2008年02月24日
冤罪とは何か
昨年鹿児島地裁で被告人全員の無罪が確定した志布志事件について、鳩山邦夫法務大臣は「冤罪にはあたらない」と述べた。彼は「冤罪という言葉は、全く別の人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセントぬれぎぬの場合を言い、それ以外の無罪事件にまで冤罪を適用すると、およそ無罪というのは全部冤罪になってしまうのではないか」と説明した(東京新聞2008年2月14日朝刊)。法相は、他方で、服役後に真犯人が現れた「氷見事件の方は人違いなので、冤罪ということでしょう」と語ったとのことである(スポーツニッポン2008年2月14日)。その後、鳩山氏はこの発言について、「被告の方々が不愉快な思いをしたとしたらおわびしなければならない」と陳謝した(日経ネット12月14日http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080215AT1G1402014022008.html)が、一方で、「法務省や検察が常日ごろ言っていることをそのまま申し上げた」とも述べているそうである(同2月16日http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080216AT1G1600R16022008.html)。
確かに、無罪と冤罪は違う。無罪とは裁判で犯罪の証明ができなかったということであり、英語でいえばnot guiltyということである。冤罪とは、誤って罪を着せられることであり、要するに、無実、英語で言うとinnocentということである。無罪になった人がいつも無実とは限らないし、また、無実の人が必ず無罪になるとも言えない。
問題は、鳩山大臣が言うように「100パーセントぬれぎぬ」であることを証明することはほとんど不可能だということである。氷見事件のように真犯人が現れて間違いのない自白をすることなど普通は期待できないし、アメリカの「イノセンス・プロジェクト」のようにDNA鑑定で冤罪を証明する制度は日本にはない。あったとしても、DNA鑑定で冤罪を証明できるタイプの事件は限られている。氷見事件は強姦事件だから、証拠がきちんと保存されていれば、真犯人が登場しなくてもDNA鑑定で無実の証明ができたであろう。しかし、公職選挙法違反である志布志事件はDNA鑑定で冤罪を証明することはできない。いわゆる「ちかん冤罪」も証明不可能である。このようにたとえ無実であっても、そのことを証明するのは不可能なことが多いのである。だから、法は、有罪を主張する国家の方に証明責任を負わせ、合理的な疑問を残さない程度に有罪の証明ができない限り被告人を無実の者として扱わなければならない、としたのである。
ところで、いわゆる「無罪の推定」と呼ばれるルールは、上記の区別にしたがえば、正確には「無実の推定」(presumption of innocence)を意味する。このルールは、わが国の場合、単なる刑事裁判上のルールにとどまるものではなく、個人の基本的な権利である。30年前に国会が承認した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」14条2項は「刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。」と定めている。日本語で「無罪と推定される権利」となっている部分は、英語正文によれば"right to be presumed innocent"であり、「無実の者と推定される権利」に他ならない。
それでは、この権利の相手方は誰か。われわれは誰に向かって「我を罪なき者として遇せよ」と主張できるのか。この国際条約は締約国に対して義務を課すものであって、個人や企業を規制するものではない。だから、まだ裁判で有罪の宣告を受けていない人を犯人扱いする個人やメディアの言動を――名誉毀損だとして訴えることはできるとしても――国際規約違反だということはできない。しかし、すべての政府機関は、法律にしたがって裁判所で有罪の宣告を受けていない個人を犯人扱いすることは許されない。ヨーロッパ人権裁判所の判例によれば、事件が係属している裁判所の裁判官は勿論、裁判とは無関係な政府高官が被告人が有罪であることをほのめかすコメントをすることも、無実推定の権利を侵害する。Deweer v Belgium [1980] ECHR 6903/75 at para 56; Minelli v Switzerland [1983] ECHR 8660/79 at para 37; and also Allenet de Ribemont v France [1995] ECHR 15175/89 at para 35.
現に裁判中の個人を無実の者として扱わなければならないのであるから、裁判の結果無罪が確定した人を無実の者としなければならないのは当然であろう。鳩山邦夫法務大臣は、法律によって有罪とされていない個人を「無実ではない」と言ったのであり、その言動は国際人権規約に違反する。それが「「法務省や検察が常日ごろ言っていること」なのだとすれば、この国の法務省や検察庁は組織的に人権規約違反を犯しているということになる。
確かに、無罪と冤罪は違う。無罪とは裁判で犯罪の証明ができなかったということであり、英語でいえばnot guiltyということである。冤罪とは、誤って罪を着せられることであり、要するに、無実、英語で言うとinnocentということである。無罪になった人がいつも無実とは限らないし、また、無実の人が必ず無罪になるとも言えない。
問題は、鳩山大臣が言うように「100パーセントぬれぎぬ」であることを証明することはほとんど不可能だということである。氷見事件のように真犯人が現れて間違いのない自白をすることなど普通は期待できないし、アメリカの「イノセンス・プロジェクト」のようにDNA鑑定で冤罪を証明する制度は日本にはない。あったとしても、DNA鑑定で冤罪を証明できるタイプの事件は限られている。氷見事件は強姦事件だから、証拠がきちんと保存されていれば、真犯人が登場しなくてもDNA鑑定で無実の証明ができたであろう。しかし、公職選挙法違反である志布志事件はDNA鑑定で冤罪を証明することはできない。いわゆる「ちかん冤罪」も証明不可能である。このようにたとえ無実であっても、そのことを証明するのは不可能なことが多いのである。だから、法は、有罪を主張する国家の方に証明責任を負わせ、合理的な疑問を残さない程度に有罪の証明ができない限り被告人を無実の者として扱わなければならない、としたのである。
ところで、いわゆる「無罪の推定」と呼ばれるルールは、上記の区別にしたがえば、正確には「無実の推定」(presumption of innocence)を意味する。このルールは、わが国の場合、単なる刑事裁判上のルールにとどまるものではなく、個人の基本的な権利である。30年前に国会が承認した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」14条2項は「刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。」と定めている。日本語で「無罪と推定される権利」となっている部分は、英語正文によれば"right to be presumed innocent"であり、「無実の者と推定される権利」に他ならない。
それでは、この権利の相手方は誰か。われわれは誰に向かって「我を罪なき者として遇せよ」と主張できるのか。この国際条約は締約国に対して義務を課すものであって、個人や企業を規制するものではない。だから、まだ裁判で有罪の宣告を受けていない人を犯人扱いする個人やメディアの言動を――名誉毀損だとして訴えることはできるとしても――国際規約違反だということはできない。しかし、すべての政府機関は、法律にしたがって裁判所で有罪の宣告を受けていない個人を犯人扱いすることは許されない。ヨーロッパ人権裁判所の判例によれば、事件が係属している裁判所の裁判官は勿論、裁判とは無関係な政府高官が被告人が有罪であることをほのめかすコメントをすることも、無実推定の権利を侵害する。Deweer v Belgium [1980] ECHR 6903/75 at para 56; Minelli v Switzerland [1983] ECHR 8660/79 at para 37; and also Allenet de Ribemont v France [1995] ECHR 15175/89 at para 35.
現に裁判中の個人を無実の者として扱わなければならないのであるから、裁判の結果無罪が確定した人を無実の者としなければならないのは当然であろう。鳩山邦夫法務大臣は、法律によって有罪とされていない個人を「無実ではない」と言ったのであり、その言動は国際人権規約に違反する。それが「「法務省や検察が常日ごろ言っていること」なのだとすれば、この国の法務省や検察庁は組織的に人権規約違反を犯しているということになる。