2013年11月04日
裁判官は裁判員に「経験則」を教えられるか(2)
推定と証明責任の転換
検察官は訴因を構成する全ての事実について適法に採用された証拠によって合理的な疑問を容れない程度にその存在を証明しなければならない。その証明に失敗すれば被告人は無罪とされなければならないのである。ところで、訴因を構成する事実そのものではないが、その存在を伺わせる別の事実が立証されたら、特段の事情がない限り、訴因を構成する事実を認定すべきであるというルールを裁判官が定め、全ての事実認定者(裁判官と裁判員)はそのルールに従わなければならないとしたらどうだろう。それは、無罪の証明責任を被告人に負わせることに他ならない。また、それは犯罪構成要件を定めた法律を裁判官が書き換えたことになる。覚せい剤密輸事件の訴因の構成要件には「共謀」と「薬物の認識」がある。被告人を有罪とするためには、彼が密輸組織の関係者と共謀して、自分の荷物の中に覚せい剤等の違法薬物が存在することを知りながら荷物を日本に運び込んだことについて、合理的な疑問を容れない程度に証明される必要がある。もしも、覚せい剤を仕込んだスーツケースを日本に持ってきたという事実さえあれば、密輸組織の関係者から運搬を依頼され、物の回収方法について指示があったと認定すべきである;第三者が渡航費等を負担した事実があれば、荷物の中に違法薬物があるかもしれないと認識していたと認定すべきである、というルールを最高裁が作り、同種の事案を担当する裁判官も裁判員もこのルール従わなければならないのだとしたら、覚せい剤密輸罪の訴因として「共謀」や「認識」はもはや要求されず、検察官はスーツケースの中に覚せい剤があったという事実と被告人の渡航費を第三者が負担したという事実だけを証明すれば良いということになる。そして、この2つの事情が証明されれば(その証明はきわめて容易である)、被告人の方が誰とも覚せい剤密輸を共謀していないことと、スーツケースの中に覚せい剤があることは知らなかったことを示す事情(「特段の事情」)を証明できない限り、有罪とされてしまうのである。これは立法機関ではない裁判所による覚せい剤密輸罪の法律の書き換えに他ならず、また、憲法や国際人権法に違反して無罪の証明責任を被告人に転換するものである。
かつてアメリカでもこの問題が生じたことがあった。しかし、連邦最高裁判所は一連の判例を通じてこうしたルール・メイキングは許されないとして、この問題に決着をつけた。その経過をみてみることにしよう。
マラニー対ウィルバーMullaney v Wilbur, 421 U.S. 684(1975) メイン州法では、殺人は謀殺(murder)と故殺(manslaughter)に分類されている。謀殺罪は事前の悪意(malice aforethought)に基づく殺人であり、法定刑は終身刑である。これに対して、故殺は、事前の悪意なく、突然の挑発による激情に基づく(in the heat of passion on sudden provocation)殺人とされ、法定刑は1000ドル以下の罰金又は20年以下の拘禁刑である。同州の判例ではこの二つは別々の犯罪ではなく、一つの犯罪類型の程度の違いだとされてきた。ウィルバー氏は謀殺罪で起訴された。公判裁判官は陪審員に対して謀殺と故殺の区別を説明したうえで、こう説示した――「事前の悪意は、謀殺罪の必要不可欠の要素であり、これが認められなければ殺人は故殺罪になります。……しかし、その殺人が意図的なものでありかつ不法なものであることを検察官が証明したときには、被告人の側が突然の挑発による激情に基づく行動であることを証拠の優越の程度まで証明しない限り、事前の悪意は最終的に推定されます」。Id., at 686.
連邦最高裁は、この説示はウィンシップ判決が確認したデュー・プロセス条項の保障――「訴追された犯罪を構成するのに必要な全ての事実が合理的な疑いを超える程度に証明されない限り有罪とされない」――に違反するとした。連邦最高裁はメイン州の判例法の立場(謀殺と故殺は同一の犯罪の程度の差に過ぎないという立場)に立つとしても、検察官が「突然の挑発による激情」の不存在を合理的な疑いを超える程度に証明しない限り謀殺罪で有罪とされてはならないと結論した。Id., at 700-701.
アルスター・カウンティ裁判所対アレンUlster County Court v Allen, 442 U.S. 140 (1979) 3人の成人男性と16歳の少女が乗った自動車がスピード違反で検問を受けた。助手席に置かれた少女のハンドバッグの口が開いており、中に実装された拳銃が2丁置かれていた。少女はハンドバッグが自分のものであることを認めた。車は運転者の兄弟からの借り物であり、4人ともトランクの鍵をもっていなかった。警察官がトランクをこじあけたところ、中からマシンガンとヘロインが発見された。4人は拳銃とマシンガンとヘロインの不法所持で起訴された。ニュー・ヨーク州の制定法には「自動車の中に銃火器が存在することは、その銃火器が当該自動車の乗員全員によって所持されたものと推定できる証拠である」という規定があった。公判裁判官は陪審員に対して次のような説示を行った――「われわれの刑法はまた、自動車の中にマシンガンや拳銃や火器があることはそれらの違法な所持を推定する証拠だと定めています。言い換えると、マシンガンや拳銃が存在するという証拠によって、皆さんは、それらの道具が見つかったとき車内にいた被告人たちがそうした規制対象武器を所持していたという結論を導いても良いということです。この推定は、その結論と実質的に矛盾する証拠がない限り有効です。そして、そうした矛盾証拠が提出されたときは推定は消滅すると言われています。本件における薬物や武器に関して今日私が陪審に示した推定は、必ずしも積極的な証明や証拠によって反論される必要はありませんし、いかなる証拠や証拠の欠落によっても反論は可能です。」陪審は4人に対し拳銃の所持については有罪、マシンガンとヘロインの所持については無罪の評決をした。id., at 143-147,161 n.20.
