2007年05月30日
執行猶予の取消しと無罪推定の権利
一昨日報道された事件(「執行猶予取り消し→受刑→無罪 男性に異例の恩赦」読売新聞2007年5月28日朝刊30頁)について、解説しよう。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070528i401.htm
私の依頼人T氏(40代の会社社長)は2005年11月に恐喝未遂で逮捕された。一緒に会社を経営していた男性(40代会社役員)と金銭トラブルがあり、その男性が警察に「Tから『頭に鉛ダマぶち込んだろか』などと脅されて250万円を要求された」と訴え出たのが発端。T氏は逮捕の前後を通じて一貫してこの事実を争ったが、東京地検はT氏を脅迫罪で起訴した。
T氏には前科が2犯ある。2001年7月に恐喝罪で懲役3年執行猶予5年の言い渡しを受け、2002年6月には傷害罪で懲役1年保護観察付き執行猶予5年の言い渡しを受けている。T氏は、保護観察の言い渡しを受けた後真面目な生活を送っていた。毎月2回は保護司を訪れて自分の生活や事業のことなどを報告したり相談したりしていた。今回の金銭トラブルの件も保護司に相談していた。まさか恐喝未遂で被害届が出されるとは思わなかったし、逮捕されるとも思わなかった。
彼は公判でも無実を訴えた。例によって保釈は却下された。それどころか、公判開始後も接見禁止が続いた。経営していた会社は事実上倒産した。拘禁生活が長引くにつれて持病の白内障が悪化して視力はどんどん落ちていった。
公判が中盤に差し掛かった2006年5月、東京地検はT氏が保護観察中に脅迫の罪を犯したことを理由に執行猶予の取消しを申し立てた。保護観察期間中に「遵守すべき事項を遵守せず、その情状が重いとき」には検察官の申立てで裁判所は刑の執行猶予を取り消すことができる(刑法26条の2第2号、刑事訴訟法349条)。保護観察期間中に守らなければならない遵守事項の1つとして「善行を保持すること」がある(執行猶予者保護観察法5条)。そして、新たに罪を犯すことはこの善行保持義務違反の典型である。
執行猶予取消請求は地方裁判所に申し立てられるが、刑事裁判の公判が係属している部とは別の部に配点される。本件でも脅迫事件の公判が係属しているのは東京地裁刑事第2部であるのに対して、執行猶予取消事件の方は同地裁刑事第10部に係属した。ここで、誰しも次のような疑問を抱くはずである――刑事2部で審理が行われておりまだ有罪が確定していないのに、刑事10部が脅迫の事実を認定して執行猶予の取消し決定をすることが許されるのか。もしも両者の結論がまちまちになったらどうするのか。この疑問に対して現在の日本の裁判官は「許される」「まちまちになってもかまわない」と答えるのである。幾つかの高等裁判所の判例は、執行猶予取消請求を受理した裁判所は、公判裁判所の有罪認定とその確定を待たずに「独自の権限と責任において」犯罪事実の有無を判断して良いと述べている(東京高決昭53・1・24刑裁月報10-1=2-125;東京高決昭55・6・27刑裁月報12-6-455など)。判例はその理由を何も述べていないが、実質的な理由は、要するに、被告人が事実を争っている事件では、有罪判決の確定を待っている間に執行猶予期間が経過してしまい、執行猶予の取り消しができなくなるおそれがあるからだということである。
私はT氏の弁護人としてこの考え方に異議を唱えた。被告人が自分は無実であるとして争い公判が続いているそのさなかに、別の裁判官が、独自の立場で有罪を認定して良いというのでは、公判審理によって有罪判決を受けるまでは「無罪の推定」を受けるという刑事被告人の基本的な権利は無意味になる。そのようなやり方は、個人に無罪推定を受ける権利を保障した世界人権宣言11条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権規約)14条2項及び日本国憲法31条に違反する。しかも、執行猶予取消事件の手続は刑事裁判のように厳格なものではなく、伝聞証拠も排除されない――この事件でも、検察官は捜査書類をそのまま裁判所に提出しただけである(刑事裁判ではそのような書類は弁護人が同意しない限り証拠とならない)。このような安直な手続で有罪を認定するのは、公正な裁判を受ける権利を保障した憲法37条1項及び反対尋問権の保障を定めた同条2項に違反する。そう私は主張した。
