2007年01月03日
ソクラテスが「涜神の罪」で告発されたころ、すなわち紀元前400年ころのアテネでは、「民衆裁判」と呼ばれるべきものが行なわれていた。訴訟指揮を行なう裁判官はおらず、法的な論点も事実認定も量刑もすべて籤で選ばれた200人から500人の市民(陪審員)の投票で決められた。検察官制度はなく、刑事訴追も私人によって行なわれた。法廷では訴追人と被告人が陪審員の前で自ら弁論を行ない、それを聞いた後直ちに投票が行なわれ、多数決によって被告人の有罪無罪が決められた(同数の場合は無罪とされた)。
第三者が告訴人や被告人に代わって弁論することは原則として認められていなかった。訴追人も被告人も、自分の主張を自分で述べなければならなかった。ソクラテスのような人ならば、法的な論点についても事実上の論点についても自ら十分に弁じ立てることが出来たかもしれないが、普通の訴訟当事者にとってそれはかなり難しい仕事であっただろう。両当事者は弁論のなかで法を論じ、証拠を引用し、時には証人尋問を行う。かなりの熟練を要する作業である。そこで経済的に余裕のある訴訟当事者はロゴグラフォス(logographos)と呼ばれる弁論作家を依頼し、弁論を書いてもらい、その内容を暗記して法廷に臨んだ(Roscoe Pound, THE LAWYER FROM ANTIQUITY TO MODERN TIMES (West, 1953), p33)。
当時のアテネには数百人のロゴグラフォスがいたと言われる(Michael Gagarin, Series Introduction, Vol. 1, The Oratory of Classical Greece (University of Texas Press, Austin, 1998), xii )。しかし、今日までその作品が伝えられているのはわずか10人であり、弁論の数にして約150と言われている(id., xvi)。弁論作家は訴追人・被告人いずれの依頼も受ける。そして、依頼人自身が法廷で弁論するためのいわば「台本」を書くわけだから、その作品で「私」というのは弁論家ではなく、依頼人たる訴訟当事者である(弁論作家自身が訴追人あるいは被告人として弁論する例もある。例えばアンドキデスの現存作品は全てそうである)。
そして、弁論作家は、自分の意見ではなく、依頼人の身になって依頼人に有利な主張を説得的に訴えようと努力した。例えば、最古の弁論作家アンティフォン(前480年ころ−411年)の作といわれる6編の弁論のうち、1編は告発側、2編は被告側で、3編は告発側・被告側が2回ずつ弁論の応酬を行なう「4部作集」(テトラロギア)と呼ばれる弁論の習作である。告発側の弁論である『毒殺容疑での義母告発』の中で、アンティフォンは奴隷に対する拷問尋問(市民に対する拷問は認められていなかった)について
「奴隷どもが否定したり、筋の通らないことを言ったりすれば、拷問尋問によって事実を申し述べることを余儀なくされるでありましょう。何故なら、拷問尋問は嘘を話そうと用意している者にさえ真実を述べるようにさせるからです。」
と論じている(高畠純夫訳「アンティフォン弁論集」富山医科薬科大学一般教育研究紀要14−1(1992年)、4頁)。しかし、被告側の弁論『ヘローデース殺害に関して』では、拷問による供述の偏頗性を次のように指摘している。
「皆さんは次のことをご存知のことと思います。すなわち、拷問される者は拷問尋問の最大の責任者の側に立ち、結局はそうした者を喜ばせるようなことを話してしまうということをです。なにせそうした者の中にのみ救いはあるのですから。そしてそれはとりわけ自分が嘘の非難をなそうとする者がその場にいない場合にそうなるでありましょう。」(同前、37頁)
弁論作家自身が法廷に赴き、被告人のために被告人に代わって弁論を行うということが絶対になかったかというと、そうでもないらしい。例外的に、被告人の親や友人、出身部族の仲間に弁論してもらうことが認められる場合があり、このようにして法廷に同席する弁論者のことをシネゴロス(synegoros)と呼んでいた(Pound, supra. pp31-32)。
