2012年09月09日
【これは最高裁判所第2小法廷平成24年9月7日判決の上告趣意書である。】
昭和2年(1927年)の大審院判例はつぎのようなものである。殺人予備と銃砲火薬類取締法施行規則違反(戎器携帯)事件の被告人の予審調書に「自分は3回賭博罪に処せられたる身」であるとの記載があり、それが有罪の証拠説明に記載されていた。これが採証法則に反するとして上告された。大審院は次のように述べた。
「元来前科ナルモノハ被告人ハ曾テ犯罪ニ依リ刑罰ニ処セラレタリト云フ過去ニ於ケル被告人性行ノ一端ヲ示スニ止マリ其ノ後ニ生シタル犯罪事実トハ何等関渉スルトコロナキモノナルカ故ニ被告人ニ前科アルノ事実カ証明セラレタル場合ニ於テモ其ノ事実ハ公訴ノ目的タル犯罪行為ノ成立ヲ断定スルニハ適当ナラサルモノナリトス従テ斯ル前科ヲ採リテ犯罪事実証明ノ資料ニ供シタリトセハ採証ノ法則ニ違反スルモノト云ハサルヲ得ス」
大審院はこのように前科を採用したこと自体を違法と断じた。しかし、この事案においては他の証拠で被告人の公訴事実が具体的詳細に証明されているので、証拠説明に瑕疵があったとしても判決に影響を及ぼさないとして上告を棄却したのである(大判昭2・9・3新聞2750-9)。
この二つの先例によって、前科は公訴事実認定の証拠たりえないとのルールは確立したと言える。その後の判例はこのルールが存在することを前提に、その例外が認められるか――どのような場合に前科は証拠能力を持つのか――という問題を論じるのである。
大審院昭和4年11月16日判決(刑集8-568)は「前科」というよりも被告人の暴力的な「性行経歴」の証拠能力を直接問題とした判例である。配下の者と共謀して公共工事の入札会場に乗り込んで、入札関係者に「自分ハ嘗テ喧嘩シタルコトモアリ又人ヲ斬リタルコトモアリ場合ニ依リテハ警察ヲ向フニ廻シテモ引ケヲ取ラヌ」などと脅迫して、「弁当代」などの名目で金員を要求し、「之ニ應セサレハ同人等ノ身體ニ危害ヲ加ヘントスルカ如キ態度ヲ示シ」て被害者らを畏怖せしめて金員を恐喝したというのが公訴事実である。原判決は、被告人が「常ニ配下ヲ擁シテ暴威ヲ逞フシ工事請負入札場ニ出入シテハ其ノ威力ヲ以テ入札關係人ヨリ金員ヲ強要シ痛ク世人ニ畏怖嫌厭セラレ居リ」という「性行経歴」を有することを認定したうえで、これをも参酌して有罪を認定したと説明した。これに対して上告趣意は、被告人の性行経歴等は抽象的な事実に過ぎないのであって、刑の量定の資料となることはあっても、性行経歴に基づいて犯罪事実を認定することは許されないと言って破棄を求めた。
大審院は、まず、被告人の性行経歴に基づいて犯罪事実を認定することは許されないという原則を述べる。
「犯人ノ性行經歴ハ之ニ依據シテ其ノ者ノ犯罪行爲ヲ認定スルノ資料ト爲スヲ許スヘキモノニアラス……之一ニ其ノ性行經歴ト犯罪行爲トノ間ニ何等交渉スル所ナキカ爲ニ外ナラサルヤ勿論ナリ」
こう述べたうえで、大審院は、性行経歴と公訴事実が「交渉スル場合」は別だという。
「犯人ノ性行經歴ト犯罪行爲トカ交渉スル場合ニ在リテハ決シテ敍上一般普通ノ事理ニ拘ハルヘキモノニアラスシテ其ノ犯罪ト交渉ヲ有スル限度ニ於テ證據ニ依リ認定セラルル性行經歴モ之ヲ亦當該犯罪認定ノ資料ト爲スヲ妨ケス」
大審院は、この事件においては「被告人等ノ世間周知ノ兇暴ナル性行」を被害者に示すという行為が恐喝行為の一端をなしていることから、被告人の性行経歴と犯罪行為とが「交渉スル場合」に当るとして、上告を棄却したのである。この判例は、後に指摘するように、前科に限定せずに、一般的に性格証拠禁止の法理を宣言したわが国最初の判例である。それと同時に、性格証拠禁止の例外の一つとして、性格それ自体が訴因の一部となっている場合には性格が許容されることを宣言したという点でも重要である。
大審院の判例の中には、このような性格証拠禁止のルールに対する例外としてではなく、そもそも前科による有罪認定ではないと言って上告を棄却するものもある。大審院昭和14年3月25日判決(大審院判決全集6-14-43)は、飲酒中に口論となり、小刀で喉を刺して出血死させたという傷害致死事件である。被告人は、留吉(被害者)が「此馬鹿野郎外ヘ出ロ」と言って外に出た後しばらく残って焼酎を飲み終え、もう留吉はいないだろうと思って小刀を持って表に出たところ、留吉が背後から飛びかかって来て、自分もろともよろけてその際に小刀が留吉の喉に刺さってしまったのであり、傷害に当らないと言って争った。原判決は事実説明の冒頭に「被告人ハ曩ニ其ノ妻ヲ殴打死ニ到ラシメタル為大正九年六月十四日千葉地方裁判所ニ於テ傷害致死罪ニ依リ懲役五年ニ処セラレタルコトアリ其ノ後昭和四年三月中八日市場区裁判所ニ於テ恐喝未遂罪ニ依リ懲役六月ニ昭和十一年八月三日同裁判所ニ於テ傷害罪ニ依リ罰金四十円ニ各処セラレタル等ノ素行経歴ヲ有スルモノナルトコロ」と判示した。上告審において、弁護人は、この説示は前科によって公訴事実を認定するものであると主張して破棄を求めた。大審院はここでも前科による犯罪事実の認定は許されないという原則をまず確認する。
「被告人ニ前科アリト云フカ如キ事実ハ……本来其ノ後ニ生シタル犯罪行為ト何等ノ関渉ナキ過去ノ事項ニ属スルヲ以テ被告人ニ前科アルノ事実カ証明セラレタル場合ニ於テモ其ノ事実ニ依リ公訴ノ目的タル犯罪行為ノ成立ヲ断定スルカ如キコトハ適当ノ措置ナリト為スヲ得サルヤ言ヲ俟タサルトコロナル」
しかし、これに続けて、大審院は、本件の場合は前科によって犯罪行為を認定しているのではなく、「単ニ被告人ノ性行経歴ノ一端ヲ叙スル」ものに過ぎずないと述べて、上告を棄却した。
「単ニ被告人ノ性行経歴ノ一端ヲ叙スルカ為前科アル事実ヲ判示スルカ如キコトハ固ヨリ法ノ禁止スルトコロニアラサルモノト云ワサルヘカラス原判決ニ依レハ判示犯罪事実ハ其ノ挙示セル証拠ニ依リ優ニ証明サラレテ間然スルトコロナク唯其ノ冒頭ニ於テ所論ノ如ク被告人又造ニ前科アルノ事実ヲ説示シアルモ之単ニ同被告人ノ性行経歴ノ一端ヲ掲ケタルニ止マリ斯ル事実ヲ採テ以テ判示犯罪事実認定ノ一資料ニ供シタルモノニ非サルコト原判文ヲ通読シテ容易ニ之ヲ了解シ得へク……。」
後に検討するように、英米コモンローの性格証拠の法理によれば、前科(他罪証拠)による有罪認定の禁止に対する例外の一つとして、意図や計画性の立証あるいは事故や不可抗力の主張に対する反証のためには前科(他罪証拠)を利用することが許される。この例外を適用したと考えられる大審院判例がある。大審院昭和15年3月19日判決(大審院判決全集7-12-26)がそれである。被告人は、資産家であると偽って結婚の意思もないのに結婚相談所を通じて女性に結婚を申し込み、返済の意思もないのにあるように装って、女性から事業資金として5000円を騙取したという詐欺の事実で起訴された。これに対して、被告人は、金銭を受け取った事実は認めるが、詐欺の意思を否認し、結婚の意思もあったし返済の意思もあった、騙し取るつもりはなかったと主張した。原判決は、被告人自身が供述する同種の結婚詐欺の前科を証拠として援用した。すなわち「自分ハ曾テ婦女ヨリ金品ヲ騙取スルコト等ニ依リ数回前科ヲ重ネタルカ昭和二年東京控訴院ニ於テ処分セラレタル前科ハ自分カ帝大ノ文学博士ナリト云ヒ或ハ恩賜ノ時計ヲ貰ヒタルカ如キコトヲ申シテ結婚スルト称シ五六人ノ婦人ヨリ金ヲ巻キ上ケタル事案ナリ次ノ前科ハ伊豆長岡ニ転地静養中看護婦ヲ引掛ケ金ヲ取リタル事案次ノ前科ハ喜多キヨカト一緒ニナリオル中自分カ医学博士池田ト偽名シ診療所ヲ開設シ次カラ次ヘト沢山ノ婦人ト関係シ女学校ノ先生ヲナシタル婦人ト一緒ニナリ金ヲ巻キ上ケタル事案ナリ」というものである。弁護人は上告趣意のなかで大正7年判決を引用して、前科による犯罪事実の認定であって採証法則に違反すると言った。しかし、大審院は次のように説示してこの主張を退けた。
「公訴事実ニ全然交渉ナキ単ニ前科アルノ故ヲ以テ公訴事実ヲ認定スルコトノ不法ナルハ論ヲ俟タサルトコロナリト雖被告人ノ性行経歴ニシテ其ノ犯行ト脈略交渉アリト解セラルルニ於テハ犯人カ斯クノ如キ性行経歴ヲ有スルモノナリト証拠ニ依リテ説示シ当該犯罪認定ノ資料ト為スニハ何等ノ妨ケアルコトナシ然リ而シテ原判決引用ニ係ル所論事項ハ被告人ニ前科アリトノ事実即チ単ナル受刑事項ノミヲ罪証ニ供シタルニ非スシテ原判示犯行ニ脈略交渉アリト認ムルニ難カラサル被告人ノ性行経歴ニ関スル原審公判廷ニ於ケル被告人ノ供述ヲ引用シタルモノト認ムルヲ正当トス従ツテ原判決ニハ採証上所論ノ如キ違法存スルコトナク論旨理由ナシ」
この事件でも大審院は前科による公訴事実の認定が原則として違法であることを確認したえで、本件は例外的に前科による認定が許される場合であると述べている。大審院は「犯行ニ脈略交渉アリト認ムルニ難カラサル」としか説明していないが、結婚詐欺の犯意を否認して結婚のつもりもあった返済するつもりもあったと主張する被告人に対して、同種の結婚詐欺の前科をもって反証して犯意を認定する場合であることは明らかであろう。
現行刑訴法は伝聞証拠や自白の許容性に関する幾つかの明文規定を設けたが、それ以外の証拠法のルールに関しては明文規定を設けなかった。いわゆる関連性の定義を定めた規定もないし、関連性のない証拠を排除する旨の規定もない。しかし、刑訴法295条1項の規定[3]などを根拠に、わが国においても法律的関連性を証拠能力の要件と考えるのが一般的である[4]。大審院が累次の判例を通じて確立した性格証拠の法理――なかんずく前科(他罪証拠)による公訴事実認定の禁止とその例外――を最高裁が変更したことはない。最高裁がこの問題を取り上げたのは次に掲げる2つの先例においてのみであるが、最高裁は大審院の遺産を引き継いだというべきである。
最初の先例は昭和28年の最高裁判決である。警察官である被告人が、逮捕した被疑者を取り調べる際に、頭髪を掴んで引張り、手拳で左目を殴打し、治療1週間の傷害を負わせたという特別公務員暴行陵虐の訴因である。訴訟の終盤になって、検察官は「被告人に暴行を加える習癖があることを立証するため」と言って、かつて被告人の取調べを受けたことのある者2人を証人申請した。弁護人は「類似事実の立証は裁判所に偏見又は予断を生ぜしめる」と述べて異議を唱えた。裁判所は「情状に関しての証拠として採用する」と宣言して、2人の証人(元被疑者)取り調べた。上告趣意は、この証人尋問は実質的に類似事実による悪性格立証を許したものであり、被告人の個人としての尊厳を犯し、かつ、予断偏見を抱き公平な裁判所ではなくなった裁判官によって行われた裁判であるから、憲法13条、37条1項に違反すると主張した。最高裁判所第3小法廷は次のように述べて、上告を退けた。
「第一審裁判所は、当事者双方に、要証事実に関する立証を一応尽さしめた後に、検察官の申請にかゝる所論の証人を、情状に関するものとして尋問しているのであつて、同裁判所も説示する如く、いわば要証事実に関する証拠調を終了し、量刑に関する諸般の情状を調査する手続上の段階において、右の如き証人尋問がなされたということができるのである。そして、所論証人尋問が、被告人に暴行の習癖のあることを立証せんとするにあつたとしても、それは勿論本件公訴事実の立証の為のものでなく、量刑に関する情状に関するものと認むべきであり、かかる証人尋問を、かかる手続上の段階において制限すべきいわれはないから、第一審の右の如き公判手続に所論の如き訴訟法の違反があるということはできない」(最3小判昭28・5・12刑集7-5-981)。
この判決が他罪証拠による公訴事実の認定は原則として禁じられるという大審院以来の法理を前提としていることは明らかであろう。そのうえで、この事件ではあくまでも「情状」として他罪証拠を受け入れただけであるから禁止のルールに抵触していないと言っているのである。
最高裁第3小法廷昭和41年11月22日決定(刑集20-9-1035)は、被告人が、「身寄りのない老人に対する社会福祉事業に対する寄付金」と偽って、寄付金名下に現金を騙取したという詐欺事件である。被告人は、社会福祉事業に使用すると言ったのではなく、社会福祉促進のために日蓮正宗の大御本尊様に祈念するので、その賛助金を求めたものであって、自己の祈念という宗教活動に対するお布施を求めたものであり、欺罔行為ではないと言って争った。原判決は被告人自身「本件と同様手段による詐欺罪により懲役刑に処せられ現在なお執行猶予中の身であり、本件犯行もその態様に照し詐欺罪を構成するものであるとの認識があつたと思われる」と判示して第一審の有罪判決を支持した。上告趣意は、原判決の認定は前科による犯罪事実の認定であり、大審院の判例に違反すると言って破棄を求めた。最高裁は、引用の大審院判例は「事案を異にし本件に適切でな[い]」と言って上告を退けたが、次のような説明を付け加えた。
「犯罪の客観的要素が他の証拠によって認められる本件事案の下において、被告人の詐欺の故意の如き犯罪の主観的要素を、被告人の同種前科の内容によって認定した原判決に所論の違法は認められない。」
この説示は、前科による有罪認定禁止に対する例外として、意図や計画性を認定する場合には前科を使用することが許されることを指摘したものであろう。昭和15年判決(結婚詐欺事件)ほどには明確ではないが、その趣旨は同じところにある。
要するに、わが国には100年近く前から他罪証拠や悪性格によって被告人の有罪を認定してはならないというルールが確立しているのである。大審院が明文の規定のないところから、その英知によってこのルールを築き上げ守り抜いてきたことは称賛に値する。そして、出発点となった大正7年判決の上告趣意や例外を宣言したその後の判例の内容からもわかるように、このルールは英米のコモンローが長年にわたって形成してきた性格証拠の法理をわが国に輸入し定着させようとするものであることは疑いない[5]。本件は、他罪証拠たる前科による犯人性の認定という新しい課題を最高裁判所に提供するものである。この課題自体、コモンローの性格証拠の法理の一適用場面である。したがって、ここでコモンローの性格証拠の法理を参照することは理にかなったことである。本件において最高裁判所が提示するルールは今後100年間にわたってわが国の刑事裁判で適用されるにふさわしいものでなければならない。その場の思いつきや便宜によってルールを作るべきではない。確かな根拠と説得力のあるルールを提示するためには、数百年にわたって営々としてこの法理を築き上げられてきた先人の英知に学ぶことが必要である。
【続く】
昭和2年(1927年)の大審院判例はつぎのようなものである。殺人予備と銃砲火薬類取締法施行規則違反(戎器携帯)事件の被告人の予審調書に「自分は3回賭博罪に処せられたる身」であるとの記載があり、それが有罪の証拠説明に記載されていた。これが採証法則に反するとして上告された。大審院は次のように述べた。
「元来前科ナルモノハ被告人ハ曾テ犯罪ニ依リ刑罰ニ処セラレタリト云フ過去ニ於ケル被告人性行ノ一端ヲ示スニ止マリ其ノ後ニ生シタル犯罪事実トハ何等関渉スルトコロナキモノナルカ故ニ被告人ニ前科アルノ事実カ証明セラレタル場合ニ於テモ其ノ事実ハ公訴ノ目的タル犯罪行為ノ成立ヲ断定スルニハ適当ナラサルモノナリトス従テ斯ル前科ヲ採リテ犯罪事実証明ノ資料ニ供シタリトセハ採証ノ法則ニ違反スルモノト云ハサルヲ得ス」