しかし、東京地裁刑事第10部(西岡慶記裁判官)は、国際人権規約違反だという私の意見は「独自の見解であって採用できない」と言って一蹴したうえ、執行猶予取消のための事実認定について「法は厳格な証明を要求して[いない]」と述べて検察官の提出した書類だけに基づいてT氏の脅迫罪を認定して、2件の執行猶予を取り消した。われわれは東京高裁に即時抗告した。東京高裁第3刑事部(裁判長裁判官中川武隆、裁判官草野正人、同小川賢司)も、われわれの主張を退けた。東京高裁は、執行猶予取消事件を審理する裁判所が独自に事実を認定するのは「あくまでも、刑の執行猶予の言渡し取消請求の手続という刑事被告事件とは別個の手続内においてなされることであるから」無罪推定に反しないと言う。要するに、両者は別の世界の話だから相互に干渉しあうことはない、ということである。
そして、執行猶予取消事件においても刑事裁判と同じ手続的保障が与えられるべきであるという私の主張についても、「独自の主張であり、とうてい採用でき[ない。]」と言い、「いわゆる予断排除原則の適用や証拠能力の制限はなく、証拠調べの方式にも特段の制限はなく、請求者である検察官が提出した一件記録を事前に検討して差し支えなく、むしろ、職席上、検討して口頭弁論に臨むべきものである」として、退けた。
われわれは最高裁に特別抗告した。私は私の見解が「独自の見解」ではないことを示すことにした。私は、本件と同様の情況で、公判が行われている裁判所とは別の裁判所が「有罪」を認定して執行猶予を取り消すのは無罪推定の権利を侵害すると判断したヨーロッパ人権裁判所の判例(ボーマー対ドイツBohmer v. Germany, Judgment of 3 October 2002, [2002] ECHR 37568/97.)を詳細に引用する書面を作成した。ボーマー事件において、ヨーロッパ人権裁判所は、それまでの先例を引用してこう述べる。
「刑事訴追を受けている人に関する裁判所の決定または公務員の陳述が、法に従って有罪を宣告される以前であるにもかかわらず彼が有罪であるという意見を反映したものであるとき、無罪の推定は侵害を受ける。それはたとえ公式の事実認定がなされなかったのだとしても、裁判所や公務員がその被告人を有罪とみなしていることを示唆する何らかの理由が存する限り、十分である。」(id., para. 54)
ドイツ政府は、執行猶予取消決定は有罪の決定そのものではなく、当初なされた執行猶予の決定の基礎となった行動予測を訂正するものに過ぎないと主張したが、人権裁判所はこの主張を退けた。その理由として、第1に、ドイツ刑法56条1項は執行猶予取消の要件として保護観察期間中の再犯が認定されることを要求している(id., para.63)こと、そして、第2に、執行猶予取消請求を審理する裁判所は、公判が係属する裁判所の役割を一方的に引き受けて、証人尋問その他の証拠調べを行ったうえ、公判中の訴因について有罪であることを疑問の余地のない言葉で宣言したこと(id., para.65)、を指摘した。ドイツ政府はまた、執行猶予の取消しはあらたな犯罪行為に対する制裁でないと主張したが、この主張も退けられた。「当初の有罪判決がなした申立人の拘禁刑の執行猶予の決定を取り消す決定によって、[裁判所]は新たな犯罪行為に由来する刑罰的な結果を引き出し、申立人に不利益を課したのであって、それは当裁判所の見解では刑罰に匹敵するものである」 (id., para.66)。
私は、また、その書面の中で、保護観察や刑の執行猶予の取消手続は自由剥奪の手続であるから、刑事裁判におけると同様に、自己に有利な証人を喚問し敵対的証人を反対尋問する権利などのデュー・プロセスの権利が保障されなければならないとしたアメリカ連邦最高裁判所の判例(モリセイ対ブルーワーMorrissey v. Brewer, 408 U.S. 471(1972);ギャグノン対スカーペリGagnon v. Scarpelli, 411 U.S. 778(1974)) を紹介した。
