2012年09月09日

前科の証拠能力(上告趣意書)(1)

[筆者注:これは最高裁判所第2小法廷平成24年9月7日判決の上告趣意書である。]

はじめに


平成21年9月8日午前11時50分ころ、東京都葛飾区金町の住宅地にある木造2階建てアパート「後藤荘」1階101号室金子ヨシエ方から煙が出ているのを近所の住民が発見し、119番通報した。数分後に駆け付けた消防団員が消火器で鎮火した。居間の中央部のカーペット付近の床約1.1平方メートルが焼けた。そこには石油ストーブの給油カートリッジが放置され、焼けた床から灯油の成分が検出された。また、台所の食器棚に保管されていたカップ麺がなくなり、トイレの棚からカップ麺の空の容器が発見された。ごみ入れとして利用していた台所の紙袋からは使用済みの割りばしが見つかった。寝室のボックスに乗せておいた500円玉2つがなくなっていたが、それ以外に盗まれたものは何もなかった。

被告人OK氏は、その2週間後9月21日に別件の窃盗容疑で逮捕され、以後多数の余罪を告白する上申書を警察に提出した。しかし、後藤荘の窃盗や放火を告白することはなった。O氏は12月18日窃盗事件により有罪判決を受けた。そして、平成22年1月12日に警察にDNAサンプルを提出したところ、後藤荘で発見されたカップ麺容器や割りばしから検出されたDNA型と一致した。2月16日O氏は住居侵入、窃盗及び現住建造物放火の容疑で再逮捕された。O氏は金子方に侵入して500円硬貨2枚とカップ麺を盗んだことを認めたものの、当日午前7時台には現場を立ち去った、放火はしていないと言った。O氏は3月9日、住居侵入、窃盗及び現住建造物放火の訴因で起訴された。

東京地方裁判所刑事第1部はこれらの事件と別の窃盗事件を併合した。O氏は放火以外の訴因は全て認めた。放火については自分はやっていないと述べた。7回の公判前整理手続期日を経て、平成22年7月5日から7日まで裁判員裁判による公判審理が行われた。公判での唯一の争点はO氏が後藤荘に放火をしたかどうかであった。検察官は、O氏が本件放火の犯人であることを証明する証拠として、彼の放火の前科に関する証拠の取調べを請求した。O氏は、本件の17年以上前、平成4年3月から6月にかけて合計11件の放火を行い、平成6年4月に懲役15年の有罪判決を受けていた。これら11件の放火は全て灯油を散布して行われている。10件は侵入した室内に灯油を撒いたものである。うち7件は侵入した居宅内にあった灯油を利用したものであり、そのうち3件は灯油カートリッジをストーブから取り出して中の灯油を散布して着火したものである。また、その主たる動機として、盗みをしようとしたが「思ったように現金を手に入れることができなかったり、狙った室内に入ることができなかったことなどに腹を立て、そのうっぷん晴らしのため」と認定されている(釧路地裁刑事部平成6年4月13日判決・第1審乙11、記録120頁)。検察官は、本件放火の手口と前科の放火の手口は極めて酷似しているのであり、このような場合には前科による有罪の立証は許されると主張した。そうして、前科の放火を立証するために、確定判決(乙11)のほか、当時のO氏の自白調書16通(乙4、23~37)を請求した。また、本件放火が特殊なものであることを証明するために、放火捜査のベテラン警察官で「技能伝承官」の称号をもつ菅野一夫警部(人5)を証人申請した。弁護人は、前科と本件の放火の手口はいずれも特殊なものではなく、前科による有罪の立証は許されないとして異議を述べた。裁判所は、「被告人の前科である放火と本件放火は、いずれも特殊な手段、方法によりなされたものと言えず、被告人の前科の立証を通じて被告人の犯人性を立証することが許される例外的な場合には当たらない」として(記録44頁)、これらの証拠請求をいずれも却下した。但し、前科の判決謄本(乙11)については、「情状の立証に限って」と断ったうえで採用した(記録140頁)[1]。第1審裁判所は、住居侵入と窃盗について有罪としてO氏に1年6カ月の懲役刑を言い渡した。しかし、被告人が本件放火の犯人であるとするには「合理的な疑問が残る」と判断した(記録118~119頁)。