大審院はこのように前科を採用したこと自体を違法と断じた。しかし、この事案においては他の証拠で被告人の公訴事実が具体的詳細に証明されているので、証拠説明に瑕疵があったとしても判決に影響を及ぼさないとして上告を棄却したのである(大判昭2・9・3新聞2750-9)。
この二つの先例によって、前科は公訴事実認定の証拠たりえないとのルールは確立したと言える。その後の判例はこのルールが存在することを前提に、その例外が認められるか――どのような場合に前科は証拠能力を持つのか――という問題を論じるのである。
大審院昭和4年11月16日判決(刑集8-568)は「前科」というよりも被告人の暴力的な「性行経歴」の証拠能力を直接問題とした判例である。配下の者と共謀して公共工事の入札会場に乗り込んで、入札関係者に「自分ハ嘗テ喧嘩シタルコトモアリ又人ヲ斬リタルコトモアリ場合ニ依リテハ警察ヲ向フニ廻シテモ引ケヲ取ラヌ」などと脅迫して、「弁当代」などの名目で金員を要求し、「之ニ應セサレハ同人等ノ身體ニ危害ヲ加ヘントスルカ如キ態度ヲ示シ」て被害者らを畏怖せしめて金員を恐喝したというのが公訴事実である。原判決は、被告人が「常ニ配下ヲ擁シテ暴威ヲ逞フシ工事請負入札場ニ出入シテハ其ノ威力ヲ以テ入札關係人ヨリ金員ヲ強要シ痛ク世人ニ畏怖嫌厭セラレ居リ」という「性行経歴」を有することを認定したうえで、これをも参酌して有罪を認定したと説明した。これに対して上告趣意は、被告人の性行経歴等は抽象的な事実に過ぎないのであって、刑の量定の資料となることはあっても、性行経歴に基づいて犯罪事実を認定することは許されないと言って破棄を求めた。
大審院は、まず、被告人の性行経歴に基づいて犯罪事実を認定することは許されないという原則を述べる。
「犯人ノ性行經歴ハ之ニ依據シテ其ノ者ノ犯罪行爲ヲ認定スルノ資料ト爲スヲ許スヘキモノニアラス……之一ニ其ノ性行經歴ト犯罪行爲トノ間ニ何等交渉スル所ナキカ爲ニ外ナラサルヤ勿論ナリ」
こう述べたうえで、大審院は、性行経歴と公訴事実が「交渉スル場合」は別だという。
「犯人ノ性行經歴ト犯罪行爲トカ交渉スル場合ニ在リテハ決シテ敍上一般普通ノ事理ニ拘ハルヘキモノニアラスシテ其ノ犯罪ト交渉ヲ有スル限度ニ於テ證據ニ依リ認定セラルル性行經歴モ之ヲ亦當該犯罪認定ノ資料ト爲スヲ妨ケス」
大審院は、この事件においては「被告人等ノ世間周知ノ兇暴ナル性行」を被害者に示すという行為が恐喝行為の一端をなしていることから、被告人の性行経歴と犯罪行為とが「交渉スル場合」に当るとして、上告を棄却したのである。この判例は、後に指摘するように、前科に限定せずに、一般的に性格証拠禁止の法理を宣言したわが国最初の判例である。それと同時に、性格証拠禁止の例外の一つとして、性格それ自体が訴因の一部となっている場合には性格が許容されることを宣言したという点でも重要である。
大審院の判例の中には、このような性格証拠禁止のルールに対する例外としてではなく、そもそも前科による有罪認定ではないと言って上告を棄却するものもある。大審院昭和14年3月25日判決(大審院判決全集6-14-43)は、飲酒中に口論となり、小刀で喉を刺して出血死させたという傷害致死事件である。被告人は、留吉(被害者)が「此馬鹿野郎外ヘ出ロ」と言って外に出た後しばらく残って焼酎を飲み終え、もう留吉はいないだろうと思って小刀を持って表に出たところ、留吉が背後から飛びかかって来て、自分もろともよろけてその際に小刀が留吉の喉に刺さってしまったのであり、傷害に当らないと言って争った。原判決は事実説明の冒頭に「被告人ハ曩ニ其ノ妻ヲ殴打死ニ到ラシメタル為大正九年六月十四日千葉地方裁判所ニ於テ傷害致死罪ニ依リ懲役五年ニ処セラレタルコトアリ其ノ後昭和四年三月中八日市場区裁判所ニ於テ恐喝未遂罪ニ依リ懲役六月ニ昭和十一年八月三日同裁判所ニ於テ傷害罪ニ依リ罰金四十円ニ各処セラレタル等ノ素行経歴ヲ有スルモノナルトコロ」と判示した。上告審において、弁護人は、この説示は前科によって公訴事実を認定するものであると主張して破棄を求めた。大審院はここでも前科による犯罪事実の認定は許されないという原則をまず確認する。
「被告人ニ前科アリト云フカ如キ事実ハ……本来其ノ後ニ生シタル犯罪行為ト何等ノ関渉ナキ過去ノ事項ニ属スルヲ以テ被告人ニ前科アルノ事実カ証明セラレタル場合ニ於テモ其ノ事実ニ依リ公訴ノ目的タル犯罪行為ノ成立ヲ断定スルカ如キコトハ適当ノ措置ナリト為スヲ得サルヤ言ヲ俟タサルトコロナル」
しかし、これに続けて、大審院は、本件の場合は前科によって犯罪行為を認定しているのではなく、「単ニ被告人ノ性行経歴ノ一端ヲ叙スル」ものに過ぎずないと述べて、上告を棄却した。
「単ニ被告人ノ性行経歴ノ一端ヲ叙スルカ為前科アル事実ヲ判示スルカ如キコトハ固ヨリ法ノ禁止スルトコロニアラサルモノト云ワサルヘカラス原判決ニ依レハ判示犯罪事実ハ其ノ挙示セル証拠ニ依リ優ニ証明サラレテ間然スルトコロナク唯其ノ冒頭ニ於テ所論ノ如ク被告人又造ニ前科アルノ事実ヲ説示シアルモ之単ニ同被告人ノ性行経歴ノ一端ヲ掲ケタルニ止マリ斯ル事実ヲ採テ以テ判示犯罪事実認定ノ一資料ニ供シタルモノニ非サルコト原判文ヲ通読シテ容易ニ之ヲ了解シ得へク……。」
後に検討するように、英米コモンローの性格証拠の法理によれば、前科(他罪証拠)による有罪認定の禁止に対する例外の一つとして、意図や計画性の立証あるいは事故や不可抗力の主張に対する反証のためには前科(他罪証拠)を利用することが許される。この例外を適用したと考えられる大審院判例がある。大審院昭和15年3月19日判決(大審院判決全集7-12-26)がそれである。被告人は、資産家であると偽って結婚の意思もないのに結婚相談所を通じて女性に結婚を申し込み、返済の意思もないのにあるように装って、女性から事業資金として5000円を騙取したという詐欺の事実で起訴された。これに対して、被告人は、金銭を受け取った事実は認めるが、詐欺の意思を否認し、結婚の意思もあったし返済の意思もあった、騙し取るつもりはなかったと主張した。原判決は、被告人自身が供述する同種の結婚詐欺の前科を証拠として援用した。すなわち「自分ハ曾テ婦女ヨリ金品ヲ騙取スルコト等ニ依リ数回前科ヲ重ネタルカ昭和二年東京控訴院ニ於テ処分セラレタル前科ハ自分カ帝大ノ文学博士ナリト云ヒ或ハ恩賜ノ時計ヲ貰ヒタルカ如キコトヲ申シテ結婚スルト称シ五六人ノ婦人ヨリ金ヲ巻キ上ケタル事案ナリ次ノ前科ハ伊豆長岡ニ転地静養中看護婦ヲ引掛ケ金ヲ取リタル事案次ノ前科ハ喜多キヨカト一緒ニナリオル中自分カ医学博士池田ト偽名シ診療所ヲ開設シ次カラ次ヘト沢山ノ婦人ト関係シ女学校ノ先生ヲナシタル婦人ト一緒ニナリ金ヲ巻キ上ケタル事案ナリ」というものである。弁護人は上告趣意のなかで大正7年判決を引用して、前科による犯罪事実の認定であって採証法則に違反すると言った。しかし、大審院は次のように説示してこの主張を退けた。
「公訴事実ニ全然交渉ナキ単ニ前科アルノ故ヲ以テ公訴事実ヲ認定スルコトノ不法ナルハ論ヲ俟タサルトコロナリト雖被告人ノ性行経歴ニシテ其ノ犯行ト脈略交渉アリト解セラルルニ於テハ犯人カ斯クノ如キ性行経歴ヲ有スルモノナリト証拠ニ依リテ説示シ当該犯罪認定ノ資料ト為スニハ何等ノ妨ケアルコトナシ然リ而シテ原判決引用ニ係ル所論事項ハ被告人ニ前科アリトノ事実即チ単ナル受刑事項ノミヲ罪証ニ供シタルニ非スシテ原判示犯行ニ脈略交渉アリト認ムルニ難カラサル被告人ノ性行経歴ニ関スル原審公判廷ニ於ケル被告人ノ供述ヲ引用シタルモノト認ムルヲ正当トス従ツテ原判決ニハ採証上所論ノ如キ違法存スルコトナク論旨理由ナシ」
この事件でも大審院は前科による公訴事実の認定が原則として違法であることを確認したえで、本件は例外的に前科による認定が許される場合であると述べている。大審院は「犯行ニ脈略交渉アリト認ムルニ難カラサル」としか説明していないが、結婚詐欺の犯意を否認して結婚のつもりもあった返済するつもりもあったと主張する被告人に対して、同種の結婚詐欺の前科をもって反証して犯意を認定する場合であることは明らかであろう。
現行刑訴法は伝聞証拠や自白の許容性に関する幾つかの明文規定を設けたが、それ以外の証拠法のルールに関しては明文規定を設けなかった。いわゆる関連性の定義を定めた規定もないし、関連性のない証拠を排除する旨の規定もない。しかし、刑訴法295条1項の規定[3]などを根拠に、わが国においても法律的関連性を証拠能力の要件と考えるのが一般的である[4]。大審院が累次の判例を通じて確立した性格証拠の法理――なかんずく前科(他罪証拠)による公訴事実認定の禁止とその例外――を最高裁が変更したことはない。最高裁がこの問題を取り上げたのは次に掲げる2つの先例においてのみであるが、最高裁は大審院の遺産を引き継いだというべきである。
最初の先例は昭和28年の最高裁判決である。警察官である被告人が、逮捕した被疑者を取り調べる際に、頭髪を掴んで引張り、手拳で左目を殴打し、治療1週間の傷害を負わせたという特別公務員暴行陵虐の訴因である。訴訟の終盤になって、検察官は「被告人に暴行を加える習癖があることを立証するため」と言って、かつて被告人の取調べを受けたことのある者2人を証人申請した。弁護人は「類似事実の立証は裁判所に偏見又は予断を生ぜしめる」と述べて異議を唱えた。裁判所は「情状に関しての証拠として採用する」と宣言して、2人の証人(元被疑者)取り調べた。上告趣意は、この証人尋問は実質的に類似事実による悪性格立証を許したものであり、被告人の個人としての尊厳を犯し、かつ、予断偏見を抱き公平な裁判所ではなくなった裁判官によって行われた裁判であるから、憲法13条、37条1項に違反すると主張した。最高裁判所第3小法廷は次のように述べて、上告を退けた。
「第一審裁判所は、当事者双方に、要証事実に関する立証を一応尽さしめた後に、検察官の申請にかゝる所論の証人を、情状に関するものとして尋問しているのであつて、同裁判所も説示する如く、いわば要証事実に関する証拠調を終了し、量刑に関する諸般の情状を調査する手続上の段階において、右の如き証人尋問がなされたということができるのである。そして、所論証人尋問が、被告人に暴行の習癖のあることを立証せんとするにあつたとしても、それは勿論本件公訴事実の立証の為のものでなく、量刑に関する情状に関するものと認むべきであり、かかる証人尋問を、かかる手続上の段階において制限すべきいわれはないから、第一審の右の如き公判手続に所論の如き訴訟法の違反があるということはできない」(最3小判昭28・5・12刑集7-5-981)。
この判決が他罪証拠による公訴事実の認定は原則として禁じられるという大審院以来の法理を前提としていることは明らかであろう。そのうえで、この事件ではあくまでも「情状」として他罪証拠を受け入れただけであるから禁止のルールに抵触していないと言っているのである。
最高裁第3小法廷昭和41年11月22日決定(刑集20-9-1035)は、被告人が、「身寄りのない老人に対する社会福祉事業に対する寄付金」と偽って、寄付金名下に現金を騙取したという詐欺事件である。被告人は、社会福祉事業に使用すると言ったのではなく、社会福祉促進のために日蓮正宗の大御本尊様に祈念するので、その賛助金を求めたものであって、自己の祈念という宗教活動に対するお布施を求めたものであり、欺罔行為ではないと言って争った。原判決は被告人自身「本件と同様手段による詐欺罪により懲役刑に処せられ現在なお執行猶予中の身であり、本件犯行もその態様に照し詐欺罪を構成するものであるとの認識があつたと思われる」と判示して第一審の有罪判決を支持した。上告趣意は、原判決の認定は前科による犯罪事実の認定であり、大審院の判例に違反すると言って破棄を求めた。最高裁は、引用の大審院判例は「事案を異にし本件に適切でな[い]」と言って上告を退けたが、次のような説明を付け加えた。
「犯罪の客観的要素が他の証拠によって認められる本件事案の下において、被告人の詐欺の故意の如き犯罪の主観的要素を、被告人の同種前科の内容によって認定した原判決に所論の違法は認められない。」
この説示は、前科による有罪認定禁止に対する例外として、意図や計画性を認定する場合には前科を使用することが許されることを指摘したものであろう。昭和15年判決(結婚詐欺事件)ほどには明確ではないが、その趣旨は同じところにある。
要するに、わが国には100年近く前から他罪証拠や悪性格によって被告人の有罪を認定してはならないというルールが確立しているのである。大審院が明文の規定のないところから、その英知によってこのルールを築き上げ守り抜いてきたことは称賛に値する。そして、出発点となった大正7年判決の上告趣意や例外を宣言したその後の判例の内容からもわかるように、このルールは英米のコモンローが長年にわたって形成してきた性格証拠の法理をわが国に輸入し定着させようとするものであることは疑いない[5]。本件は、他罪証拠たる前科による犯人性の認定という新しい課題を最高裁判所に提供するものである。この課題自体、コモンローの性格証拠の法理の一適用場面である。したがって、ここでコモンローの性格証拠の法理を参照することは理にかなったことである。本件において最高裁判所が提示するルールは今後100年間にわたってわが国の刑事裁判で適用されるにふさわしいものでなければならない。その場の思いつきや便宜によってルールを作るべきではない。確かな根拠と説得力のあるルールを提示するためには、数百年にわたって営々としてこの法理を築き上げられてきた先人の英知に学ぶことが必要である。
【続く】
[筆者注:これは最高裁判所第2小法廷平成24年9月7日判決の上告趣意書である。]
平成21年9月8日午前11時50分ころ、東京都葛飾区金町の住宅地にある木造2階建てアパート「後藤荘」1階101号室金子ヨシエ方から煙が出ているのを近所の住民が発見し、119番通報した。数分後に駆け付けた消防団員が消火器で鎮火した。居間の中央部のカーペット付近の床約1.1平方メートルが焼けた。そこには石油ストーブの給油カートリッジが放置され、焼けた床から灯油の成分が検出された。また、台所の食器棚に保管されていたカップ麺がなくなり、トイレの棚からカップ麺の空の容器が発見された。ごみ入れとして利用していた台所の紙袋からは使用済みの割りばしが見つかった。寝室のボックスに乗せておいた500円玉2つがなくなっていたが、それ以外に盗まれたものは何もなかった。
被告人OK氏は、その2週間後9月21日に別件の窃盗容疑で逮捕され、以後多数の余罪を告白する上申書を警察に提出した。しかし、後藤荘の窃盗や放火を告白することはなった。O氏は12月18日窃盗事件により有罪判決を受けた。そして、平成22年1月12日に警察にDNAサンプルを提出したところ、後藤荘で発見されたカップ麺容器や割りばしから検出されたDNA型と一致した。2月16日O氏は住居侵入、窃盗及び現住建造物放火の容疑で再逮捕された。O氏は金子方に侵入して500円硬貨2枚とカップ麺を盗んだことを認めたものの、当日午前7時台には現場を立ち去った、放火はしていないと言った。O氏は3月9日、住居侵入、窃盗及び現住建造物放火の訴因で起訴された。