ヨーロッパ人権裁判所の判断はEU加盟国の国内裁判所の判断を覆す効力を持ち、加盟国はその判断に従わなければならない。実際に、ボーマー対ドイツ事件は、ドイツ連邦最高裁の判断を覆して、この状況での執行猶予の取り消しは条約違反であると認定したのである。もちろん、日本はEU加盟国ではないから、ヨーロッパ人権裁判所の判例に拘束されることはない。しかし、ヨーロッパ人権条約は日本が批准した国際人権規約の草案に基づいて起草されたのであり、条文の文言も両者はほとんど同じである。少なくとも、その判断はヨーロッパ27カ国を拘束する、国際的に通用する有力な見解の1つと見るべきであろうと思う。アメリカ連邦最高裁の憲法判例について言うと、日本国憲法の証人喚問権や反対尋問権の条文は合衆国憲法の修正条項をモデルにしたものである。同一の目的と表現を持った憲法の条文の解釈についてその母法国の最高裁判例が一定の権威を持つのは当然ではないだろうか。もしも日本の法廷では別の解釈をするのが正しいというのであるならば、裁判官はその理由を示すべきであろう。
最高裁判所第2小法廷(裁判長裁判官滝井繁男、裁判官津野修、同今井功、同中川了滋、同古田祐紀)は、こう述べて私の特別抗告を棄却した――「本件抗告の趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、刑訴法433条の抗告理由に当たらない」。私は、特別抗告申立書に憲法の条文と国際人権規約の条文を引用したが、「単なる法令」の条文を引いたつもりはない。もしも、無罪推定の権利や反対尋問権の保障が「単なる法令」の解釈問題だとするならば、「起訴された被告人は有罪と推定され、無罪が証明されない限り被告人は有罪である」という判決を言い渡したり、「捜査官の作成した供述調書は常に証拠能力がある」という法律を作っても、全く憲法に違反しないと言うことになる。
こうして、T氏は受刑者となった。しかし、無実を訴えるT氏の気持ちにはいささかの揺らぎもなく、さらに公判は続いた。そして、2007年3月27日、東京地裁刑事第2部(神坂尚裁判官)は、無罪を言い渡した。8ヶ月前に西岡裁判官が――証人の顔も見ずに書面を読んだだけで――「具体的かつ詳細に証言しており、迫真性に富むものであるから、……信用できる」と断言した男性の証言について、神坂裁判官は、極めて詳細に分析したうえで「当時の客観的事情から見て、信用するに足りない部分が多々見られる」と判断した。検察官の控訴はなく、この無罪判決は確定した。
判決確定の前日である4月10日、T氏は釈放された。東京地検の説明によると、「その他重大な事由があるとき」に刑の執行停止をすることを認めた刑訴法482条8号によるものだという。T氏が法務大臣名により恩赦法による刑の執行の免除を受けたのは4月20日であった。
東京高裁第3刑事部が言うように「あくまでも、刑の執行猶予の言渡し取消請求の手続という刑事被告事件とは別個の手続内においてなされることである」――2つの手続は別の世界の出来事であり相互に干渉しあわない――という理屈を貫くならば、T氏の執行猶予取り消しは全く正しかったのであり、無罪が確定したからと言って恩赦をする理由は全然ないはずである。「それはそれ、これはこれ」と言って彼を4年間刑務所に閉じ込めておいてもいい筈である。しかし、それは正義に反する。T氏の肉体は1つであり、無罪でありつつ有罪であることはできない。そのことを法務省も自覚したから、刑の執行の免除という非常手段をとってこの不正義を解消しようとしたのである。要するに、執行猶予取消請求手続と刑事裁判が別の世界であることは不可能なのである。したがって、執行猶予取消請求事件の裁判官は刑事裁判を担当する裁判官の判断を待つことなく「独自の権限と責任において」再犯を認定することは許されないのである。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070528i401.htm