前340年のアテネ。美貌のヘタイラ(高級娼婦)、フリュネ−が涜神の罪で訴追された。
訴追人は彼女の元恋人ユーティアス。彼は弁論作家アナクスメネスの告発弁論を引っさげて出頭した。対する弁護人は雄弁家ヒュパリデス、彼もフリュネーの恋人であり、つまりユーティアスの恋敵であった。ソクラテスの先例を引くまでもなく、涜神の罪で有罪になれば死刑である。形勢は被告人側に不利であり、ヒュパリデスはなかなか弁論を進められなかった。このままでは陪審員たちは有罪の評決をするに違いない。
と、そのとき彼は、何を思ったか、依頼人を法廷の中央に突き出し、彼女の衣服をはぎ取った。陪審員たちは思わず目を見張った。彼らは、彼女の汚れなき裸身にアフロディーテを重ね畏れて、フリュネーに無罪の評決を言い渡した。
最近の研究によるとフリュネーが訴追されヒュパリデスが彼女の弁護をしたのは事実のようだが、2人が恋人同士であったとか弁護人が被告人の衣服を剥いだというのは、後の伝記作家の創造だとのことである(Craig R. Cooper, “Hyperides and the Trial of Phryne” Phoenix 49 (1995), pp303-318)。
フリュネーは当時のアテネで最も著名なヘタイラであった。彼女の顧客は各界の著名人ばかりであり、また、彫刻家プロクシテネスのモデルでもあった。彼のアフロディーテ像のモデルはフリュネーとされる。当時のアテネの裁判では女性はたとえ刑事訴追を受けても法廷に出頭することが許されなかった。法廷に出られるのは男性だけだった。しかし、フリュネーはアテネ市民にとっては特別な存在であり、法廷に出ることが許されたのだ。
ウィニペグ大学の古典学者クレイグ・クーパー博士の解説によると、フリュネーが訴追された罪は涜神罪(アセベイア)であるが、具体的には、?アポロ神殿(リュケイム)でどんちゃん騒ぎしたこと、?新たな神を紹介したこと、そして?違法に男女の宗教的集会(タイアソイ)を開いたこと、である(Craig R. Cooper, Hyperides, in Vol. 5, The Oratory of Classical Greece (University of Texas Press, Austin, 2001, at p147)。いずれにしても、この当時アセベイアによる訴追は政治的に利用されていた。というのは前430年の法令で、無信仰や異端の意見に対してこの罪が適用されることになったからだ。プロタゴラス、ソクラテス、アリストテレスというような哲学者もこの訴追を受けている。著名な女性で政界にも影響力があったと思われるフリュネーに対する訴追も政治的な動機が背後にあったと考えられる。
いずれにしても、ヒュパリデスによるフリュネーの弁護は後の弁論家や芸術家たちにインスピレーションを与えた。前2世紀の修辞学者アルシフロンは、フリュネーが胸をはだけたから裁判に勝ったと考えるべきではなく、ヒュパリデスの弁論によってその行動の適切さがもたらされ、その結果、裁判の成功をもたらしたのだ、と論じた。ローマの雄弁家クインティリアーヌスは、「ヒュパリデスの雄弁は確かに賞賛に値するが、しかし、フリュネーを救ったのはそれではなく、彼女の身体の優美であった」と述べた。18世紀新古典派の巨匠ジャック・ルイ・ダビッドや19世紀フランスアカデミズムの画家兼彫刻家ジャン・レオン・ジェロームが「フリュネーの裁判」を描いている。
第三者が告訴人や被告人に代わって弁論することは原則として認められていなかった。訴追人も被告人も、自分の主張を自分で述べなければならなかった。ソクラテスのような人ならば、法的な論点についても事実上の論点についても自ら十分に弁じ立てることが出来たかもしれないが、普通の訴訟当事者にとってそれはかなり難しい仕事であっただろう。両当事者は弁論のなかで法を論じ、証拠を引用し、時には証人尋問を行う。かなりの熟練を要する作業である。そこで経済的に余裕のある訴訟当事者はロゴグラフォス(logographos)と呼ばれる弁論作家を依頼し、弁論を書いてもらい、その内容を暗記して法廷に臨んだ(Roscoe Pound, THE LAWYER FROM ANTIQUITY TO MODERN TIMES (West, 1953), p33)。