東京地方裁判所刑事第1部はこれらの事件と別の窃盗事件を併合した。O氏は放火以外の訴因は全て認めた。放火については自分はやっていないと述べた。7回の公判前整理手続期日を経て、平成22年7月5日から7日まで裁判員裁判による公判審理が行われた。公判での唯一の争点はO氏が後藤荘に放火をしたかどうかであった。検察官は、O氏が本件放火の犯人であることを証明する証拠として、彼の放火の前科に関する証拠の取調べを請求した。O氏は、本件の17年以上前、平成4年3月から6月にかけて合計11件の放火を行い、平成6年4月に懲役15年の有罪判決を受けていた。これら11件の放火は全て灯油を散布して行われている。10件は侵入した室内に灯油を撒いたものである。うち7件は侵入した居宅内にあった灯油を利用したものであり、そのうち3件は灯油カートリッジをストーブから取り出して中の灯油を散布して着火したものである。また、その主たる動機として、盗みをしようとしたが「思ったように現金を手に入れることができなかったり、狙った室内に入ることができなかったことなどに腹を立て、そのうっぷん晴らしのため」と認定されている(釧路地裁刑事部平成6年4月13日判決・第1審乙11、記録120頁)。検察官は、本件放火の手口と前科の放火の手口は極めて酷似しているのであり、このような場合には前科による有罪の立証は許されると主張した。そうして、前科の放火を立証するために、確定判決(乙11)のほか、当時のO氏の自白調書16通(乙4、23~37)を請求した。また、本件放火が特殊なものであることを証明するために、放火捜査のベテラン警察官で「技能伝承官」の称号をもつ菅野一夫警部(人5)を証人申請した。弁護人は、前科と本件の放火の手口はいずれも特殊なものではなく、前科による有罪の立証は許されないとして異議を述べた。裁判所は、「被告人の前科である放火と本件放火は、いずれも特殊な手段、方法によりなされたものと言えず、被告人の前科の立証を通じて被告人の犯人性を立証することが許される例外的な場合には当たらない」として(記録44頁)、これらの証拠請求をいずれも却下した。但し、前科の判決謄本(乙11)については、「情状の立証に限って」と断ったうえで採用した(記録140頁)[1]。第1審裁判所は、住居侵入と窃盗について有罪としてO氏に1年6カ月の懲役刑を言い渡した。しかし、被告人が本件放火の犯人であるとするには「合理的な疑問が残る」と判断した(記録118~119頁)。
検察官は、前科の判決謄本、自白調書そして菅野証人を却下した1審裁判所の措置は違法であるとして控訴した。控訴審である東京高等裁判所第8刑事部は、O氏の前科の放火と本件放火との間には「固着化した」「特徴的な」類似性があり、このような場合には前科による本件放火の立証は許されるとした。原判決は、まず、前科と本件放火の手段方法の類似性について、こう述べた。
「前刑放火の大半(10件)と本件放火は、侵入した居室内において灯油を散布して行われるという、その犯行の手段方法に類似性が認められる。そのような手段方法で放火をすることは、住宅への放火という類型の一部分に限定される上、前刑放火においては、そのような手段方法が繰り返され、その行動傾向が固着化していると認められ、それらが、本件放火との間の犯行の手段方法についての類似性をより特徴的なものにしているということができる」(5~6頁。強調は引用者)。
さらに、原判決は前科と本件放火とのあいだにはその「契機」において類似性があるという。
「前刑放火のいずれもが、窃盗を試みて欲するような金品が得られなかったことに対する腹立ちを解消することを主な動機としており、そのうっぷん晴らしのために他人の住宅への放火を繰り返すという、窃盗から放火の犯行に至る契機の点で、前刑放火における行動傾向が固着化していると認められる。他方、本件放火と接着した時間帯に、被告人がその犯行場所に侵入して窃盗を行ったことについては争いがなく、同窃盗の被害品は500円硬貨2枚とカップ麺1個にとどまっており、被告人を満足させるものであったとは伺われないことからして、その腹いせに被告人が本件放火に及んだ可能性が考えられる。そうすると、前刑放火と本件放火とは、窃盗から放火の犯行に至る契機の点においても、類似性があると認められる。そして、この点に関する前刑放火の行動傾向が固着化していることが、その類似性をより特徴的なものにしているということができる」(6頁。強調は引用者)。
このように、前刑放火と本件放火との間には、犯行の手段方法と犯行にいたる契機においていずれも被告人の「固着化した」行動傾向に根差した「特徴的な類似性」があるので、前科関係証拠のうち、「犯行に至る契機、犯行の手段方法に関するもの」は、前刑放火と本件放火の犯人の同一性を立証する証拠として関連性がある、と原判決は述べる。原判決の結論は次のようなものである。
1)判決謄本については、本件放火と特徴的な類似性のある「契機」と「手段方法」に関する事実を認定したものであるから、関連性が認められる。したがって、その取調べ請求を却下した原審の措置は違法である。
2)供述調書については、「契機」と「手段方法」に関する部分は関連性が認められるが、それ以外の部分は関連性がない。関連性が認められる部分を特定できるような審理を行わずに、全部却下したことは違法である。
3)菅野証人については、同一性の判断は「他の間接事実と共に、前刑放火と本件放火の各犯行に至る契機、各犯行の手段方法を比較検討することにより判断されるべきであり、同証人のような、専門的な知見(その内容は、科学的な手法による分析ではなく、多くの捜査を手がけた者による経験的な判断にとどまるものである)に基づく本件放火の特徴を説明する証拠を取り調べることは、相当でないというべきである」(11頁)。したがって、同証人申請を却下した原審の措置に違法はない。
原判決は、判決謄本と供述調書を全部却下した1審裁判所の措置は判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反にあたるとして、1審判決を破棄して本件を東京地裁に差し戻すと判決した。
しかし、O氏の放火前科の法律的関連性を肯定した原判決の判断は誤りである。放火前科の法律的関連性を否定し、判決謄本や供述調書の許容性を否定した第1審裁判所の判断は正しい。
O氏の放火の前科を本件放火の犯人性を認定する証拠として許容できるとした原判決の判断は、性格証拠禁止の法理に関するわが国最終審裁判所(大審院及び最高裁判所)の判例に違反する。また、その判断は、前科のある刑事被告人に予断偏見をもつ事実認定者によって裁判を受けることを強要するものであり、前科者に対して不十分な証拠で有罪判決が下される危険をもたらすものであって、彼らの公平な裁判所による公正な審理を受ける権利(日本国憲法37条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項)を侵害するものである。
1 大審院及び最高裁の判例の概観
明治刑事訴訟法(明治23年法律第96号)にも、大正刑事訴訟法(大正11年法律第75号)にも、証拠の許容性に関するルールを定めた規定はない。明治刑訴法は「……諸般ノ証憑ハ判事ノ判断ニ任ス」(90条)として、証拠の採否もその評価も挙げて裁判官の自由裁量に委ねる趣旨を明言していた。大正刑訴法は「証拠ノ証明力ハ判事ノ自由ナル判断ニ任ス」(337条)として、裁判官の自由裁量の範囲を「証拠ノ証明力」すなわち証拠の評価に限定した。しかし証拠の許容性――何が証拠となり、何がならないか――に関する規定はやはり定めなかった。このように、法律の規定上は、裁判官はどのようなものでも自由に証拠として採用してもかまわないかのような体裁になっていた。しかし、実務はそのようなものではなかった。大審院は、明治刑訴の時代から、証拠となり得るものとなり得ないものとの区別があり、証拠となり得ないものを採用することは違法な手続であり、その違法は有罪判決破毀の理由となることを繰り返し宣言してきた[2]。
被告人の前科は公訴事実たる犯罪の証拠にはならないという原則は、すでに明治刑訴法の時代に大審院の判例となっている。大正7年(1918年)5月24日大審院判決(刑録24-647)は、2人の被告人が会社の事務室内で同僚を殴ってけがをさせたという傷害被告事件についての判例である。原審は、過去に複数回にわたって傷害で有罪判決を受け服役したことがある旨の1名の被告人の公判供述ともう1人の被告人の前科調書の記載を引用して有罪を認定した。これに対して弁護人は次のような上告趣意を述べた。
「前科ハ前科ニシテ直チニ犯罪ヲ証明スルモノニアラス而テ前科ヲ以テ犯罪事実ノ証明資料ト為スハ刑事訴訟法ノ許ササルトコロナリト思料ス之ヲ証拠法ノ沿革ニ徴スルモ品行若クハ前科ヲ以テ有罪ヲ推測スルノ危険ヲ解カサルモノナシ英国ノ如キハ品行ノ証明ヲ許スハ被告人ノ利益ヲ保護スル慈善心ニ出テタルモノト為シ多年ノ慣例ハ或場合ヲ除クノ外被告人ノ善意ヲ証明スル場合ニ於テノミ之ヲ許セルニ過キス原判決カ前記(一)[被告人の供述](九)[前科調書]ヲ以テ犯罪ノ証料ニ供シタルハ採証ノ法規ニ悖ル甚シキモノト信ス」
大審院はこの上告趣意を認めて、原判決を破棄して事件を原審に差し戻した。
「按スルニ刑事訴訟法ハ証拠ノ種類ヲ限定セスト雖モ証拠ノ実質カ一定ノ犯罪事実ヲ認定スルニ適当ナラサルモノハ之ヲ判断ノ資料ニ供スルヲ得ス今前科ニ付テ之ヲ観ルニ前科ハ其後ニ生シタル犯罪行為ト何等関渉スル所ナク全然過去ノ事実ニ属スルヲ以テ被告カ前科ヲ有スルノ事実証明セラレタル場合ニ其事実ハ或ハ再犯加重ノ原因トナリ或ハ被告ノ性行ヲ判断シ刑ノ量定ヲ左右スル根拠トナリ或ハ賭博罪ニ於テハ被告カ賭博常習者タル身分ヲ有スルヤ否ヤヲ判断スル資料トナリ得ヘケンモ公訴ノ目的タル犯罪行為ノ成立ヲ断定スルニ付テハ適当ナラス故ニ事実裁判所カ前科ニ関スル証拠ノミニ依リタル場合ハ勿論之ヲ他ノ証拠ト綜合シタルトキト雖モ苟モ該証拠ヲ援用シ犯罪ノ成立ヲ認定シタル以上ハ其判決ハ採証ニ違法アルモノトシテ破毀ヲ免レス原判決ハ被告卯之助ノ原審公廷ニ於ル同人カ前科ヲ有スル旨ノ供述及ヒ被告友雄ニ対スル前科調書ヲ援用シ之ヲ他ノ証拠ト綜合シテ被告等カ共同シテ前川謙三外一名ヲ殴打シタル事実ヲ認定シタルモノナレハ叙上ノ理由ニ依リ破棄スヘキモノトス論旨ハ理由アリ」
【続く】
はじめに
平成21年9月8日午前11時50分ころ、東京都葛飾区金町の住宅地にある木造2階建てアパート「後藤荘」1階101号室金子ヨシエ方から煙が出ているのを近所の住民が発見し、119番通報した。数分後に駆け付けた消防団員が消火器で鎮火した。居間の中央部のカーペット付近の床約1.1平方メートルが焼けた。そこには石油ストーブの給油カートリッジが放置され、焼けた床から灯油の成分が検出された。また、台所の食器棚に保管されていたカップ麺がなくなり、トイレの棚からカップ麺の空の容器が発見された。ごみ入れとして利用していた台所の紙袋からは使用済みの割りばしが見つかった。寝室のボックスに乗せておいた500円玉2つがなくなっていたが、それ以外に盗まれたものは何もなかった。
被告人OK氏は、その2週間後9月21日に別件の窃盗容疑で逮捕され、以後多数の余罪を告白する上申書を警察に提出した。しかし、後藤荘の窃盗や放火を告白することはなった。O氏は12月18日窃盗事件により有罪判決を受けた。そして、平成22年1月12日に警察にDNAサンプルを提出したところ、後藤荘で発見されたカップ麺容器や割りばしから検出されたDNA型と一致した。2月16日O氏は住居侵入、窃盗及び現住建造物放火の容疑で再逮捕された。O氏は金子方に侵入して500円硬貨2枚とカップ麺を盗んだことを認めたものの、当日午前7時台には現場を立ち去った、放火はしていないと言った。O氏は3月9日、住居侵入、窃盗及び現住建造物放火の訴因で起訴された。
東京地方裁判所刑事第1部はこれらの事件と別の窃盗事件を併合した。O氏は放火以外の訴因は全て認めた。放火については自分はやっていないと述べた。7回の公判前整理手続期日を経て、平成22年7月5日から7日まで裁判員裁判による公判審理が行われた。公判での唯一の争点はO氏が後藤荘に放火をしたかどうかであった。検察官は、O氏が本件放火の犯人であることを証明する証拠として、彼の放火の前科に関する証拠の取調べを請求した。O氏は、本件の17年以上前、平成4年3月から6月にかけて合計11件の放火を行い、平成6年4月に懲役15年の有罪判決を受けていた。これら11件の放火は全て灯油を散布して行われている。10件は侵入した室内に灯油を撒いたものである。うち7件は侵入した居宅内にあった灯油を利用したものであり、そのうち3件は灯油カートリッジをストーブから取り出して中の灯油を散布して着火したものである。また、その主たる動機として、盗みをしようとしたが「思ったように現金を手に入れることができなかったり、狙った室内に入ることができなかったことなどに腹を立て、そのうっぷん晴らしのため」と認定されている(釧路地裁刑事部平成6年4月13日判決・第1審乙11、記録120頁)。検察官は、本件放火の手口と前科の放火の手口は極めて酷似しているのであり、このような場合には前科による有罪の立証は許されると主張した。そうして、前科の放火を立証するために、確定判決(乙11)のほか、当時のO氏の自白調書16通(乙4、23~37)を請求した。また、本件放火が特殊なものであることを証明するために、放火捜査のベテラン警察官で「技能伝承官」の称号をもつ菅野一夫警部(人5)を証人申請した。弁護人は、前科と本件の放火の手口はいずれも特殊なものではなく、前科による有罪の立証は許されないとして異議を述べた。裁判所は、「被告人の前科である放火と本件放火は、いずれも特殊な手段、方法によりなされたものと言えず、被告人の前科の立証を通じて被告人の犯人性を立証することが許される例外的な場合には当たらない」として(記録44頁)、これらの証拠請求をいずれも却下した。但し、前科の判決謄本(乙11)については、「情状の立証に限って」と断ったうえで採用した(記録140頁)[1]。第1審裁判所は、住居侵入と窃盗について有罪としてO氏に1年6カ月の懲役刑を言い渡した。しかし、被告人が本件放火の犯人であるとするには「合理的な疑問が残る」と判断した(記録118~119頁)。
検察官は、前科の判決謄本、自白調書そして菅野証人を却下した1審裁判所の措置は違法であるとして控訴した。控訴審である東京高等裁判所第8刑事部は、O氏の前科の放火と本件放火との間には「固着化した」「特徴的な」類似性があり、このような場合には前科による本件放火の立証は許されるとした。原判決は、まず、前科と本件放火の手段方法の類似性について、こう述べた。
「前刑放火の大半(10件)と本件放火は、侵入した居室内において灯油を散布して行われるという、その犯行の手段方法に類似性が認められる。そのような手段方法で放火をすることは、住宅への放火という類型の一部分に限定される上、前刑放火においては、そのような手段方法が繰り返され、その行動傾向が固着化していると認められ、それらが、本件放火との間の犯行の手段方法についての類似性をより特徴的なものにしているということができる」(5~6頁。強調は引用者)。