連邦最高裁は、刑事裁判における推定が合憲であるためには、その推定が「公判における事実認定者の責任――州政府が提出した証拠に基づいて最終的な事実を合理的が疑問を容れない程度に認定するという責任――を掘り崩すものであってはならない」と宣言した。Id., at 156.そのうえで、最高裁は、推定には「許容的推定」(permissive presumption)と「義務的推定」(mandatory presumption)があることを指摘する。許容的推定は、検察側が証明したある事実から訴因を構成する別の事実を推測することを事実認定者に許す一方で、被告側にいかなる挙証責任も負担させない。事実認定者はこの推定を受け入れるか拒絶するかの自由を持っている。この場合は、推定の基礎となる事実と推定される事実との間に合理的な連結(reasonable connection)――前者の存在によって後者の存在の可能性が高められる関係(more likely than not)――が認められれば、合理的な事実認定者が事実誤認をする危険性はなくなるから、それはデュー・プロセス違反とはならない。Id., at 157.これに対して、義務的推定は、合理的な疑いの基準の強度のみならず証明責任の分配にも影響を及ぼす。すなわち、それはある事実から訴因を構成する別の事実を推認することを陪審に要求するものであり、この推認を覆すためには被告側が何らかの証拠を提出しなければならないとするものである。Id., at 157.
「本件での裁判長の説示は、武器所持の推定を可能な一つの証拠評価として提示しただけであって、所持の結論を必須の結論として要求してはいない。たとえ被告人が反証としていかなる積極的な証拠を提出しなかったとしても、陪審はその推定を無視することができた。」
こう述べて最高裁は、本件は許容的推定のケースであると判断した。Id., at 160-161.そして、事件の証拠関係を詳細に検討して、本件の事実関係のもとでは、3人が武器の存在した自動車に同乗していた事実と3人による武器の所持との間には合理的な連結があると結論した。Id., at 163-167.
サンドストロム対モンタナSandstrom v Montana, 442 U.S. 510 (1979) サンドストロム氏はモンタナ州法の「熟慮の殺人」(deliberate homicide)で起訴された。熟慮の殺人は「意図的に又は知りながら」(purposely or knowingly)他人を死なせることと定義されている。被告人は被害者を死なせてしまったことは認めたが、それは意図的な又は知りながらの行動によるものではなかったと主張して争った。弁護側証人として精神科医が被告人の人格障害を証言した。検察官は裁判長に次の説示を行うことを請求した――「人は彼の自発的な行動がもたらす通常の結果を意図していると、法は推定します。」弁護人はこの説示は意図と知識に関する証明責任を被告人に移転するものだとして異議を述べた。裁判長は、異議を棄却して陪審にこの説示を行った。被告人は熟慮の殺人で有罪となった。
連邦最高裁は、まず、推定の性質を分析するにあたっては、実際の裁判長の説示を注意深く検討することが必要であり、「合理的な陪審員がその説示を解釈したかもしれない」性質に依拠して判断すべきだという。Id., at514.そのうえで、この説示は「許容的推定」ではなく「義務的推定」の説示であると言う。
「サンドストロムの陪審員たちは「人は彼の自発的な行動がもたらす通常の結果を意図していると、法は推定します」とだけ言われた。彼らは、彼らに選択の余地があること、すなわち、その結論に従わなくてもよいということを告げられなかった。彼らは法はそれを推定するとしか言われなかった。合理的な陪審がそうした説示を容易に義務的なものと見なしてしまっただろうことは明らかである。」Id., at 515.
連邦最高裁はさらに、この説示には被告側が反証できることも述べられていないので、単に被告人に「証拠提出責任」(burden of production;被告人が何らかの証拠を提出するだけで、推定を覆すことができる)を科すのみならず、より強い意味で陪審を拘束した可能性があると指摘する。第1に、合理的な陪審はこの説示を結論的なもの(conclusive presumption)と理解した可能性がある。すなわち、一旦推定の前提となる事実(被告人の行動が自発的であった)が認められれば、推定される事実(その通常の結果である死を意図したこと)を認めなければならないと裁判所は命じていると陪審は理解した可能性がある。これは推定というよりは、反証すら許さない有罪の指示評決である。第2に、合理的な陪審は、被告人の自発的な行動が証明されれば、被告人側が相当量の証拠を提出してその反証に成功しない限り、殺人の意図を認めなければならないと裁判所に指示されたと理解した可能性がある。これは意図に関する「説得責任」(burden of persuasion)を被告人に科すものである。Id., at 518-519.そして、連邦最高裁はこのいずれの推定も、ウィンシップ判決が明示したデュー・プロセスの要請に違反するものであると結論した。
「この事件における結論的推定は、法が被告人に付与し、犯罪のすべての要素に適用されるべき、一貫した無罪の推定と矛盾するものであり、かつ、刑事事件では法が陪審にだけ託した事実認定の権限を侵害するものである。……犯罪の第1の要素(死をもたらしたこと)と、第2の要素(被告人の行動の自発性とその「通常の結果」)を証明するのに十分な事実があれば、サンドストロムの陪審は意図という要素について被告人の主張を排斥する結論をとることを命じられていると合理的に結論することができたのである。州政府は、こうして、「訴追された犯罪を構成するのに必要な全ての事実について合理的な疑いを容れない証明」を強制されずに済んだのであり、被告人はウィンシップ判決が宣明した憲法上の権利を奪われたのである。
「結論的なものではなく、説得責任を被告人に移転する効果をもつ推定も同様の欠陥を持っている。もしもサンドストロムの陪審が推定をそのようなものと解釈したのだとすると、州政府による、殺人の事実とそれ自身では意図の要素を証明できないいくつかの追加的事実の証明によって、有罪に必要な精神状態を欠いていたことの証明責任が被告人に移転することになる。こうした推定はマラニー対ウィルバーにおいてその憲法上の欠陥が認定されたものである。」Id., at 523-524.