私の依頼人T氏(40代の会社社長)は2005年11月に恐喝未遂で逮捕された。一緒に会社を経営していた男性(40代会社役員)と金銭トラブルがあり、その男性が警察に「Tから『頭に鉛ダマぶち込んだろか』などと脅されて250万円を要求された」と訴え出たのが発端。T氏は逮捕の前後を通じて一貫してこの事実を争ったが、東京地検はT氏を脅迫罪で起訴した。
T氏には前科が2犯ある。2001年7月に恐喝罪で懲役3年執行猶予5年の言い渡しを受け、2002年6月には傷害罪で懲役1年保護観察付き執行猶予5年の言い渡しを受けている。T氏は、保護観察の言い渡しを受けた後真面目な生活を送っていた。毎月2回は保護司を訪れて自分の生活や事業のことなどを報告したり相談したりしていた。今回の金銭トラブルの件も保護司に相談していた。まさか恐喝未遂で被害届が出されるとは思わなかったし、逮捕されるとも思わなかった。
彼は公判でも無実を訴えた。例によって保釈は却下された。それどころか、公判開始後も接見禁止が続いた。経営していた会社は事実上倒産した。拘禁生活が長引くにつれて持病の白内障が悪化して視力はどんどん落ちていった。
公判が中盤に差し掛かった2006年5月、東京地検はT氏が保護観察中に脅迫の罪を犯したことを理由に執行猶予の取消しを申し立てた。保護観察期間中に「遵守すべき事項を遵守せず、その情状が重いとき」には検察官の申立てで裁判所は刑の執行猶予を取り消すことができる(刑法26条の2第2号、刑事訴訟法349条)。保護観察期間中に守らなければならない遵守事項の1つとして「善行を保持すること」がある(執行猶予者保護観察法5条)。そして、新たに罪を犯すことはこの善行保持義務違反の典型である。
執行猶予取消請求は地方裁判所に申し立てられるが、刑事裁判の公判が係属している部とは別の部に配点される。本件でも脅迫事件の公判が係属しているのは東京地裁刑事第2部であるのに対して、執行猶予取消事件の方は同地裁刑事第10部に係属した。ここで、誰しも次のような疑問を抱くはずである――刑事2部で審理が行われておりまだ有罪が確定していないのに、刑事10部が脅迫の事実を認定して執行猶予の取消し決定をすることが許されるのか。もしも両者の結論がまちまちになったらどうするのか。この疑問に対して現在の日本の裁判官は「許される」「まちまちになってもかまわない」と答えるのである。幾つかの高等裁判所の判例は、執行猶予取消請求を受理した裁判所は、公判裁判所の有罪認定とその確定を待たずに「独自の権限と責任において」犯罪事実の有無を判断して良いと述べている(東京高決昭53・1・24刑裁月報10-1=2-125;東京高決昭55・6・27刑裁月報12-6-455など)。判例はその理由を何も述べていないが、実質的な理由は、要するに、被告人が事実を争っている事件では、有罪判決の確定を待っている間に執行猶予期間が経過してしまい、執行猶予の取り消しができなくなるおそれがあるからだということである。
私はT氏の弁護人としてこの考え方に異議を唱えた。被告人が自分は無実であるとして争い公判が続いているそのさなかに、別の裁判官が、独自の立場で有罪を認定して良いというのでは、公判審理によって有罪判決を受けるまでは「無罪の推定」を受けるという刑事被告人の基本的な権利は無意味になる。そのようなやり方は、個人に無罪推定を受ける権利を保障した世界人権宣言11条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権規約)14条2項及び日本国憲法31条に違反する。しかも、執行猶予取消事件の手続は刑事裁判のように厳格なものではなく、伝聞証拠も排除されない――この事件でも、検察官は捜査書類をそのまま裁判所に提出しただけである(刑事裁判ではそのような書類は弁護人が同意しない限り証拠とならない)。このような安直な手続で有罪を認定するのは、公正な裁判を受ける権利を保障した憲法37条1項及び反対尋問権の保障を定めた同条2項に違反する。そう私は主張した。