さらに、原判決は前科と本件放火とのあいだにはその「契機」において類似性があるという。
「前刑放火のいずれもが、窃盗を試みて欲するような金品が得られなかったことに対する腹立ちを解消することを主な動機としており、そのうっぷん晴らしのために他人の住宅への放火を繰り返すという、窃盗から放火の犯行に至る契機の点で、前刑放火における行動傾向が固着化していると認められる。他方、本件放火と接着した時間帯に、被告人がその犯行場所に侵入して窃盗を行ったことについては争いがなく、同窃盗の被害品は500円硬貨2枚とカップ麺1個にとどまっており、被告人を満足させるものであったとは伺われないことからして、その腹いせに被告人が本件放火に及んだ可能性が考えられる。そうすると、前刑放火と本件放火とは、窃盗から放火の犯行に至る契機の点においても、類似性があると認められる。そして、この点に関する前刑放火の行動傾向が固着化していることが、その類似性をより特徴的なものにしているということができる」(6頁。強調は引用者)。
このように、前刑放火と本件放火との間には、犯行の手段方法と犯行にいたる契機においていずれも被告人の「固着化した」行動傾向に根差した「特徴的な類似性」があるので、前科関係証拠のうち、「犯行に至る契機、犯行の手段方法に関するもの」は、前刑放火と本件放火の犯人の同一性を立証する証拠として関連性がある、と原判決は述べる。原判決の結論は次のようなものである。
1)判決謄本については、本件放火と特徴的な類似性のある「契機」と「手段方法」に関する事実を認定したものであるから、関連性が認められる。したがって、その取調べ請求を却下した原審の措置は違法である。
2)供述調書については、「契機」と「手段方法」に関する部分は関連性が認められるが、それ以外の部分は関連性がない。関連性が認められる部分を特定できるような審理を行わずに、全部却下したことは違法である。
3)菅野証人については、同一性の判断は「他の間接事実と共に、前刑放火と本件放火の各犯行に至る契機、各犯行の手段方法を比較検討することにより判断されるべきであり、同証人のような、専門的な知見(その内容は、科学的な手法による分析ではなく、多くの捜査を手がけた者による経験的な判断にとどまるものである)に基づく本件放火の特徴を説明する証拠を取り調べることは、相当でないというべきである」(11頁)。したがって、同証人申請を却下した原審の措置に違法はない。
原判決は、判決謄本と供述調書を全部却下した1審裁判所の措置は判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反にあたるとして、1審判決を破棄して本件を東京地裁に差し戻すと判決した。
しかし、O氏の放火前科の法律的関連性を肯定した原判決の判断は誤りである。放火前科の法律的関連性を否定し、判決謄本や供述調書の許容性を否定した第1審裁判所の判断は正しい。
上告趣意第1:犯人性認定のために類似前科を許容したこと
O氏の放火の前科を本件放火の犯人性を認定する証拠として許容できるとした原判決の判断は、性格証拠禁止の法理に関するわが国最終審裁判所(大審院及び最高裁判所)の判例に違反する。また、その判断は、前科のある刑事被告人に予断偏見をもつ事実認定者によって裁判を受けることを強要するものであり、前科者に対して不十分な証拠で有罪判決が下される危険をもたらすものであって、彼らの公平な裁判所による公正な審理を受ける権利(日本国憲法37条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条1項)を侵害するものである。
1 大審院及び最高裁の判例の概観
明治刑事訴訟法(明治23年法律第96号)にも、大正刑事訴訟法(大正11年法律第75号)にも、証拠の許容性に関するルールを定めた規定はない。明治刑訴法は「……諸般ノ証憑ハ判事ノ判断ニ任ス」(90条)として、証拠の採否もその評価も挙げて裁判官の自由裁量に委ねる趣旨を明言していた。大正刑訴法は「証拠ノ証明力ハ判事ノ自由ナル判断ニ任ス」(337条)として、裁判官の自由裁量の範囲を「証拠ノ証明力」すなわち証拠の評価に限定した。しかし証拠の許容性――何が証拠となり、何がならないか――に関する規定はやはり定めなかった。このように、法律の規定上は、裁判官はどのようなものでも自由に証拠として採用してもかまわないかのような体裁になっていた。しかし、実務はそのようなものではなかった。大審院は、明治刑訴の時代から、証拠となり得るものとなり得ないものとの区別があり、証拠となり得ないものを採用することは違法な手続であり、その違法は有罪判決破毀の理由となることを繰り返し宣言してきた[2]。
被告人の前科は公訴事実たる犯罪の証拠にはならないという原則は、すでに明治刑訴法の時代に大審院の判例となっている。大正7年(1918年)5月24日大審院判決(刑録24-647)は、2人の被告人が会社の事務室内で同僚を殴ってけがをさせたという傷害被告事件についての判例である。原審は、過去に複数回にわたって傷害で有罪判決を受け服役したことがある旨の1名の被告人の公判供述ともう1人の被告人の前科調書の記載を引用して有罪を認定した。これに対して弁護人は次のような上告趣意を述べた。
「前科ハ前科ニシテ直チニ犯罪ヲ証明スルモノニアラス而テ前科ヲ以テ犯罪事実ノ証明資料ト為スハ刑事訴訟法ノ許ササルトコロナリト思料ス之ヲ証拠法ノ沿革ニ徴スルモ品行若クハ前科ヲ以テ有罪ヲ推測スルノ危険ヲ解カサルモノナシ英国ノ如キハ品行ノ証明ヲ許スハ被告人ノ利益ヲ保護スル慈善心ニ出テタルモノト為シ多年ノ慣例ハ或場合ヲ除クノ外被告人ノ善意ヲ証明スル場合ニ於テノミ之ヲ許セルニ過キス原判決カ前記(一)[被告人の供述](九)[前科調書]ヲ以テ犯罪ノ証料ニ供シタルハ採証ノ法規ニ悖ル甚シキモノト信ス」
大審院はこの上告趣意を認めて、原判決を破棄して事件を原審に差し戻した。
「按スルニ刑事訴訟法ハ証拠ノ種類ヲ限定セスト雖モ証拠ノ実質カ一定ノ犯罪事実ヲ認定スルニ適当ナラサルモノハ之ヲ判断ノ資料ニ供スルヲ得ス今前科ニ付テ之ヲ観ルニ前科ハ其後ニ生シタル犯罪行為ト何等関渉スル所ナク全然過去ノ事実ニ属スルヲ以テ被告カ前科ヲ有スルノ事実証明セラレタル場合ニ其事実ハ或ハ再犯加重ノ原因トナリ或ハ被告ノ性行ヲ判断シ刑ノ量定ヲ左右スル根拠トナリ或ハ賭博罪ニ於テハ被告カ賭博常習者タル身分ヲ有スルヤ否ヤヲ判断スル資料トナリ得ヘケンモ公訴ノ目的タル犯罪行為ノ成立ヲ断定スルニ付テハ適当ナラス故ニ事実裁判所カ前科ニ関スル証拠ノミニ依リタル場合ハ勿論之ヲ他ノ証拠ト綜合シタルトキト雖モ苟モ該証拠ヲ援用シ犯罪ノ成立ヲ認定シタル以上ハ其判決ハ採証ニ違法アルモノトシテ破毀ヲ免レス原判決ハ被告卯之助ノ原審公廷ニ於ル同人カ前科ヲ有スル旨ノ供述及ヒ被告友雄ニ対スル前科調書ヲ援用シ之ヲ他ノ証拠ト綜合シテ被告等カ共同シテ前川謙三外一名ヲ殴打シタル事実ヲ認定シタルモノナレハ叙上ノ理由ニ依リ破棄スヘキモノトス論旨ハ理由アリ」
【続く】
2012年01月06日
1月10日からさいたま地裁ではじまる木嶋佳苗さんに対する殺人事件の公判審理について、裁判員の在任期間――裁判員選任から判決言渡しまで――が100日もあることが話題になっている。マスコミは「裁判員100日の重圧」などと言って、裁判員の負担の重さを強調したり(日本経済新聞2012年1月6日朝刊、38頁)、選ばれなかった候補者にわざわざインタビューして「選ばれなくて良かった」というコメントを載せたりしている(毎日新聞同日朝刊、23頁)。しかし、この事件の公判審理の予定を見てみると、この「100日」というのはかなり水増しされた数字であることがわかる。
公判の開始(1月10日)から判決言渡し(4月13日)まで3ヶ月以上の期間があるのは確かである。しかし、裁判員が公判審理に参加するのは34日間に過ぎない。公判審理は毎日行われるのではなく、週に4日(月、火、水、金)であり、午前10時にはじまり午後5時までには終わる。午後3時前に終了する日もある。開廷日には1時間半の昼食休憩のほかに、随所に15分程度の休憩が入る。確かに証人の数は63人と多いが、1日に聴く証人の数は2、3人である。
戦前の陪審裁判では、公判は週6日連日ぶっ通しで行われた。開廷はだいたい午前9時であり、閉廷は早くて午後5時、午後8時を過ぎても尋問が行われることは珍しくなかった。1日に10人以上の証人を尋問することもあった。昭和3年に行われた東京地裁最初の陪審裁判(放火事件)では3日間の公判で28人の証人を尋問した(塚崎直義「寒子放火事件の陪審裁判」改造昭和4年2月号49頁;熊谷弘「新聞報道を通じてみた東京最初の陪審裁判」判例タイムズ229号50頁(1969))。4日目には被告人の予審調書が朗読され、同日の午後から検察官の論告と弁護人の弁論が行われた。その日の閉廷は午後9時30分だった(塚崎・前掲、52頁)。そして5日目、裁判長の説示と問書の朗読の後、直ちに陪審は評議に入り、同日午後4時30分に陪審は評議を終えて「然らず」の答申を提出した。続けて裁判長が「被告を無罪とす」と宣言した(同前)。昭和4年長崎地裁で行われた被告人8名被害者5名の殺人教唆、強盗殺人事件の陪審裁判でも、4日間で8人の被告人と21人の証人の尋問が行われた。5日目に双方の弁論と裁判長の説示が行われ、直ちに陪審は評議に入った。答申が出たのは、翌日の午前2時(!)であった(三浦順太郎『陪審裁判:松島五人斬事件之弁論』(藤木博英社1931)、33-34頁)。
こうした文字通りの「集中審理」に当時の陪審員(引き続き2年以上直接国税3円以上納め読み書きができる30歳以上の帝国臣民たる男子――陪審法12条)はどのように取り組んだのだろうか。次から次に登場する多数の証人への問いと答えをただ呆然と聞き流し、相矛盾し錯綜する証拠と争点の渦に飲み込まれ混沌の淵へと埋没していったのだろうか。断じてそんなことはない。当時の新聞報道などによれば、こうした過酷とも言える審理日程にもかかわらず、陪審員は熱心にそして積極的に審理に参加し、評議を行なっている。東京地裁第1号事件では、被告人の自白の任意性が問題になり、自白をとった駐在所の巡査が証人に呼ばれた。陪審員はこの巡査にこう質問した――「簡単に誘導尋問はしないとか、被告の云うところと違うと片付けてしまうけれども、被告の陳述の秩序立っているのに反し、それでは余りに物足らない。もっと吾々が成る程とうなづけるようには答弁できぬものか」(熊谷・前掲、54頁)。午後9時半まで続いた最終弁論のとき「陪審員は夕食を延期し空腹をこらへながらもノートを取る。其熱心さには満廷一人として感激せぬものはなかった」(塚崎・前掲、52頁)。さらに、裁判長の問書のなかに一部矛盾があるとして弁護人が訂正を求めたのに対して、裁判長が口頭で説明を加えただけで済まそうとすると、陪審員の一人(前出の陪審員とは別)は「説明付の問書では困る」としてあくまで訂正することを要求した(同前、55頁)。
戦前の徹底した集中審理と比較して、現代の裁判員裁判の公判審理は明らかに間延びしている。その審理日程はむやみに水増しされている。法律は「できるかぎり、連日開廷し、継続して審理を行わなければならない」と定めている(刑事訴訟法281条の6第1項)。それにもかかわらず、週5日連日開廷されることはまずない。木嶋事件では週4日開廷されるが、週3日しか開廷しない例すらある。そして、証人尋問が終わっても直ちに最終弁論が行われないし、最終弁論から判決までの期間――つまり評議の時間と判決書作成の時間――があらかじめ定められている。木嶋事件では、証人尋問から最終弁論まで10日間の空白があるし、最終弁論から判決まで1ヶ月(!)も間が開いている。証人尋問が終わったら直ちに最終弁論を行い、最終弁論が終わったら直ちに評議を行い、評議が整ったら直ちに答申そして判決宣告を行った戦前の陪審裁判とは、ここが最も違うところである。
なぜ、最終弁論の前に10日も時間をとり、判決の前に1ヶ月も空白を設ける必要があるのだろうか?これは「裁判員の負担の軽減」という理屈では説明がつかない。この冗長な幕間は決して裁判員のためにあるのではない。こんなに長い間何もしないで待たされているというのは、社会人にとってひどく迷惑な話だ。戦前の市民は被告人8人・被害者5人の殺人教唆及び強盗殺人事件の評決を17時間の評議で達成した(三浦・前掲、34頁)。どうして現代の市民が3人の被害者の殺人事件の評議を1ヶ月もかけてやる必要があろうか。この長大なる時間は決して裁判員のためにあるのではない。この長々しい空白は法律家と裁判官のためにあるのである。かれらの無能に市民が付き合わされているのである。
陪審法が停止され、戦争が終わり、新しい刑事訴訟法による刑事裁判がはじまって、時が経つにつれて、日本の公判審理はどんどん間延びしていった。証人尋問の期日の間隔が1日空き、5日空き、ついには1ヶ月以上も間が空くようになった。そして、審理が終結するまで何年もかかるようになった。そうすると、法律家はだれがどのような証言をしたのか記憶がなくなり、証言録を読んで文章を書かなければ最終弁論をすることすらできなくなってしまった。裁判官も、長い審理の間に、当然記憶がなくなるし、ときには転勤によって裁判官が交代することも珍しくなくなった。そうすると、裁判官は訴訟記録を読んで判決文を書く以外に判決言渡をすることができなくなった。法律の上では判決は口頭で言い渡せば良いことになっている(刑事訴訟法342条)。しかし、現代の裁判官は口頭だけで判決の理由を説明する能力がない。例外なく、宣告前に判決文を作成してそれを朗読する。戦後の司法研修所の教育は、事件記録を読んで最終弁論を書いたり判決文を書いたりする訓練ばかりするようになった。こうして、日本の法律家や裁判官は、生の証言を聞いて直ちにその場で弁論をする能力や、その弁論を聞いて評議をして口頭で判決を言い渡すという能力を失ってしまったのである。ガラパゴス諸島の動物が独自の進化を遂げたように、日本の法曹は書類を読んで書類を作成し書類を読み上げるという書類に特化した独自の進化を遂げたのである。それと引き換えに、光のない深海や洞窟の奥に生きる動物が視力を失ったように、彼らは、生の証言を聞いて口頭で弁論をし、口頭弁論を聞いてすぐに評議して口頭で判決宣告するという能力――口頭弁論能力あるいは法廷技術――を退化させてしまったのである。
木嶋事件の裁判員が100日間も裁判員をやらなければならないのは、要するに、現代の法律家と裁判官の都合によるのである。法律家と裁判官が80年前と同程度の能力をもっていたならば、裁判員たちは――戦前の陪審員たちと同じように――集中的に熱心にそして積極的に公判審理に取り組み、この事件を遅くとも数週間以内に判決に導くことができたであろう。現代の裁判員が戦前の陪審員と比較して、その能力や熱意において劣っているという証拠はどこにもないからである。戦前よりも劣っているのは市民ではなく、法曹の方なのである。しかも、卑劣なことに、彼らは「裁判員の負担の軽減」と言って自分たちの無能ぶりをごまかそうとしているのである。
