2007年01月21日

いつも真犯人が現れるとは限らない

1月20日の新聞によると、2002年11月に富山地裁高岡支部で強姦と強姦未遂で懲役3年の実刑判決を受けて服役した39歳の男性の事件について、別人が真犯人だったことが判明し、この男性を任意同行して自白を得て逮捕送検した富山県警が男性の親族に謝罪し(男性は2005年1月に出所したが、現在は行方不明)、富山地検は再審請求をする予定とのことだ。新聞記事によると、男性は取調べの当初は2日間にわたって「身に覚えがない」と言っていたが、3日目の取調べで自白し、その後は公判中も一貫して事実を認めていたと言う。しかし、現場に残された足跡が彼のものと一致しなかったうえ、電話の通話記録からアリバイが成立する可能性があったのに、県警はそれを見落としていたという(日本経済新聞2007年1月20日朝刊第13版、39頁)。

逮捕・起訴した後に真犯人が登場するというケースは勿論珍しい。しかし、「稀有な事例」かというとそれほどでもない。最近の例をあげると、宇和島の窃盗誤認逮捕事件(松山地裁宇和島支部が平成12年5月26日に無罪判決を言渡した)や世田谷ひき逃げ事件(東京地裁が平成18年7月23日に無罪判決)がある。昭和30年代の初めには法務省(当時の法務研修所)がこの種の事例を集めて『起訴後真犯人の現れた事件の検討』(3分冊)という大部の研究報告書を出している。

こういう事件が報道されたときにいつも不思議に思うのは、なぜ警察や検察しか謝罪しないのだろうかということである。今回のケースでは被告人が公判廷でも自白を維持したので裁判官が誤った有罪判決を言渡したのは「仕方がない」と言うかも知れない。けれども、日本の刑事裁判は、英米のそれと違って「有罪答弁制度」(被告人が法廷で有罪を認めれば、事実認定のための公判は開かれず、直ちに量刑審理が行われる制度)を認めていない。被告人が公判で「間違いありません」と言っても、公判が開かれ、証拠調べが行われて、証拠によって有罪の「事実認定」が行われなければならないというのが建前である。日本の刑事裁判官は、英米の裁判を「ラフ・ジャスティス」(荒っぽい司法)と言って馬鹿にして、被告人の意見にかかわらず証拠調べを行う日本の刑事裁判は「実体的真実」を大切にする優れた制度なのだと胸を張る。要するに、無実の被告人が有罪を認めても丁寧で緻密な審理を行うので真実を発見できるというのだ。そうだとすれば、今回のような事件でも無実の人に有罪判決(しかも8ヶ月間未決勾留したうえで3年の実刑判決)を言渡した裁判官の責任は非常に重いといわなければならない。警察官よりも検察官よりも、誰よりも、この男性とその親族の人生を狂わせた責任は裁判官にある。裁判官こそ謝罪すべきである。

宇和島窃盗事件や世田谷ひき逃げ事件の場合は、被告人は公判の当初から罪を争っていた。公判審理の終盤になって真犯人が見つかったために、有罪判決を言渡されることはなかったが、被告人たちは保釈も認められず長期間の身柄拘束を受けた(宇和島事件では1年以上、世田谷事件では10ヶ月間)。被告人の意向を無視して拘禁を続けたのは裁判官であって、無罪判決をしたからと言って裁判官が免責される理由にはならない。そもそも、無罪判決にしても、検事が「無罪の論告」をしたから、それに従っただけだ。真犯人が現れず、検事が有罪の論告をしていれば、この2つの事件でも間違いなく裁判官は有罪判決を言い渡していただろう。いずれの事件でも、警察は謝罪したが、裁判官は謝罪しなかった。しかし、警察は独自の権限で被疑者や被告人の身柄拘束をすることはできない。裁判官の決定がなければ未決拘禁はできないのである。保釈を却下したのは裁判官である。これらの事件でも無実の人の被害の発生に最大の貢献をしたのは裁判官である。警察が謝罪しなければならないのなら、裁判官も謝罪すべきだ。

さて、富山の事件だが、男性は取り調べの2日間は「身に覚えがない」と否認したが、3日目の取調べで自白している。富山県警の小林勉刑事部長は「威迫などはしていない。取調べ方法は適切だった」と話しているそうだが(Asahi.comマイタウン富山2007年1月20日 http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000000701200003)、信じ難い。無実の男性が身に覚えのない強姦事件を、あえて嘘をついて自発的に供述する理由はない。「身代わり」のような場合か、誇大妄想的な人が虚偽自白することは確かにある。しかし、そのような特殊な事情がない限り「任意に虚偽の自白をする」ということはあり得ないと考えるのが普通の常識であろう。