当時のアテネには数百人のロゴグラフォスがいたと言われる(Michael Gagarin, Series Introduction, Vol. 1, The Oratory of Classical Greece (University of Texas Press, Austin, 1998), xii )。しかし、今日までその作品が伝えられているのはわずか10人であり、弁論の数にして約150と言われている(id., xvi)。弁論作家は訴追人・被告人いずれの依頼も受ける。そして、依頼人自身が法廷で弁論するためのいわば「台本」を書くわけだから、その作品で「私」というのは弁論家ではなく、依頼人たる訴訟当事者である(弁論作家自身が訴追人あるいは被告人として弁論する例もある。例えばアンドキデスの現存作品は全てそうである)。
そして、弁論作家は、自分の意見ではなく、依頼人の身になって依頼人に有利な主張を説得的に訴えようと努力した。例えば、最古の弁論作家アンティフォン(前480年ころ−411年)の作といわれる6編の弁論のうち、1編は告発側、2編は被告側で、3編は告発側・被告側が2回ずつ弁論の応酬を行なう「4部作集」(テトラロギア)と呼ばれる弁論の習作である。告発側の弁論である『毒殺容疑での義母告発』の中で、アンティフォンは奴隷に対する拷問尋問(市民に対する拷問は認められていなかった)について
「奴隷どもが否定したり、筋の通らないことを言ったりすれば、拷問尋問によって事実を申し述べることを余儀なくされるでありましょう。何故なら、拷問尋問は嘘を話そうと用意している者にさえ真実を述べるようにさせるからです。」
と論じている(高畠純夫訳「アンティフォン弁論集」富山医科薬科大学一般教育研究紀要14−1(1992年)、4頁)。しかし、被告側の弁論『ヘローデース殺害に関して』では、拷問による供述の偏頗性を次のように指摘している。
「皆さんは次のことをご存知のことと思います。すなわち、拷問される者は拷問尋問の最大の責任者の側に立ち、結局はそうした者を喜ばせるようなことを話してしまうということをです。なにせそうした者の中にのみ救いはあるのですから。そしてそれはとりわけ自分が嘘の非難をなそうとする者がその場にいない場合にそうなるでありましょう。」(同前、37頁)
弁論作家自身が法廷に赴き、被告人のために被告人に代わって弁論を行うということが絶対になかったかというと、そうでもないらしい。例外的に、被告人の親や友人、出身部族の仲間に弁論してもらうことが認められる場合があり、このようにして法廷に同席する弁論者のことをシネゴロス(synegoros)と呼んでいた(Pound, supra. pp31-32)。
前340年のアテネ。美貌のヘタイラ(高級娼婦)、フリュネ−が涜神の罪で訴追された。
訴追人は彼女の元恋人ユーティアス。彼は弁論作家アナクスメネスの告発弁論を引っさげて出頭した。対する弁護人は雄弁家ヒュパリデス、彼もフリュネーの恋人であり、つまりユーティアスの恋敵であった。ソクラテスの先例を引くまでもなく、涜神の罪で有罪になれば死刑である。形勢は被告人側に不利であり、ヒュパリデスはなかなか弁論を進められなかった。このままでは陪審員たちは有罪の評決をするに違いない。
と、そのとき彼は、何を思ったか、依頼人を法廷の中央に突き出し、彼女の衣服をはぎ取った。陪審員たちは思わず目を見張った。彼らは、彼女の汚れなき裸身にアフロディーテを重ね畏れて、フリュネーに無罪の評決を言い渡した。
最近の研究によるとフリュネーが訴追されヒュパリデスが彼女の弁護をしたのは事実のようだが、2人が恋人同士であったとか弁護人が被告人の衣服を剥いだというのは、後の伝記作家の創造だとのことである(Craig R. Cooper, “Hyperides and the Trial of Phryne” Phoenix 49 (1995), pp303-318)。
