の信徒はそうした教義の存在を知っていましたし、オウム真理教の救済の方法論の奥深さに感銘をうけたでしょう。
しかし、教団がこの教義の実践として、実際に犯罪行為を行っていることは極秘事項とされていました。それを知っていたのは、麻原から直接犯罪を指示された教団の幹部と、その幹部から指示されて犯罪を実行した一部の出家信者だけでした。彼らは、グルの指示に対しては絶対に従わなければならない;反抗したら三悪趣に落ちると信じていました。彼らには指示されたことを実行する以外に選択肢はありませんでした。
自分に命じられた行為がどのような動機に基づき、何を目的としているのか、自分が手を下そうとしている相手がどのような人なのか、という疑問を提起することも許されませんでした。彼ら最も早く解脱に達する修行すなわち「マハー・ムドラー」の実践として指示されたことを行ったのです。
5 ハルマゲドンと武装化
麻原彰晃は、「ハルマゲドン」と呼ばれる世界規模の戦争が1997年に起こり、人類の大部分は滅びると予言しました。自分は救世主としてこの戦争に勝利して、行き残った出家信者とともに新しい国家を建設するのだと宣言しました。
麻原は、自分たちに対する攻撃は既に始まっている;ユダヤ人の一派であるフリー・メーソンがアメリカや日本のスパイ組織を通じて自分たちに毒ガス攻撃を仕掛けているなどと、説法で言うようになりました。
そして、麻原は、極秘のうちに自分の側近のみを集めて、ハルマゲドンに備えて、銃火器や爆発物、さらには生物・化学兵器を製造する準備をするように指示したのです。
6 一般信徒は武装化を知らなかった
麻原は、ハルマゲドンが起こるという予言や教団が毒ガス攻撃を受けているということを説法や著作のなかで公に述べていました。しかし、兵器を製造しようとしているということは、もちろん公表しませんでした。この事実を知っているのは、麻原の指示を受けて実際に兵器開発を行っているごく一部の出家信者だけでした。一般信徒はもちろん、出家信徒でも日常的に麻原と接する機会のない者には知るすべはありませんでした。
7 出家信者の間のコミュニケーションの特殊性
オウム真理教の出家信者の間で行われるコミュニケーションは、われわれ一般人のそれとはかなり異なります。先ほど説明したように、グルは絶対的な存在です。信者は自らを空っぽにしてそこにグルのエネルギーを注いで、グルと合一化しなければなりません。その指示に逆らうことはできません。逆らったら無間地獄に落ちてしまいます。だから、麻原から何か指示されたら、その指示をそのまま実行しなければなりません。それに疑問を提起することなどありえません。何かをやるように指示されたら、その理由や目的を問うこと自体が教義に反するのです。
自分の上司である出家信者から指示を受けた下位の出家信者も同じです。上司はグルの意思のもとで部下に指示を与えているのですから、その指示に背くということはありえません。その指示の理由や目的を問うこともないのです。
もう一つ、信者間のコミュニケーションで特徴的なのは、他の信者が行っていることに口を出したりしないということです。オウム真理教のなかではグルと信者は1対1の関係です。グルに帰依した修行者は直接個人として帰依しているのです。それぞれが直接グルとつながっているのです。他の修行者はグルの意思を直接体現しているのですから、他の修行者はその人に何をしているのか、なぜそんなことをしているかなどと問いかけることもないのです。言い換えると、出家信者は別の出家信者の行動に対して極めて無関心なのです。一人ひとりの出家信者は、自分とグルの関係しか考えず、自分の修行に専念するだけなのです。
IV そのころの高橋さんの生活
1 高橋さんは井上の部下=運転手
高橋さんは1987年の夏に出家しました。麻原のシャクティ・パットを受けてクンダリニーの覚醒を体験しました。その後も修行に励みました。しかし、修行はなかなか進みませんでした。彼がクンダリニー・ヨーガを成就したのは1990年に入ってからでした。