公判の開始(1月10日)から判決言渡し(4月13日)まで3ヶ月以上の期間があるのは確かである。しかし、裁判員が公判審理に参加するのは34日間に過ぎない。公判審理は毎日行われるのではなく、週に4日(月、火、水、金)であり、午前10時にはじまり午後5時までには終わる。午後3時前に終了する日もある。開廷日には1時間半の昼食休憩のほかに、随所に15分程度の休憩が入る。確かに証人の数は63人と多いが、1日に聴く証人の数は2、3人である。
戦前の陪審裁判では、公判は週6日連日ぶっ通しで行われた。開廷はだいたい午前9時であり、閉廷は早くて午後5時、午後8時を過ぎても尋問が行われることは珍しくなかった。1日に10人以上の証人を尋問することもあった。昭和3年に行われた東京地裁最初の陪審裁判(放火事件)では3日間の公判で28人の証人を尋問した(塚崎直義「寒子放火事件の陪審裁判」改造昭和4年2月号49頁;熊谷弘「新聞報道を通じてみた東京最初の陪審裁判」判例タイムズ229号50頁(1969))。4日目には被告人の予審調書が朗読され、同日の午後から検察官の論告と弁護人の弁論が行われた。その日の閉廷は午後9時30分だった(塚崎・前掲、52頁)。そして5日目、裁判長の説示と問書の朗読の後、直ちに陪審は評議に入り、同日午後4時30分に陪審は評議を終えて「然らず」の答申を提出した。続けて裁判長が「被告を無罪とす」と宣言した(同前)。昭和4年長崎地裁で行われた被告人8名被害者5名の殺人教唆、強盗殺人事件の陪審裁判でも、4日間で8人の被告人と21人の証人の尋問が行われた。5日目に双方の弁論と裁判長の説示が行われ、直ちに陪審は評議に入った。答申が出たのは、翌日の午前2時(!)であった(三浦順太郎『陪審裁判:松島五人斬事件之弁論』(藤木博英社1931)、33-34頁)。
こうした文字通りの「集中審理」に当時の陪審員(引き続き2年以上直接国税3円以上納め読み書きができる30歳以上の帝国臣民たる男子――陪審法12条)はどのように取り組んだのだろうか。次から次に登場する多数の証人への問いと答えをただ呆然と聞き流し、相矛盾し錯綜する証拠と争点の渦に飲み込まれ混沌の淵へと埋没していったのだろうか。断じてそんなことはない。当時の新聞報道などによれば、こうした過酷とも言える審理日程にもかかわらず、陪審員は熱心にそして積極的に審理に参加し、評議を行なっている。東京地裁第1号事件では、被告人の自白の任意性が問題になり、自白をとった駐在所の巡査が証人に呼ばれた。陪審員はこの巡査にこう質問した――「簡単に誘導尋問はしないとか、被告の云うところと違うと片付けてしまうけれども、被告の陳述の秩序立っているのに反し、それでは余りに物足らない。もっと吾々が成る程とうなづけるようには答弁できぬものか」(熊谷・前掲、54頁)。午後9時半まで続いた最終弁論のとき「陪審員は夕食を延期し空腹をこらへながらもノートを取る。其熱心さには満廷一人として感激せぬものはなかった」(塚崎・前掲、52頁)。さらに、裁判長の問書のなかに一部矛盾があるとして弁護人が訂正を求めたのに対して、裁判長が口頭で説明を加えただけで済まそうとすると、陪審員の一人(前出の陪審員とは別)は「説明付の問書では困る」としてあくまで訂正することを要求した(同前、55頁)。
戦前の徹底した集中審理と比較して、現代の裁判員裁判の公判審理は明らかに間延びしている。その審理日程はむやみに水増しされている。法律は「できるかぎり、連日開廷し、継続して審理を行わなければならない」と定めている(刑事訴訟法281条の6第1項)。それにもかかわらず、週5日連日開廷されることはまずない。木嶋事件では週4日開廷されるが、週3日しか開廷しない例すらある。そして、証人尋問が終わっても直ちに最終弁論が行われないし、最終弁論から判決までの期間――つまり評議の時間と判決書作成の時間――があらかじめ定められている。木嶋事件では、証人尋問から最終弁論まで10日間の空白があるし、最終弁論から判決まで1ヶ月(!)も間が開いている。証人尋問が終わったら直ちに最終弁論を行い、最終弁論が終わったら直ちに評議を行い、評議が整ったら直ちに答申そして判決宣告を行った戦前の陪審裁判とは、ここが最も違うところである。
なぜ、最終弁論の前に10日も時間をとり、判決の前に1ヶ月も空白を設ける必要があるのだろうか?これは「裁判員の負担の軽減」という理屈では説明がつかない。この冗長な幕間は決して裁判員のためにあるのではない。こんなに長い間何もしないで待たされているというのは、社会人にとってひどく迷惑な話だ。戦前の市民は被告人8人・被害者5人の殺人教唆及び強盗殺人事件の評決を17時間の評議で達成した(三浦・前掲、34頁)。どうして現代の市民が3人の被害者の殺人事件の評議を1ヶ月もかけてやる必要があろうか。この長大なる時間は決して裁判員のためにあるのではない。この長々しい空白は法律家と裁判官のためにあるのである。かれらの無能に市民が付き合わされているのである。
陪審法が停止され、戦争が終わり、新しい刑事訴訟法による刑事裁判がはじまって、時が経つにつれて、日本の公判審理はどんどん間延びしていった。証人尋問の期日の間隔が1日空き、5日空き、ついには1ヶ月以上も間が空くようになった。そして、審理が終結するまで何年もかかるようになった。そうすると、法律家はだれがどのような証言をしたのか記憶がなくなり、証言録を読んで文章を書かなければ最終弁論をすることすらできなくなってしまった。裁判官も、長い審理の間に、当然記憶がなくなるし、ときには転勤によって裁判官が交代することも珍しくなくなった。そうすると、裁判官は訴訟記録を読んで判決文を書く以外に判決言渡をすることができなくなった。法律の上では判決は口頭で言い渡せば良いことになっている(刑事訴訟法342条)。しかし、現代の裁判官は口頭だけで判決の理由を説明する能力がない。例外なく、宣告前に判決文を作成してそれを朗読する。戦後の司法研修所の教育は、事件記録を読んで最終弁論を書いたり判決文を書いたりする訓練ばかりするようになった。こうして、日本の法律家や裁判官は、生の証言を聞いて直ちにその場で弁論をする能力や、その弁論を聞いて評議をして口頭で判決を言い渡すという能力を失ってしまったのである。ガラパゴス諸島の動物が独自の進化を遂げたように、日本の法曹は書類を読んで書類を作成し書類を読み上げるという書類に特化した独自の進化を遂げたのである。それと引き換えに、光のない深海や洞窟の奥に生きる動物が視力を失ったように、彼らは、生の証言を聞いて口頭で弁論をし、口頭弁論を聞いてすぐに評議して口頭で判決宣告するという能力――口頭弁論能力あるいは法廷技術――を退化させてしまったのである。
木嶋事件の裁判員が100日間も裁判員をやらなければならないのは、要するに、現代の法律家と裁判官の都合によるのである。法律家と裁判官が80年前と同程度の能力をもっていたならば、裁判員たちは――戦前の陪審員たちと同じように――集中的に熱心にそして積極的に公判審理に取り組み、この事件を遅くとも数週間以内に判決に導くことができたであろう。現代の裁判員が戦前の陪審員と比較して、その能力や熱意において劣っているという証拠はどこにもないからである。戦前よりも劣っているのは市民ではなく、法曹の方なのである。しかも、卑劣なことに、彼らは「裁判員の負担の軽減」と言って自分たちの無能ぶりをごまかそうとしているのである。
2011年09月23日
日本人はなぜ「裁く」と言うのだろうか。日本で刑事裁判が語られるとき、非常にしばしば「人を裁く」という言い方が使われる。私は昔からこの言い方に違和感を覚えてきた。和英辞典を引いてみると「裁く」にはadjudicateとかjudgeという訳語が当てられている。しかし、日本語と英語では随分ニュアンスが違う感じがする――私は日本語の専門家でも英語の専門家でもないので、正確なことは何もわからないが。日常使われる英語では、adjudicateやjudgeの後に人を表す名詞が来ることはあまりないような気がする。
新約聖書の「ヤコブの手紙」4章11〜12節にこうある。
「兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」。
「兄弟を裁く」という部分は英訳聖書ではjudges his brotherとなっている(James4:11-12)。まさにここでは「人を裁く」言葉としてjudgeが使われている。そして、聖書はこれを禁じているのだ。人を裁くことができるのは神様だけである。人間が人間を裁くことは許されないのだ。そうだとすれば、人が企画し運営する刑事裁判で人を裁くことは決して許されないということになる。刑事裁判の目的は人を裁くこと以外に求めなければならない。刑事裁判は被告人を裁くものではなく、被告人と政府の間の刑罰をめぐる紛争に決着をつける装置である。神をいただく西欧の倫理からすればそうならざるを得ない。
日本にも「神」はいたはずだが、日本の神様は「人の裁き」の権限を人間から取り上げなかった。兄弟たちの上に君臨する特別な役人がいて、彼らが兄弟たちを裁くシステムができあがった。その正当性に疑問を抱く人はあまりなく、日本人は刑事裁判では裁判官が被告人を裁くものだと考えるようになった。
この日本式の「裁き」の観念は今でも非常に強い力を持っている。西欧の近代的な刑事裁判の考え方を学んだはずの現代の法律家の思考にもこの観念が根付いている。法廷では、裁判官も検察官も、そして被告人が雇った弁護人ですら、みんな揃って被告人の「反省」を追い求める。研修所を出たばかりの弁護士が、性犯罪を犯した依頼人に性犯罪被害者が書いた本を読ませて「自省」を深めさせた、その結果が裁判官に評価されて執行猶予付きの判決を得られたなどという話が「熱心な弁護」の美談として語られている。刑事弁護の目的は「被告人の更正」だと公言する大御所の弁護士もいる。これらも、日本の刑事裁判の目的が「人を裁く」ことであるならば、ある意味当然の成り行きだと言えなくもない。
しかし、私はどうしても馴染めない。私を選び、お金を払って私を雇ってくれている「依頼人」を裁くなんてことがどうしてできようか。やっぱり「人を裁く」というのは無理がある。どこか嘘くさい。安直な感じもする。そんなことに協力したくない。私はクリスチャンではないが、しかし、兄弟を裁くようなことはしたくない。「反省」とか「更正」とかとは全く別の道を私は目指したい。
新約聖書の「ヤコブの手紙」4章11〜12節にこうある。
「兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」。
「兄弟を裁く」という部分は英訳聖書ではjudges his brotherとなっている(James4:11-12)。まさにここでは「人を裁く」言葉としてjudgeが使われている。そして、聖書はこれを禁じているのだ。人を裁くことができるのは神様だけである。人間が人間を裁くことは許されないのだ。そうだとすれば、人が企画し運営する刑事裁判で人を裁くことは決して許されないということになる。刑事裁判の目的は人を裁くこと以外に求めなければならない。刑事裁判は被告人を裁くものではなく、被告人と政府の間の刑罰をめぐる紛争に決着をつける装置である。神をいただく西欧の倫理からすればそうならざるを得ない。
日本にも「神」はいたはずだが、日本の神様は「人の裁き」の権限を人間から取り上げなかった。兄弟たちの上に君臨する特別な役人がいて、彼らが兄弟たちを裁くシステムができあがった。その正当性に疑問を抱く人はあまりなく、日本人は刑事裁判では裁判官が被告人を裁くものだと考えるようになった。
この日本式の「裁き」の観念は今でも非常に強い力を持っている。西欧の近代的な刑事裁判の考え方を学んだはずの現代の法律家の思考にもこの観念が根付いている。法廷では、裁判官も検察官も、そして被告人が雇った弁護人ですら、みんな揃って被告人の「反省」を追い求める。研修所を出たばかりの弁護士が、性犯罪を犯した依頼人に性犯罪被害者が書いた本を読ませて「自省」を深めさせた、その結果が裁判官に評価されて執行猶予付きの判決を得られたなどという話が「熱心な弁護」の美談として語られている。刑事弁護の目的は「被告人の更正」だと公言する大御所の弁護士もいる。これらも、日本の刑事裁判の目的が「人を裁く」ことであるならば、ある意味当然の成り行きだと言えなくもない。
しかし、私はどうしても馴染めない。私を選び、お金を払って私を雇ってくれている「依頼人」を裁くなんてことがどうしてできようか。やっぱり「人を裁く」というのは無理がある。どこか嘘くさい。安直な感じもする。そんなことに協力したくない。私はクリスチャンではないが、しかし、兄弟を裁くようなことはしたくない。「反省」とか「更正」とかとは全く別の道を私は目指したい。
2011年07月28日
あなたは、相手が目の前にいるのに、相手に尋ねたいことをわざわざ紙に書いてそれを相手に渡して、別室で「はい」か「いいえ」を丸で囲んできてくださいと言うだろうか。そんなことをするのは対人恐怖症の人か耳の聞こえない人ぐらいだろう。対人恐怖症でもなく、正常な聴覚を持っている普通の人は、端的に、目の前にいる相手に口頭で尋ねたいことを尋ねるのではないだろうか。その方が相手の応答態度をつぶさに観察できるので、相手の真意を知るという意味でも効果的ではないだろうか。ところが、東京地方裁判所の裁判官たちは違うのである。彼らは、重大な刑事裁判の審理を担当する裁判員の候補者をわざわざ自分たちの職場である裁判所に呼び出しながら、その場で口頭で質問できることをわざわざ紙に書いて渡し、「はい」か「いいえ」を丸で囲ませるのである。その結果、この国で最も重大とされる刑事事件の審理を担当する裁判員は、裁判長から口頭で質問を受けることもなく、訴訟関係者の前で一言も言葉を発することもなしに、くじで選ばれ法壇の椅子に座るのである――法律によれば裁判長は裁判員を選ぶ前に裁判員候補者に対して「必要な質問」をすることになっているのに。
裁判員法は「裁判員選任手続に先立ち」候補者に対して「質問票」を郵送して、一定の事項――候補者が有資格者かどうか、欠格事由、辞退事由及び不適格事由があるかどうか、並びに不公平な裁判をするおそれがないかどうかを判断するのに必要な事項――を答えさせるという手続を定めている(30条1項)。この質問票に答えた候補者の中から裁判所に呼び出す者を選別するのである。これはいわば面接試験を受ける応募者を書類で選考するのと同じ手続である。法は、こうして「裁判員等選任手続期日」に呼び出された候補者に対して、さらに「必要な質問」をして、その答えを聞いたうえで裁判員や補充裁判員を選任するとしている(34条1項)。書類選考と面接試験の例を持ち出すまでもなく、この2段階の選考方法の趣旨は明らかであろう。
裁判員法が制定された半年後2006年11月に、最高裁判所は、「裁判員選任手続のイメージ案」を公表した。それによれば、「選任手続の当日の手続」は次のようなものであった。