フリュネーは当時のアテネで最も著名なヘタイラであった。彼女の顧客は各界の著名人ばかりであり、また、彫刻家プロクシテネスのモデルでもあった。彼のアフロディーテ像のモデルはフリュネーとされる。当時のアテネの裁判では女性はたとえ刑事訴追を受けても法廷に出頭することが許されなかった。法廷に出られるのは男性だけだった。しかし、フリュネーはアテネ市民にとっては特別な存在であり、法廷に出ることが許されたのだ。
ウィニペグ大学の古典学者クレイグ・クーパー博士の解説によると、フリュネーが訴追された罪は涜神罪(アセベイア)であるが、具体的には、?アポロ神殿(リュケイム)でどんちゃん騒ぎしたこと、?新たな神を紹介したこと、そして?違法に男女の宗教的集会(タイアソイ)を開いたこと、である(Craig R. Cooper, Hyperides, in Vol. 5, The Oratory of Classical Greece (University of Texas Press, Austin, 2001, at p147)。いずれにしても、この当時アセベイアによる訴追は政治的に利用されていた。というのは前430年の法令で、無信仰や異端の意見に対してこの罪が適用されることになったからだ。プロタゴラス、ソクラテス、アリストテレスというような哲学者もこの訴追を受けている。著名な女性で政界にも影響力があったと思われるフリュネーに対する訴追も政治的な動機が背後にあったと考えられる。
いずれにしても、ヒュパリデスによるフリュネーの弁護は後の弁論家や芸術家たちにインスピレーションを与えた。前2世紀の修辞学者アルシフロンは、フリュネーが胸をはだけたから裁判に勝ったと考えるべきではなく、ヒュパリデスの弁論によってその行動の適切さがもたらされ、その結果、裁判の成功をもたらしたのだ、と論じた。ローマの雄弁家クインティリアーヌスは、「ヒュパリデスの雄弁は確かに賞賛に値するが、しかし、フリュネーを救ったのはそれではなく、彼女の身体の優美であった」と述べた。18世紀新古典派の巨匠ジャック・ルイ・ダビッドや19世紀フランスアカデミズムの画家兼彫刻家ジャン・レオン・ジェロームが「フリュネーの裁判」を描いている。

2006年12月31日
裁判員裁判はこれまでの刑事裁判に対してどのような要素を注入しようとするものなのか?通説的な見解とは大いに異なり、「立法者の意思」に反するかもしれないが、私は、裁判員制度は民主主義的な制度ではないと考えている。それは市民が統治機構の一部に参加する制度ではあるが、国民の「総意」すなわち多数の意思に基く判断を保障するための制度ではない。それはむしろ「少数者」である刑事訴追を受ける個人の自由を保障するための制度であり、民主主義とは緊張関係に立つところの自由主義(リベラリズム)に根ざす制度であると私は考える。
そこで、われわれは市民が法廷に参加することによって何ゆえに自由が保障されるのかを考えなければならない。それは、市民参加型刑事裁判のいわば純粋形であり「自由の守護神」(デヴリン卿)と称えられる陪審制の歴史をひもとくことで明らかになる。陪審制は刑事被告人に「同輩による裁判」(マグナ・カルタ39章)を保障すること、すなわち、被告人と同じ社会階層に属し、彼女の生活実感を理解しうる人々が裁判に参加することによって、彼女の自由が不必要に侵害されることを防止しようとするのである。
この機能がもっとも先鋭に現れるのは、検察官や裁判官と陪審員が対立するときである。アメリカ連邦最高裁判所は陪審制の歴史を振り返ってその機能をこう要約した。
「連邦や州憲法上の陪審裁判保障条項は,権力の行使についての基本的な態度──市民の生命や自由を剥奪しうる絶対的な権力を一人のあるいは一握りの裁判官の手に委ねることへの躊躇──を反映したものである。政府の他の分野で典型的に見られることであるが,他からの抑制のない絶対的な権力への恐れというものが,刑事法の分野では,有罪無罪の判断にコミュニティが参加するという方法で表明されているのである。……刑事被告人に対して同輩による陪審裁判を受ける権利を保障するということは,腐敗しあるいは過度に熱心な検察官や,卑屈な,予断を持ったあるいは風変わりな裁判官から被告人を保護する貴重な安全装置を提供することなのである。」(ダンカン対ルイジアナ、1967年)