オウム真理教の信者の序列は、修行がどこまで進んでいるかによって決められます。年齢には関係ありません。また、入信時期が早いか遅いかにも関係ありません。入信の時期が遅くても、また、年が若くても、修行が進んだ人はホーリーネームが与えられ、高い尊称が与えられます。逆に、入信時期が早くても年齢が上でも、修行が進まなければいつまでも下位の地位に甘んじなければなりません。
高橋さんは出家後、教団内の「車両班」に配属されました。教団幹部の自動車を運転したり、自動車の整備をする係です。高橋さんは若くして教団幹部となった井上嘉浩の運転手となりました。
井上は、年齢は高橋さんよりも若いですが、修行の進行が非常に早く、若くして教団の幹部となりました。高橋さんは井上の運転手として、彼の指示にしたがって日本全国を車で駆け回っていました。こうした仕事は「ワーク」と呼ばれ、これも修行の一環でした。もちろん給料などもらえません。教団が提供する「オウム食」と呼ばれる粗末な食事をとり、まとまった睡眠をとることもなく、井上からの指示のままに、ひたすら車を運転するのです。
2 省庁制後も基本は同じ
1994年6月に教団は「省庁制」というものを始めました。井上嘉浩が「諜報省」の長官になりました。高橋さんはそのまま井上の部下として諜報省に配属されました。「省」という名前がついていますが、高橋さんの仕事の内容はそれまでと変わりませんでした。なにか事務的な仕事をするということもありませんでした。高橋さんは井上の指示にしたがって、車を用意し、運転し、整備する。ひたすらそういう日々を送っていたのです。ほとんど睡眠をとらないこともそれまでと同じでした。
3 非合法活動への関与
高橋さんは、もちろんヴァジラヤーナの教義を知っていました。しかし、出家信者が麻原の指示で実際に犯罪までを行っているということは知りませんでした。教団施設の中で爆発物や化学兵器が作られているということも知りませんでした。
しかし、1994年夏に省庁制が始まり、諜報省のメンバーとして井上嘉浩の指示で自動車の運転をする中で、非合法活動が実際に行なわれているのを目の当たりにすることになります。そしてさらに、彼自身が非合法活動に加担させられることにもなりました。
行方不明になった信者の行方を探すために、その親族の家の電話を盗聴したり、教団のための情報を入手するために他人の住居や事務所に無断で侵入したりするようになりました。もちろんこれらは、井上嘉浩の指示によって行なわれたものです。
1994年12月には、水野さんにVXをかけるという事件に関わることになりました。井上から「尊師の指示で中野に住む水野という人にVXをかけることになった」と言われ、車の運転と見張りをするように指示されました。高橋さんは、麻原の説法などからVXが猛毒の化学兵器であることは知っていました。しかし、見たことはもちろんありませんでしたし、どうして教団がそれを用意できるのかもわかりませんでした。水野という人が誰なのか、なんのためにその人にVXをかけるのかも知りませんでした。
「尊師の指示」である以上、そして、自分の上司である井上の指示である以上、疑問を唱えることはもちろん許されません。高橋さんは、言われたとおり、車を運転して井上や新實たちを水野さんの自宅付近に連れて行きました。
彼らの話によれば、水野さんにVXをかけることには成功したようでした。その結果水野さんがどうなったのか、高橋さんは知りませんでした。しかし、水野さんが亡くなったとか、重傷を負ったという話もありませんでした。
この件を皮切りに、高橋さんはVXであるとか、レーザー光線であるとか、ボツリヌス菌だとかを使った事件に運転手や見張りとして関わるようになりました。しかし、高橋さんの知る限り、どの事件でも科学技術省が開発したものは「兵器」としての役割をまったく果たしませんでした。
4 ヴァジラヤーナの実践・武装化についての高橋さんの認識は曖昧なものだった
一連の体験を通じて、高橋さんは、麻原が説法で言っているヴァジラヤーナの教えが、ただの喩え話ではなく、教団の上層部の人たちが現実に実践しているのだということを知りました。しかし、彼らが殺人まで行っている事実は知りませんでした。