フランシス対フランクリンFrancis v Franklin, 471 U.S. 307 (1985). 受刑者フランクリンは施設外の歯科医院で治療を受けている際に、刑務官の拳銃を奪って逃げた。付近の民家の玄関先で家人に車の鍵を要求したところ、家人はドアをいきなり閉めた。フランクリンは拳銃を2発発射した。1発は玄関ドアを貫き、家人の心臓を貫通した。もう1発はドアを突き抜けて天井に当たった。フランクリンはジョージア州法の「悪意の謀殺罪」(malice murder)で起訴された。同州法によると、悪意の謀殺は「不法なかつ事前の悪意に基づく」殺人とされる。フランクリンは人を殺す意思(intention to kill) はなかったとして無罪を主張した。公判で裁判長は次の説示を行った――「健常な精神と分別のある人の行動は、その人の意思の産物であると推定される。しかし、この推定は反証されるかも知れない。健常な精神と分別のある人は、彼の行動のもたらす自然なそして相当な結果を意図していると推定される。しかし、この推定は反証されるかもしれない。人は犯罪的な意図を持って行動すると推定さるわけではないが、事実認定者すなわち陪審は、言葉、行動、態度、動機など、被告人が訴追された行為に付随する全ての状況を考慮して犯罪的な意図を認定することができる」。
連邦最高裁は、この説示は、殺意に関して被告人に説得責任を移転する効果を持つ義務的推定であって、デュー・プロセス条項に違反するとした。「健常な精神と分別のある人」で始まる2つのセンテンスは、サンドストロム事件における説示とおなじように、合理的な陪審が裁判所によって推定を命じられたものと理解する可能性がある。Id., at 316.サンドストロム事件と異なって本件では「この推定は反証されるかもしれない」という言葉が付け加えられている。この文言によって推定は反証が不可能な結論的な推定(mandatory irrebuttable presumption) ではなくなるとしても、サンドストロム判決が違憲と断じたもう一つの推定、すなわち反証可能な義務的推定(mandatory rebuttable presumption)――州政府は推定の基礎となる事実を証明しさえすれば推定される事実について説得する責任を解除され、その事実に関する説得責任は被告人に移転する――となる可能性がある。
「反証可能な義務的推定は多分被告人にとって[反証不可能な結論的推定] よりも軽い負担ではあろう。しかし、それでも違憲の程度がより軽いということにはならない。われわれの先例は、州政府が証拠や推定で立証しなければならないほどに重要と考える事実に関する説得責任を移転することは、デュー・プロセス条項のもとでは許されないことを明確にしているのである。‥‥それに先立つ義務的言語と合わせられることで、「反証されるかもしれない」という説示は、陪審に対して、被告人がその推認が必須のものではないことについて陪審を説得しない限り、拳銃を発砲する行為の自然かつ相当な結果として殺意を認定すべきことを命じられているものであると解釈される合理的な可能性がある。推定は「反証されるかもしれない」という言説そのものが、合理的な陪審員に対して、州政府が推定の基礎となる行為を証明しさえすれば、被告人は積極的に説得する責任を負担しなければならないと示唆したかもしれない。」Id., at 317-318.
連邦最高裁は、裁判長が問題の説示の前に無罪の推定や訴因のすべての要素について政府は合理的な疑いを容れない程度の証明責任を負うことを一般論として述べていることについて、これは問題の説示の違憲性に影響を与えないという。
「州政府の説得責任や被告人の無罪推定を述べる一般的説示は、結論的推定あるいは責任移転型推定と言語表現として矛盾してはいない。なぜなら、陪審はこれら2組の説示を、推定は意図についての合理的な疑いを容れない証明の手段であることを示していると解釈するかもしれないからである。本件における意図に関する説示に即して言うと、合理的な陪審員は、意図は合理的な疑問を容れない程度に証明されなければならないが、銃を発射したこととその通常の結果の証明は、被告人が陪審を別の方向に説得しない限り、合理的な疑問を容れない程度の意図の証明となると考えたかもしれないのである」。Id.,at 319-320.
また、問題の説示に続く「犯罪的な意図」についての説示は、本件で問題となっている「殺す意思」(intention to kill)とは別の事柄――事前の悪意(malice aforethought)−−に関する説示と理解された可能性がある。したがって、「人は犯罪的な意図を持って行動すると推定さるわけではない」との表現は、人を殺す意図に関する反証可能な義務的推定と両立しうるものであって、この義務的推定の違憲性を解消させることはない。Id.,at 320-321.