陪審は検察官や裁判官だけではなく、法廷の外に渦巻く「世論」という名の権力と対峙して被告人をその圧力から防衛するという機能を果たすことがある。ロドニー・キング事件(1992年)やO.J.シンプソン事件(1995年)などはその例である。
陪審がこのような機能を発揮しうるのはなぜか?それは陪審の独立と厳格な証拠法の運用によるのである。裁判官に事実認定の権限がなく評議に参加できないこと、そして、陪審は証拠に集中し採用された証拠以外の何ものも判断の根拠としてはならないことが公判中に繰り返し強調されること、これらが陪審の自由保障機能の源泉であると言っても良い。そうなると、わが国の裁判員制度の妥協的な性格が明らかになるだろう。わが国の裁判官は評議室に入り裁判員と議論することができる。そして、長い間の職業裁判官制の下でこの国の証拠法は相当胡散臭いものになってしまった。
しかし、だからと言って裁判員制度は自由主義的な制度ではないと言うことはできないし、そう言うべきではない。そうではなく、われわれはいま述べた「妥協的な性格」をしっかりと認識して、裁判員制度が自由主義的な制度であり続けるための努力を実践しなければならない。裁判官がこれまでのように常識的に考えて明らかに「任意」とは言い難い自白を「任意性に疑いがない」と言い張って採用したならば、われわれは裁判員に「この自白は被告人の自発的な意思によるものでしょうか。あなたの常識に照らしてよく考えてください」と直接問いかけることができるし、問いかけるべきである。裁判官が評議室の中で裁判員に不当な影響力を行使する気配を感じたら、「事実認定は皆さん一人ひとりが責任を果たすべき貴重な職責です。決して他人任せにしてはなりません。裁判官は事実認定のプロではありません。裁判官とあなたたち裁判員との間には何らの優劣もありません。」と裁判員に向けて弁論することができるのであり、われわれはその貴重な機会を断然利用すべきなのである。
そこで、われわれは市民が法廷に参加することによって何ゆえに自由が保障されるのかを考えなければならない。それは、市民参加型刑事裁判のいわば純粋形であり「自由の守護神」(デヴリン卿)と称えられる陪審制の歴史をひもとくことで明らかになる。陪審制は刑事被告人に「同輩による裁判」(マグナ・カルタ39章)を保障すること、すなわち、被告人と同じ社会階層に属し、彼女の生活実感を理解しうる人々が裁判に参加することによって、彼女の自由が不必要に侵害されることを防止しようとするのである。
この機能がもっとも先鋭に現れるのは、検察官や裁判官と陪審員が対立するときである。アメリカ連邦最高裁判所は陪審制の歴史を振り返ってその機能をこう要約した。
「連邦や州憲法上の陪審裁判保障条項は,権力の行使についての基本的な態度──市民の生命や自由を剥奪しうる絶対的な権力を一人のあるいは一握りの裁判官の手に委ねることへの躊躇──を反映したものである。政府の他の分野で典型的に見られることであるが,他からの抑制のない絶対的な権力への恐れというものが,刑事法の分野では,有罪無罪の判断にコミュニティが参加するという方法で表明されているのである。……刑事被告人に対して同輩による陪審裁判を受ける権利を保障するということは,腐敗しあるいは過度に熱心な検察官や,卑屈な,予断を持ったあるいは風変わりな裁判官から被告人を保護する貴重な安全装置を提供することなのである。」(ダンカン対ルイジアナ、1967年)
陪審は検察官や裁判官だけではなく、法廷の外に渦巻く「世論」という名の権力と対峙して被告人をその圧力から防衛するという機能を果たすことがある。ロドニー・キング事件(1992年)やO.J.シンプソン事件(1995年)などはその例である。
陪審がこのような機能を発揮しうるのはなぜか?それは陪審の独立と厳格な証拠法の運用によるのである。裁判官に事実認定の権限がなく評議に参加できないこと、そして、陪審は証拠に集中し採用された証拠以外の何ものも判断の根拠としてはならないことが公判中に繰り返し強調されること、これらが陪審の自由保障機能の源泉であると言っても良い。そうなると、わが国の裁判員制度の妥協的な性格が明らかになるだろう。わが国の裁判官は評議室に入り裁判員と議論することができる。そして、長い間の職業裁判官制の下でこの国の証拠法は相当胡散臭いものになってしまった。
