2010年10月03日

彼女の沈黙

報道によると、大阪地検特捜部で前田恒彦検事と一緒に仕事をしていた女性検事は、前田検事が証拠物のフロッピーディスクを改ざんしたことを知って、「上司」である特捜部副部長らに「前田検事と刺し違えてもいい。公表すべきだ」と訴えたということだ(毎日新聞2010年10月2日朝刊)。

マスコミは、どうやらこの話を一つの「美談」として語りはじめているように見える。一部の週刊誌は彼女を「美女検事」と表現し、腐敗した組織に立ち向かった勇敢な内部告発者として描いている。

しかし、私はそうは思わない。

この「美談」が成立する前提として、検察庁という国家機関が、普通の役所や会社のようなもので、その一員である検察官は「上司」の意向を無視しては如何なる公的な活動をする権限もない;外部に向けて発言できるのは「上司」だけだという思い込みがある。だから彼女はその組織の原理の枠内で勇敢にふるまったということになるのだろう。

しかし、検察官は普通の役人や会社員ではないし、検察庁は普通の役所でも会社でもない。

検察官は「独任制の官庁」と言われる。どういうことかと言うと、内閣総理大臣や県知事のように、一人の人間が――機関的な決定によらずに、個人の見識と判断に基づいて――法によって与えられた職務権限を行使することができるということである。たとえば、「検察官は、いかなる犯罪についても捜査することができる」(検察庁法6条1項、刑事訴訟法191条1項)、「検察官は、刑事について、公訴を行[う]」(検察庁法4条、刑事訴訟法247条)と法律は定めている。要するに、犯罪を捜査して被告人を刑事訴追し公判活動を行う権限は「検察官」にあるのであって、「検察庁」にあるのではない。検察官は一人で――「上司」に相談することなく――犯罪捜査や公訴の提起ができるし、一人でこれらのことをやらなければならないのである。それが法律の考え方である。

一人ひとりの検察官が外部からはもちろん組織内部の圧力をもはねのけて独立して職務を行えるように、法は検察官に対して裁判官とほぼ同じ身分保障を与えた。検察官は、定年退官や検察官適格審査会の議決によって罷免される場合を除いて、「その意思に反して、その官を失い、職務を停止され、又は俸給を減額されることはない」(検察庁法25条)。

検察官が法律のとおりに仕事をし、検察庁という組織が法律の通りに運営されているならば、「女性検事」は「上司」に訴える必要などなかった。資料をそろえて、自分で前田検事の逮捕状を取り、自分で記者会見を開いて、「本日、私は、大阪地検特捜部検事前田恒彦を証拠隠滅の被疑事実で逮捕しました」と発表すればよい。法は、疑問の余地なく、このような権限を彼女に与えている。

しかし、現実の日本の検察官は、法律のとおりに「独任制の官庁」として仕事をすることは決してない。そして、現実の日本の検察庁は、法律のとおりの組織ではなく、普通のお役所や会社と同じ程度に、あるいはそれ以上に、「上命下服」的な組織である。検察官が個人の判断で別の検察官を逮捕することなど現実にはあり得ない。それどころか、日常的なありふれた職権の行使ですら、常に「上司」の「決裁」なしには行えない。

たとえば、つい数日前にもこんなことを法廷で経験した。公判中にある証拠の取り調べ方法を巡って、検察官が異議を述べた。弁護人である私は検事の異議に反対の意見を述べ、裁判所は検察官の異議を棄却した。すると検察官は、「休廷を求める」と言ってきた。私は「休廷する理由はないので、手続を進めてください」と言い、裁判長は休廷を認めなかった。すると検察官は、さらに「休廷を認めない裁判長の処分に対して異議を申し立てる」と言って、こう述べた。

「われわれは検察庁として、組織として行動しています。今回の事態に対して今後どう対処するかは私の一存では決められません。上司と協議する必要があります。」

今回の裁判長は毅然として検察官の異議を却下し、訴訟を進行させたが、裁判官の中には、こうした「組織」を持ち出すやり方に乗っかり、非常に物わかりよく対応してしまう人が少なくない。組織的背景の全くない個人営業者である弁護士には理解できないやり取りが裁判官と検察官の間で繰り広げられるのを目撃することが良くある。

話を元にもどそう。要するに、現実の検察官は「独任制の官庁」などでは決してなく、個人として職権を行使しようなどとは全く考えていない。彼らにはそのような発想は微塵もない。彼らは組織の中で仕事をし、組織を通じて、組織の後ろ盾によって自らの「正義」を実現しようとするのである。

彼女は、2009年7月に前田さんの証拠改ざんの事実を知った。しかし、村木局長の事件の第1回公判が始まった後の今年1月末まで何もしなかったようである。報道によれば、彼女が「上司」に訴えたのは今年の1月30日である(毎日新聞2010年10月2日朝刊)。もしも第1回公判で偽証明書の作成日について弁護人から釈明が求められたりしなかったら、彼女は「上司」に訴えたのだろうか。そもそも彼女が「上司」に訴えなかったとしたら、前田さんはフロッピーディスク改ざんの顛末を書いた「上申書」を「上司」に出しただろうか。

今回のような「不祥事」を契機として、検察庁の役所的な締め付けが強化され、ただでさえ少ない検察官の個人的な権限がますます小さくなるとしたら、それは却って逆の効果をもたらすのではないか、と私は危惧する。むしろ、検察官個人に自由にその職権を行使させる方向への改革が必要である。個々の検事が、自分の仕事に選択の自由と責任を持ち、地域社会に対して説明責任を果たす。それこそが法が予定した検察官の姿であり、また、そうした独立自営の検察官が検察庁という組織のなかで協働し批判し合うことによって、たとえば今回のような事件を予防したり、不祥事を迅速に世間に伝え法に則った処理をオープンに行うことにつながっていくのではないかと思うのである。


plltakano at 23:31コメント(1)トラックバック(0)検察官   このエントリーをはてなブックマークに追加

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コメント一覧

1. Posted by 匿名   2010年11月30日 04:39
山口県下関市にて特殊手法による集団いじめのため、買い物を始め通常の生活が出来ず、無職状態です。
毎日毎日特殊手法でいじめの連続で、このままでは殺されそうです。
なぜ、このような特殊手法が存在するのか、不思議です。
一刻も早く助けてください。

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