しかし、職業裁判官はこの常識をいとも簡単に否定する。例えば、宇和島窃盗誤認逮捕事件でも、無罪判決をした裁判官は自白の任意性をまったく問題にしていない(松山地宇和島支部判平12・5・26判時1731-153)。この裁判官は、被告人が無実の窃盗事件を自白した経過を次のように認定している。

「[警察は、]平成11年2月1日、被告人方及び被告人所有の普通乗用自動車の捜索を開始するとともに、同日午前7時58分、被告人を宇和島警察署に任意同行し、取調室において取り調べた。取調べは同日午後零時まで続けられたが、被告人は『やっていません。』との言葉を繰り返し、本件犯行を否認した。
「昼食後の同日午後1時から取調べが再開されたが、被告人は午前中の取調べに引き続き否認していた。そこで、警察官は、机を叩くなどしつつ、『証拠があるんやけん、早く白状したらどうなんや。実家の方に捜しに行かんといけんようになるけん迷惑がかかるぞ。会社とか従業員のみんなにも迷惑が掛かるけん早よ認めた方がええぞ。長くなるとだんだん罪が重くなるぞ。』等と述べて、被告人の供述を促した。
「被告人は、同日午後2時ころ、突然号泣し、『誰も自分の言うことは信じてくれない』と述べた後、その供述を自白に転じた。」

このような事実を認めたうえで、裁判官は、「被告人がその供述を自白に転じた時期は、任意同行後約6時間後のことである。取調べを担当した警察官が取調べに当たった際の態度としても、机を叩いたことはあったが、被告人に対し、暴行や脅迫をしたようなことはない。」と述べて、この自白の証拠能力を認めてしまう。要するに、6時間の取調べは長くない、机を叩いたくらいでは、自白の任意性に疑いは生じないというのが、日本の裁判官の「常識」なのである。1989年に最高裁判所は、午後11時半から翌日の昼過ぎまで睡眠もとらせずにぶっ通しで取調べた後の自白について、「自白の任意性に疑いを生じさせるようなものであつたとも認められない」と判断したことがある(最3小決平元・7・4刑集43-7-581)。このような最高裁の判断が日本国中の職業裁判官の「常識」に多大の影響を与えていることは明らかだろう。

しかし、「やっていない」「身に覚えがない」と言っている人を狭く窓のない取調室のなかで、1時間も「説得」した結果得られた自白が「任意であることに疑いがない」と言うのは普通の人々の感性に対する挑戦ではないだろうか。狭い部屋に閉じ込められてこちらの意思を無視して1時間も粘られたあげくに仕方なしにサインした契約書は有効だろうか。そのような契約は本人の任意の契約意思に基づかない無効なものと考えるのが常識ではないだろうか。この常識が警察の取調室で否定されなければならない理由が私にはわからない。

さて、やってもいない強姦事件を自白した富山の男性は、弁護人に対してもその自白を維持し、公判中も罪を認め続けた。それはなぜだろうか。彼は司法に絶望して諦めてしまったのだろうか。多分そうだろう。しかし、そうでない可能性もあると私は考える。

虚偽自白の研究者は「強制-自己同化型」あるいは「強制-納得型」というタイプの虚偽自白の類型を挙げている(ギスリー・グッドジョンソン『取調べ・自白・証言の心理学』(庭山英雄他訳、酒井書店1994)、313-315頁;Ofshe, Richard J. & Richard A. Leo, The Decision to Confess Falsely: Rational Choice and Irrational Action, 74 Denver Univ. L. Rev 981 (1997), pp999-1000)。人間の記憶というのは非常に脆弱にできていて、当初全く身に覚えがないことであっても、強制的な取調べの結果、記憶に変容が起り、「偽りの記憶」を植え付けられてしまうことがある。誘導尋問を受けているうちに映像や音声を伴って鮮明な犯罪の記憶が「蘇る」という現象がある。このような現象は供述心理学者の間では常識の一つである(たとえば、エリザベス・ロフタス(仲真紀子訳)『抑圧された記憶の神話』(誠信書房2000))が、裁判官にとっては「非常識」「荒唐無稽な話」として簡単に退けられてしまう。ここにも「常識のギャップ」がある。

富山の男性は行方不明ということだが、彼が公判でも自白を維持した理由を語る日は来るのだろうか。

最後に、冤罪事件のうち真犯人の登場によって救済される割合はどの程度なのだろうか。言い換えると、このような「無罪の証明」ができないまま救済されない冤罪事件はどの程度発生しているのだろうか。今回は真犯人が別の事件を犯して別の警察署で逮捕され、この2件の強姦事件を自白したので、改めて捜査しなおしたところ、その男の足型と現場の足型と一致した。これは非常に稀にしか起らない幸運なのではないだろうか。そのことを考えると、暗澹たる気持ちになる。


plltakano at 02:24コメント(1)トラックバック(0)刑事裁判 | 冤罪  このエントリーをはてなブックマークに追加

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