今回の最高裁第1小法廷の決定を、同種の事案を担当する全国の事実認定者に対して、最高裁が是認した「経験則」にしたがった認定をすべきことを要求するものと解釈することは、アメリカ連邦最高裁が憲法違反であることを宣言した「義務的推定」を認めることに他ならないであろう。第1小法廷は「特段の事情」が証明されれば推定は覆ると言っているようであるから、それは「反証を許さない結論的推定」ではない。しかし、持参したスーツケースから覚せい剤が発見された事実と渡航費を第三者が負担した事実があれば、組織関係者からの委託と違法薬物の認識を「認定するのが相当である」と言っているのであるから、それは説得責任を被告人に移転する効果を持つ義務的推定を表現したものと理解することもできなくはない。しかし、そうした判例解釈は、訴追の対象である犯罪を構成する全ての事実について合理的な疑いを超える証明がなされない限り、有罪とされないという権利を保障している日本国憲法と国際人権規約に違反するのである。
裁判員の事実認定権限の侵害
事実認定とは証拠の評価である。ある証拠を信用するかどうか、そして、その証拠から何が認められるか、こうした判断の積み重ねが事実認定である。裁判員法は「証拠の証明力は、それぞれの裁判官及び裁判員の自由な判断にゆだねる」と定めている(裁判員法63条)。すなわち、どの証拠を信頼しどの証拠を信頼しないか、そしてある証拠から何を認定するかは、裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられなければならない。この点に関する裁判官と裁判員の判断には優劣の差がないということである。あらかじめ一定の情況証拠に特別の地位を与え、それが認められるならば別の事実が認められるというルール(経験則)を裁判官が設定することは、裁判官の証拠評価に優越的な地位を与え裁判員の自由心証を侵害するものであるから許されないのである。
陪審裁判と裁判員裁判の違いは、前者では裁判官は評議に参加できず事実認定の権限が与えられていないのに対して、後者では裁判官も評議室に入り、裁判員と一緒に事実認定を行う権限があるということである。しかし、この違いは刑事裁判における義務的推定の違憲性に影響を与えることはない。確かに、裁判官は評議室の中で、スーツケースの中に覚せい剤が隠匿されており、かつ渡航費用を第三者が負担した事実があれば特別の事情がない限り薬物の認識を認定すべきだという個人的な信念を表明することは許されるかもしれない。その発言が裁判員たる市民の発言の自由に何らの制約も及ばさず、純然たる「許容的推定」――情況証拠の解釈の一つに過ぎず、証明責任の分配に影響を与えない意見――の表明に過ぎないのであれば、それは許されるだろう。
しかし、問題は、実際に裁判官のその発言を聞いた裁判員がそれを裁判官の個人的な信念の表明にすぎないと受け取れるのかということである。サンドストロム判決が言うように、推定が許容的推定なのか義務的推定なのかは、単に裁判官の主観的な意図によってではなく、それが現実になされた文脈を注意深く観察して「合理的な裁判員がその説示を解釈したかもしれない」性質に依拠して判断すべきである。評議室の中で裁判官から「薬物隠匿と費用負担の事実があれば特別の事情がない限り薬物の認識があったと認定できる」と言われれば、普通の裁判員はそれが刑事裁判のルールなのだと考えてしまうであろう。刑事裁判のルールであるから、裁判員はそれに従う義務があると考えるであろう。仮に、法律がそれを要求していると考えなかったとしても、法的訓練を受けた裁判官が長年に渡る事実認定経験に裏打ちされた意見として述べているのであるから、それは大きな権威を持ち、事実上裁判員はその意見に反論できなくなるだろう。裁判官と裁判員の意見の重みは同等であるという一般的な説明が仮にあったとしても、このような一般命題として述べられた、いわばルール化した意見の表明に対して、素人がその場で反駁することは不可能である。
そうすると、裁判官が裁判員に対して経験則や推定――情況証拠を差別的に扱い、ある事実が認定できるときは、訴因を構成するある別の事実を認定できるという考え方――を表明するときは、それが他の裁判員や裁判官を拘束するもものではなく、被告側に何らの証明責任も負担させるものではないこと、それは裁判官の個人的な意見に過ぎず法的なルールでもなく、他の人の意見とその重みにおいて差はないことを裁判員に十分理解させるための特別の措置を採る必要があるだろう。例えば、経験則や推定に関する意見を述べるときには予めその内容について当事者双方に意見を求め、そこで決まったとおりに述べる;評議室内で意見を述べる際にもそれが法的なルールや義務的推定ではなく、裁判官の個人的な意見に過ぎないことを必ず説明する、というようことが考えられる。裁判員法66条5項は評議の際の裁判長の職務として「裁判員が発言する機会を十分に設けるなど、裁判員がその職責を十分に果たすことができるように配慮しなければならない」と定めている。この規定からも、裁判官が証拠の評価とりわけ推定や経験則に関する意見を表明することは抑制的でなければならないことが導かれる。裁判員の意見表明を萎縮させるような裁判官の発言はこの規定に違反するだけでなく、裁判員の証拠評価の自由(裁判員法62条)を侵害するものであり、裁判官と裁判員が事実認定を共同して行うという裁判員制度の根本理念に悖るものである。