高橋さんは、また、教団の「科学技術省」のメンバーが毒物や化学兵器を作ろうとしているということをうすうす知りました。しかし、それは非常に幼稚な代物であり、人を殺すようなものではなく、「兵器」というには程遠いものだと理解しました。
V 本件各事件は「教祖の犯罪」であり、高橋さんの犯罪ではない
それでは、高橋克也さんが罪に問われている事件についてお話します。詳しい説明は、これから行なわれる審理の過程で事件ごとに詳しい冒頭陳述を行います。ここでは事件の簡単なあらましだけをかいつまんで説明します。
1 VX事件
高橋さんの経験と認識
濱口事件
1994年(平成6年)12月のある日、高橋さんは、井上から、新實智光と一緒に大阪に行くよう指示されました。何をしに行くのか説明はありませんでした。高橋さんは、すぐに大阪に向かいました。
大阪では、新實の指示に従い、山形明と一緒にホテルに行きました。そこで、井上は、「公安のスパイにVXをかける」と言っていました。実行役である山形と新實を車で現場に連れて行くことを指示されました。
井上は他の人にも色々と指示をしていましが、高橋さんは自分に対する指示を記憶することに集中しました。ほかの人に対する指示は聞いていませんでした。関心もありませんでした。この会議の間、意見を述べたことは一度もありませんでした。ほかの人から意見を求められたり、質問をされたりもしませんでした。話し合いは10分程度で終わりました。
これまでの経験に照らして、高橋さんは、VXと呼ばれる液体をかけても人が死ぬことはないと思いました。
ホテルでの会議が終わると、車を運転して現場に行きました。山形と新實がサラリーマン風の男性に近づいていました。直後に、2人はその男性に追いかけられて、どこかに行ってしまいました。そうした光景をただ見ていました。その後井上に指示されて、1人で車を運転してホテルに戻りました。
その後、濱口さんがどうなったのか、高橋さんは誰からも知らされませんでした。実際には10日後に濱口さんは亡くなりました。が、その事実を高橋さんは知りませんでした。相変わらずVXなるものは人を殺すようなものではないと彼は信じていたのです。
永岡事件
しばらくして、井上嘉浩から、「オウム真理教被害者の会」会長である永岡弘行さんかその息子で元信者である辰也さんにVXをかけるから、手伝うように指示されました。このときも井上の指示はそれだけです。計画の詳しい内容は聞かされませんでした。高橋さんから細かな理由や方法を尋ねることもありませんでした。
実行の直前に、今回は山形明のサポートをするように指示されました。他のメンバーは永岡さんに顔を知られているということでした。
高橋さんは、指示された通りに、注射器に入った液体を持っている山形明の横に付き添いました。そして、傘を広げて永岡さんが自分たちの顔を見ることができないようにしたりしました。
高橋さんは、永岡さんがどうなったのか、誰からも聞いていません。尋ねてもいません。VXで永岡さんが死ぬとは思いませんでした。
主張の概要
濱口事件にしても、永岡事件にしても、「VXをかける」というのは麻原彰晃が発案し、新實や井上に命じたことです。なぜ二人にVXをかけなければならないのかは麻原にしかわかりません。新實と井上は、ヴァジラヤーナの教義の実践として、そして、マハー・ムドラーの修行の一環として、グルの指示に従ったのです。新實と井上は麻原の発案と指示にしたがって、具体的な計画を立てました。
高橋さんは、この犯罪の計画には一切関わっていません。新實らが用意したVXなる液体が人を殺す威力を持っていることなど、考えていませんでした。もちろん、彼には濱口さんや永岡さんに対する殺意もありませんでした。
これは高橋さんの犯罪ではありません。グルの犯罪を行う弟子たちの手助けを、それと知らずにしてしまっただけです。
VX事件について、高橋さんを殺人や殺人未遂の共同正犯に問うことはできません。
2 假谷事件
高橋さんの経験と認識
1995年(平成7年)2月終わり、高橋さんは、疲れて今川の家で寝ていました。井上嘉浩に起こされました。「いなくなった信者がいる。その居場所を知っている人から居場所を聞き出す。その人を連れてくる手伝いをするように」。そう言われました。