しかし、東京地裁刑事第10部(西岡慶記裁判官)は、国際人権規約違反だという私の意見は「独自の見解であって採用できない」と言って一蹴したうえ、執行猶予取消のための事実認定について「法は厳格な証明を要求して[いない]」と述べて検察官の提出した書類だけに基づいてT氏の脅迫罪を認定して、2件の執行猶予を取り消した。われわれは東京高裁に即時抗告した。東京高裁第3刑事部(裁判長裁判官中川武隆、裁判官草野正人、同小川賢司)も、われわれの主張を退けた。東京高裁は、執行猶予取消事件を審理する裁判所が独自に事実を認定するのは「あくまでも、刑の執行猶予の言渡し取消請求の手続という刑事被告事件とは別個の手続内においてなされることであるから」無罪推定に反しないと言う。要するに、両者は別の世界の話だから相互に干渉しあうことはない、ということである。
そして、執行猶予取消事件においても刑事裁判と同じ手続的保障が与えられるべきであるという私の主張についても、「独自の主張であり、とうてい採用でき[ない。]」と言い、「いわゆる予断排除原則の適用や証拠能力の制限はなく、証拠調べの方式にも特段の制限はなく、請求者である検察官が提出した一件記録を事前に検討して差し支えなく、むしろ、職席上、検討して口頭弁論に臨むべきものである」として、退けた。
われわれは最高裁に特別抗告した。私は私の見解が「独自の見解」ではないことを示すことにした。私は、本件と同様の情況で、公判が行われている裁判所とは別の裁判所が「有罪」を認定して執行猶予を取り消すのは無罪推定の権利を侵害すると判断したヨーロッパ人権裁判所の判例(ボーマー対ドイツBohmer v. Germany, Judgment of 3 October 2002, [2002] ECHR 37568/97.)を詳細に引用する書面を作成した。ボーマー事件において、ヨーロッパ人権裁判所は、それまでの先例を引用してこう述べる。
「刑事訴追を受けている人に関する裁判所の決定または公務員の陳述が、法に従って有罪を宣告される以前であるにもかかわらず彼が有罪であるという意見を反映したものであるとき、無罪の推定は侵害を受ける。それはたとえ公式の事実認定がなされなかったのだとしても、裁判所や公務員がその被告人を有罪とみなしていることを示唆する何らかの理由が存する限り、十分である。」(id., para. 54)
ドイツ政府は、執行猶予取消決定は有罪の決定そのものではなく、当初なされた執行猶予の決定の基礎となった行動予測を訂正するものに過ぎないと主張したが、人権裁判所はこの主張を退けた。その理由として、第1に、ドイツ刑法56条1項は執行猶予取消の要件として保護観察期間中の再犯が認定されることを要求している(id., para.63)こと、そして、第2に、執行猶予取消請求を審理する裁判所は、公判が係属する裁判所の役割を一方的に引き受けて、証人尋問その他の証拠調べを行ったうえ、公判中の訴因について有罪であることを疑問の余地のない言葉で宣言したこと(id., para.65)、を指摘した。ドイツ政府はまた、執行猶予の取消しはあらたな犯罪行為に対する制裁でないと主張したが、この主張も退けられた。「当初の有罪判決がなした申立人の拘禁刑の執行猶予の決定を取り消す決定によって、[裁判所]は新たな犯罪行為に由来する刑罰的な結果を引き出し、申立人に不利益を課したのであって、それは当裁判所の見解では刑罰に匹敵するものである」 (id., para.66)。
私は、また、その書面の中で、保護観察や刑の執行猶予の取消手続は自由剥奪の手続であるから、刑事裁判におけると同様に、自己に有利な証人を喚問し敵対的証人を反対尋問する権利などのデュー・プロセスの権利が保障されなければならないとしたアメリカ連邦最高裁判所の判例(モリセイ対ブルーワーMorrissey v. Brewer, 408 U.S. 471(1972);ギャグノン対スカーペリGagnon v. Scarpelli, 411 U.S. 778(1974)) を紹介した。