検察官は訴因を構成する全ての事実について適法に採用された証拠によって合理的な疑問を容れない程度にその存在を証明しなければならない。その証明に失敗すれば被告人は無罪とされなければならないのである。ところで、訴因を構成する事実そのものではないが、その存在を伺わせる別の事実が立証されたら、特段の事情がない限り、訴因を構成する事実を認定すべきであるというルールを裁判官が定め、全ての事実認定者(裁判官と裁判員)はそのルールに従わなければならないとしたらどうだろう。それは、無罪の証明責任を被告人に負わせることに他ならない。また、それは犯罪構成要件を定めた法律を裁判官が書き換えたことになる。覚せい剤密輸事件の訴因の構成要件には「共謀」と「薬物の認識」がある。被告人を有罪とするためには、彼が密輸組織の関係者と共謀して、自分の荷物の中に覚せい剤等の違法薬物が存在することを知りながら荷物を日本に運び込んだことについて、合理的な疑問を容れない程度に証明される必要がある。もしも、覚せい剤を仕込んだスーツケースを日本に持ってきたという事実さえあれば、密輸組織の関係者から運搬を依頼され、物の回収方法について指示があったと認定すべきである;第三者が渡航費等を負担した事実があれば、荷物の中に違法薬物があるかもしれないと認識していたと認定すべきである、というルールを最高裁が作り、同種の事案を担当する裁判官も裁判員もこのルール従わなければならないのだとしたら、覚せい剤密輸罪の訴因として「共謀」や「認識」はもはや要求されず、検察官はスーツケースの中に覚せい剤があったという事実と被告人の渡航費を第三者が負担したという事実だけを証明すれば良いということになる。そして、この2つの事情が証明されれば(その証明はきわめて容易である)、被告人の方が誰とも覚せい剤密輸を共謀していないことと、スーツケースの中に覚せい剤があることは知らなかったことを示す事情(「特段の事情」)を証明できない限り、有罪とされてしまうのである。これは立法機関ではない裁判所による覚せい剤密輸罪の法律の書き換えに他ならず、また、憲法や国際人権法に違反して無罪の証明責任を被告人に転換するものである。
かつてアメリカでもこの問題が生じたことがあった。しかし、連邦最高裁判所は一連の判例を通じてこうしたルール・メイキングは許されないとして、この問題に決着をつけた。その経過をみてみることにしよう。
マラニー対ウィルバーMullaney v Wilbur, 421 U.S. 684(1975) メイン州法では、殺人は謀殺(murder)と故殺(manslaughter)に分類されている。謀殺罪は事前の悪意(malice aforethought)に基づく殺人であり、法定刑は終身刑である。これに対して、故殺は、事前の悪意なく、突然の挑発による激情に基づく(in the heat of passion on sudden provocation)殺人とされ、法定刑は1000ドル以下の罰金又は20年以下の拘禁刑である。同州の判例ではこの二つは別々の犯罪ではなく、一つの犯罪類型の程度の違いだとされてきた。ウィルバー氏は謀殺罪で起訴された。公判裁判官は陪審員に対して謀殺と故殺の区別を説明したうえで、こう説示した――「事前の悪意は、謀殺罪の必要不可欠の要素であり、これが認められなければ殺人は故殺罪になります。……しかし、その殺人が意図的なものでありかつ不法なものであることを検察官が証明したときには、被告人の側が突然の挑発による激情に基づく行動であることを証拠の優越の程度まで証明しない限り、事前の悪意は最終的に推定されます」。Id., at 686.
連邦最高裁は、この説示はウィンシップ判決が確認したデュー・プロセス条項の保障――「訴追された犯罪を構成するのに必要な全ての事実が合理的な疑いを超える程度に証明されない限り有罪とされない」――に違反するとした。連邦最高裁はメイン州の判例法の立場(謀殺と故殺は同一の犯罪の程度の差に過ぎないという立場)に立つとしても、検察官が「突然の挑発による激情」の不存在を合理的な疑いを超える程度に証明しない限り謀殺罪で有罪とされてはならないと結論した。Id., at 700-701.
アルスター・カウンティ裁判所対アレンUlster County Court v Allen, 442 U.S. 140 (1979) 3人の成人男性と16歳の少女が乗った自動車がスピード違反で検問を受けた。助手席に置かれた少女のハンドバッグの口が開いており、中に実装された拳銃が2丁置かれていた。少女はハンドバッグが自分のものであることを認めた。車は運転者の兄弟からの借り物であり、4人ともトランクの鍵をもっていなかった。警察官がトランクをこじあけたところ、中からマシンガンとヘロインが発見された。4人は拳銃とマシンガンとヘロインの不法所持で起訴された。ニュー・ヨーク州の制定法には「自動車の中に銃火器が存在することは、その銃火器が当該自動車の乗員全員によって所持されたものと推定できる証拠である」という規定があった。公判裁判官は陪審員に対して次のような説示を行った――「われわれの刑法はまた、自動車の中にマシンガンや拳銃や火器があることはそれらの違法な所持を推定する証拠だと定めています。言い換えると、マシンガンや拳銃が存在するという証拠によって、皆さんは、それらの道具が見つかったとき車内にいた被告人たちがそうした規制対象武器を所持していたという結論を導いても良いということです。この推定は、その結論と実質的に矛盾する証拠がない限り有効です。そして、そうした矛盾証拠が提出されたときは推定は消滅すると言われています。本件における薬物や武器に関して今日私が陪審に示した推定は、必ずしも積極的な証明や証拠によって反論される必要はありませんし、いかなる証拠や証拠の欠落によっても反論は可能です。」陪審は4人に対し拳銃の所持については有罪、マシンガンとヘロインの所持については無罪の評決をした。id., at 143-147,161 n.20.