言われたのはそれだけです。いなくなった信徒というのは誰なのか。その居場所を知っている人というのは誰なのか。どこに連れて来るのか。どうやって居場所を聞き出すのか。何も知らされませんでした。
寝ていたところを起こされた高橋さんは、言われるまま車に乗り込みました。現場についてから、連れて来る人を車の中に押し込む役を指示されました。
一緒に待機していた中村昇が、一人の老人を見つけると、車を飛び出していきました。高橋さんは、井田善広と一緒にその後を追いかけました。中村が老人にタックルしました。高橋さんはその体を持ってワゴン車に押し込みました。
高橋さんの役目はそこまでで終わりでした。それ以上の指示はされていませんでした。高橋さんは、拉致された老人と一緒に車に乗り込みました。これからその人がどうなるのか、知りませんでした。どうやって彼から居場所を聞き出すことになるのか、知りませんでした。
老人は車の中で暴れました。すると、中川智正が何かを注射しました。男性は大人しくなりました。中川が注射した薬剤が何なのか、高橋さんは知りませんでした。
高橋さんたちの車は世田谷区にある芦花(ろか)公園に着きました。そこで、高橋さんは車を山梨県上九一色村の教団施設まで運転するよう指示されました。高橋さんは、指示されたとおり運転しました。
上九一色村につくと、老人は「第2サティアン」の瞑想室という部屋に寝かされました。その後、高橋さんは一歩も瞑想室の中に入っていません。その老人がどうなったのか、高橋さんは全く知りません。瞑想室の中で何が行われたのか、高橋さんは全く知らされていませんでした。高橋さんは、雑用をしたり、車の中で寝たりしていました。
数時間が経ち、高橋さんが眠っていると、起こされました。中川智正は、老人が死んでしまったと言いました。高橋さんにとっては寝耳に水でした。高橋さんは、なぜ亡くなったのか、意味が分かりませんでした。
その後、高橋さんは井上から、亡くなった男性のご遺体を焼却するのを見守るように指示され、指示通り見守りました。
主張の概要
假谷さんを拉致して「ナルコ」と呼ばれる、麻酔薬を使った尋問で彼から仁科さんの居場所を聞き出すというのは麻原彰晃の発案です。麻原から指示を受けたのは井上と中村です。井上たちが具体的な犯行の計画を立てました。
高橋さんは、假谷さんの名前も知りませんでした。彼にナルコが行われることも知りませんでした。井上の指示で彼をワゴン車に押し込んだり、車を運転しただけでした。假谷さんの死亡に全く関わっていません。高橋さんが関わった行為すなわち假谷さんを車に押し込んだり、自動車を運転したことと、假谷さんの死亡との間にはなんの関連性もありません。
この一連の出来事は、グル麻原彰晃の犯罪です。如何なる意味でも高橋さんの犯罪ではありません。高橋さんが逮捕監禁致死罪や死体損壊罪の共同正犯に問われるいわれはありません。
3 地下鉄サリン事件
高橋さんの経験と認識
教団がサリンを作ろうとしているということを知っているのは、ごく一部の麻原の側近に限られていました。高橋さんはもちろんそんなこと知りませんでした。ましてや、麻原が自らの預言を実現するために、大量のサリンを散布して無差別殺人を行おうとしていることなど、知るよしもありませんでした。
1995年(平成7年)3月19日、高橋さんは、井上に呼ばれて、杉並区今川にある諜報省の拠点、通称「今川の家」に行きました。今川の家に行くと、井上から、そのとき今川の家にいた出家信者を渋谷にある拠点「渋谷ホームズ」に案内するように言われました。
渋谷ホームズに行くと、井上から「豊田享を車で地下鉄中目黒駅に連れて行くように」と指示されました。
このとき「何かを撒く」というような話がありました。しかし「サリン」という言葉は聞きませんでした。
日付が変わり、3月20日未明に、林泰男らが渋谷ホームズに茶褐色の液体が入ったビニール袋を持ってくるのを見ました。高橋さんは、それが何かわかりませんでした。だれも説明しませんでした。高橋さんは、その液体を用いてなにか騒ぎを起こすのかもしれないと思いました。しかし、その液体で人を殺すなど思いもよりませんでした。