しかし、だからと言って裁判員制度は自由主義的な制度ではないと言うことはできないし、そう言うべきではない。そうではなく、われわれはいま述べた「妥協的な性格」をしっかりと認識して、裁判員制度が自由主義的な制度であり続けるための努力を実践しなければならない。裁判官がこれまでのように常識的に考えて明らかに「任意」とは言い難い自白を「任意性に疑いがない」と言い張って採用したならば、われわれは裁判員に「この自白は被告人の自発的な意思によるものでしょうか。あなたの常識に照らしてよく考えてください」と直接問いかけることができるし、問いかけるべきである。裁判官が評議室の中で裁判員に不当な影響力を行使する気配を感じたら、「事実認定は皆さん一人ひとりが責任を果たすべき貴重な職責です。決して他人任せにしてはなりません。裁判官は事実認定のプロではありません。裁判官とあなたたち裁判員との間には何らの優劣もありません。」と裁判員に向けて弁論することができるのであり、われわれはその貴重な機会を断然利用すべきなのである。
2006年12月29日
月曜日(12月25日)に、周防正行監督の新作「それでもボクはやってない」(2007年1月20日公開)の日弁連試写会があった。上映後に監督を交えてのパネルディスカッションがあり、私は光栄にもパネリストの1人として周防監督と言葉を交わす機会を得た。
一映画ファンとしてこの映画を見ることは、私にはできなかった。やっぱり。
「身も蓋もない映画だなあ。」
日弁連の控え室で周防監督自身に向って思わずそう口走ってしまった。開口一番こんな失礼な挨拶をしたことをちょっと後悔した。
「私にはあまりにもリアルな映画なんで……観客として見ることができませんでした。」
私は正直に弁解した。
まさにこれが日本の刑事裁判である。これが現実である。これがいま全国津々浦々の裁判所で毎日繰り返されている出来事である。「有罪率99%」とはこういうことなんだよ。
刑事弁護士というこの国の司法におけるマイノリティにとっての生の現実が、これほどまでにあけすけに隠し事なく端から端までドラマになり映像になり言葉になったことは、これまでなかった。これまでの日本の裁判映画・法廷ドラマ・事件小説はどれもこれも、一方的な思い込み、過剰な賛美、こっけいな熱弁、作者の無知とぼやけた細部の寄せ集めであり、真実は竹薮の中に転がっていた。この映画は徹底的に現実にこだわっている。表現者にとって「現実」とは際限のないものである。例えば、集中押送で地検管内の警察署を廻るバスのなかで数珠繋ぎになっている被疑者や検察庁の地下留置場で被疑者たちが一列に並んで長い捕縄を外される場面の映像や音を、監督は微細かつ正確に再現している。この「正確さ」のために費やされた膨大なエネルギーを私にはなんとなく想像できる。このシーンが映画になったというのはわが国の刑事裁判にとって歴史的な事件と言うべきである。取調室も法廷も判事室も法律事務所も、傍聴マニアの視線も刑事裁判官の所作も、全てが一つ一つこのように作りこまれている。
私には映画を批評する資格はないが、「アラバマ物語」や「12人の怒れる男」やヒッチコックの「間違われた男」や黒澤の「羅生門」が傑作だというのならば、この映画はもっと傑作である。私はそう思う。しかし、それは私にとっては重要ではない。私にとって重要なのはこの現実が映画になったということだ。
私は映画を見てこれほどまでに打ちのめされたことはない。
一映画ファンとしてこの映画を見ることは、私にはできなかった。やっぱり。
「身も蓋もない映画だなあ。」
日弁連の控え室で周防監督自身に向って思わずそう口走ってしまった。開口一番こんな失礼な挨拶をしたことをちょっと後悔した。
「私にはあまりにもリアルな映画なんで……観客として見ることができませんでした。」
私は正直に弁解した。
まさにこれが日本の刑事裁判である。これが現実である。これがいま全国津々浦々の裁判所で毎日繰り返されている出来事である。「有罪率99%」とはこういうことなんだよ。