「(1) 呼出状を受け取った裁判員候補者には、裁判員選任手続期日当日、裁判所にお越しいただきます。裁判所では、まず、御本人であることを確認させていただいた上、裁判員候補者待合室(大部屋)でお待ちいただきます。 担当の係員が、これから行われる手続について、ビデオなどを利用しながら説明を行います。
「(2) また、裁判所にお越しいただいた裁判員候補者には、当日用質問票が交付されます。当日用質問票では、事件の関係者でないかどうかなどについてお聞きします。
「(3) その後、裁判員候補者は、別室の裁判員質問手続室(小部屋)で裁判長から質問を受けることになります。質問手続室には、裁判官3人と書記官のほか、検察官と弁護人(裁判所が必要と認める場合に限り被告人も)が立ち会います(裁判員法32条) 。候補者のプライバシーを保護するため第三者が傍聴することはありません(裁判員法33条1項 ) 。
「裁判長は、裁判員候補者が記入した質問票を読んだ上で、補充的に質問をします。検察官と弁護人も質問票を見ることはできますが、検察官と弁護人の手元にある質問票は、手続終了後、裁判所が回収します。陪席の裁判官、検察官又は弁護人(被告人)も、裁判長に質問をしてもらうよう求めることができます(裁判員法34条2項) 。
「既に第1段階の手続で、法律上裁判員となることができない人や辞退が認められることが明らかな人は、そもそも呼出しがされないか、すでに取り消されていることになります 。 したがって、 この段階では 、裁判長は、主に、仕事や家庭を理由として辞退が認められるか微妙なケースについて、候補者に事情を確認する質問や、候補者が公平な裁判をしてくれるかどうかを確かめる質問などをすることになります (最高裁判所「裁判員選任手続のイメージ案」http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/06_11_17_tetuzuki_image/tetuzuki_image.pdf 強調は引用者)。」
最高裁判所が制作した裁判員制度の広報映画にも、裁判員候補者が1人ずつ小部屋に入って裁判長から質問を受けるシーンがある。例えば、「裁判員〜選ばれ、そして見えてきたもの〜」には、まさに面接と呼ぶにふさわしい裁判長と候補者のやり取りが描かれている(http://www.saibanin.courts.go.jp/news/video4/chapter2_erabare_bb_sub.html)。ところが、現在東京地方裁判所で日々行われている「質問手続」はこれとは似ても似つかぬ代物である。既に事前に「質問票」の答えを返送したうえで、裁判所に出頭してきた候補者に対して、裁判所は次の4つの問いを記載した「質問票(当日用)」なる紙を渡す。
問1 あなたは、被告人と関係があったり、事件の捜査に関与するなど、事件と特別な関係がありますか。
問2 今回の事件について報道などを通じて知っていますか。
問3 事前に提出した質問票に記載した事項について、今日までの間に何か変更はありますか。
問4 特に裁判官に話しておきたい事情があるなど、個別に質問を受けることを希望しますか。
裁判員候補者は、これらの問いの下にある「ある・ない」「ある程度知っている・くわしく知っている・知らない」「ある・ない」「希望する・希望しない」の答えを丸で囲んで署名することになる。ほとんどの候補者は、「ない」「知らない」「ない」「希望しない」に丸をする。それで終わりである。「裁判員選任手続のイメージ案」によれば、当日質問票に記入した後、候補者は「別室の裁判員質問手続室(小部屋)で裁判長から質問を受ける」はずであるが、質問票の「ない」「知らない」「希望しない」に丸をした候補者が質問手続室に呼ばれることは全くない。その答えを直接候補者と問答して個別に確認する作業すら行われないのである。要するに、大部分の候補者に対して誰かが何かを尋ねるということは行われないのである。そしてあとは、くじ引き(パソコンのマウスを書記官が1回クリックするだけ)で6人の裁判員と1人ないし2人の補充裁判員が選ばれるのである。
裁判員法によると、当事者は裁判員候補者に質問してほしい事項を裁判長に質問するように請求することができ、裁判長は「相当と認めるときは」その質問をすることになっている(裁判員法34条2項)。しかし、裁判長が当事者の質問請求を「相当と認め」て質問をすることはほとんど全くない。私は、統合失調症を発病した青年が幻覚と妄想に突き動かされて知人を包丁でめった刺しにして殺したという殺人事件の裁判員選任手続で、候補者に対してこう質問してほしいと裁判長に請求したことがある――「あなたは、殺人犯が精神障害のために無罪となることに、抵抗がありますか」。この要求に対して、裁判長は、当日質問票の問4があるからこのような質問は要らないと言って、私の質問請求を却下した。問4というのは前述したとおり「特に裁判官に話しておきたい事情があるなど、個別に質問を受けることを希望しますか」という問いである。そもそも、当日裁判所に出頭したばかりの人たちはまだ事件の内容を知らされていない。自分の担当する事件が被告人の精神障害が問題となる事案だということを知らないのである。そのような人たちが、「自分は精神障害を理由に無罪となることに抵抗があるのだが、それでも裁判員になってもいいでしょうか」と裁判長に申し出ることなどあり得るだろうか。事件の争点――心神喪失かどうか――を理解した裁判員であっても、わざわざ自分の信条と法制度の関係に思いをはせ、その信条を自ら進んで裁判長に申し出ることなど、期待できるだろうか。常識で考えれば分かりそうなことである。しかし、東京地裁の裁判長たちは、最高裁の映画の裁判長のように1人1人の候補者と親しく口頭のやり取りをすることを頑なに拒否するのである。4つの、おそろしく抽象的な型どおりの問いを記載した「質問票」への回答以外の情報を、いまそこにいる候補者――わざわざ職場や家庭や学業を犠牲にして裁判所にやってきた人々――から得えようとはしないのである。やろうと思えばすぐにできるのに。彼らはやはり対人恐怖症なのだろうか。
実質的に考えて、裁判員候補者に対して個別の口頭質問を行うことは、公正かつ適格な裁判員を選出するためには必要不可欠なことである。先日千葉地裁で行われた女子大生殺害事件の裁判員裁判で、1人の裁判員が公判の冒頭から毎回法壇上で居眠りをしていたということがあった(日本経済新聞2011年6月23日夕刊、15頁)。証人尋問が終わり弁論が終結された後になってこの裁判員は解任されたが、そもそもこのような人は「心身の故障のために裁判員の職務の遂行に著しい支障がある者」(法14条3号)、あるいは「不公平な裁判をするおそれがある」者(法18条)なのであって、裁判員に選任されるべきではなかったのである。この事件でも、裁判長は「質問票」の配布と回収だけを行い、候補者への口頭の個別質問を行わなかった。もしも、裁判員選任手続において「質問票」を回収するなどという安直な方法に頼らず、1人1人の候補者に対して個別の口頭質問を行い、その応答態度をつぶさに見ていたならば、このような人物の不適格性を当事者や裁判所が見逃すとはとうてい思えないのである。死刑事件の冒頭から居眠りをするような特異な人物は、質問手続室(小部屋)の中で行われる個別質問の際にも特異な反応や様子を示す可能性が高いからである。
法が要求する「質問」というのは、最高裁判所がイメージしたような個別の口頭の質問を意味するというべきである。裁判官は、たとえ対人恐怖症で書面を通じてでないと人とコミュニケートできない体質だとしても、この手続を形骸化する権利はないはずである。どうしても広報映画に登場する裁判長のような面接が自分にはできないというのであれば、潔く裁判員裁判の担当を自主的に外れるべきである。裁判官は法を実践する公務員として国民から給与の支払いを受けているのであって、法を自分に都合の良いように骨抜きにするために国民から雇われているのではない。
裁判員法は「裁判員選任手続に先立ち」候補者に対して「質問票」を郵送して、一定の事項――候補者が有資格者かどうか、欠格事由、辞退事由及び不適格事由があるかどうか、並びに不公平な裁判をするおそれがないかどうかを判断するのに必要な事項――を答えさせるという手続を定めている(30条1項)。この質問票に答えた候補者の中から裁判所に呼び出す者を選別するのである。これはいわば面接試験を受ける応募者を書類で選考するのと同じ手続である。法は、こうして「裁判員等選任手続期日」に呼び出された候補者に対して、さらに「必要な質問」をして、その答えを聞いたうえで裁判員や補充裁判員を選任するとしている(34条1項)。書類選考と面接試験の例を持ち出すまでもなく、この2段階の選考方法の趣旨は明らかであろう。
裁判員法が制定された半年後2006年11月に、最高裁判所は、「裁判員選任手続のイメージ案」を公表した。それによれば、「選任手続の当日の手続」は次のようなものであった。
「(1) 呼出状を受け取った裁判員候補者には、裁判員選任手続期日当日、裁判所にお越しいただきます。裁判所では、まず、御本人であることを確認させていただいた上、裁判員候補者待合室(大部屋)でお待ちいただきます。 担当の係員が、これから行われる手続について、ビデオなどを利用しながら説明を行います。
「(2) また、裁判所にお越しいただいた裁判員候補者には、当日用質問票が交付されます。当日用質問票では、事件の関係者でないかどうかなどについてお聞きします。
「(3) その後、裁判員候補者は、別室の裁判員質問手続室(小部屋)で裁判長から質問を受けることになります。質問手続室には、裁判官3人と書記官のほか、検察官と弁護人(裁判所が必要と認める場合に限り被告人も)が立ち会います(裁判員法32条) 。候補者のプライバシーを保護するため第三者が傍聴することはありません(裁判員法33条1項 ) 。
「裁判長は、裁判員候補者が記入した質問票を読んだ上で、補充的に質問をします。検察官と弁護人も質問票を見ることはできますが、検察官と弁護人の手元にある質問票は、手続終了後、裁判所が回収します。陪席の裁判官、検察官又は弁護人(被告人)も、裁判長に質問をしてもらうよう求めることができます(裁判員法34条2項) 。
「既に第1段階の手続で、法律上裁判員となることができない人や辞退が認められることが明らかな人は、そもそも呼出しがされないか、すでに取り消されていることになります 。 したがって、 この段階では 、裁判長は、主に、仕事や家庭を理由として辞退が認められるか微妙なケースについて、候補者に事情を確認する質問や、候補者が公平な裁判をしてくれるかどうかを確かめる質問などをすることになります (最高裁判所「裁判員選任手続のイメージ案」http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/06_11_17_tetuzuki_image/tetuzuki_image.pdf 強調は引用者)。」
最高裁判所が制作した裁判員制度の広報映画にも、裁判員候補者が1人ずつ小部屋に入って裁判長から質問を受けるシーンがある。例えば、「裁判員〜選ばれ、そして見えてきたもの〜」には、まさに面接と呼ぶにふさわしい裁判長と候補者のやり取りが描かれている(http://www.saibanin.courts.go.jp/news/video4/chapter2_erabare_bb_sub.html)。ところが、現在東京地方裁判所で日々行われている「質問手続」はこれとは似ても似つかぬ代物である。既に事前に「質問票」の答えを返送したうえで、裁判所に出頭してきた候補者に対して、裁判所は次の4つの問いを記載した「質問票(当日用)」なる紙を渡す。
問1 あなたは、被告人と関係があったり、事件の捜査に関与するなど、事件と特別な関係がありますか。
問2 今回の事件について報道などを通じて知っていますか。
問3 事前に提出した質問票に記載した事項について、今日までの間に何か変更はありますか。
問4 特に裁判官に話しておきたい事情があるなど、個別に質問を受けることを希望しますか。
裁判員候補者は、これらの問いの下にある「ある・ない」「ある程度知っている・くわしく知っている・知らない」「ある・ない」「希望する・希望しない」の答えを丸で囲んで署名することになる。ほとんどの候補者は、「ない」「知らない」「ない」「希望しない」に丸をする。それで終わりである。「裁判員選任手続のイメージ案」によれば、当日質問票に記入した後、候補者は「別室の裁判員質問手続室(小部屋)で裁判長から質問を受ける」はずであるが、質問票の「ない」「知らない」「希望しない」に丸をした候補者が質問手続室に呼ばれることは全くない。その答えを直接候補者と問答して個別に確認する作業すら行われないのである。要するに、大部分の候補者に対して誰かが何かを尋ねるということは行われないのである。そしてあとは、くじ引き(パソコンのマウスを書記官が1回クリックするだけ)で6人の裁判員と1人ないし2人の補充裁判員が選ばれるのである。
裁判員法によると、当事者は裁判員候補者に質問してほしい事項を裁判長に質問するように請求することができ、裁判長は「相当と認めるときは」その質問をすることになっている(裁判員法34条2項)。しかし、裁判長が当事者の質問請求を「相当と認め」て質問をすることはほとんど全くない。私は、統合失調症を発病した青年が幻覚と妄想に突き動かされて知人を包丁でめった刺しにして殺したという殺人事件の裁判員選任手続で、候補者に対してこう質問してほしいと裁判長に請求したことがある――「あなたは、殺人犯が精神障害のために無罪となることに、抵抗がありますか」。この要求に対して、裁判長は、当日質問票の問4があるからこのような質問は要らないと言って、私の質問請求を却下した。問4というのは前述したとおり「特に裁判官に話しておきたい事情があるなど、個別に質問を受けることを希望しますか」という問いである。そもそも、当日裁判所に出頭したばかりの人たちはまだ事件の内容を知らされていない。自分の担当する事件が被告人の精神障害が問題となる事案だということを知らないのである。そのような人たちが、「自分は精神障害を理由に無罪となることに抵抗があるのだが、それでも裁判員になってもいいでしょうか」と裁判長に申し出ることなどあり得るだろうか。事件の争点――心神喪失かどうか――を理解した裁判員であっても、わざわざ自分の信条と法制度の関係に思いをはせ、その信条を自ら進んで裁判長に申し出ることなど、期待できるだろうか。常識で考えれば分かりそうなことである。しかし、東京地裁の裁判長たちは、最高裁の映画の裁判長のように1人1人の候補者と親しく口頭のやり取りをすることを頑なに拒否するのである。4つの、おそろしく抽象的な型どおりの問いを記載した「質問票」への回答以外の情報を、いまそこにいる候補者――わざわざ職場や家庭や学業を犠牲にして裁判所にやってきた人々――から得えようとはしないのである。やろうと思えばすぐにできるのに。彼らはやはり対人恐怖症なのだろうか。