ヨーロッパ人権裁判所の判断はEU加盟国の国内裁判所の判断を覆す効力を持ち、加盟国はその判断に従わなければならない。実際に、ボーマー対ドイツ事件は、ドイツ連邦最高裁の判断を覆して、この状況での執行猶予の取り消しは条約違反であると認定したのである。もちろん、日本はEU加盟国ではないから、ヨーロッパ人権裁判所の判例に拘束されることはない。しかし、ヨーロッパ人権条約は日本が批准した国際人権規約の草案に基づいて起草されたのであり、条文の文言も両者はほとんど同じである。少なくとも、その判断はヨーロッパ27カ国を拘束する、国際的に通用する有力な見解の1つと見るべきであろうと思う。アメリカ連邦最高裁の憲法判例について言うと、日本国憲法の証人喚問権や反対尋問権の条文は合衆国憲法の修正条項をモデルにしたものである。同一の目的と表現を持った憲法の条文の解釈についてその母法国の最高裁判例が一定の権威を持つのは当然ではないだろうか。もしも日本の法廷では別の解釈をするのが正しいというのであるならば、裁判官はその理由を示すべきであろう。
最高裁判所第2小法廷(裁判長裁判官滝井繁男、裁判官津野修、同今井功、同中川了滋、同古田祐紀)は、こう述べて私の特別抗告を棄却した――「本件抗告の趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、刑訴法433条の抗告理由に当たらない」。私は、特別抗告申立書に憲法の条文と国際人権規約の条文を引用したが、「単なる法令」の条文を引いたつもりはない。もしも、無罪推定の権利や反対尋問権の保障が「単なる法令」の解釈問題だとするならば、「起訴された被告人は有罪と推定され、無罪が証明されない限り被告人は有罪である」という判決を言い渡したり、「捜査官の作成した供述調書は常に証拠能力がある」という法律を作っても、全く憲法に違反しないと言うことになる。
こうして、T氏は受刑者となった。しかし、無実を訴えるT氏の気持ちにはいささかの揺らぎもなく、さらに公判は続いた。そして、2007年3月27日、東京地裁刑事第2部(神坂尚裁判官)は、無罪を言い渡した。8ヶ月前に西岡裁判官が――証人の顔も見ずに書面を読んだだけで――「具体的かつ詳細に証言しており、迫真性に富むものであるから、……信用できる」と断言した男性の証言について、神坂裁判官は、極めて詳細に分析したうえで「当時の客観的事情から見て、信用するに足りない部分が多々見られる」と判断した。検察官の控訴はなく、この無罪判決は確定した。
判決確定の前日である4月10日、T氏は釈放された。東京地検の説明によると、「その他重大な事由があるとき」に刑の執行停止をすることを認めた刑訴法482条8号によるものだという。T氏が法務大臣名により恩赦法による刑の執行の免除を受けたのは4月20日であった。
東京高裁第3刑事部が言うように「あくまでも、刑の執行猶予の言渡し取消請求の手続という刑事被告事件とは別個の手続内においてなされることである」――2つの手続は別の世界の出来事であり相互に干渉しあわない――という理屈を貫くならば、T氏の執行猶予取り消しは全く正しかったのであり、無罪が確定したからと言って恩赦をする理由は全然ないはずである。「それはそれ、これはこれ」と言って彼を4年間刑務所に閉じ込めておいてもいい筈である。しかし、それは正義に反する。T氏の肉体は1つであり、無罪でありつつ有罪であることはできない。そのことを法務省も自覚したから、刑の執行の免除という非常手段をとってこの不正義を解消しようとしたのである。要するに、執行猶予取消請求手続と刑事裁判が別の世界であることは不可能なのである。したがって、執行猶予取消請求事件の裁判官は刑事裁判を担当する裁判官の判断を待つことなく「独自の権限と責任において」再犯を認定することは許されないのである。
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コメント一覧
1. Posted by 無実の人を有罪にして一体何が楽しいのだろう??? 2007年05月31日 13:52
控訴・上告棄却は日常茶飯事。何のペナルティーもない警察と検察と裁判所。無実の人を逮捕拘留しても良心の呵責すらない。上記の獣は自由を謳歌し税金に寄生しながら生きる。
高野先生!私は日本語ができません、私を助けてください!E-mail:nippon5555@yahoo.co.jp