検察官は、前科の判決謄本、自白調書そして菅野証人を却下した1審裁判所の措置は違法であるとして控訴した。控訴審である東京高等裁判所第8刑事部は、O氏の前科の放火と本件放火との間には「固着化した」「特徴的な」類似性があり、このような場合には前科による本件放火の立証は許されるとした。原判決は、まず、前科と本件放火の手段方法の類似性について、こう述べた。

「前刑放火の大半(10件)と本件放火は、侵入した居室内において灯油を散布して行われるという、その犯行の手段方法に類似性が認められる。そのような手段方法で放火をすることは、住宅への放火という類型の一部分に限定される上、前刑放火においては、そのような手段方法が繰り返され、その行動傾向が固着化していると認められ、それらが、本件放火との間の犯行の手段方法についての類似性をより特徴的なものにしているということができる」(5~6頁。強調は引用者)。

さらに、原判決は前科と本件放火とのあいだにはその「契機」において類似性があるという。

「前刑放火のいずれもが、窃盗を試みて欲するような金品が得られなかったことに対する腹立ちを解消することを主な動機としており、そのうっぷん晴らしのために他人の住宅への放火を繰り返すという、窃盗から放火の犯行に至る契機の点で、前刑放火における行動傾向が固着化していると認められる。他方、本件放火と接着した時間帯に、被告人がその犯行場所に侵入して窃盗を行ったことについては争いがなく、同窃盗の被害品は500円硬貨2枚とカップ麺1個にとどまっており、被告人を満足させるものであったとは伺われないことからして、その腹いせに被告人が本件放火に及んだ可能性が考えられる。そうすると、前刑放火と本件放火とは、窃盗から放火の犯行に至る契機の点においても、類似性があると認められる。そして、この点に関する前刑放火の行動傾向が固着化していることが、その類似性をより特徴的なものにしているということができる」(6頁。強調は引用者)。

このように、前刑放火と本件放火との間には、犯行の手段方法と犯行にいたる契機においていずれも被告人の「固着化した」行動傾向に根差した「特徴的な類似性」があるので、前科関係証拠のうち、「犯行に至る契機、犯行の手段方法に関するもの」は、前刑放火と本件放火の犯人の同一性を立証する証拠として関連性がある、と原判決は述べる。原判決の結論は次のようなものである。

1)判決謄本については、本件放火と特徴的な類似性のある「契機」と「手段方法」に関する事実を認定したものであるから、関連性が認められる。したがって、その取調べ請求を却下した原審の措置は違法である。
2)供述調書については、「契機」と「手段方法」に関する部分は関連性が認められるが、それ以外の部分は関連性がない。関連性が認められる部分を特定できるような審理を行わずに、全部却下したことは違法である。
3)菅野証人については、同一性の判断は「他の間接事実と共に、前刑放火と本件放火の各犯行に至る契機、各犯行の手段方法を比較検討することにより判断されるべきであり、同証人のような、専門的な知見(その内容は、科学的な手法による分析ではなく、多くの捜査を手がけた者による経験的な判断にとどまるものである)に基づく本件放火の特徴を説明する証拠を取り調べることは、相当でないというべきである」(11頁)。したがって、同証人申請を却下した原審の措置に違法はない。

原判決は、判決謄本と供述調書を全部却下した1審裁判所の措置は判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反にあたるとして、1審判決を破棄して本件を東京地裁に差し戻すと判決した。

しかし、O氏の放火前科の法律的関連性を肯定した原判決の判断は誤りである。放火前科の法律的関連性を否定し、判決謄本や供述調書の許容性を否定した第1審裁判所の判断は正しい。

上告趣意第1:犯人性認定のために類似前科を許容したこと


O氏の放火の前科を本件放火の犯人性を認定する証拠として許容できるとした原判決の判断は、性格証拠禁止の法理に関するわが国最終審裁判所(大審院及び最高裁判所)の判例に違反する。また、その判断は、前科のある刑事被告人に予断偏見をもつ事実認定者によって裁判を受けることを強要するものであり、前科者に対して不十分な証拠で有罪判決が下される危険をもたらすものであって、彼らの公平な裁判所による公正な審理を受ける権利(日本国憲法37条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項)を侵害するものである。