刑事弁護士というこの国の司法におけるマイノリティにとっての生の現実が、これほどまでにあけすけに隠し事なく端から端までドラマになり映像になり言葉になったことは、これまでなかった。これまでの日本の裁判映画・法廷ドラマ・事件小説はどれもこれも、一方的な思い込み、過剰な賛美、こっけいな熱弁、作者の無知とぼやけた細部の寄せ集めであり、真実は竹薮の中に転がっていた。この映画は徹底的に現実にこだわっている。表現者にとって「現実」とは際限のないものである。例えば、集中押送で地検管内の警察署を廻るバスのなかで数珠繋ぎになっている被疑者や検察庁の地下留置場で被疑者たちが一列に並んで長い捕縄を外される場面の映像や音を、監督は微細かつ正確に再現している。この「正確さ」のために費やされた膨大なエネルギーを私にはなんとなく想像できる。このシーンが映画になったというのはわが国の刑事裁判にとって歴史的な事件と言うべきである。取調室も法廷も判事室も法律事務所も、傍聴マニアの視線も刑事裁判官の所作も、全てが一つ一つこのように作りこまれている。
私には映画を批評する資格はないが、「アラバマ物語」や「12人の怒れる男」やヒッチコックの「間違われた男」や黒澤の「羅生門」が傑作だというのならば、この映画はもっと傑作である。私はそう思う。しかし、それは私にとっては重要ではない。私にとって重要なのはこの現実が映画になったということだ。
私は映画を見てこれほどまでに打ちのめされたことはない。
先日ある事件で、被告人の着席位置に関する申し立てを行った。こちらは、「被告人は当事者であり、公判中自分の弁護人と自由にコミュニケーションする権利がある。弁護人席の前に座ったのでは、不自然な姿勢を取らなければ弁護人とコミュニケーションできない。したがって、被告人は弁護人の横に着席する権利がある。民事裁判では原告も被告も弁護士の横に座っている。そのことに誰も苦情を言わない。刑事裁判の被告だけ弁護士の隣に座ってはいけないという理由はどこにもないはずだ」と主張した。これに対して検察官は、「公判中は常に被告人の言動が観察されていなければならず、そのためには被告人は弁護人の前に座らさなければならない」などと、筋の通らない主張をした。刑事裁判は被告人を観察する手続ではない。被告人は刑事裁判という紛争の当事者である。訴訟の当事者が法廷で自分の弁護士の隣に座るのは自然なことである。
裁判長は、公判開始早々、5分間にわたってこの問題についてコメントした。彼は、「検察官の主張よりも、弁護人の主張の方が筋が通っていると思う」と言った。しかし、それに続けてこう言った。「けれども、裁判官は、学者ではなく、実務家である。」そう言って、裁判長は、結局、私の依頼人を私の隣ではなく、前のベンチに座らせた。
裁判官とは何だろうか。憲法によれば、裁判官は、法と良心に従って、紛争を解決するための判断をすることになっている。自分にとって「筋の通らない」ことであっても、検察官が言うことには従う、不合理なことであっても長年にわたって行われてきたことには従う。このようなことが彼らの「良心」だというのならば、それは事なかれ主義の小役人根性と同義である。そのような人間に税金を払って正義の判断を委ねているわれわれは実際すごく間抜けな国民ではないだろうか。
裁判長は、公判開始早々、5分間にわたってこの問題についてコメントした。彼は、「検察官の主張よりも、弁護人の主張の方が筋が通っていると思う」と言った。しかし、それに続けてこう言った。「けれども、裁判官は、学者ではなく、実務家である。」そう言って、裁判長は、結局、私の依頼人を私の隣ではなく、前のベンチに座らせた。
裁判官とは何だろうか。憲法によれば、裁判官は、法と良心に従って、紛争を解決するための判断をすることになっている。自分にとって「筋の通らない」ことであっても、検察官が言うことには従う、不合理なことであっても長年にわたって行われてきたことには従う。このようなことが彼らの「良心」だというのならば、それは事なかれ主義の小役人根性と同義である。そのような人間に税金を払って正義の判断を委ねているわれわれは実際すごく間抜けな国民ではないだろうか。