実質的に考えて、裁判員候補者に対して個別の口頭質問を行うことは、公正かつ適格な裁判員を選出するためには必要不可欠なことである。先日千葉地裁で行われた女子大生殺害事件の裁判員裁判で、1人の裁判員が公判の冒頭から毎回法壇上で居眠りをしていたということがあった(日本経済新聞2011年6月23日夕刊、15頁)。証人尋問が終わり弁論が終結された後になってこの裁判員は解任されたが、そもそもこのような人は「心身の故障のために裁判員の職務の遂行に著しい支障がある者」(法14条3号)、あるいは「不公平な裁判をするおそれがある」者(法18条)なのであって、裁判員に選任されるべきではなかったのである。この事件でも、裁判長は「質問票」の配布と回収だけを行い、候補者への口頭の個別質問を行わなかった。もしも、裁判員選任手続において「質問票」を回収するなどという安直な方法に頼らず、1人1人の候補者に対して個別の口頭質問を行い、その応答態度をつぶさに見ていたならば、このような人物の不適格性を当事者や裁判所が見逃すとはとうてい思えないのである。死刑事件の冒頭から居眠りをするような特異な人物は、質問手続室(小部屋)の中で行われる個別質問の際にも特異な反応や様子を示す可能性が高いからである。
法が要求する「質問」というのは、最高裁判所がイメージしたような個別の口頭の質問を意味するというべきである。裁判官は、たとえ対人恐怖症で書面を通じてでないと人とコミュニケートできない体質だとしても、この手続を形骸化する権利はないはずである。どうしても広報映画に登場する裁判長のような面接が自分にはできないというのであれば、潔く裁判員裁判の担当を自主的に外れるべきである。裁判官は法を実践する公務員として国民から給与の支払いを受けているのであって、法を自分に都合の良いように骨抜きにするために国民から雇われているのではない。
2011年06月10日
【三行半・三下半】江戸時代、簡略に三行半で書いたからいう、夫から妻に出す離縁状の俗称。(広辞苑第3版)
最高裁から薄い封筒が届いた。
「ああ、やっぱりね。ちょうど2週間じゃねえか。予想通りだ!」
と嘯いてみたものの、胸の奥の方で小さな筋肉が収縮するのを感じる。顔の表面がざわざわする。
確かにこれは今まで何百回も繰り返してきたことである。しかし、毎回毎回何がしかの期待を抱き、ダメに違いないと思い、けれど、「もしかして」と期待する。そして、結局ダメなのだ。
クリニックの学生と一緒に何日もかけて調査をし、議論を重ねて、睡眠時間を削って、精魂込めて書いた特別抗告申立書に対する最高裁判所第1小法廷の返事は、ワン・センテンスであった。
「……所論引用の判例は事案を異にするもので本件に適切でなく、憲法違反の主張は、実質は単なる法令違反の主張であって、刑訴法433条の抗告理由に当たらない。」
原決定は、刑訴法89条1号と4号は合憲であると判断した。そして、われわれはこれらの条文の立法の経緯を詳しく調べ、その立法目的からしてとうてい憲法が容認しうるような自由制限規定ではなく、憲法34条に違反すると主張した。イギリスの類似の規定を人権条約違反としたヨーロッパ人権裁判所の判例も引用した。同じ文言の自由権規約9条3項に違反するとも主張した。どうしてこれが「単なる法令違反の主張」なんだろうか。
毎度のことながら最高裁の三行半決定には心の底から怒りを覚える。この怒りは何に対してなんだろうか。最高裁判事の知的不正直に対して。彼らの「自由」というものへの不感症ぶりに対して。彼らの税金の無駄遣いに対して。彼らの無能に対して。
アメリカ連邦最高裁の9人の老人は、1人の浮浪者が刑務所の図書館で鉛筆で便箋3枚に書いた申立てに答えるようにと、フロリダ州知事に督促し、浮浪者のためにニュー・ヨークの著名な弁護士を国選弁護人に選任して口頭弁論を開いた。そして、40ページの憲法解釈論を書いて、刑事司法の歴史を作った。
日本の最高裁の老人たちは、私とロースクールの学生が何日もかけてパソコンで書いた23頁の申立てに対して、まるで暑中見舞いに対する返事のように、三行半の一文を送ってきた。
これでは才能のある人が刑事弁護から去ってしまい、変わり者か閑人だけしかこの業界に残らなくなってしまうだろう。
もう20年以上こんなことをやってきたが、あと何年やれるんだろうか。
【2005年10月5日記】
最高裁から薄い封筒が届いた。
「ああ、やっぱりね。ちょうど2週間じゃねえか。予想通りだ!」
と嘯いてみたものの、胸の奥の方で小さな筋肉が収縮するのを感じる。顔の表面がざわざわする。
確かにこれは今まで何百回も繰り返してきたことである。しかし、毎回毎回何がしかの期待を抱き、ダメに違いないと思い、けれど、「もしかして」と期待する。そして、結局ダメなのだ。
クリニックの学生と一緒に何日もかけて調査をし、議論を重ねて、睡眠時間を削って、精魂込めて書いた特別抗告申立書に対する最高裁判所第1小法廷の返事は、ワン・センテンスであった。
「……所論引用の判例は事案を異にするもので本件に適切でなく、憲法違反の主張は、実質は単なる法令違反の主張であって、刑訴法433条の抗告理由に当たらない。」
原決定は、刑訴法89条1号と4号は合憲であると判断した。そして、われわれはこれらの条文の立法の経緯を詳しく調べ、その立法目的からしてとうてい憲法が容認しうるような自由制限規定ではなく、憲法34条に違反すると主張した。イギリスの類似の規定を人権条約違反としたヨーロッパ人権裁判所の判例も引用した。同じ文言の自由権規約9条3項に違反するとも主張した。どうしてこれが「単なる法令違反の主張」なんだろうか。
毎度のことながら最高裁の三行半決定には心の底から怒りを覚える。この怒りは何に対してなんだろうか。最高裁判事の知的不正直に対して。彼らの「自由」というものへの不感症ぶりに対して。彼らの税金の無駄遣いに対して。彼らの無能に対して。
アメリカ連邦最高裁の9人の老人は、1人の浮浪者が刑務所の図書館で鉛筆で便箋3枚に書いた申立てに答えるようにと、フロリダ州知事に督促し、浮浪者のためにニュー・ヨークの著名な弁護士を国選弁護人に選任して口頭弁論を開いた。そして、40ページの憲法解釈論を書いて、刑事司法の歴史を作った。
日本の最高裁の老人たちは、私とロースクールの学生が何日もかけてパソコンで書いた23頁の申立てに対して、まるで暑中見舞いに対する返事のように、三行半の一文を送ってきた。
これでは才能のある人が刑事弁護から去ってしまい、変わり者か閑人だけしかこの業界に残らなくなってしまうだろう。
もう20年以上こんなことをやってきたが、あと何年やれるんだろうか。
【2005年10月5日記】
2011年05月25日
判例集を繰っていたら、偶然、陪審制と憲法を論じた最高裁判例を2つ見つけた。最高裁の判断はまったく木で鼻を括ったようなもので味も素っ気もないのだが、その上告趣意は敗戦間もないころの刑事弁護士の気骨を感じさせるものである。紹介しよう。
1件目は昭和25年10月25日の大法廷判決(刑集4‐10‐2166)。弁護人は森長英三郎。大変に有名な方なのでご存知の方も多いと思う。事案は強盗事件で、従犯的な立場の被告人が実刑判決を受け、主犯が執行猶予になったとして、弁護人は、控訴審が刑訴法の証拠の規定を適用せず新証拠を斟酌しなかった点が憲法31条に違反すると主張した。そして、この上告趣意に加えて森長は次のように述べた。
「しかし、憲法37条の公平な裁判所とは、陪審裁判を要請しているものといわなければならぬ。その理由は憲法前文が、国政は、『その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し』とあるところから当然に出てくることである。陪審裁判は民主主義国家の刑事裁判には固有の制度であり、民主主義とは切りはなすことのできないものである。」
これに対して最高裁大法廷は「所論の憲法37条及び憲法前文は陪審による裁判を保障するものではない。その他民主主義国家であるからといって、必ずしも陪審制度を採用しなければならぬという理由はない」とあっさり上告を棄却した。ちなみに、このときの裁判長は塚崎直義である。戦前を代表する刑事弁護士であり、東京で第1号の陪審裁判、無罪となった放火事件の弁護人である。
2件目は第3小法廷昭和26年5月8日(裁判集刑45‐311)。弁護人は衛藤隈三という人である。やはり森長の事件と同じような事件で、こちらも、主犯を含め共犯者の大部分が執行猶予になっているのに、従犯的で、しかも当時17歳だった被告人が執行猶予にならないのは公平な裁判ではないと言っている。それに続けて陪審制を論じている点でも森長と同じだが、衛藤の上告趣意は、森永のそれと比べてかなり長く内容的にも密度が濃い。その一部を引用してみよう。
「憲法31条によって、何人も『法律の定める手続によらなければ』生命又は自由を奪われ、其他の刑罰を科せられない。この『法律の定める手続』中には刑事訴訟法の定むる手続は勿論であるが、『陪審法』も又当然法律の定める一つの刑事手続であって、国民が生命又は自由を奪われ、其他の刑罰を科せらるゝに当っては、依るべき手続として国民に与えられた権利であり、基本的人権の一である。
「陪審法自体は廃止になったのはではない。単なる停止中で、死んだのではなくまだ生きている法律である。陪審裁判は、このまだ生きている陪審法に基づいて、国民が永年にわたり獲得した基本的人権保護の手続上における権利である。われわれ国民は、この与えられたる権利の保持の為には、憲法上不断の努力を払わねばならないことは憲法の要請するところである。
「陪審裁判も、今次の戦争で国民の全力を戦争遂行に集中させるために、一時中止となったに過ぎないので、右法律の附則が明記する様に、大戦終了後の今日は再施行することが国民に約束されているものである。この法律停止法というのは法律として全く特異な性質をもっているが、然し、陪審法自体は未だ生存の鼓動を脈々として打っている生きた法律である。われわれ国民は、この陪審法上の権利を抱いたまゝで只々安閑として其上に睡っていることは許されない。
「私は、憲法によって与えられたこの国民の基本的人権がたゞ1片の法律又は勅令で停止せらるゝことが憲法上間違いであると確信する。」
最高裁第三小法廷は、先の25年大法廷判決を引用して「憲法が陪審手続を保障したものでないことは当裁判所大法廷の判決の趣旨に徴して明らか」と言った上で、「陪審手続は特に法律で定めたものであるからこれを法律で停止することを得るのは云うを待たない」と述べて、上告を棄却した。
衛藤の弁論から60年たって裁判員法が施行された。しかし、陪審法はまだ死んではない。「再試行する」という条文も存在している。森長の弁論も衛藤の弁論もわれわれにとって示唆的である。とくに衛藤の指摘は重要であると思う。法律が定めた権利を1片の勅令で奪い、また、「再施行する」と法律で約束しながら、それが実行されていないことの意味をわれわれはもう少し真剣に考えてもいいのかもしれない。裁判員制度と陪審制度との間には決定的な違いがある。裁判員裁判では職業裁判官が市民と一緒に評議室に入る。陪審裁判では事実認定は市民の専権である。職業裁判官が「裁判員の負担」を口実にして裁判員の権限を形骸化する戦略を進め続けるのであれば、われわれには陪審法の再試行という選択があることを心にとどめておくべきであろう。
1件目は昭和25年10月25日の大法廷判決(刑集4‐10‐2166)。弁護人は森長英三郎。大変に有名な方なのでご存知の方も多いと思う。事案は強盗事件で、従犯的な立場の被告人が実刑判決を受け、主犯が執行猶予になったとして、弁護人は、控訴審が刑訴法の証拠の規定を適用せず新証拠を斟酌しなかった点が憲法31条に違反すると主張した。そして、この上告趣意に加えて森長は次のように述べた。
「しかし、憲法37条の公平な裁判所とは、陪審裁判を要請しているものといわなければならぬ。その理由は憲法前文が、国政は、『その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し』とあるところから当然に出てくることである。陪審裁判は民主主義国家の刑事裁判には固有の制度であり、民主主義とは切りはなすことのできないものである。」
これに対して最高裁大法廷は「所論の憲法37条及び憲法前文は陪審による裁判を保障するものではない。その他民主主義国家であるからといって、必ずしも陪審制度を採用しなければならぬという理由はない」とあっさり上告を棄却した。ちなみに、このときの裁判長は塚崎直義である。戦前を代表する刑事弁護士であり、東京で第1号の陪審裁判、無罪となった放火事件の弁護人である。
2件目は第3小法廷昭和26年5月8日(裁判集刑45‐311)。弁護人は衛藤隈三という人である。やはり森長の事件と同じような事件で、こちらも、主犯を含め共犯者の大部分が執行猶予になっているのに、従犯的で、しかも当時17歳だった被告人が執行猶予にならないのは公平な裁判ではないと言っている。それに続けて陪審制を論じている点でも森長と同じだが、衛藤の上告趣意は、森永のそれと比べてかなり長く内容的にも密度が濃い。その一部を引用してみよう。
「憲法31条によって、何人も『法律の定める手続によらなければ』生命又は自由を奪われ、其他の刑罰を科せられない。この『法律の定める手続』中には刑事訴訟法の定むる手続は勿論であるが、『陪審法』も又当然法律の定める一つの刑事手続であって、国民が生命又は自由を奪われ、其他の刑罰を科せらるゝに当っては、依るべき手続として国民に与えられた権利であり、基本的人権の一である。
「陪審法自体は廃止になったのはではない。単なる停止中で、死んだのではなくまだ生きている法律である。陪審裁判は、このまだ生きている陪審法に基づいて、国民が永年にわたり獲得した基本的人権保護の手続上における権利である。われわれ国民は、この与えられたる権利の保持の為には、憲法上不断の努力を払わねばならないことは憲法の要請するところである。
「陪審裁判も、今次の戦争で国民の全力を戦争遂行に集中させるために、一時中止となったに過ぎないので、右法律の附則が明記する様に、大戦終了後の今日は再施行することが国民に約束されているものである。この法律停止法というのは法律として全く特異な性質をもっているが、然し、陪審法自体は未だ生存の鼓動を脈々として打っている生きた法律である。われわれ国民は、この陪審法上の権利を抱いたまゝで只々安閑として其上に睡っていることは許されない。
「私は、憲法によって与えられたこの国民の基本的人権がたゞ1片の法律又は勅令で停止せらるゝことが憲法上間違いであると確信する。」
最高裁第三小法廷は、先の25年大法廷判決を引用して「憲法が陪審手続を保障したものでないことは当裁判所大法廷の判決の趣旨に徴して明らか」と言った上で、「陪審手続は特に法律で定めたものであるからこれを法律で停止することを得るのは云うを待たない」と述べて、上告を棄却した。
衛藤の弁論から60年たって裁判員法が施行された。しかし、陪審法はまだ死んではない。「再試行する」という条文も存在している。森長の弁論も衛藤の弁論もわれわれにとって示唆的である。とくに衛藤の指摘は重要であると思う。法律が定めた権利を1片の勅令で奪い、また、「再施行する」と法律で約束しながら、それが実行されていないことの意味をわれわれはもう少し真剣に考えてもいいのかもしれない。裁判員制度と陪審制度との間には決定的な違いがある。裁判員裁判では職業裁判官が市民と一緒に評議室に入る。陪審裁判では事実認定は市民の専権である。職業裁判官が「裁判員の負担」を口実にして裁判員の権限を形骸化する戦略を進め続けるのであれば、われわれには陪審法の再試行という選択があることを心にとどめておくべきであろう。