そして、自動車を運転して豊田を中目黒駅に送り届けました。車中でも豊田から何をしに行くのか説明はありませんでした。
主張の概要
地下鉄にサリンを撒くというのは麻原彰晃が考えたことです。その具体的な手順は麻原と彼の側近である村井秀夫や井上嘉浩が考えたことです。これはグル麻原の犯罪です。高橋さんの犯罪ではありません。
豊田享を自動車に乗せて中目黒駅に向かっているとき、彼がサリンを駅で撒くのだということを、高橋さんは知りませんでした。そのことを誰かと共謀したことなどありません。
高橋さんがこの事件の共同正犯であるわけがありません。
4 都庁爆発物事件
高橋さんの経験と認識
地下鉄サリン事件から1ヶ月ほど経過したころ、高橋さんは、井上から「八王子の家」に呼び出されました。
井上から「警察の捜査を攪乱するために騒ぎを起こす。本を用いた爆発物を使うので、起爆装置を作ってください」と指示されました。高橋さんが説明を受けたのはこれだけです。高橋さんが電気関係に詳しいので起爆装置の作成を頼まれたというのは理解できました。しかし、具体的なことは何も説明されませんでした。「捜査を撹乱するために騒ぎを起こす」という以外に高橋さんは何も聞かされませんでした。
高橋さんは井上に指示されたとおり、部品や工具を調達して、起爆装置となる電気回路を作りました。
起爆装置をセットする際に、中川からプラスチックケースに入った爆薬を受け取りました。しかし、それがなんという爆薬なのか、その威力はどの程度のものなのかなどの説明は一切ありませんでした。
主張の概要
都庁事件もグル麻原が発案し命じたものです。彼が井上たちに「騒ぎを起こせ」と命令し、井上たちはその命令にしたがい、具体的な犯行を計画したのです。如何なる意味でもこれは「高橋さんの犯罪」ではありません。
中川が高橋さんに渡した爆薬は人を殺すような威力はありませんでした。井上や中川が意図していたのは「騒ぎを起こして捜査を撹乱すること」です。彼らには人を殺す必要も理由もありませんでした。
高橋さんにしても同じです。この爆発物を受け取った人の命を狙おうなどと考えたことは一度もありませんでした。
高橋さんを殺人未遂の共同正犯というのは間違いです。
コメント一覧
1. Posted by アメリカより(から) 2019年03月10日 10:13
2019年オウム事件を改めて検証、いままで見えなかったものが見えそうですね、高野さんのオウムに関するブログを拝見しました。オウムのような狂気に満ち溢れたカルトに入信する人の気が知れませんし、事件を犯したものに対して、高橋さんとは、いくら高橋の弁護人だったとは言え、、貴方の同業者である坂本さんご家族がこれらの犯罪者集団に殺されているのですよ、あなたのその発想に、自己防衛がみえますね、犯罪者代わりの弁護人を受けなければならないのが弁護士資格のある全員に課せられた義務であっても、予備肩ひとつでも被害者の身上を思いやれないですかね?
2. Posted by アメリカより(から) 2019年03月10日 10:19
誤字多しですが、私も地下鉄サリン事件の被害者になりえた立場です、なので余計にあなたのその呼びな一つとっても、許せないものもございます。へーあなたが高橋克也の代理人だったー、なるほどーとおもうあなたのブログ内容。では後ほど。
3. Posted by アメリカより(から) 2019年03月10日 12:09
大体宗教にはまる人は自分がない人が多いですね、自分ひとりでは何もできない、だれかに頼りたいが近場には、頼れる人はいそうもない、ならば、宗教先にと入信してみる、、そこが自分の居場所だという、頼ったと弱みがありますから、信じてみようとのめり込む、top立場がなにか唱えれば、自分だけが逆らうわけには行かない、ずるずると、染まってしまう。家族がその宗教から引き出そうとしても、思い込んだら命がけでしょうから、自分の我を通して、家族さえも拒否、とーカルトに洗脳されたとかいいますけど、そんな弱虫なんぞはほつとけばいい、たたし殺人の片棒を担ぐまでの染まり方ならば、家族としてはなにがなんでも引き離したいのはわかりますけどね、宗教からもみえる日本国の親による子の過保護事情、