連邦最高裁は、刑事裁判における推定が合憲であるためには、その推定が「公判における事実認定者の責任――州政府が提出した証拠に基づいて最終的な事実を合理的が疑問を容れない程度に認定するという責任――を掘り崩すものであってはならない」と宣言した。Id., at 156.そのうえで、最高裁は、推定には「許容的推定」(permissive presumption)と「義務的推定」(mandatory presumption)があることを指摘する。許容的推定は、検察側が証明したある事実から訴因を構成する別の事実を推測することを事実認定者に許す一方で、被告側にいかなる挙証責任も負担させない。事実認定者はこの推定を受け入れるか拒絶するかの自由を持っている。この場合は、推定の基礎となる事実と推定される事実との間に合理的な連結(reasonable connection)――前者の存在によって後者の存在の可能性が高められる関係(more likely than not)――が認められれば、合理的な事実認定者が事実誤認をする危険性はなくなるから、それはデュー・プロセス違反とはならない。Id., at 157.これに対して、義務的推定は、合理的な疑いの基準の強度のみならず証明責任の分配にも影響を及ぼす。すなわち、それはある事実から訴因を構成する別の事実を推認することを陪審に要求するものであり、この推認を覆すためには被告側が何らかの証拠を提出しなければならないとするものである。Id., at 157.
「本件での裁判長の説示は、武器所持の推定を可能な一つの証拠評価として提示しただけであって、所持の結論を必須の結論として要求してはいない。たとえ被告人が反証としていかなる積極的な証拠を提出しなかったとしても、陪審はその推定を無視することができた。」
こう述べて最高裁は、本件は許容的推定のケースであると判断した。Id., at 160-161.そして、事件の証拠関係を詳細に検討して、本件の事実関係のもとでは、3人が武器の存在した自動車に同乗していた事実と3人による武器の所持との間には合理的な連結があると結論した。Id., at 163-167.
サンドストロム対モンタナSandstrom v Montana, 442 U.S. 510 (1979) サンドストロム氏はモンタナ州法の「熟慮の殺人」(deliberate homicide)で起訴された。熟慮の殺人は「意図的に又は知りながら」(purposely or knowingly)他人を死なせることと定義されている。被告人は被害者を死なせてしまったことは認めたが、それは意図的な又は知りながらの行動によるものではなかったと主張して争った。弁護側証人として精神科医が被告人の人格障害を証言した。検察官は裁判長に次の説示を行うことを請求した――「人は彼の自発的な行動がもたらす通常の結果を意図していると、法は推定します。」弁護人はこの説示は意図と知識に関する証明責任を被告人に移転するものだとして異議を述べた。裁判長は、異議を棄却して陪審にこの説示を行った。被告人は熟慮の殺人で有罪となった。
連邦最高裁は、まず、推定の性質を分析するにあたっては、実際の裁判長の説示を注意深く検討することが必要であり、「合理的な陪審員がその説示を解釈したかもしれない」性質に依拠して判断すべきだという。Id., at514.そのうえで、この説示は「許容的推定」ではなく「義務的推定」の説示であると言う。
「サンドストロムの陪審員たちは「人は彼の自発的な行動がもたらす通常の結果を意図していると、法は推定します」とだけ言われた。彼らは、彼らに選択の余地があること、すなわち、その結論に従わなくてもよいということを告げられなかった。彼らは法はそれを推定するとしか言われなかった。合理的な陪審がそうした説示を容易に義務的なものと見なしてしまっただろうことは明らかである。」Id., at 515.
連邦最高裁はさらに、この説示には被告側が反証できることも述べられていないので、単に被告人に「証拠提出責任」(burden of production;被告人が何らかの証拠を提出するだけで、推定を覆すことができる)を科すのみならず、より強い意味で陪審を拘束した可能性があると指摘する。第1に、合理的な陪審はこの説示を結論的なもの(conclusive presumption)と理解した可能性がある。すなわち、一旦推定の前提となる事実(被告人の行動が自発的であった)が認められれば、推定される事実(その通常の結果である死を意図したこと)を認めなければならないと裁判所は命じていると陪審は理解した可能性がある。これは推定というよりは、反証すら許さない有罪の指示評決である。第2に、合理的な陪審は、被告人の自発的な行動が証明されれば、被告人側が相当量の証拠を提出してその反証に成功しない限り、殺人の意図を認めなければならないと裁判所に指示されたと理解した可能性がある。これは意図に関する「説得責任」(burden of persuasion)を被告人に科すものである。Id., at 518-519.そして、連邦最高裁はこのいずれの推定も、ウィンシップ判決が明示したデュー・プロセスの要請に違反するものであると結論した。
「この事件における結論的推定は、法が被告人に付与し、犯罪のすべての要素に適用されるべき、一貫した無罪の推定と矛盾するものであり、かつ、刑事事件では法が陪審にだけ託した事実認定の権限を侵害するものである。……犯罪の第1の要素(死をもたらしたこと)と、第2の要素(被告人の行動の自発性とその「通常の結果」)を証明するのに十分な事実があれば、サンドストロムの陪審は意図という要素について被告人の主張を排斥する結論をとることを命じられていると合理的に結論することができたのである。州政府は、こうして、「訴追された犯罪を構成するのに必要な全ての事実について合理的な疑いを容れない証明」を強制されずに済んだのであり、被告人はウィンシップ判決が宣明した憲法上の権利を奪われたのである。
「結論的なものではなく、説得責任を被告人に移転する効果をもつ推定も同様の欠陥を持っている。もしもサンドストロムの陪審が推定をそのようなものと解釈したのだとすると、州政府による、殺人の事実とそれ自身では意図の要素を証明できないいくつかの追加的事実の証明によって、有罪に必要な精神状態を欠いていたことの証明責任が被告人に移転することになる。こうした推定はマラニー対ウィルバーにおいてその憲法上の欠陥が認定されたものである。」Id., at 523-524.