1 大審院及び最高裁の判例の概観

明治刑事訴訟法(明治23年法律第96号)にも、大正刑事訴訟法(大正11年法律第75号)にも、証拠の許容性に関するルールを定めた規定はない。明治刑訴法は「……諸般ノ証憑ハ判事ノ判断ニ任ス」(90条)として、証拠の採否もその評価も挙げて裁判官の自由裁量に委ねる趣旨を明言していた。大正刑訴法は「証拠ノ証明力ハ判事ノ自由ナル判断ニ任ス」(337条)として、裁判官の自由裁量の範囲を「証拠ノ証明力」すなわち証拠の評価に限定した。しかし証拠の許容性――何が証拠となり、何がならないか――に関する規定はやはり定めなかった。このように、法律の規定上は、裁判官はどのようなものでも自由に証拠として採用してもかまわないかのような体裁になっていた。しかし、実務はそのようなものではなかった。大審院は、明治刑訴の時代から、証拠となり得るものとなり得ないものとの区別があり、証拠となり得ないものを採用することは違法な手続であり、その違法は有罪判決破毀の理由となることを繰り返し宣言してきた[2]。

被告人の前科は公訴事実たる犯罪の証拠にはならないという原則は、すでに明治刑訴法の時代に大審院の判例となっている。大正7年(1918年)5月24日大審院判決(刑録24-647)は、2人の被告人が会社の事務室内で同僚を殴ってけがをさせたという傷害被告事件についての判例である。原審は、過去に複数回にわたって傷害で有罪判決を受け服役したことがある旨の1名の被告人の公判供述ともう1人の被告人の前科調書の記載を引用して有罪を認定した。これに対して弁護人は次のような上告趣意を述べた。

「前科ハ前科ニシテ直チニ犯罪ヲ証明スルモノニアラス而テ前科ヲ以テ犯罪事実ノ証明資料ト為スハ刑事訴訟法ノ許ササルトコロナリト思料ス之ヲ証拠法ノ沿革ニ徴スルモ品行若クハ前科ヲ以テ有罪ヲ推測スルノ危険ヲ解カサルモノナシ英国ノ如キハ品行ノ証明ヲ許スハ被告人ノ利益ヲ保護スル慈善心ニ出テタルモノト為シ多年ノ慣例ハ或場合ヲ除クノ外被告人ノ善意ヲ証明スル場合ニ於テノミ之ヲ許セルニ過キス原判決カ前記(一)[被告人の供述](九)[前科調書]ヲ以テ犯罪ノ証料ニ供シタルハ採証ノ法規ニ悖ル甚シキモノト信ス」

大審院はこの上告趣意を認めて、原判決を破棄して事件を原審に差し戻した。

「按スルニ刑事訴訟法ハ証拠ノ種類ヲ限定セスト雖モ証拠ノ実質カ一定ノ犯罪事実ヲ認定スルニ適当ナラサルモノハ之ヲ判断ノ資料ニ供スルヲ得ス今前科ニ付テ之ヲ観ルニ前科ハ其後ニ生シタル犯罪行為ト何等関渉スル所ナク全然過去ノ事実ニ属スルヲ以テ被告カ前科ヲ有スルノ事実証明セラレタル場合ニ其事実ハ或ハ再犯加重ノ原因トナリ或ハ被告ノ性行ヲ判断シ刑ノ量定ヲ左右スル根拠トナリ或ハ賭博罪ニ於テハ被告カ賭博常習者タル身分ヲ有スルヤ否ヤヲ判断スル資料トナリ得ヘケンモ公訴ノ目的タル犯罪行為ノ成立ヲ断定スルニ付テハ適当ナラス故ニ事実裁判所カ前科ニ関スル証拠ノミニ依リタル場合ハ勿論之ヲ他ノ証拠ト綜合シタルトキト雖モ苟モ該証拠ヲ援用シ犯罪ノ成立ヲ認定シタル以上ハ其判決ハ採証ニ違法アルモノトシテ破毀ヲ免レス原判決ハ被告卯之助ノ原審公廷ニ於ル同人カ前科ヲ有スル旨ノ供述及ヒ被告友雄ニ対スル前科調書ヲ援用シ之ヲ他ノ証拠ト綜合シテ被告等カ共同シテ前川謙三外一名ヲ殴打シタル事実ヲ認定シタルモノナレハ叙上ノ理由ニ依リ破棄スヘキモノトス論旨ハ理由アリ」

【続く】

plltakano at 01:11コメント(0)トラックバック(0)刑事証拠法   このエントリーをはてなブックマークに追加

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