2011年02月19日
東京地裁の法廷の弁護人席で裁判官の登場を待っていると、スーツ姿の見知らぬ男女5名が法廷に入ってきて、そのうちの2人が傍聴席のバーを越えて、私の後ろに入り込んできた。残りの3人は法廷の反対側、検察官席に向かった。ジャケットの襟に司法修習生のバッジをつけている。私の後ろには長テーブルがあり、私のコートとカバンが置いてある。修習生が躊躇している姿に気付いた裁判所書記官は迷いもせずに、私のカバンとコートをどけて、修習生のための席を整えた。修習生は私に何の挨拶もなく、無言で私の背後のテーブルに着席し、もっともらしく三省堂模範六法の適当な頁を繰って目を落としているふりをした。
私の内部ではめらめらと怒りの炎が燃え盛った。が、今日は判決言渡しだけなので、依頼人のためにも我慢しようとした。そしてちゃんと我慢できた。
これほど失礼な、無神経な、無礼極まりない振る舞いがあるだろうか。無言で勝手に他人の所持品をどかして、挨拶もなく人の背後に陣取るなどということが許されるだろうか。江戸時代の武士の作法からすれば、私の背後に無言で近付いた瞬間に私に切り捨てられても申し開きは許されまい。現代の法廷において弁護人は訴訟記録や尋問メモを弁護人席において、法廷活動をする。ときには依頼人と小声でコミュニケーションをする。そのときに、背後に見ず知らずの他人がいるなどということはおよそ想定外である。そのような状態で十分な弁護活動ができるわけはない。
彼らは裁判官の下で実務修習をしているのであり、弁護人である私の下で修習しているのではない。私は彼らの名前もしらない。彼らは全くの赤の他人である。しかし、裁判員や傍聴人はそれを知らないだろう。私の後ろにいる以上、弁護人か少なくとも弁護人の関係者だと思うだろう。彼らが証人尋問中に鼻くそをほじっていたらどうだろう。被告人質問中に居眠りしていたらどうだろう。「被害者」の意見陳述の間に今晩の飲み会の打ち合わせをひそひそにやにやしていたらどうだろう。私や私の依頼人には彼らを管理できないのに、彼らの不始末の不利益はわれわれが負うことになる。
これは最近の東京地裁で頻繁に行われるようになったことである。私の1回だけの体験ではない。すなわち、東京地裁の裁判官たちは話し合いのうえで、組織的に修習生を当事者席に座らせることを決定したのだ。これほど不躾なことを事前に何の連絡もなく、さも当然のように一糸乱れず遂行できる裁判所というのは、一体どんなところなんだろう。それを指揮した裁判官という人たちはどういう人間なんだろう。少なくとも、彼らは、弁護人の法廷における仕事が秘密や自由を扱うセンシティブなものであることを理解していない。弁護士というのは、その背後わずか40センチの範囲を犯されても何も感じない人間だと思っている。それだけは確かである。
私が修習生をしていた30年前には、弁護修習中の修習生は弁護人席に座り、検察修習中の修習生は検察官席に座り、そして、裁判修習中の修習生は法壇の上の裁判官席に座ったのである。最近になって、裁判所は修習生を法壇から追い出した。それでも弁護人席に勝手に座らせることはなかった。法壇の横に修習生を座らせた。今回の動きは、おそらく裁判員裁判の法廷の構造が原因であろう。裁判員法廷の法壇は非常に大きい。そのために、法壇のうえ以外に修習生を置いておくスペースがない。現代の裁判官は司法修習生を法壇に置く勇気などない。弁護人席なら問題ないだろう。この小役人根性と弁護人を見くびる姿勢が今回の出来事の背景にある。
弁護士は、このような理不尽に対して黙っていてはいけない。依頼人のためにもまた刑事弁護のためにも毅然とした態度をとるべきである。その場で声をあげ、自分の背後から不逞の輩を追い払おう。そうでなければ、法廷における弁護の地位はますます矮小なものにされていくだろう。全国の同志よ。立ちあがれ!怒れ!
私の内部ではめらめらと怒りの炎が燃え盛った。が、今日は判決言渡しだけなので、依頼人のためにも我慢しようとした。そしてちゃんと我慢できた。
これほど失礼な、無神経な、無礼極まりない振る舞いがあるだろうか。無言で勝手に他人の所持品をどかして、挨拶もなく人の背後に陣取るなどということが許されるだろうか。江戸時代の武士の作法からすれば、私の背後に無言で近付いた瞬間に私に切り捨てられても申し開きは許されまい。現代の法廷において弁護人は訴訟記録や尋問メモを弁護人席において、法廷活動をする。ときには依頼人と小声でコミュニケーションをする。そのときに、背後に見ず知らずの他人がいるなどということはおよそ想定外である。そのような状態で十分な弁護活動ができるわけはない。
彼らは裁判官の下で実務修習をしているのであり、弁護人である私の下で修習しているのではない。私は彼らの名前もしらない。彼らは全くの赤の他人である。しかし、裁判員や傍聴人はそれを知らないだろう。私の後ろにいる以上、弁護人か少なくとも弁護人の関係者だと思うだろう。彼らが証人尋問中に鼻くそをほじっていたらどうだろう。被告人質問中に居眠りしていたらどうだろう。「被害者」の意見陳述の間に今晩の飲み会の打ち合わせをひそひそにやにやしていたらどうだろう。私や私の依頼人には彼らを管理できないのに、彼らの不始末の不利益はわれわれが負うことになる。
これは最近の東京地裁で頻繁に行われるようになったことである。私の1回だけの体験ではない。すなわち、東京地裁の裁判官たちは話し合いのうえで、組織的に修習生を当事者席に座らせることを決定したのだ。これほど不躾なことを事前に何の連絡もなく、さも当然のように一糸乱れず遂行できる裁判所というのは、一体どんなところなんだろう。それを指揮した裁判官という人たちはどういう人間なんだろう。少なくとも、彼らは、弁護人の法廷における仕事が秘密や自由を扱うセンシティブなものであることを理解していない。弁護士というのは、その背後わずか40センチの範囲を犯されても何も感じない人間だと思っている。それだけは確かである。
私が修習生をしていた30年前には、弁護修習中の修習生は弁護人席に座り、検察修習中の修習生は検察官席に座り、そして、裁判修習中の修習生は法壇の上の裁判官席に座ったのである。最近になって、裁判所は修習生を法壇から追い出した。それでも弁護人席に勝手に座らせることはなかった。法壇の横に修習生を座らせた。今回の動きは、おそらく裁判員裁判の法廷の構造が原因であろう。裁判員法廷の法壇は非常に大きい。そのために、法壇のうえ以外に修習生を置いておくスペースがない。現代の裁判官は司法修習生を法壇に置く勇気などない。弁護人席なら問題ないだろう。この小役人根性と弁護人を見くびる姿勢が今回の出来事の背景にある。
弁護士は、このような理不尽に対して黙っていてはいけない。依頼人のためにもまた刑事弁護のためにも毅然とした態度をとるべきである。その場で声をあげ、自分の背後から不逞の輩を追い払おう。そうでなければ、法廷における弁護の地位はますます矮小なものにされていくだろう。全国の同志よ。立ちあがれ!怒れ!
2011年02月10日
法廷技術に情熱を燃やしている若い弁護士と一緒に「裁判員裁判のための法廷技術」の教則DVDを作りました。
ちょっと値段が高いのですが、新しい法廷弁護に挑戦しようという弁護士の参考になればと思います。
ご購入は全国の書店か、現代人文社へご注文ください。
http://www.genjin.jp/index.html

ちょっと値段が高いのですが、新しい法廷弁護に挑戦しようという弁護士の参考になればと思います。
ご購入は全国の書店か、現代人文社へご注文ください。
http://www.genjin.jp/index.html

2010年11月11日
「耳かき殺人事件」の判決言い渡し後、裁判員と補充裁判員を務めた人たちが記者会見で「死刑求刑事案での審理に参加した感想」を述べた(msn産経ニュース2010.11.1 18:19、同19:15)。その中で、裁判員6番(男性会社員)は、「プレッシャーを感じながらやるにつれ責任感が出てきました」と述べる一方で、こうも述べている。
「評議の後、裁判長が『判決についての責任は裁判官が負う』と言ってくださり、気持ちが和らぎました」。
この裁判長の発言は、日本的な官尊民卑、パターナリズム、甘えの構造を表している1つのエピソードであると同時に、裁判員制度の存在理由にかかわる重大な問題を孕んでいると思う。なぜ、裁判長は、死刑か無期かが問われ、全国民が注目したこの重大事件の判決について、一緒に評議をした裁判員を免責することができるのだろうか。そして、裁判員を免責する一方で、「責任は裁判官が負う」などと言えるのだろうか。もしも判決の責任の主体が裁判官だけだというなら、裁判員は一体何をしに裁判所に来たのだろうか。
そして、責任は自分ではなく裁判官が負うと聞いて「気持ちが和らぐ」ような人に、本件の裁判員として評議を行い一票を投じる資格があるのだろうか。裁判員制度は、国民自身が司法に参加しその責任の一翼を担うことを目指してはじめられたのである。それはこの国に生きる国民全体が平等に責任を分かちあう、国民の義務として行われるべきものである。死刑か無期かの選択を自らの責任において行うことができない人は、最初から裁判員になるべきではない。裁判員選任手続おいてそのような人は排除されるべきである。
裁判員は職業裁判官の補助者ではない。裁判官は自分たちだけで判決の責任を引き受けることなど許されない。裁判官は、裁判員とともにその責任を分かち合わなければならない。裁判員は、判決が「自らの決断」であることを自覚すべきである。この自覚のない人によってなされた刑事裁判はその正当性の根拠を欠いているというべきである。
【付記】
憲法には教育、勤労、そして納税の義務(国民の三大義務)が書かれている(26条、27条、30条)が、「裁判員を務める義務」は書かれていない。しかし、憲法に明文で書かれていないからといって、それ以外に国民の義務はない――あとは政府に任せておけばよい――ということには必ずしもならない。国民の基本的な人権を保障するために、当の国民全体が一定の負担をしなければならない場合というのがある。
例えば、日本国憲法37条2項は、刑事被告人に対して「強制的手続により証人を求める権利」、すなわち、自分に有利な証言をするかもしれない人を国家権力によって強制的に証人喚問してもらう権利を与えている。この権利が十分に保障されるためには、証人として喚問された個人は法廷に行って自分の見たこと、聞いたこと、そして考えたことを言わなければいけない;宣誓をし、うそをつくと偽証罪になって処罰されるし、宣誓を拒否したり証言を拒否したら、証言拒否罪あるいは宣誓拒否罪ということで罰則を科せられる、ということが必要になる。この国に居住する全ての人が耐え忍ばなければならない「証言義務」は憲法には書かれていない。しかし、この義務がなければ、刑事訴追を受けた個人は裁判で十分な反証をすることができず、無実の罪で刑罰を受けてしまうかもしれない。証言義務はこの国が自由な国であるために必要な国民の義務なのである。
同じように、裁判員裁判というのは国民が自由に生きるための1つの防塁だと私は思う。それを支えるのは裁判員として法廷に召喚された国民である。国民が裁判員としての職責を果たすこと、その責任を「お上」に任せず自らの一身に引き受けることによって、公正な刑事裁判が実現され、この国に生きる人々の自由が守られる。このような国民の義務が伴わなければ、国民の権利は持続しえないのである。
「評議の後、裁判長が『判決についての責任は裁判官が負う』と言ってくださり、気持ちが和らぎました」。
この裁判長の発言は、日本的な官尊民卑、パターナリズム、甘えの構造を表している1つのエピソードであると同時に、裁判員制度の存在理由にかかわる重大な問題を孕んでいると思う。なぜ、裁判長は、死刑か無期かが問われ、全国民が注目したこの重大事件の判決について、一緒に評議をした裁判員を免責することができるのだろうか。そして、裁判員を免責する一方で、「責任は裁判官が負う」などと言えるのだろうか。もしも判決の責任の主体が裁判官だけだというなら、裁判員は一体何をしに裁判所に来たのだろうか。
そして、責任は自分ではなく裁判官が負うと聞いて「気持ちが和らぐ」ような人に、本件の裁判員として評議を行い一票を投じる資格があるのだろうか。裁判員制度は、国民自身が司法に参加しその責任の一翼を担うことを目指してはじめられたのである。それはこの国に生きる国民全体が平等に責任を分かちあう、国民の義務として行われるべきものである。死刑か無期かの選択を自らの責任において行うことができない人は、最初から裁判員になるべきではない。裁判員選任手続おいてそのような人は排除されるべきである。
裁判員は職業裁判官の補助者ではない。裁判官は自分たちだけで判決の責任を引き受けることなど許されない。裁判官は、裁判員とともにその責任を分かち合わなければならない。裁判員は、判決が「自らの決断」であることを自覚すべきである。この自覚のない人によってなされた刑事裁判はその正当性の根拠を欠いているというべきである。
【付記】
憲法には教育、勤労、そして納税の義務(国民の三大義務)が書かれている(26条、27条、30条)が、「裁判員を務める義務」は書かれていない。しかし、憲法に明文で書かれていないからといって、それ以外に国民の義務はない――あとは政府に任せておけばよい――ということには必ずしもならない。国民の基本的な人権を保障するために、当の国民全体が一定の負担をしなければならない場合というのがある。
例えば、日本国憲法37条2項は、刑事被告人に対して「強制的手続により証人を求める権利」、すなわち、自分に有利な証言をするかもしれない人を国家権力によって強制的に証人喚問してもらう権利を与えている。この権利が十分に保障されるためには、証人として喚問された個人は法廷に行って自分の見たこと、聞いたこと、そして考えたことを言わなければいけない;宣誓をし、うそをつくと偽証罪になって処罰されるし、宣誓を拒否したり証言を拒否したら、証言拒否罪あるいは宣誓拒否罪ということで罰則を科せられる、ということが必要になる。この国に居住する全ての人が耐え忍ばなければならない「証言義務」は憲法には書かれていない。しかし、この義務がなければ、刑事訴追を受けた個人は裁判で十分な反証をすることができず、無実の罪で刑罰を受けてしまうかもしれない。証言義務はこの国が自由な国であるために必要な国民の義務なのである。
同じように、裁判員裁判というのは国民が自由に生きるための1つの防塁だと私は思う。それを支えるのは裁判員として法廷に召喚された国民である。国民が裁判員としての職責を果たすこと、その責任を「お上」に任せず自らの一身に引き受けることによって、公正な刑事裁判が実現され、この国に生きる人々の自由が守られる。このような国民の義務が伴わなければ、国民の権利は持続しえないのである。