フランシス対フランクリンFrancis v Franklin, 471 U.S. 307 (1985). 受刑者フランクリンは施設外の歯科医院で治療を受けている際に、刑務官の拳銃を奪って逃げた。付近の民家の玄関先で家人に車の鍵を要求したところ、家人はドアをいきなり閉めた。フランクリンは拳銃を2発発射した。1発は玄関ドアを貫き、家人の心臓を貫通した。もう1発はドアを突き抜けて天井に当たった。フランクリンはジョージア州法の「悪意の謀殺罪」(malice murder)で起訴された。同州法によると、悪意の謀殺は「不法なかつ事前の悪意に基づく」殺人とされる。フランクリンは人を殺す意思(intention to kill) はなかったとして無罪を主張した。公判で裁判長は次の説示を行った――「健常な精神と分別のある人の行動は、その人の意思の産物であると推定される。しかし、この推定は反証されるかも知れない。健常な精神と分別のある人は、彼の行動のもたらす自然なそして相当な結果を意図していると推定される。しかし、この推定は反証されるかもしれない。人は犯罪的な意図を持って行動すると推定さるわけではないが、事実認定者すなわち陪審は、言葉、行動、態度、動機など、被告人が訴追された行為に付随する全ての状況を考慮して犯罪的な意図を認定することができる」。
連邦最高裁は、この説示は、殺意に関して被告人に説得責任を移転する効果を持つ義務的推定であって、デュー・プロセス条項に違反するとした。「健常な精神と分別のある人」で始まる2つのセンテンスは、サンドストロム事件における説示とおなじように、合理的な陪審が裁判所によって推定を命じられたものと理解する可能性がある。Id., at 316.サンドストロム事件と異なって本件では「この推定は反証されるかもしれない」という言葉が付け加えられている。この文言によって推定は反証が不可能な結論的な推定(mandatory irrebuttable presumption) ではなくなるとしても、サンドストロム判決が違憲と断じたもう一つの推定、すなわち反証可能な義務的推定(mandatory rebuttable presumption)――州政府は推定の基礎となる事実を証明しさえすれば推定される事実について説得する責任を解除され、その事実に関する説得責任は被告人に移転する――となる可能性がある。
「反証可能な義務的推定は多分被告人にとって[反証不可能な結論的推定] よりも軽い負担ではあろう。しかし、それでも違憲の程度がより軽いということにはならない。われわれの先例は、州政府が証拠や推定で立証しなければならないほどに重要と考える事実に関する説得責任を移転することは、デュー・プロセス条項のもとでは許されないことを明確にしているのである。‥‥それに先立つ義務的言語と合わせられることで、「反証されるかもしれない」という説示は、陪審に対して、被告人がその推認が必須のものではないことについて陪審を説得しない限り、拳銃を発砲する行為の自然かつ相当な結果として殺意を認定すべきことを命じられているものであると解釈される合理的な可能性がある。推定は「反証されるかもしれない」という言説そのものが、合理的な陪審員に対して、州政府が推定の基礎となる行為を証明しさえすれば、被告人は積極的に説得する責任を負担しなければならないと示唆したかもしれない。」Id., at 317-318.
連邦最高裁は、裁判長が問題の説示の前に無罪の推定や訴因のすべての要素について政府は合理的な疑いを容れない程度の証明責任を負うことを一般論として述べていることについて、これは問題の説示の違憲性に影響を与えないという。
「州政府の説得責任や被告人の無罪推定を述べる一般的説示は、結論的推定あるいは責任移転型推定と言語表現として矛盾してはいない。なぜなら、陪審はこれら2組の説示を、推定は意図についての合理的な疑いを容れない証明の手段であることを示していると解釈するかもしれないからである。本件における意図に関する説示に即して言うと、合理的な陪審員は、意図は合理的な疑問を容れない程度に証明されなければならないが、銃を発射したこととその通常の結果の証明は、被告人が陪審を別の方向に説得しない限り、合理的な疑問を容れない程度の意図の証明となると考えたかもしれないのである」。Id.,at 319-320.
また、問題の説示に続く「犯罪的な意図」についての説示は、本件で問題となっている「殺す意思」(intention to kill)とは別の事柄――事前の悪意(malice aforethought)−−に関する説示と理解された可能性がある。したがって、「人は犯罪的な意図を持って行動すると推定さるわけではない」との表現は、人を殺す意図に関する反証可能な義務的推定と両立しうるものであって、この義務的推定の違憲性を解消させることはない。Id.,at 320-321.
今回の最高裁第1小法廷の決定を、同種の事案を担当する全国の事実認定者に対して、最高裁が是認した「経験則」にしたがった認定をすべきことを要求するものと解釈することは、アメリカ連邦最高裁が憲法違反であることを宣言した「義務的推定」を認めることに他ならないであろう。第1小法廷は「特段の事情」が証明されれば推定は覆ると言っているようであるから、それは「反証を許さない結論的推定」ではない。しかし、持参したスーツケースから覚せい剤が発見された事実と渡航費を第三者が負担した事実があれば、組織関係者からの委託と違法薬物の認識を「認定するのが相当である」と言っているのであるから、それは説得責任を被告人に移転する効果を持つ義務的推定を表現したものと理解することもできなくはない。しかし、そうした判例解釈は、訴追の対象である犯罪を構成する全ての事実について合理的な疑いを超える証明がなされない限り、有罪とされないという権利を保障している日本国憲法と国際人権規約に違反するのである。
裁判員の事実認定権限の侵害
事実認定とは証拠の評価である。ある証拠を信用するかどうか、そして、その証拠から何が認められるか、こうした判断の積み重ねが事実認定である。裁判員法は「証拠の証明力は、それぞれの裁判官及び裁判員の自由な判断にゆだねる」と定めている(裁判員法63条)。すなわち、どの証拠を信頼しどの証拠を信頼しないか、そしてある証拠から何を認定するかは、裁判官と裁判員の自由な判断に委ねられなければならない。この点に関する裁判官と裁判員の判断には優劣の差がないということである。あらかじめ一定の情況証拠に特別の地位を与え、それが認められるならば別の事実が認められるというルール(経験則)を裁判官が設定することは、裁判官の証拠評価に優越的な地位を与え裁判員の自由心証を侵害するものであるから許されないのである。
陪審裁判と裁判員裁判の違いは、前者では裁判官は評議に参加できず事実認定の権限が与えられていないのに対して、後者では裁判官も評議室に入り、裁判員と一緒に事実認定を行う権限があるということである。しかし、この違いは刑事裁判における義務的推定の違憲性に影響を与えることはない。確かに、裁判官は評議室の中で、スーツケースの中に覚せい剤が隠匿されており、かつ渡航費用を第三者が負担した事実があれば特別の事情がない限り薬物の認識を認定すべきだという個人的な信念を表明することは許されるかもしれない。その発言が裁判員たる市民の発言の自由に何らの制約も及ばさず、純然たる「許容的推定」――情況証拠の解釈の一つに過ぎず、証明責任の分配に影響を与えない意見――の表明に過ぎないのであれば、それは許されるだろう。
しかし、問題は、実際に裁判官のその発言を聞いた裁判員がそれを裁判官の個人的な信念の表明にすぎないと受け取れるのかということである。サンドストロム判決が言うように、推定が許容的推定なのか義務的推定なのかは、単に裁判官の主観的な意図によってではなく、それが現実になされた文脈を注意深く観察して「合理的な裁判員がその説示を解釈したかもしれない」性質に依拠して判断すべきである。評議室の中で裁判官から「薬物隠匿と費用負担の事実があれば特別の事情がない限り薬物の認識があったと認定できる」と言われれば、普通の裁判員はそれが刑事裁判のルールなのだと考えてしまうであろう。刑事裁判のルールであるから、裁判員はそれに従う義務があると考えるであろう。仮に、法律がそれを要求していると考えなかったとしても、法的訓練を受けた裁判官が長年に渡る事実認定経験に裏打ちされた意見として述べているのであるから、それは大きな権威を持ち、事実上裁判員はその意見に反論できなくなるだろう。裁判官と裁判員の意見の重みは同等であるという一般的な説明が仮にあったとしても、このような一般命題として述べられた、いわばルール化した意見の表明に対して、素人がその場で反駁することは不可能である。
そうすると、裁判官が裁判員に対して経験則や推定――情況証拠を差別的に扱い、ある事実が認定できるときは、訴因を構成するある別の事実を認定できるという考え方――を表明するときは、それが他の裁判員や裁判官を拘束するもものではなく、被告側に何らの証明責任も負担させるものではないこと、それは裁判官の個人的な意見に過ぎず法的なルールでもなく、他の人の意見とその重みにおいて差はないことを裁判員に十分理解させるための特別の措置を採る必要があるだろう。例えば、経験則や推定に関する意見を述べるときには予めその内容について当事者双方に意見を求め、そこで決まったとおりに述べる;評議室内で意見を述べる際にもそれが法的なルールや義務的推定ではなく、裁判官の個人的な意見に過ぎないことを必ず説明する、というようことが考えられる。裁判員法66条5項は評議の際の裁判長の職務として「裁判員が発言する機会を十分に設けるなど、裁判員がその職責を十分に果たすことができるように配慮しなければならない」と定めている。この規定からも、裁判官が証拠の評価とりわけ推定や経験則に関する意見を表明することは抑制的でなければならないことが導かれる。裁判員の意見表明を萎縮させるような裁判官の発言はこの規定に違反するだけでなく、裁判員の証拠評価の自由(裁判員法62条)を侵害するものであり、裁判官と裁判員が事実認定を共同して行うという裁判員制度の根本理念に悖るものである。
【続く】